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2014年10月

2014年10月31日 (金)

松宮秀治「文明と文化の思想」(24)

ヘーゲルの歴史哲学的省察によれば、「公共の精神」と「主観的精神」が統一された「共同体の真理」の顕現化である西欧近代の国家においてのみ「世界史」が成立しうるということになる。それは個人の内面的自由(主観的精神)と個人の自由を抑制する法あるいは社会的な掟(公共の精神)が、外からの支配力と強制力として自由意志を服従させる強制力を排除する原動力として働くのである。国家と個人の精神の自由を抑圧する「東洋社会」には「世界史」は存在しえない。なぜなら、そこでは歴史は絶対的な権力によって「なされたこと」の記述として超越的な権威をもち、個人の自由意志がその理念を投入する余地が残されていないからである。いうなれば「世界史」とはヘーゲルのいう「国家」と等質のもので。で、国家は個人の内面と公共の精神を統一するものである。それに対して国家が絶対的な権力を持って、法を公共の精神そのものとして、個人の自由意志の服従と屈服を手段や大義名分とするところでは、「共同体の真理」は抑圧されてしまう。「国家」が「共同体の真理」を実現化させえないところでは、「歴史」は一民族、一国家の行動規範としての歴史にはなりえても、個人の自由意志とその総合としての人類の発展理念が歴史の指導原理となる「世界史」は生み出されえない。

つまりは、「世界史」とは「進歩」の観念の創出によって、人間の世俗活動を「文明」と「文化」の概念で再構成する作業である。ということは「世界史」を語りうる資格を持つものは西欧の近代思想のみであり、同時にそれは西欧近代の価値を規準においてしか語りえないものである。西欧の「進歩」塗装がはじめ体系的に明確なかたちで表明されたのは、フランシス・ベーコンの『ノヴム・オルガノム』であったといえる。しかし、その進歩の確信は科学・技術の分野におけるもので、精神の自由の確立による「社会」の進歩そのものは信じていなかった。つまりその進歩の確信は知の集積という相対的な歴史的条件にもとづく優位であって、西欧人の人間的資質そのものにもとづく優位性の信念に由来するものではなかった。それが人間の資質の優位性に転換される方向に進むのは、デカルト哲学の出現以後のことである。デカルト哲学は人間の認識の起源を経験論に求めるのではなく、つまり学習や教育的実践という後天的な形成に求めるのではなく、すべての確実な知識を明晰な理性の先験的な能力に求める。この考えはスピノザやドイツ観念論哲学に引き継がれるが、最も強く継承、発展させたのがヘーゲルの思想であった。

人間の感覚的な認識能力、つまり相対的で後天的な学習にもとづく認識能力に対する先験的な認識能力としての理性は、原理的には人間の普遍的認識能力、つまり全人類が先験的には平等に賦与されている能力であるが、人間の社会形成の過程の中で普遍的理性(純粋理性)は、経験的理性(実践理性、悟性)へと分岐してくる。カントのいう純粋理性と実践理性の区分はデカルトの区分にもどせば第一理性と第二理性になるが、西欧の合理主義哲学の思考伝統のなかでは、事物の真の認識は経験的理性の認識が先験的理性と合一し、不可分な統一性の維持するところに求められる。科学的な認識においては仮説と実験の一致である。ホッブス、ロック、カントの政治哲学によって、西欧の進歩思想は、科学的、技術的な進歩という相対的な西欧優先思想から、社会的進歩という絶対的な西欧優先思想へと転換していく。

その根拠となる信念は、西欧においてのみ人間の自然権が社会制度化を達成しえたという自負に由来する。自然権とは最も基本的な部分に人間の生命の尊厳という思想を据えながら、現実社会の慣習や立法を越えたところに理念として人間存在の基礎条件に一種定言的命令のように無条件にあてはめられるべき命令である。そして自然権はその無条件に与えられた命令として与えられる。このように与えられる意志の自由と法の下での平等は、近代社会の絶対的な理念目標として設定されたものである。そして西欧近代の政治哲学はこの自然権を社会的に現実化するプログラムとすることを自らの中心的な課題としてきた。西欧の17、8世紀の政治哲学と啓蒙思想によって、前近代的な宗教的神権主義や権威主義的な諸特権が相対化されることで、人間の基本的人権の思想が西欧人の人間観、社会主義や権威主義的な諸特権が相対化されることで、人間の基本的人権の思想が西欧人の人間観、社会観を人類史上、類例のない新しい価値基準で方向づけていく。この価値規準の提示の開始とその理念の実践過程を西欧人は「近代」と規定し、そしてその近代価値の中心に「進歩」という観念を設定してくる。

ヘーゲルに至って西欧のこの社会進歩は、それ以前になかったほど強力に西欧人の絶対的な優越性の哲学的根拠が与えられ、西欧人の「世界史的使命」が自覚化される。「進歩」が人間存在の最も中心的な価値となることで、「文明」と「文化」も西欧の近代価値のイデオロギー的な主張の支柱へと変化していく。

西欧近代が圧倒的な力として作用し、全世界の伝統的な秩序の存立基盤を揺るがせるか、あるいは弱体化、無力化させる力となっていったのは、西欧近代が単に西欧の前近代の権威に対する懐疑と批判のみにとどまったのではなく、人間社会全体や人類史全体の権威の神秘的・魔術的支配力を弱体化あるいは無力化させていく思惟方法を確立させえたからである。その近代的思惟とは哲学と呼ばれる批判的思考で、人間の行動目標を神秘的権威に盲目的に委ねてしまうことなく、人間行動の目標をその方向に応じた根拠に依拠させて、自らの理性的判断で設定していく主体的で自力的な思考のあり方をいうのである。哲学はその進行過程のなかで次第に自然諸科学、社会諸科学、芸術諸科学に専門分化していく方向をたどりながらも、その思惟全体と合理主義精神を可能な限り追求することで政治哲学と歴史哲学としての存立基盤を強化させながら、全世界、全人類の空間的(地理的)、時間的(歴史的)存在原理と存在様態の差異の原因解明に関しては個別専門科学がとうてい達しえない探究能力を保持して勢力を失わないようにしてきた。

 

2014年10月30日 (木)

松宮秀治「文明と文化の思想」(23)

ヘーゲルにとって歴史とは人間精神の「進歩」への信奉によって、過去の人間精神の進展過程の総体を再整除、再構成しなおし、「国家」という人間存在の最高形態への接近度によって人間価値が測定される規準であり、尺度なのである。クローチェからEHカーに至る現代の歴史思想は、「あらゆる歴史は現代史である」という観念をめぐるものになっているが、この考えもそれに遡っていくとヘーゲルに辿り着くことになる。そしてそのヘーゲルの思想も西欧近代の「世界史」の思想と「政治哲学」の思想に起源が認められる。西欧近代の「世界史」と「政治哲学」の思想もその出発点は人間を超える超越者の存在を認めず、人類史と人間社会を人間の主体的な意志活動の成果として考える点に共通点をもつ。さらに両者はともに人間の自由意志の拡大と人間の自然権の確立を「進歩」の規準とすることでも共通性をもつ。

この意味でヘーゲルの歴史哲学は、ホッブス、ロック、カント政治哲学と同一の進歩思想の系譜につながるものである。このことはヘーゲルの『歴史哲学講義』のただひとつの真のテーマである「世界史」とは何かという課題の論の展開の文脈に則して考えるとより明確なものになる。それは西欧近代の歴史哲学とは政治哲学と不可分の一体性をもつもので、神話的、呪術的な宗教社会における被造物としての人間の受動的な歴史観や伝統主義的で規範主義的な規範社会の固定化された人間価値の序列に世界の基盤を求めていこうとする歴史観に対して果敢に反撥し、人間精神の主体的な創造性と人間の自然権と意志の自由を人類史の進歩の規準に設定していこうとする思想の産物である。だが人間精神と自由の意志には民族的資源による差異が不可避に反映され、「世界史」とはその差異が明確に反映されるものとされる。

キリスト教によって導入された「自由」はまだ宗教的な教義の段階にとどまるものであり、その自然権の思想も現実的な実践のために組織的にプログラム化されたものではなく、神学的な教義の範囲内にとどまるものに過ぎなかった。自由の原理が宗教的な教説にとどまり、政治の実践領域に浸透されないのは、いまだ「世界史」が自由の段階に達したことにはならないのである。「自由の原理を世俗の世界に適用し、世俗の状態に自由を浸透させ自由を確立するには、長い時間の経過が必要で、その経過が歴史自体なのです」ということを明確に理論化していく作用が「歴史哲学」の課題になるということである。そして彼の歴史哲学が政治哲学であり、それが西欧近代イデオロギーの中核となり、西欧精神の「進歩」こそが「世界史」の進歩の最優越価値として、「人類史」としての世界の歴を再整除、再構成する絶対的な規準となるのである。

そしてその歴史哲学の実践的な目標として設定してきたのが「世界史」という観念だったのである。したがって「世界史」とは世界の諸民族、諸国家の個別的な歴史的展開の記述ではなく、「精神の自由」という指導原理として展開させてきた人類の活動の価値の序列化を意味するものとなる。その「世界史」の規準を提供しうるのは、「人間そのものが事由であり、精神の自由こそが、人間のもっとも固有の本性をなす」という意識をもったゲルマン精神とキリスト教精神を合体させえた西欧人のみということになる。つまり「世界史」は世界の個別的な民族や国家の歴史的展開の総和でなく、人間が「精神の自由」という理念を達成させていくための指導理念の提示であり、その理念に沿った人間の歴史の再整除計画のプログラムなのである。

西欧の近代価値の中核を形成する観念が「進歩」であり、その進歩の観念の内包領域を細分化し、概念化していく概念軸の役割を果たすのが「文明」と「文化」であることは、すでに繰り返し述べてきたことである。しかし、ここに立ち止らずに先に話を展開させてゆくなら、「進歩」「文明」「文化」は人間の集団的な活動の成果であるが、その基礎部分を形成する個人の活動を始動させているものは、「理性」という、感覚的、情動的思考力とは異なる概念的な思考能力であるが、英仏の場合はこの「理性」は論理的、科学的な合理思考とより多く結合したものになっていくのに対して、ドイツの場合は精神的、先験論的(形而上学的)な思考とより多く結合を果たしていった。このことから暫定的に引き出されてくる結論は、西欧の近代価値の「進歩」の観念は、英仏にあっては科学文明、技術文明、社会統治技術文明(市民的国民国家、主権在民、議会制民主主義)の価値の称揚の方向に進み、ドイツにあっては、それは芸術、哲学、宗教(信仰の対象としてのものではなく、教養財としての相対化された世界の諸宗教)の文化価値の称揚の方向に進むということである。西欧近代が「世界史」という概念を創出し、その中軸と価値基準を西ヨーロッパ世界に置くのは、全人類と全世界を「文明」と「文化」の概念のもとに組織的統一体として把握する思考体系を形成しえたからである。また西欧社会以外の諸民族が伝統的な権威主義社会か宗教的な神秘主義の段階にとどまり、それらの諸民族の歴史を文明や文化の概念で捉えることができたにせよ、その文明、文化はその歴史の出発点においてすでに完成形態を有し、それらすべてが本質的に下降史観に貫かれ、「進歩」の観念と結合しえないものだからである。西欧だけが「進歩」の観念を創出しえただけでなく、その進歩を実体化、現実化しているという自負が、西欧近代の全思想に浸透していったからである。ヘーゲルにおいて一つの完成形態を見い出す西欧の歴史哲学は、「世界史」という西欧近代のみが創出しえた「擬制」の歴史である。

ヘーゲルによれば、歴史とは「なされたこと」、つまり歴史的事実と「なされたことの物語」、つまり事実についての解釈が統一されたものだというのである。歴史とは歴史的事実だけでは歴史とはなりえない。歴史が歴史たりうるのは、歴史的事実と歴史解釈が統一されるような歴史についての哲学的な省察が必要となる。ヘーゲルにとって「歴史」とは、「理性がこの世の現実に存在し、意識や意思の行為のうちに理性が認められるような状態」においてはじめて実現するもの、さらに言えば、「精神が生命をもち、自由や善悪や法を意識しうる状態」、つまり「精神が純良さ」を脱した状態ではじまる自己の精神の客観化と歴史的事実の主観的省察が可能となる精神段階においてはじまるものである。言い換えれば公共の精神と主観的精神が統一されることで、「共同体の真理(国家の真理)」が顕現するとき、はじめて歴史が歴史として自覚的なものになるというのである。「世界史においては、国家を形成した民族しか問題にならない」というヘーゲルのテーゼは、「かくて、世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人々がそこで自由に生きる国家がそれだ」ということになる。

2014年10月29日 (水)

松宮秀治「文明と文化の思想」(22)

第4章 「世界史」の思想と世界蒐集の思想

今日では進歩、文明、文化はほぼ一般的な名辞と化してしまい、価値概念の名残を保持しているといえども、それはごく相対的な価値を表わす名辞にすぎなくなっている。それは西欧近代が自己の価値の絶対性の主張を自明とする方向を維持しえなくなった第二次世界大戦期に至って、はじめて生じた概念転換の結果である。だがこの進歩、文明、文化の概念は西欧近代が本質的には呪術的な神学的世界観と反進歩主義的の権威主義的な伝統社会の思想に対する新しい人間中心主義の価値世界を創出しようとする、新しい理念の提示として、絶対的な価値を要求する闘争性を顕にする名辞だったのである。つまりそれは今日の用語の中に置かれているような相対的な価値の指示詞ではなく、自己の絶対性、優位性を確立していくための闘争性を剥き出しにした名辞であり、過去の世界を覆っていた価値体系に代わる新しい価値体系の創出を宣言する革命的な名辞であり、世界変革の要求を顕にした名辞だったのである。

言い換えれば、進歩、文明、文化は今日的な用語法がそうであるような、平和的で友好的なものでもなく、また「異文化」の価値を容認するような寛容精神に溢れたものでもなかった。むしろそれはまったく逆に、自己の「進歩」「文明」「文化」を基準に、世界の他文明、他文化を未開、野蛮、粗野な非文明社会に位置づけ、非西欧社会の思惟体系全体を非合理的で呪術的な思考段階に停滞している世界とみなし、西欧の「文明」「文化」の教導なしには救済の可能性のない世界と断ずる驕慢さそのものに転ずる方向性を同時に併せ持つ語となっていったのである。

西欧の近代価値の集約点に位置する「文明」「文化」の概念は「進歩」の概念を指導軸としなかせら、様々な「進歩」の公準と価値基準を設定しながら歴史世界と人類社会を整除し直そうとする。宗教社会や伝統社会が人間の個人的な運命に至るまでの全世界を支配する神意や天命、摂理という支配、監視システム理論を整備していたように、西欧近代の「進歩」の観念も全世界をその「規準」に則って再整除死、新秩序のもとで新しい世界像を完成させようとする。ヘーゲルの場合、世界史の「進歩」の規準は「自由の意識の前進」が選ばれる。彼は『歴史哲学講義』において、「世界史とは自由の意識が前進していく過程であり、わたしたちはその過程の必然性を認識しなければなりません」と宣言する。

ヘーゲルが歴史の進歩の規準を富や幸福の増大、技術の進歩に求めずに、自由の意識の前進に置くのは、物質的進歩はそのときどきの状況に左右される本質的なものではない進歩であって、精神的進歩こそが実体的で本質的な進歩であるという思想に基づくのである。ヘーゲルが、精神の自由の意識とその実現に「進歩」の規準を置いたのは、その進歩こそが、「理性」の本質的な自己覚醒と本源的な実現を意味するものと考えたからである。ヘーゲルは「自由の意識の前進」と「世界史の進歩」と「理性の実現」の関係を次のように説明する。「理性そのものがなんであるか、という問いは。理性が世界と関係づけられている限りで、世界の究極目標は何か、という問いにつながります。究極自体は、いうまでもなく、実現されるべきものと考えられています。」これはヘーゲルの世界史哲学の中心的なテーゼである。「理性の現実における精神の完全なる実現形態」としての国家」が導き出されてくる最終目標となるものである。彼にとって「世界史」とは諸民族、諸集団、諸国家の加算的な総和を意味するものではない。それは「自由を実現した」西欧近代国家を基軸として整除された「理性的なものの現実化」としての国家の名に値する国家の謂いである。

ヘーゲルの国家観、つまり「国家こそが、絶対の究極目標たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家を通してしか与えられない」とする国家思想は、のち様々の批判と反撥にさらされることになる。このヘーゲルの考えは国家(全体)は個人(部分)を越えた全体的存在として権利を行使しうる存在であるという考えになる。ヘーゲルの国家思想はあらゆる面から考えて、ヨーロッパの近代が求めてきた自由思想に対する反動的な側面を顕在化させたものであり、それはナショナリズムや保守主義やロマン主義と通底するものである。

だがここで問題にしたいのは、ヘーゲルが「進歩」の歴史と捉える「世界史」の構造とそこから導き出される西欧中心主義と西欧優越思想であり、またそれと西欧近代の進歩思想全体とのかかわりである。このことを確認するために彼の「世界史」という観念が導き出されてくる彼の「歴史哲学」という概念の立脚点に立ち戻ってみる必要がある。彼は「歴史」を捉える方法には三つの方向があるという、それは(a)事実そのままの歴史、(b)反省を加えた歴史、(c)哲学的な歴史の三つの捉え方であるという。まず、(a)の事実そのままの歴史とはヘロドトスやツキディデスに代表される歴史記述で、記述された歴史が現実生活の規範や尺度として人々の行動様式の原則を提示するものとなる。(b)の反省を加えた歴史、ヘーゲルはそれをさらに三区分して、①「一民族ないし一国土ないし世界の全体を概観する歴史で、要するに通史と呼ばれるもの」、②「実用的な歴史といわれるものです。過去の遠い世界とかかわるとき、精神は、自分の努力に対する報酬として、精神の活動のなか現在にも通用する何ものかを引き出してきます」、いうなれば現在との関連において過去を捉えようとするもの。③は個別部門の歴史で、芸術史や法制史、宗教史などであるが、それは事実の歴史や通史とは異なって、個別領域という概念化された理念の歴史とかかわる。(c)の哲学的な歴史とは「歴史哲学」のことである。

ヘーゲルにとって「歴史」とは究極的には「理性」の実現過程である。そして理性の実現過程とは人間精神が自らに課する「理念」の覚醒とその理念実現への努力の全過程の認識活動の総体である。したがって彼が歴史における理性の意味を最終的には、「現実における精神の完全なる実現形態としての国家」に求めるのは、歴史を過去に起こった事実の記述とも考えず、また彼が「反省を加えた歴史」という専門的な歴史研究を真の歴史認識とは考えず、理性によって理念化された精神の現実化の過程と考えていたためである。言い換えればヘーゲルにとって「歴史」とは過去の事実でもなく、またその忠実な記述でもない。さらに歴史科学が求める公平、公正な過去の事例の探求でもない。彼にとって歴史とは、人間の最高の理念としての「国家」の歴史の中に求められるべきものである。なぜならそれは個人の意志と集団の意志、つまり個人の主観的精神と共同体の普遍的な公共の精神が統一される人間理性の最高の達成形態、制度だからである。つまり歴史とは彼にとって過去の出来事の記憶手段ではなく、人間の過去の努力が未来の理念達成に繋がっていくプロセスの総体を意味する。

2014年10月28日 (火)

松宮秀治「文明と文化の思想」(21)

カントにとって「進歩」とは人類社会の理念的な目標である「永久平和」の実現に向けての人類の実践的な努力の全プロセスを意味している。そしてその「永久平和」の理念の実践的な達成は人間が国家的連合の段階を越えて、「人類の完全な市民的連合」を作り出すことである。さらにこれを別な言い方をすれば、人間社会の進歩の具体的な指標としての「文明的進歩」と「文化的進歩」の並行的、乖離的発展を人間の道徳的成熟で統合、合一化させていくプロセスである。

カントにとって「進歩」とは人間が他から独立して自由な個人的領域を確保しようとする「非社交性」と、敵対とまではいわないまでも相対立しあう個と個の関係を「社会」という相互譲歩の機能によってのみ成立する「社交性」と融合させることで、個人の非社交性の領域と個人の意志の自由と人権の尊厳も自然権として保証されるが、同様に社会形成の欲求それ自体も単なる特定範囲内での集団形成だけにとどまるのではなく、様々な特定地域集団の枠を超えて、「世界市民連合」というより高次元の社交性が個人の非社交性を解体させる域にまで達していこうとするプロセス全体をいうのである。

カントにとって「文化」と「文明」の関係はこの人間の非社交性の関係と同じものである。「文化」とは人間の個人的能力、性向、意志、自由について自己価値の形成、確立、保持のための自己独立領域の確保の活動に発しながらも、それが個人的価値を越えて社会的価値全体のなかで、その存在意義が承認されるときはじめて社会価値を獲得するものである。それに対して「文明」とははじめから社会価値を承認されており、その社会価値が個人の活動全体を方向づけ、規定し、個人が自覚的な活動領域を発見し、形成していく以前にすでにその行動規範となることで、個人の活動の方向性を与え、その活動の社会性、あるいは反社会性の測定基準を決定するものである。言い換えれば「文化」とは個人の私的活動が集団的価値、社会的価値に拡大、上昇していったものであり、「文明」とは逆に社会的、集団的価値が一方では普遍的価値としてますます脱個人化、脱地域化し、世界の価値を一元化していきながら、さらに他の一方では一元化されていく価値を等価的に分散化、拡大化させながら個人の私的活動領域にまで浸透していく性格をもつものである。

カントにとって「進歩」とは「文化」と「文明」が道徳性の理念なかで合一、融合することであるが、それを可能にするのは人間の道徳的成熟を俟たなければならないという。なぜなら「文化」と「文明」の合一、融合は両者の本質の理解の不足、不徹底のための分裂状態の中にとどめ置かれているからであるという。

「文化」とはカントの考え方によれば個人の内発的な自立と人格の自律的な価値が社会的価値に上昇され、拡大されることで人間の道徳的成熟を促すものである。それに対して「文明」はすでに確立され、規範化されている、外的で形式的な道徳価値が個人のなかで内政的な反省と深化を果たしていくことで、個人の内面的な道徳と融合、合一することで成熟に向かって完成されていくのである。いうなれば「文化」とは個的な内面価値が外面化されることで社会価値となっていくものであり、「文明」とは外的な集合的な価値が個人の内面価値、人格価値と融合することで精神価値を獲得していくものである。したがって「文化」も「文明」もともに自発的な内的な発展原理によって成長していくものである。したがって「文化」も「文明」もともに自発的な内的な発展原理によって成長していくもので、外的な強制力はその自然な自己形成と高次の道徳的成熟力を圧迫してしまう。「文化」は内発的で個別的な精神価値や思想価値を社会化することで自己形成と自己成熟を果たしていくものであり、「文明」はすでに社会生活の規範価値として確立されている権威の社会的強制力を個々人に押し付けるのではなく、その権威を個々人の人格発展の形成財に転化させることで精神化、内面化を果たしていくものである。「文化」や「文明」は共に個人の範囲や国家の範囲内にとどまるのではなく、両方の枠を越えて、「市民社会連合」という超国家的な次元、つまり「人類史」と「世界史」の成立といえる「道徳性の理念達成」の段階に至ってはじめて完成の域に達したことになる。

このようなカントの「進歩」思想とは、人間の道徳的進歩への期待と信奉へ帰着する一種の「千年王国論」、つまり中世キリスト教の神学的なそれに代わる近代の哲学的なそれともいうべきものである。

西欧の「近代」を始動させ、その近代の展開を主導してきた「進歩」とは、個々人の知的進歩でもなく、またのちには主導的な役割を担うことになる科学や技術の進歩ではなく、個人が自己の自然権を社会集団に移譲し、社会集団の権力のもとでより高次の実定法としての自然権に結実させていく過程のことである。つまり「進歩」とは個人の能力開発と進展ではなく、社会活動全体としての「文化」と「文明」の発達のことなのである。西欧における「進歩」の観念はこのように科学と技術による諸発明やその結集として起こる「産業革命」という社会の物質的な変化の実感に先行した、社会制度と人間の社会的責任(社会道徳)の変革の理念によって主導されてきたものであった。近代以前においても人民統治の政治的な技術としての政治学と法学はそれぞれの統治段階に応じた形で知的な組織化が図られてきた。この前近代の西欧の政治学、法律学はつねに為政者側に立った統治技術論であり、方法論であった。それに対して近代の政治哲学は統治者と被統治者の伝統的な関係そのものを問い直すことから出発したものであった。そこから新たに生まれた近代の政治学の中心概念となるものが、「市民社会」であり、さらにその概念の整備のなかから生じてきたものが「民主主義」「主権在民」といった新しい概念であった。そして、近代の政治哲学は前近代の政治的思考の枠を越えて、政治経済論の領域を開拓していった。例えばルソーの『政治経済論』やアダム・スミスの『国富論』であるそこからホッブス、ロック、カントの政治哲学で追求された政治社会学的な領域に加え、新たな経済社会学あるいは産業社会学的な社会科学の領域が開拓されるようになってくる。この経済社会学や産業社会的な思想と思考の出現過程の中で、科学技術の進歩や社会経済圏の拡大といわゆる「産業革命」という政治哲学論的な社会理論を経済哲学的な社会理論へ転化させる思想転換が生じてくる。そしてその新しい経済哲学的な社会理論が工業化された産業社会の出現と結び付くことで、それまで政治社会の変革を中心に理念化されてきた「進歩」が、次第にそのシフトを転換させて、科学技術の進歩を中心軸とした方向に変わってくる。これによって「文明」と「文化」の概念も相互補完関係から対立関係へと次第に変化を開始させ、それと並行するかたちで政治社会論も革新主義と保守主義の対立、世界市民主義と国民国家主義の対立、物質主義と精神主義の対立を生み出してくる。

2014年10月27日 (月)

松宮秀治「文明と文化の思想」(20)

歴史主義とは西欧近代思想史の文脈に戻して考えるなら、キリスト教的な「ユニヴァーサル・ヒストリー(普遍史)」が個別的な地域の文明圏として捉えられる「世界史」に組み立て直される思想の成立を意味するものである。ユニヴァーサル・ヒストリーとは「ヒストリー・オブ・コスモス」を神の摂理と恩寵という単一で普遍的な原理の帰結として捉える歴史観であった。つまり、そこには人間の主体的意志の関与は存在せず、人間は予定調和という神の計画の中で受動的な運命を閲するだけの存在に過ぎないのである。またそれは人間の歴史だけでなく、神の被造物全体としての「宇宙」と「非生命全体」までをも含んだ歴史だったのである。それに対して、歴史主義の世界史は、世界を個別的な文明圏の人々の個性的な文化と個別的な思考にもとづいた歴史的な展開を示すものであると捉えられたのである。歴史主義とは世界が単一で普遍的な価値を共有するのではなく、諸民族、諸国家、諸社会集団が自己の置かれた状態のなかで、主体的、自主的に個別的な歴史的展開に身を置き、個別的な価値意識のなかで、固有の文明、文化をつくりあげる過程であると捉える思想なのである。

ホッブス、ロックの思想も最終的には「自然権」という自然法的思考の基盤を国家や国民、社会や輿論という地域集団の個別性の中に解消、解体させようとする思想で、人類の普遍史を解体させ、「世界史」という諸国民、諸民族の歴史のなかに再整除し、再構築しようとする思想に他ならなかった。ホッブスもロックも生活の権利として自然権の存在を承認し、その権利を実定法化されることが、その権利の社会的保証となり、現実的な実現となることを知ってはいたが、彼らはそれだけでただちに社会的進歩が達成され、平等で自由な社会が出現されると信じるほど楽天家ではなかった。それにもかかわらず彼らが自然権という個人の基本的権利を主張し続けるのは、神的な共同体の全体的な価値と個人の個別的な価値と権利に優先させられる全体主義・普遍主義の関係から個人という部分価値と存在意義を救出しなければならないという使命感を持ち続けていたためであった。

全体が個に優先するという全体主義の論理は、古代的な規範主義と伝統主義の国家観の中にも、あるいはキリスト教の普遍主義的な社会理論やそれと合体した中世の「帝国」理念の中に内在していた原理であった。身分や階級や職能的区分ではなく、法的擬制としての「市民」、まさしく近代の社会価値の担い手としての法的人格としての「市民」を自然権と結合させ、その存在を「国家」や「社会」と法的価値において等価と見なしていく社会理論の構造こそが、ホッブスやロックにとどまらず、その思想を継承していく近代政治思想家たちに支持され、深化されていくのは、全体価値に対する個別価値の確立こそ、「進歩」の概念の中核の形成であり、人間の主体的、自由な価値創造活動の基盤となるという信念をいだいていたためであった。17、8世紀の政治思想家や哲学者にとって「進歩」とは具体的に何を意味していたかといえば、それは人間が「自然状態」から「市民社会」へ移行することであった。言い換えれば人間は本来与えられている「自然権」、つまり自然的権利を自覚し、その発展を阻んでいる未開な社会の無目的状態を脱して、法的に擬制された国家をつくりあげ、その国家の権力と権威によって、市民社会を維持、発展させることであった。これが17、8世紀の政治思想家にほぼ共通する社会進歩論の骨格であり、この市民社会論の目的とするところは最大多数の最大幸福というのが、イギリスの政治思想の基本的な方向となっていた。

それに対してカントの政治哲学はイギリス的な功利主義とは別方向を示していく。それは世界市民論と永久平和論の結合の中に求められていく。彼が何故時代の政治思想家たちと異なって、市民体制の最終的基礎を国家に置くことはできないとするのか。なぜなら人間が市民的体制を必要とするは、人間が本来的に「非社交性」という孤立への要求と他人に対する協調性の欠如という悪を内在させているからである。しかし、人間はその孤立への要求と協調性の欠如という悪の不利益をなんとか抑止し、国家という市民共同体制を設立するが、個人の非社交的で対立的性格は本質的に解消されるのではなく、国家と国家の対立というより拡大された対立になってしまうとカントは考えるのである。カントによれば人間の社会的な進歩とは、この孤立への要求と協調性の欠如という「非社交性」を克服していく段階であり、「文明」と「文化」とは「人間の歴史の全体が、自然の隠れた計画を実現していく」プロセスのことであり、またその成果のことを意味している。カントはホッブスが「オオカミ社会」と呼んだ万人の万人に対する闘争状態を無目的な未開状態の「非社交性」と呼び、その悪を人間が逆手にとって自らを善へ誘導するための相互協調性を可能にし、「社交性」を涵養していった結果が「市民体制」であり、そして市民体制を法的に保証し、育成していくものが「国家」であると考えた。しかし、この国家をそれ自体で無条件に信頼しうるものとは考えていなかった。カントは、個人が自己の非社交性という孤塁を捨てて、それなりに多くの義務と責任を負わねばならない相互協調的な市民体制をつくり、それをそれなりの代償を支払って守り、維持しているように、国家も自らの孤立に安住し、「内的な国家体制の樹立」だけにとどまるなら、それは個人の非社交性という悪徳を拡大させたものに過ぎないものといえる。カントの炯眼と洞察力は国家主権、つまり国民国家という個別的な主権国家の本質をよく見抜いていた。「主権」という法的擬制が国家の非社交性、つまり国家悪の根源であることをカントほど明確に認識していた思想家は存在しない。人間が自らの協調性の欠如を利用することで、その非社交性を克服し、社会や国家を形成することで個人の間の闘争状態を抑止していったように、国家や社会もその協調性の欠如を利用するつまり、国家間の戦争を阻止しようとするのではなく、国家間の戦争を行わせるだけ行わせることで戦争の高コスト性、非効率性、無意味性を知ることで、人間の「理性」を覚醒させ、国際的な連合に至らしめる方向に至らしめる方向に至らしめる方向に導こうとするのである。

2014年10月26日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(19)

西欧近代と近代の諸価値の中心にあるのは「進歩」という観念である。この「進歩」の観念が西欧社会を変革させ、その社会変革の思想が西欧における「人間精神の進歩」を歴史的に実践させてきた。それが端的に表われたのが「自然権」というものである。カッシーラの『国家の神話』によれば、「自然権」という思想はローマのストア哲学に由来する観念が、キリスト教の「原罪」という人間の社会的結合の障壁となる観念と神学的な神秘主義的思考で人間の社会的組織化という観念に変容させられたものであるという。それによって「自然権」という観念は、人類の普遍的な価値の指標とされたが、西欧近代の政治思想家たちはこの観念が、人間をして「原罪」からの自力脱出を助けるものではなく、むしろ神的救済以外の方法では、つまり最後の審判以外では救出し得ない被造物集団にとどめおく理論になってしまうことに気付いたのであった。

「自然権」を人間に与えられた天与の権利としてその権利の存在に満足することは、その価値を人類の普遍的な価値として、神や超越的な絶対者の支配に安住し、人間が自己の力で自己の運命や歴史を開拓するという努力を放棄していることを意味する。いうなればストア哲学やキリスト教神学の自然権の授与者としての人間は自由や平等を神話的な観念、呪術的な観念として捉え、人間を単なる動物的な生存者として神や超絵的な絶対者の前に対等で平等に投げ出されている存在者として相互了解しているだけのことにとどまる。ホッブスやロックはこの「自然権」を人間の主体的な進歩の意志にとっての負の価値物、つまり人間を自然状態への隷属にとどめ置くものとして、人間相互の「契約」を通じて「自然法」という個別的な価値につくり換えることで、神的価値に隷属する人間の意志を主体的で自律的な価値に換えていこうとした。言い換えれば自然権を自然法に転換させるということは、神的、超越的な普遍価値を個別的で地域的な社会集団の価値に細分化させることであった。さらに具体的に言えば、普遍的な人類に統括されていた人間存在を地域的な主権国家、つまり領主制国家、君主制国家、さらには国民国家、民族国家という個別的な人間の社会集団に独立させていく過程だったのである。

ホッブスとロックによってもたらされた西欧近代の進歩の観念の最大の成果は、ネイション・ステイトと市民的権利の結合である。なぜネイション・ステイトの発明が進歩の観念と結び付くのかといえば、人々が自然権のなかにとどめ置かれている状態は、万人の万人に対する闘いという、私権と私権の対立を合理的に処理、解決する段階に達していない人間精神の「未開」状態を意味するからである。ホッブスの場合はこの私権と私権の対立を処理する機関としてのコモンウェルスという立法・行政・司法の合体した「リヴァイアサン」という強力な「文明装置」が考案される。しかし、ロックの場合は、より文明化された輿論の法という、公共圏あるいは社会の良識を代表する観念装置になっていく。この輿論の法という観念装置は、私権と私権の対立をより高位の公共の利益という観念で軟化させ、国家という暴力的な権力装置の権力の恣意的行使を制限し、国家構成員の広範な意見を吸い上げる役割を果たすものである。ロックにおける意見とは、単なる人々の思いつきとはその場限り意見をいうものではなく、同一社会集団の共通の思考と行動の様式を指すもので、そこには社会の叡智と良識が集約されたという意が込められたもので、公共意見、公共利益、公共関心の語法に発展していくものである。

ここでさらに一歩進めて「社会」「公共圏」の発見がなぜ「進歩」や「文明」とむすびつくのかをも考えてみたい。社会とか公共圏とは単なる人間の物理的集合、つまり自然権の状態ではなく、またキリスト教的中世の「教区民」という超越的な権力と権威によって個々人の意志とは無関係に、神聖権力の恣意的な命令で形成される地域的区割りに帰属を強制された人間集団ではなく、人間相互の合意によって形成される意志的な結合集団である。公共社会を意味するpublicの原義は、共通の言語によって組織される公衆を意味するものであった。中世の僧侶階級や学者、知識人の用語であるラテン語は、地域と身分を越えた読書人団体の言語であり、一般大衆の俗語とは別の人間集団の形成原理をもっていた。この「俗語」は地域的、方言的な範囲を次第に国民国家の共通語的な方向で組織され、いわゆる国民的な母語として組織されてくる。言い換えればそれぞれの国の「国語(俗語)」は、ラテン語の普遍性、つまり社会圏、公共圏という地域的、個別的意志形成を阻んで、あらゆる価値をキリスト教的に一元化する普遍主義を地域的な個別化の要求のもとで解体、再組織する最大の武器となった。

2014年10月25日 (土)

松宮秀治「文明と文化の思想」(18)

啓蒙主義の理性の普遍性への確信は、いつの間にか誤ったひとり歩きをはじめ、「進歩」思想と結び付けられることで、啓蒙主義=楽天主義という図式がつくられてくる。

啓蒙主義者は気楽な人々ではなかったし、啓蒙主義も楽天主義の思想ではなく、楽天主義とか悲観主義という次元を超えたものであった。啓蒙主義者は人類史上で最も重大で深刻な思想問題と対決した人々であり、彼ら自身も権力による監視、投獄と敵対者たちの批判に最も活動を妨害され、煩わされた人たちだった。彼らのいう歴史の進歩とは一歩一歩着実により光明に満ちた段階に発展していくものではなかった。またその理性信仰とは啓蒙主義思想家にその社会と歴史全体のなかに安定感を得させていたものでもなかった。むしろまったく逆である。彼らは社会と歴史全体の中に安定感を見い出しえなかったため、「進歩」という観念体系を構築し、それによって社会の現状を批判し、権威と権力によって叙述されてきた過去の歴史記述全体、つまり歴史全体を書き換える方向を示したのである。その方向性の指示こそが「進歩」であり、過去(歴史)の再整除の価値基準となったものが「文明」であり「文化」だったのである。

啓蒙主義の歴史哲学の「進歩」とは、誤解されているような楽天主義的な歴史の前進への信頼ではなく、宗教社会と伝統社会の権威と権力が最高にして最善の価値基準と設定した超越的な力を無効化させるための、思想的な対抗概念なのである。つまり、葬り去られるべき過去の宗教価値と政治価値に対抗するだけの新しい価値の公準となりうるものとして、啓蒙主義者が理念として設定した価値目標であって、その実在が信じられた現実ではない。それは社会主義者や共産主義者が説いた未来の理想社会が理念であって、現実でないのと同じである。

啓蒙主義の「進歩」とは人間精神と人間の歴史の自動的な好転への期待ではなく、宗教社会と伝統社会が抑圧してきた「人間」の本性のなかに内在する能力を解放し、その能力の解放から新たに生じてきた価値を積極的に評価し、育てることで、宗教社会や伝統社会の価値体系と正面から衝突し、闘争して行こうという思想が生み出した観念なのである。進歩とは、未来に達せられるべく理想と目標を設定することで社会の現状維持が社会秩序の保持につながるとする伝統主義の守旧精神と積極的に闘争することを意味し、過去に向かっては宗教社会と伝統社会が自己保存のイデオロギーで塗り固めた歴史像と歴史観を破棄して、歴史をすべて人間の活動の産物とする「文明」「文化」という新しい価値概念で再整除しなおすことをも意味している。

ドイツ観念論哲学の歴史哲学が歴史を理性の実現過程と捉えることで、「進歩」の観念は人間の内面性の進歩、つまり精神の進歩と道徳的進歩にまでその範囲を拡大させる。

人間思想の革命的な転換である近代化と近代諸価値の基盤とは、最終的には「進歩」という観念の生成と発展求められるべきものである。科学技術における進歩の観念の芽はたしかにフランシス・ベーコンによって植え付けられたものといえるが、科学技術の進歩が西欧における進歩の観念の歴史の主流を形成してきたという考え方自体が、実は20世紀の西欧の歴史学が流布させた「科学革命」と「産業革命」という歴史的概念の拡大の結果で、時代の歴史の中で科学技術の進歩が現実的な実感として体感された現実認識の変化を意味するものではなかった。この科学革命の時代は、産業革命の時代に行われた「新旧論争」「古今論争」と呼ばれる古代と近代のどちらが優れているかの論争を反映したものであり、この時代の西欧人の「進歩」の意識の実情は、到底今の我々が進歩の概念で捉えるものとはいえないほどに異なったものであった。いうなればそれは進歩論というよりは古代と近代のいずれが人間的価値において優れているかの優越論の問題で、科学技術の進歩や社会制度の進歩の論争の問題ではなかったのである。

「進歩」とは人間が孤立した被造物として無力なまま世界に投げ出されているか、あるいは永遠の輪廻の中で、因果応報の定めの中で転生を繰り返すという受動的に位置から自らが世界の支配者、主宰者の位置に進み出ることである。言い換えれば受動的に与えられた位置にとどまるのではなく、自ら運命の開拓者として、社会的諸制度や人間の歴史的発展の創造者、決定者としての位置を引き受けることである。そのときの社会的諸制度や歴史的発展の理念的指標となるのが、「進歩」の観念である。この「進歩」の観念に自らが創出した諸価値、私たちはこれを近代価値というのであるが、その諸価値を「文明」と「文化」という概念で整除し、その概念を人類史の諸段階、諸局面に割り振りしてきたのである。この両概念は19世紀中葉から後半にいたるまで概念対立や概念区分は明確ではなく、それぞれの国民が母語表現のなかで言語使用の好みで選択されていた。

ところがそれが19世紀中葉頃から、それぞれの国民の自意識と国民的矜持、優越意識の表現として、「文明」と「文化」が概念分化と対立を意識させるようになってきた。そしてその概念分化と概念対立は20世紀に入って第一次世界大戦によって概念のイデオロギー化でひとつの極点をつくり出すことになる。英仏の「文明イデオロギー」は科学技術の進歩に加え、民主主義や主権在民の思想の社会的浸透と拡大へり自負となったのに対して、もう一方の「文化イデオロギー」はドイツ国民の精神価値を優位に置く自意識の表現となっていったのである。

このように19世紀中葉をすぎると「文明」と「文化」の概念が相互補完的から対立的な分化の方向に進み、20世紀に至っては両概念がイデオロギー的対立と敵対関係にまで至ってしまうのは、「進歩」を西欧の前近代社会の最高の神聖価値であった「神」に代えて、近代の新しい神として、世俗的人間価値の最高理念にしてきた世俗神学ともいうべきものであり、進歩、文明、文化の新しい三位一体の教義の修正を迫られたことを意味している。「進歩」の理念が古代の超越的な規範理念、たとえばプラトンのイデアのような超越的な理念が真善美の人類の理想の絶対的な規範となる人間観・社会観に代わって、新しい人間中心主義の価値体系を築き上げるとき、過去の伝統社会の価値を一方では凌駕し、屈服させると同時に、もう一方ではそれを懐柔し、同化させるという両面での対応を必要とした。伝統社会の規範遵守、典礼尊重による安定社会の停滞性に対しては、一方では革新による新しい社会価値の創出という展望を称揚し、さらには慣習的反復と形式的な儀礼継承に代わって人間の内面的な価値の本源的な追求の優越を説く近代価値の教義の集約概念が「文明」と「文化」であった。その意味で「進歩」「文明」「文化」は近代の新しい三位一体の蜜月時代が意外に短かったのは、西欧近代があまりにも急速な近代価値の拡大を図り、世界の近代化が加速され、結果的には「近代」の暴走化と不消化な「近代」の拡散をもたらしてしまったためである。

2014年10月24日 (金)

松宮秀治「文明と文化の思想」(17)

近代思想は悪の内在性、根源性を否定することから出発する。言い換えれば近代思想は神学的思考とは別の価値目標の探求から人間の認識能力の範囲と限界の追求を目指す哲学的な思考を整えてくる。近代思考においては悪とは神学的思考や伝統社会の権威主義的な思考が想定するような神や絶対者以外の存在に先験的に分与されているものではなく、社会的価値の中で好ましからざるもの、劣ったもの、害を為すものとしての人間の社会関係の中で生み出されたものということになってくる。つまり近代思考は自らがつくり出した価値、つまり善なるものは徹底的に絶対化するが、悪は徹底的に相対化する思考なのである。ドイツの観念論哲学も同じ悪の先見的な内容を否定し、悪を相対化させながらも、理性や自由意志は善を認識する審理機能として積極的に肯定していく。

宗教社会と伝統社会における善と悪の区分は極めて明確である。そこでは善はすべて神や超越的他者への帰依、服従を基軸に考えられ、悪とはそれからの離反、それへの反逆と不服従を基軸に考えられる。人を災厄によって苦しめる自然災害も人間の社会生活にとって不都合な結果をもたらす道徳的な不正や悪も個々人にふりかかる傷害、疾病、災難、不幸といったまがごとの一切は、すべて超自然的な力の作用と考えられる。そして善とは神や絶対的な超越者の超自然的な力に対する畏敬の念、神的なものに対する信仰の心の持続的保持、疑心をいだかない清浄心をもって神的なものへの自己投入を基準としてその度合いが測られる。つまり宗教社会や伝統社会においては善とは行動によって外に表われるものであるがゆえに、視覚化されるものである。宗教社会、伝統社会における善とは、すべて善行として可視化されるべきものである。

宗教社会や伝統社会において善は、それは同時に正義でもあるが、視覚的に可視化され、細部にいたるまで図像化されていた。善と正義とは神や絶対的な超越者に由来するだけではなく、最終的にはそこに帰着していくものであるがために、相対的なものではなく、絶対的なものであった。社会はその絶対的なものを規範に秩序を保持すべきであるがゆえに、個々人の意志の自由に優越するものである。プラトンが善をイデアの中の最高のイデアとして、人間感覚のすべてを超えた神秘的なもの、絶対的なものとして、キリスト教神学が善を単なる相対的な価値ではなく、「最高善」の観念で捉え、神こそ「一なるもの」「真なるもの」「善なるもの」としたように、神や絶対的超越者への帰依と観想的認識こそが善と正義の実践とされたのである。つまり善と正義とは共同体の秩序と法そのものであった。

西欧の近代哲学が善と正義、悪と不正の自然法的な論拠を神や超越者から人間本性に移し換えることで、近代の善悪、正邪の論拠が個人と社会の関係の中で移し換えられることになる。近代の人間性の概念がロックの人間悟性論に由来するタブラ・ラサの状態という規定のもとに、経験と環境の産物と見なされ相対化されると、「人権」という概念が近代自然法の思想的根源となり、その人権の進展を阻むものが悪や不正となり、それを促進させるものが善や正義となる。つまり善と正義の概念が神的、先天的、超自然的な根源を否定されると、悪も不正もまた同じくそれを否定し、相対的なものとなる。だがすでに近代思想においては善は絶対化の方向に向かうが、悪は相対的なままにとどめ置かれると相矛盾する方向に向かう。結論を先取りして言えば近代思想の最も強力な部分は、神的、先験的、超自然的な根拠を失った善と正義を「進歩」という概念と「文明」「文化」という概念によって、近代思想に即応した絶対性を与えることができたことである。それに対して悪と不正に対しては絶対性を与えること、つまり絶対的な規準と規範を与えることができなかったことが西欧近代の限界を露呈させ、近代思想の行き詰まりの克服を困難なものにしているのである。

近代西欧が発見し、思想的に整備してきた「進歩」の概念こそが、宗教社会と伝統社会の神と絶対的超越者を保持してきた社会秩序設定者という地位を奪い、近代の新しく創出されてくる諸価値の設定者の位置に就いたのである。啓蒙主義時代に技術の進歩と道徳的社会的進歩が結び付けられ、人間の科学的、技術的な物質的進歩と内面的、道徳的な精神的進歩が一体化され、進歩が近代的な善と正義の絶対的な規準や尺度となり、近代的諸価値の絶対的な措定者となった。

2014年10月23日 (木)

松宮秀治「文明と文化の思想」(16)

第3章 政治哲学の生成と進歩の思想

「文明」「文化」の概念を考えるとき、その最も根本的なことはそれが、「進歩」の観念と連動したものであることを確認することである。「進歩」とは伝統社会の権力神話と宗教社会の権威神話を理性と自由意志という近代の新しい概念によって脱魔術化し、人間社会は人間の主体的な意志と合理精神によって自らが想定する理想を実現しうるという観念である。進歩とはいうなれば人間の運命と能力に対する絶対的な信頼が生み出した、西欧近代の人間信仰の中心「教義」である。その意味で西欧の「近代」とは、人間の主体的な自由意志と理性の普遍性、平等性という教義に立脚した楽観主義的な理想主義といえる。そしてこの理想主義とは人類の運命と能力に対する無条件の信頼によって、人間の自由と平等と精神的、物質的な充足が達成され、権力や権威による被支配、つまり抑圧と服従、さらには物質的、精神的な貧困と社会的な諸悪から解放される方向へ無限に近づくという信仰を基盤としている。これは伝統社会の権威主義的な価値と宗教社会の神聖価値が人間の運命を没落と衰退と堕落の相のもとで捉え、人間の能力を絶対的な超越者の前では無力な存在とするのと対極に位置するものである。つまり近代とは人間と社会を希望の相において捉えるものであるのに対して、前近代の伝統社会と宗教社会は人間と社会を悪と絶望の相において捉えるものである。

前近代の伝統社会と宗教社会の人類史、世界史が没落史観、衰退史観、堕落史観、つまり価値の基範と頂点は歴史の出発点に置かれ、歴史とは終末に向かっての絶えざる下降とする史観に拠っているのに対して、近代の人類史、世界史は人間が自らつくり出した理想へ向かっての、つまり最大多数の最大幸福と最小不幸と最小悪に向かっての絶えざる進歩の過程とされる。したがって西欧近代の「進歩」とは個々人の幸福の増大や欲望の達成方法の進化ではなく、啓蒙主義の用語でいえば人類全体の、ロマン主義の用語で言えば国家あるいは民族全体の幸福の増大と理想達成が目標となるものである。極めて逆説的だが、終末史観に支配された前近代の歴史記述においては個人の運命と能力が大きな歴史的意味をもたされるのに対して、近代の進歩史観においては個人の運命や才能は個別的なジャンル史の中に閉じ込められ、人類史的な世界史の観点から歴史を眺めるとき、個人の幸、不幸は歴史の意味の考慮の圏外に置かれて、全体の歴史の中に埋没させられてしまう。歴史を「世界精神」の実現過程と見るヘーゲルの歴史観にあって、歴史における個人の運命を問うことは、歴史を「屠殺台の歴史」としてみる見方であり、歴史を感傷において捉える見方ということになる。感傷と感情に捉われた反省によって提示された歴史は、それとは原理的に異なる「自由」の実現としての歴史の本質を歴史の究極目的とみる見方から逸脱させることになるものと考えられたのである。

カント、ヘーゲルの「世界史」に集約的に表現される西欧近代の歴史哲学は、本質的には専門化された歴史科学も同じであるが、歴史認識、考察の最終目標を個人の歴史、運命、能力ではなく、人類全体の歴史、運命に置く。言い換えれば歴史認識の目標も方法も人類の文明と文化の発達の認識にその目標が置かれることになる。それは前近代の歴史が絶対的な超越者の意志を体現させる個人の運命の宿命的限界性の確認の中心的な認識目標としていたことと対照的な関係をなしている。言い換えれば、歴史を個人の運命の中に見るのは、超越者の意志、つまり人間に対する超越者の賞罰と見る歴史認識に由来し、歴史を人類全体の運命として見るのは、歴史を人間の主体的な自由意志の成果と見るのである。前近代の歴史の見方は、個人に対する賞罰という善悪の判断を規準にしたものとなっている。それに対して西欧近代の歴史は超越者の介入を排除して、人間の主体的な自由意志の成果と見るのである。この意味で前近代の歴史が判断の真っ只中に置かれたものであるのに対し、近代の歴史は善悪の彼岸に置かれたものといえる。しかし、このような言い方は正確ではない。もっと正確を期すれば、前近代の歴史は歴史的運命の担い手としての個人が法廷と処刑場に立たされることを主眼とし、近代の歴史は歴史の審判の対象を個人ではなく、人類、国家、民族という集団が移行させることを主眼とするものである。別の言い方をすれば、前近代の歴史において、善はつねに神や超越者という絶対者の属性の流出ということが前提とされているので、歴史の審判の場に立たされるものは悪ということになる。それに対して近代の歴史は善悪は超越者の意志とは無縁なものとされてしまうので、善のみが人間の主体的な意志の選択の成果として人間的価値称揚の規準とされ、悪は相対化される。近代の歴史において善と悪は同一の基準や尺度によって判断されるのではなく、別個の基準や尺度によって判断され、測定されるものとなる。神に代わって人間が神の位置を占めることになった近代にあっては、自由意志が選び取った近代的価値が善として絶対化されるのに対して、悪は相対化され、絶対的な悪は存在しなくなってしまう。

西欧の近代化とは人間を神格化する思想全体のことである。つまり、キリスト教の思想体系とそれによって構築された価値体系に代わる新しい価値体系を創造しえた。その新しい思想体系と価値体系とはキリスト教の絶対的な価値である神に代わって人間を神の締めていた絶対的位置に置くことに成功したためである。人間を神に代わる位置に据えるとは神を相対化するといことである。それは同時にそれらを無力化することでもある。キリスト教の思想体系と価値体系が相対化され無力化されることとは、単にキリスト教の思想体系と価値体系が相対化、無力化されるだけではなく、キリスト教以外の全世界の宗教思想も同時に相対化され、無力化されることである。そしてまたそれと同時に宗教思想やその価値体系と連携してきた権威主義、伝統主義的な政治体制の思想体系と価値体系も相対化され、無力化されるということでもある。新しい思想基盤が創出してくるのは新しい価値体系である。その価値体系はそれまでの神聖価値であった神の価値の絶対性を人間に移行させることである。伝統的な権威社会において絶対的な善を宰領していたのは神であり超越的な絶対者であったが、絶対的な悪、根源的な悪を宰領するのは悪魔であり、悪霊であった。近代思想と近代価値が神と絶対者を相対化するひとは、同時に絶対的な悪や根源的な悪をも相対化することであった。

2014年10月22日 (水)

松宮秀治「文明と文化の思想」(15)

近代が近代を近代たらしめるために、つまり前近代社会全体を再構成して、新しい原理、原則で再出発させるために、新しい価値体系と価値秩序、価値評価基準を設定していかなければならなかった。啓蒙主義にあっては、それは「文明(文化)」「理性」「進歩」であったが、ロマン主義にあっては、「精神」「国民(民族)」「歴史」「伝統」「芸術」「宗教」「哲学」にとって代わられた。言い換えれば啓蒙の文明・文化の概念がその相互補完的な役割を放棄し、文明概念は進歩主義的な言い方、文化概念は保守主義的、歴史主義的な方向に分岐を開始させながらも、名辞的表現においては両概念後退させ、この個別名内包価値群を表面化させてきたのである。何故このような現象がおこったのだろうか。つまり、文明、文化の観念が最も強大となり、また拡大した時期に文明、文化という名辞が殆ど使用されず、その内包諸概念がその概念にとって代わってそれらの概念を強化していったのはなぜであるかということである。歴史主義の歴史思考にとっては「文明」「文化」の概念が人間の歴史性を確認するものであることは自明のものになっていた。したがって歴史主義の歴史思考にとってはこの両概念有効性を主張していかなければならない段階はもうすでに過ぎ去ったものになっていたので、その内包領域の個別的な価値の整序作業の段階に入っていたのである。つまり人間の歴史的規定性そのものの確認はすでに完了しているので、人間活動の個別的分野の発展に関心が向けられてきたということである。啓蒙の歴史哲学における歴史とは、人間及び人間集団の、すなわち、部族、民族、国家、都市、教会などの社会的形態の歴史であるが、ロマン主義における歴史とは人間活動の内面的衝動、原動力とその成果の歴史的価値化の過程を意味することになる。言い換えれば「世界史」が「国家史」になり、さらにそれが歴史的個別諸科学を生み出してくるような歴史認識の再分化、個別専門化への発展を意味しているのである。その過程では個別分野の事実関連だけを全体から独立させ、少なくともいったんはそれをその担い手である人間集団から切り離し、固有の内的法則に従って、その事実関連を考察、叙述していく方向である。その個別的な考察、叙述の対象となるのは文学や音楽、美術、芸術、哲学や宗教といった思想領域、経済構造や法秩序、言語や社会制度といったものであり、さらには文化的創造物や様々な歴史的発展の理念の変化過程などである。

言うなれば、啓蒙主義における人間集団の社会的形象の叙述であった歴史が、ロマン主義にあっては人間活動の精神的形態の個別的展開の叙述となってくる。ともあれ歴史主義的な思考は伝統社会や宗教社会の超越的な原理思考から脱して、人間活動全体を歴史化し、人間的諸事象、人間的諸勢力のすべての普遍化の考察を個体化的考察に置き換えていく、その思考の転換、つまり非歴史的思考から歴史的思考への転換にとって最も有効な作用を及ぼしたのが「文明」と「文化」の概念であった。なぜなら両概念はあらゆる人間的事象を歴史の相のもとで見ることを要求するものであったからである。歴史主義的な思考以前にあっては超歴史的で普遍的で、形而上学的な思考で考察されてきた「理性」も「精神」も文明と文化の概念のもとで考察されてくると、それまでの形而上学的な考察を脱して、新たな歴史的考察の方向を取り始める。

啓蒙の哲学においても「理性」が形而上学的な思考内での普遍的な性格のものでなく、歴史的な考察の対象となってきたように、「精神」も形而上学的思考内での超越的な性格の論究の対象から、歴史主義的な解釈の範囲内に取り込まれてくる。啓蒙主義の「理性」が歴史主義的な思考のなかで全人類の進歩理念としての普遍的な価値指標からやがて次第に国民や民族という個別集団の進歩理念としての普遍的な価値指標からやがて次第に国民や民族という個別集団の進歩理念をも含んでくるようになったのと同様に、「精神」もまた霊と肉、さらに精神と物質という二元論的な対立の段階を経て、歴史主義的な思考のなかで人間の社会的発展・歴史的発展の総称が人間精神の発展と同一視されることで、人類の発展全体と国民的・民族的な人間の個別的な発展の実体とされてくる。つまり世界の歴史を現存在的に支配する法則としてのロゴスの精神は、世界精神、民族精神、時代精神などの概念となって人間の歴史的発展の指導的実体と見なされてくる。その典型的な例証はヘーゲルの『歴史哲学講義』において見ることができる。そのなかで、彼は当時のドイツ観念論内での精神の形而上学的規定を踏まえ、物質と精神という二元論的対立から出発する。そして物質の自然的拘束性と精神の自由性、つまり精神の自律性と非因果性を先験的に認めることからその本質を自由とする。

ヘーゲルは歴史の発展原理として啓蒙主義の「理性」を継承しながらも、新たに「精神」というもうひとつの歴史の発展原理を呈示してくるのは、啓蒙の世界史の理念が積み残した民族史、国民史という個別的な歴史体験の差異への配慮であった。彼は歴史の捉え方として、①事実そのままの歴史、②反省を加えた歴史、③哲学的な歴史(歴史哲学)を区分している。このうち③の哲学的な歴史とは、「理念こそがまさに民族や世界の真のみちびき手であって、精神のもつ理性的かつ必然的な意思は、いつの時代にあっても、現実の事件を導くことにあるからです。精神が世界をみちびくさまを認識するのが私たちの目的で、ここに第三類の歴史として、哲学的な歴史が登場します」ということである。ヘーゲルのこのような歴史哲学的な歴史認識は、つづく専門歴史学に歴史認識によって批判され、否定されることで歴史認識としての有効性を疑われてくるが、啓蒙主義やドイツ観念論の歴史認識、つまり歴史は「進歩」や「自由」という指導原理を求めるということ、さらには「理性」や「精神」という指導原理を求める歴史認識がすべて無効だというわけではない。むしろ逆に、歴史に指導理念や指導原理を求めていかざるをえなかったことこそが歴史哲学の置かれていた歴史的制約を伝えてくれているのである。

前近代の宗教社会の伝統主義的な権威主義社会の歴史認識もそれぞれに神の摂理とか神権的権威という指導理念や指導原理を有していた。近代の歴史認識がそれらを否定し、人間を歴史の主体としていくとき、個々人の恣意的な欲求や個々人の相対立する欲望の衝突を越えたところで人類や民族を導く指導理念の設定や指導原理の創出がなければ、古い歴史観に対抗しうる人間中心主義の価値体系の構築は不可能であったろう。「理性」や「精神」という歴史の指導原理の存在が歴史主義という人間存在の歴史的規定性の思想を根付かせ、神の摂理や超越的な神的権威を後退させ、人間活動の継承的集積体としての歴史という歴史認識を定着させることができたのである。

人間とは、突き詰めて言えば、指導理念や指導原理なしには生きることのできない存在である。ただ前近代社会の宗教的な神意か超越的権威かを指導原理に選び、人間の主体的な意志を抑止し、受動的な存在の中に安心立命を図るか、あるいは西欧近代のように人間を主体的創造者とすることで人間的営為全体を自己業績化することで自然と世界の支配者の位置を自らに与えるかという方向の違いだけである。前者が受動的な運命の容認者であるのにとどまるのに対して、後者は主体的な能動者として自己の歴史の創造者、開拓者となるのである。

「文明」が進歩を指導理念として人類全体の普遍的な価値の承認の方向を目指し、また世界史を人類の進歩史と規定することで、その歴史理念の目標は過去の価値の救出よりも未来の目標価値の設定に重点が置かれる。それに対し「文化」の指導原理である精神と指導原理である自由は、人類という全体が救出しえなかった民族や国民として個別的集団の心性と結び付くことで、未来において達せられるであろう理念よりも現在を現在たらしめている自己の所属集団の過去の業績、つまり歴史的遺産の継承に重点を置く。民族や国民は過去の思い出の共有、歴史的体験の共有という観念で再創造される。それがアンダーソンや現代の社会科学が暴露しているような「幻想の共同体」であれ、その「国民」と「民族」という概念はロマン主義の時代にあっては啓蒙主義のいう「人類」や「世界」よりもはるかに実体的な存在と考えられていたのである。「国民」や「民族」が幻想であるなら「文化」も幻想でなければならないが、今日でもそれは幻想としてイデオロギー性を暴露されることもなく、いやむしろ実体的なものとして信仰を享受し続けている。「文化」と「国民」はともに同じ近代のナショナリズムの価値体系のもとに整備された観念である。その一方が「幻想の共同体」としてイデオロギー性が暴露されることになるなら、「文化」のイデオロギー性も同じように暴露されなければならないだろう。しかし、そのイデオロギー暴露を押しとどめているのは「文化」概念の脱価値化が十分に浸透しているという現在の新文化科学の信念、つまり「文化」はすでにニュートラルな概念になっているという信念であろう。

2014年10月21日 (火)

松宮秀治「文明と文化の思想」(14)

ナショナリズムによる近代国家は無名戦士の墓というモニュメントによって前近代の宗教共同体と神授王権の君主制国家の「死と不死」の観念を再神話化することができた。しかし、近代国家は前近代の超越的権威が神話化しえなかった「生の栄光」を神話化しえたことで独自の歴史的価値を創出したのである。古代と中世の「祖国のために死ぬこと」は、選ばれた少数者の特権に還元されるものであった。つまりその死が英雄の死、殉教者の死として顕彰されるものは、選ばれた少数者の特権的な死であり例外的な死であった。それに対して近代国家における戦死者とは不特定多数者の死であり、戦闘者の意志と決断によって選び取られた死でもない。それは文字通り「無名性」「匿名性」の死である。そしてその死が無名性と匿名性の中で「国民」という抽象的な集合概念に変化することで国民全員という全体性を獲得してくる。まさにこれと同じことが近代国家の「生の栄光」の神話を「国民」や「民族」という共同体全員の共有物としていく。「生の栄光」とは宗教的な彼岸価値でもなく、伝統社会の権威的な超越的価値でもない。それはまさに「現世」という此岸価値であり、人間集団内の実生活の中でのみ作り出されたものの価値である。その人間活動を集約的に観念化する概念が「文明」であり「文化」だったのである。

近代の国民国家の国民は祖国のために死ぬという義務の紐帯によって、「国家」という想像の共同体の一員となる。そしてこの想像の共同体という擬制集団は国民の生と死の方向までを強制する力を持ってくるが故に国民を運命共同体として結束する。それに対して、「文明」「文化」も国民と同様、人間集団を想像の共同体の構成員へと転換させていく概念ではあるが、国民のような運命共同体の成員に対する拘束力、強制力を発揮するものではなく、逆に人間が自己のアイデンティティを確認し、自己価値と自負心の依拠とするために主体的に、意思的に結集していく到達目標とされるものである。その意味で「文明」と「文化」は国民のような非人称的名称ではなく、人間の自己の人格形成、教養的成長と結び合わさった人格的概念なのである。文明、文化の概念は国民の概念のように人間の生死にまで踏み込んでくるものではないが、人間の生の栄光としての人間活動の最高、最善の価値領域への人格的な参入として自己価値の絶対化、自己価値以外のものに対する軽視、蔑視という夜郎自大的な唯我独尊の自己崇拝の感情を拡大させてしまう要因ともなるものである。

啓蒙主義の文明と文化の概念は、前者は個人の社会生活上の振舞いの洗練やマナーの向上と、後者は人類集団の未開状態、生物的自然状態の野蛮性からの脱却という原義を越えて概念を拡大させ、さらには相互に概念補完を行いつつ、両者は暫定的に一体化して、ひとつには人類の習俗、つまり生活様式の民族的差異、風土的生活条件の差異、もうひとつは人類の進歩的発展を理念的に方向付ける「理性」と「進歩」の概念的結合から諸民族の発展段階の差異を意味するものになった。ここから人類の進歩発展の経緯と差異による分岐の全体を確認する「世界史」という新しい歴史認識が生み出される。つまり、「世界史」とは人類全体の進歩という理念の下では人類学でありながら、個別の民族や国家の変遷の考察手段という点においては歴史主義的な歴史科学の成立を内包するものである。啓蒙の「世界史」であれ、ロマン主義の「国民史」であれ、この歴史思想は西欧の歴史思想においてだけでなく人類史的な観点から見ても人間認識の革命的な変革をもたらしたものである。なぜなら18世紀末に起こったこの歴史主義的な歴史思想は、人類史上初めて「人間存在の歴史性の認識」をもたらしたものだからである。近代の歴史主義的な思考以前の時代にあっては、歴史的思考、歴史的知識はつねに人間の精神生活の片隅に置かれたものであった。なぜならそこで中心的な重要性をもっていたのは、変わることのない万物の秩序であって変化のなかに置かれたものでなかったからである。だが、啓蒙の歴史思考、つまり「世界史」は、自然法、つまり何らかの万物の秩序にいまだにかなり補われていたため、ロマン主義の「国民史」から多くの変更と改革を求められてくる。啓蒙の「理性」に代わって、ロマン主義の「精神」が、文明と文化の概念の中心となるのはこのような経緯によってである。

 

2014年10月20日 (月)

松宮秀治「文明と文化の思想」(13)

アンダーソンは「国民」の概念は自由主義やファシズムのような政治学的概念であるというよりも文化人類学が形づくってきた「親族」や「宗教」の概念に近いものであるといっている。文化人類学が開拓した未開諸部族のフィールド・ワークとして調査してきた「親族」とは、いわゆる文明国にける親族の法学的な概念を超えた一種独特の擬制で、それぞれが独自のフィクショナルな観念体系に支えられたものとして文明国の親族法的な体系とは異なった思考原理に基づいたものである。つまり、彼の言う「親族」は文化人類学が対象とする未開民族とか原始民族とかいわれる人々が主体的に提示する実体的な概念ではなく、観察者が独自の学的方法で「イメージとして心の中に想像した」ものである。そのかぎりで文明社会、言い換えれば西欧近代がイメージとして心の中に想像した「国民」いう擬制と同じものということになる。そのアンダーソンが挙げた「国民」の規定について注目すべきは第三の「国民は一つの共同体として想像される」という規定である。そのような「想像の共同体」という近代の「国家」幻想と「国民」幻想がなぜ人々をして「祖国ために死ぬ」ことを引き受けさせ、戦争という殺し合いの場に赴かせるのか。祖国愛という愛国心を発動させる思想的な擬制は何によって造り出されてくるのか。そこにはかつてキリスト教の殉教者たちが来るべき神の国の「神秘体」との合一を夢見たのに匹敵する、「国家」の「国民」という近代の神話が創出した新しい霊的神秘体との合一が準備されているからである。中世史家のカントロヴィチはその論文「中世政治思想における<祖国のために死ぬこと>」において古代と中世の「祖国のたるに死ぬこと」という観念の古代的な特徴と中世キリスト教的な特徴が近代ロマン主義のナショナリズムにおいて再集合を果たしたことを「神秘体」という用語を用いて説明している。カントロヴィチによれば「神秘体」という用語は聖書に由来するものではなく、キリスト教の教義史の中ではかなり新しい用語であるとのことである。いずれにせよそれは「キリストの体」を聖体として典礼化することに始まるが、教義の複雑な変遷過程の中でキリスト教徒の「永遠の祖国」である神の国の神秘体化の思想が形づくられ、それがさらには「頭がキリストである教会の神秘体」と「頭が君主である国家の神秘体」の観念が形成され、さらに「祖国のために死ぬこと」がこの神秘体との霊的合一をもたらすという観念をも成立させたというのである。ともあれ中世にあってはまだ世俗価値よりも宗教価値が指導的であったが、ルネサンスと人文主義が古代思想と古代の「祖国のためにいぬこと」の世俗的価値の再評価の端緒を開いたというのである。それは啓蒙主義の神授的王権思想の否認のなかで完全な世俗化を完了させ、ロマン主義のナショナリズムの思想の中では、キリスト教的な高度宗教の教義の中で体系化された神秘的な価値ではなく、一種原始宗教のアニミズムやトーテミズムのような霊的感応のなかで作り出される「神秘体」の観念と「祖国のために死ぬこと」という義務感と責任感をつくりだしてきた思想史的な経緯を説明してくれている。キリスト教的な世界観の中では全ての人間活動の目標と目的は、現世という世俗生活の中に置かれるのでなく、キリスト教徒の真の祖国である「永遠の祖国」に置かれる。言い換えれば人間の最高あるいは究極価値は死後の生、つまり来世に置かれる。それに対して啓蒙主義やロマン主義以後の世俗主義の社会にあって、人間の最高価値は現世での生活に置かれる。しかし国家の祭礼や典礼という国家儀式においても近代の「神話」が擬制化した国家という「神秘体」と「祖国」のために死ぬことが同一化されてくる。そしてそれは現世の生活人である市民、大衆、庶民も国民として国家の構成員の役割を果たすことになり、戦争という非常時には「祖国(国家)のために死ぬ」という義務と責任を担っていなければならないという意識を担わされることになる。アンダーソンは国民という「共同幻想」の最も象徴的な存在として西欧社会の「無名戦士の墓」を挙げている。このような記念碑は、「故意にからっぽであるか、あるいはそこに誰が眠っているのか誰も知らない。そしてまさに「それ故に」これらの碑には、公共的、儀礼的敬意が払われる。このような「空虚なる中心」こそナショナリズムの思想が生み出した近代国家の「死と不死」の象徴的な観念を盛る器なのである。そこに必要とされるのは戦没戦士の「祖国のために死ぬこと」という概念と「国家の不死性」という観念なのである。アンダーソンの「想像の共同体」という表現をさらに一歩押し進めるなら、近代国家とは人類史上はじめて出現した本物の「幻想の共同体」ということになる。そしてそれはかつての「宗教共同体」と「王国」という共同体同様、観念によって構築された擬制と等価で、等しい意味を持つものということになる。言い換えれば、いかなる人間共同体も「幻想」の共有によって成立し、自らが造り出した神話とその祭礼儀式に服属することでしか集団を維持しえないということである。つまり神話の破壊と呪術からの解放を求めた啓蒙精神が、自ら新しい神話を創出し、新たな呪術的な支配を構築していかなければならないのである。

 

2014年10月19日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(12)

いわゆる「近代精神」とは、宗教的権威や世界の神話的呪術支配の否定である。さらにそれは世界が神や超越者の意志の実現という崇高な目的によって支配されているという考えを捨て、自然世界は無目的な因果法則によって支配されているという考え方に向かうことである。そしてこの法則の科学的な解明によりこの自然力を人間の世界支配の手段として利用することができるという技術的自然征服を可能にしうるという思想である。さらに人間の社会的な存在様態そのものも超越的な絶対者の意志によって世界秩序と人間社会秩序に対処させられている権威主義的な人間の価値序列をも打破し、市民社会の主権在民の思想によって、生得的な自然権としての自由と法の下での平等と人格の自律ということを確立していく思想でもある。要約すれば「近代精神」とは世俗的人間中心主義、科学技術主義、人権主義の概念である。

しかし、ロマン主義は啓蒙主義の世俗主義的で個人主義的な人間中心主義に対して民族主義的で国民主義的な集団的人間中心主義を、科学技術主義に対しては芸術主義と想像力解放主義を、人権主義に対しては歴史主義を対置させてくる。だが、この対置は敵対的対置ではなく啓蒙のプログラムが自らの内にもっていた弁証法的発展の必然的な帰趨である。啓蒙が神話を解体させ無力化するためには、神話の内に存在する非合理的な力を理性によって個別的な自然現象の象徴として客体化しなければならない。つまり人間理性が自己の判断能力を超えた領域と措定してきたものを理性的判断の能力圏に取り込むということはその非合理的なものの力を客体化し、対象化することを意味する。

いわゆる啓蒙主義に対する「ロマン主義的」反逆とは、啓蒙を西欧近代そのものが内包した自己発展のプログラムだったのである。そもそも啓蒙主義、いいかえれば西欧近代とは伝統社会の「停滞」に対して「進歩」を人間社会の目標と使命として選択する敵対的対決の思想である。この対決は発展過程内での対立や衝突はそれを媒介として自己をより高次の段階に移行せしめるものであって、対立物の否定を意味するものではない。いうなればそれは宗教的対立における異教との対立のような、敵対者の全面否定という対立ではなく、同一宗教内の別派との対立、教団分立過程内での教義上の対立のようなものである。ロマン主義的反逆とはこのような対立であって、異教間の全面的対決を意味するものではない。ロマン主義と啓蒙主義の関係は敵対的対決ではなく、弁証法的な対立なのである。ロマン主義も啓蒙主義と同じく、伝統社会の権威主義に敵対し、人間の自律性の確立のために闘争する近代主義的な進歩思想のもうひとつの側面なのである。「権威」とは社会学的にいえば他に対しての優越という事実が社会的に承認され,確定されることによって増加する社会的影響力である。いいかえれば権威という神秘的な威力によって人間を他律的に拘束するものである。それに対してロマン主義は自我と個性を主張する思想である。ロマン主義の主張する自我と個性は自己の人格形成と無限の自己展開を発展の中に置き、いかなる停滞をも許さず、またいかなる自己の権威化も許さず、さらに外圧的な権威を受け入れ、それと自己の同一化をはかる模倣的な思想形式に対しても敵対していこうとする思想である。それは自らの「天才」を導きとして、たえざる自己変革と自己展開に身をゆだねることで、自らの「個性」を社会的な価値としての「独創性」と結び付けることで、いかなる「停滞」をも拒否する思想である。

ロマン主義的な反逆はすでに啓蒙のプログラムのなかに準備されていたものであった。つまりそれは内的な弁証法的な展開の産物であって外から敵対的に対置させられたものではなかった。そもそも啓蒙主義の「進歩」の思想とは超越的な神的価値に依拠した伝統社会の規範的な権威の「永遠性」「不変化性」の理念を打破すること、つまり伝統社会の停滞性を打破することによって「世界」を人間中心の変革と改善の舞台に転換させる思想であった。なぜなら「文明」と「文化」の概念こそが人間社会を人間の主体的な活動によって変化させられた「世界」を観念として確立させるために啓蒙主義が案出した最も主要な合言葉だったからである。啓蒙主義の「理性」がロマン主義の「精神」に取って代わられるのは、「理性」が理性的人間活動をもっぱら合目的性と善悪の規準として指示するもの、つまり人間活動の目標が義務と使命と必然によって指示するものであるのに対して、「精神」は直感や気分や好き嫌いといった状況的判断のなかい゛の人間活動を指示するものであったからである。理性の中には精神が、精神の中には理性が、それぞれもう一方を内在させているがゆえに、一方が他方を次第に抑圧するか無視すると他方もまた自己主張の必要性を迫られるのである。「進歩」が過度に前進し、改革や改善に効果をあげすぎると、「保守」がその進歩の当否を論評し、その速度や行き過ぎを抑止する。「人間」が人類全体を規準に考えすぎると民族や国民が自己の領分を主張し、また民族や国民が過度に個人を吸収しすぎ、個人の存在領域を侵しすぎると個人が反逆する。ロマン主義的な反逆とはこのようにして生じたものである。

西欧「近代」の最大のパラドクスは人間を神話的思考から解放させることを目指しながら、再び人間を神話的思考内に取り込んでしまったということである。「文明」や「文化」の概念は人間を伝統社会の神秘的な権威から解放して、人間の主体的活動が形成してきた歴史的な業績全体から世界を再解釈するための観念形成の装置となるべきものであった。しかし「文明」は「進歩」の観念と結合し、科学的な知や合理的な思考が人間の輝かしい未来を約束し、「文化」は「精神」と結合し、国家と国民と民族が人間の価値に確固たる基盤を与えてくれるという幻想、いうなれば新しい国家神話、民族神話を発明してしまったのである。

「国家」とは人類にとって長らく実態であって決して幻想ではなかった。国家がひとつの幻想であり、想像の共同体であり、神話であることを最初に最も踏み込んで明らかにしたのはエルンスト・カッシーラの『国家の神話』である。「文明」も「文化」も人間を神話的思考から解放し、人間中心の合理主義的な世界観を構築するための概念であり、解放の思想でもあったものが、それ自体の価値が絶対化され、再び人間を最初の未開段階に引き戻すためのものに変貌する。国民国家も民族国家も伝統社会の権威主義的な王政、つまり王権神授説という絶対王政の旧体制から人間を解放する救済思想であったものが、自国家、自国民、自民族の絶対的価値の主張となって、新たに強制と抑圧の思想に転化する。人間の合理的な思考と実践がつくりあげてきた国民国家や民族国家はその実体以上に幻想の価値に支配され、人間の社会的生活や社会的実践を非合理的なイデオロギー的思考のなかで非合理化し神話化していく。このようなカッシーラの政治哲学的な思考を人類学的な思考で受け継ぎ、近代国家の非実体性、神話性を分析したのがベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』である。彼は「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」という有名な定義を提出する。

人々は長いこと「伝統」を歴史的実体と思ってきた。エリック・ボブズボウムの『創られた伝統』が、伝統は歴史的実体であるよりも、「想像」され、「捏造」され、「創出」されたもの、つまり一種の神話的強制力であることを明らかにしたことを受けて、アンダーソンも「国民」や「国家」も発明されたもの、想像されたもの、あるいは捏造されたものとしての一種の神話的な虚構であり、擬制であることを明らかにした。さらに、「国民」を限定されたものかつ主権的なものと二つの規定を加えた。つまり、国民は主権的なものとして想像される。なぜなら、この国民の概念は、啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正統性を破壊した時代に生まれたからである。それは、普遍宗教のいかに篤信な信者といえども、そうした宗教が現に多元的に並存しており、それぞれの信仰の存在論的主張とその領域的広がりとの間にあるという現実に直面せざるをえない時代であり、人類史のそういう段階に成熟した国民は、自由であることを、そして仮に「神の下に」であれ、神の下での直接的な自由を夢見る。この自由を保証し象徴するのが主権国家である。

2014年10月18日 (土)

松宮秀治「文明と文化の思想」(11)

「文明」が啓蒙主義に、「文化」がロマン主義に結び付けられてきたこと、またそうされ続けていることは内在的要因と歴史的要因の両面から理解されうる。「文明」が進歩主義、科学、技術主義、現実主義と結び付くのに対して、「文化」が保守主義、芸術・内面主義、歴史主義に結び付くのは両概念の内包領域と観念体系(連合)の差異に由来するものであるが、その差異は概念の内在的要因のみからでは説明されえない歴史的な要因に由来するものといえる。

啓蒙主義の最高の業績は「進歩」という観念を歴史の中に定着させたことである。この「進歩」という観念によって人間は、神や超越者の拘束から逃れて、自律的な存在となり、自らが世界を創造する存在となることができた。いいかえれば啓蒙主義は、人間の歴史を神の摂理と恩寵が支配する聖書年代記としての「普遍史」から解放し、人間自らが歴史の全過程の創造者となる「世界史」を生み出すことになったのである。これはいうなれば、人間が「神話」から解放され、非合理的な世界解釈に代わる合理主義精神による「歴史」の創出を可能にしえたことを意味する。しかしこのことをもって啓蒙主義の神話に対する勝利とすることはできない。なぜなら啓蒙主義自体が神話そのものと異質の思考体系から生み出されたものではなく、むしろ神話自体の中に内在していた思考体系の延長上に出現したものだからである。この関係を剔出してみせたのがホルクハイマーとアドルノの『啓蒙の弁証法』である。

彼らは、キリスト教の神話が造り出した聖書年代記的な「普遍史」に代わる啓蒙主義の人類史としての「世界史」が、それ自体すでにキリスト教の「神話」とまったく別な思考体系から生み出されたものではなく、キリスト教の「神話」のなかから養分を吸収し、同一の思考体系の中から育ってきたものだったことを指摘する。

啓蒙主義の世界市民的な「世界史」が、ロマン主義の民族主義的、国家主義的な「国民史」に報復されるのは、啓蒙主義の合理主義がロマン主義の非合理主義との闘争に敗北したことを意味するのではない。啓蒙主義とロマン主義のそれぞれが自律的に独立し、完結した概念であるというより、それぞれが対概念として相互補完的に概念の存立基盤を補強しあっているものである。啓蒙主義は神話を破壊し、世俗領域に新しい価値を与える。すると今度は世俗価値の神話化が開始される。言い換えれば啓蒙主義に対するロマン主義の「ロマン主義的な反逆」が、世俗領域の神話化を始動させていったのではなく、それはすでに啓蒙主義のなかに内在していた非合理精神と超越的価値への志向が、合理精神と非合理精神と合一し、両者を複合させたからである。

問題の最も本質にかかわるものは、啓蒙の「進歩」思想が生み出したものが、なぜロマン主義的な「伝統」への希求と一体化したかたちで価値概念化し、価値概念の範疇を形成していくのかということである。それは「革新」は「保守」を対概念とすることによってしか、自己の価値領域を測定し得ないことに帰因するものであるとしか説明しえない。啓蒙主義の生み出した近代価値はすべて、技術と自然、科学と宗教、文明と文化といったかたちで自己価値の領域確定の対概念と一体化することでしか事故価値の主張ができないのである。それは前近代社会の諸価値が超越的な絶対者の命令として、対抗概念や敵対概念の存在を許さなかったし、また必要としなかったのと対蹠的である。

このような前近代の諸価値に対して啓蒙主義以後の近代諸価値はそれが「人間」という相対的存在者の集合意志に由来するので、対抗概念や敵対概念と一体化することでしか、自己の価値領域の測定も確定も不可能だからである。前近代社会における世界と人類の諸価値は絶対者の意志によって一方的に与えられたものとして、人間の要求を許さないものであったのに対し、近代の人間中心主義の社会では、人間の集合意志によって世界と人類の諸価値は理念や理想として措定され、また変更や修正の余地が残された相対的なものとされるからである。それゆえ前近代社会の歴史は原初に最高価値が置かれ、時間の経過のなかでその原初価値が下降的に減少するか、消滅へ向かう下降史観を形成するのに対して、近代の歴史は理念や理想の絶えざる更新の中で、人間諸価値は対抗価値や対立価値との闘争のなかで、スパイラル的な上昇と向上を目指す進歩史観を形成することになる。

前近代社会の神話が世界と人類の終末と救済をセットにしていたのに対して、近代社会は超越的な絶対者を欠くために、終末と救済という観念体系を措定しえない。せいぜいその代用物としては、近代とは前近代社会の神話を解体してしまったが、解体してしまった神話によって生じた空白、つまり終末と救済の不在、言い換えれば人間の霊性の喪失を補う新しい神話の不在に脅かされることになる。啓蒙主義に対するロマン主義の反逆は、葬り去られた前近代社会の人間の霊的存在の代替品の製作、創出の作業である。

近代は前近代社会の神話を解体させ、神を葬り去ったが、神話や神の不在に耐えうるほどの強靭な人間精神も人間社会も形成しえなかった。それゆえ、ある意味では前近代社会以上に神話と神を必要とすることになってしまった。「国家」や「民族」は人間を死に赴かせるほどの神話的な強制力を獲得し、「進歩」「科学」「技術」は人間の未来を指示してくれる神となり、「伝統」「文化」「芸術」は人間の過去の偉業を追憶させ、祝福する神となる。

2014年10月17日 (金)

松宮秀治「文明と文化の思想」(10)

「文明」「文化」の概念が次第に成熟して人間生活全体の人間活動の価値を意味するようになってくると、このように人間生活そのものやその活動の様態、あるいはその所属領域全体を同義的な意味をもつものとなってくる。そしてその概念が啓蒙主義的な「人類」「世界」「理性」といった世界市民的な概念成熟の方向から特に西欧世界の民族主義的な諸特徴の表象価値、言うなればロマン主義的な方向での「国民」「民族」「精神」の価値への転換を果たしてくると、啓蒙主義の人類全体の普遍的な価値の指標から特定の地域、特定の民族と国家の精神価値が概念の中核的な構成要件となってくる。ここにおいて両概念は西欧と西欧人の自己価値を中心に意味領域が規定されるようになってくる。

いうなればロマン主義の「文明」「文化」の概念は啓蒙主義がキリスト教の神聖価値から独立させた人間の世俗活動の領域を再び神聖化する方向に進み、改めて人間活動の最聖別化の概念に変化し始めたのである。「文明」と「文化」という西欧近代の新しい価値概念は近代概念は近代以前の価値概念は近代以前の宗教的価値観や伝統社会の価値観が社会秩序の維持のために最も忌避し、負の価値しか与えなかった諸観念を新しい概念群によって価値を逆転あるいは転換させるための中心的役割を担った言葉である。

前近代の伝統的価値体系の社会にあって最も忌避され、否定的な評価しか与えられなかった観念は「進歩」であり「変革」であり「革命」といった既存の社会秩序の変動や破壊を想定させるものであった。なぜなら伝統社会も宗教的価値支配の社会もともに権威主義的な価値によって社会秩序を維持していくことが出発点であると同時に目標点でもある社会だからである。伝統社会の価値はあらゆる社会活動の規範が「しきたり」や「ならわし」といった伝統的な慣習の維持に依拠するものであり、また王侯や家父長的権威主義社会は支配者の命令と被支配者の服従は武力や経済力といった物理的な力関係よりも支配者の持つ権威の不動性、いうなればその不滅性と普遍性に対する心服と畏敬という心理的な関係に依拠するものだからである。

「文明」や「文化」という概念は西欧の前近代社会の社会秩序やその中に生きる人々の伝統主義的な心性を変革させ、「近代」という進歩と変革が中心価値となる社会体制の創造の終結点に位置するものである。この概念を中心にあらゆる近代的価値が複雑に連動し、相互に絡み合い、この概念の内包領域をかぎりなく広いものとし、伝統社会の価値を無力化、無価値化、さらには価値の店頭と新しい価値の創出をもたらす概念群の相互作用の観念連合が加速的に推進される。そのため「文明」と「文化」の両概念はその言葉の独立的な発展の方向で概念成熟を行っていくのではなく、その概念が内包する個別的な領域を独立化、自律化させることで、巨大な観念連合を意味する名辞として発展していく。

いうなれば「文明」「文化」という概念はこのようにたえずその外延を拡大させることによってその内包諸概念の相互関係を変化させるものである。したがって啓蒙主義時代にあっては「理性」「人類」「世界史」「進歩」「変革」という概念がそれぞれの相互関係の中で十分に「文明」概念の意味内容を表現することが出来た。つまり「文明」という語そのものを使用しなくても代替概念やその観念連合でその内実を表現し、また伝達したのである。「文化」に関して同じことが言える。実際その二つの語は実用的使用の頻度が極めて低い語で、18世紀末から19世紀初頭の諸文献のなかで直接出会うのは人々が想像するよりもはるかに少ない語である。

「文明」も「文化」もそれぞれの概念が内包する観念群、具体的には「理性」「進歩」「改革」「人間性」「人類」「世界」「歴史」「国家」「民族」「精神」「芸術」「学問」「技術」「伝統」といった諸観念がときには緊密な観念連合を果たしながら、ときには他の観念を排除していくかたちでそれぞれの独立の概念化を果たしてきたということであり、さらには、「文明」や「文化」の概念に対して自己の概念の絶対的な独立を主張せず、相互の観念連合のなかでそれぞれが内包領域を合同化させるという概念発展の二重性を保ってきたためである。

「文明」と「文化」は19世紀全体を通じてほぼ同義語的に使用されてきた語であり、その概念は交換可能な互換性をもつと同時に、つねに一方が他方を内包概念として含みもったものであった。なぜなら両者ともに前近代の神学的な神聖な秩序と伝統支配的、権威的な世俗的秩序という、いうなれば教権と君主権の秩序体系のなかで変動的に与えられた生の役割しか果たしえなかった人間が、自らを世界と生の創造者として位置づける理論体系を創出していくのに最も応用範囲の広い概念が「文明」と「文化」だったからである。この両概念は人間が世界における自己の存在意義を主体的な存在者に転換させるために最も包括的な概念となりうる拡大性を持ったものであった。そのためこの両概念は西欧近代の新たな価値群を自らの内に取り込みえた。またそのため両概念は厖大な内包領域をもつと同時に近代価値の領域拡大に比例してその概念の外延を次々と拡大させていくことになる。

西欧近代がその政治、経済だけでなく、芸術、科学、技術の領域、さらには思考様式や社会慣習に至るまでの生の全領域での新価値の観念を体系化してくると、「文明」「文化」の概念はその広領域性と価値の複合性ゆえに特定の限定された領域の価値の明確化、先鋭化には不向きなものになってくる。たとえば芸術の分野において、過去の芸術作品群が「芸術家」ではなく職能的な「職人」階層の人々の製作物である場合、それらを「文化財」として再評価する理論は整備しえても、近代の新たな価値としての「芸術」の理論や社会価値の更新や創出者としての「芸術家」の概念をつくりだしていくためには、「文明」や「文化」を主導概念とするよりも、位置を逆転させ、「芸術」を主導概念として、それらを内包概念化した方が近代価値の創造の理論の明確化、尖鋭化をより確実なものにすることができる。

18世紀末から19世紀中葉にかけて「文明」と「文化」は使用頻度の高い言葉として直接、表面に現れるよりもむしろその内包領域の諸価値を発展させるかたちで外延を拡大させながら世界の世俗化を推進させることで自己目的を果たしてきた言葉だったのである。その意味ではフロイトが見事にその本質を見抜いたように「文明」「文化」の二つの本質は次の二つの事柄であるというのである。ひとつは「自然の諸力を支配してその財物を欲求の充足に供するために人間が獲得した知識と能力の全領域」であること。いまひとつは「人間相互の関係、とくに獲得可能な財物の分配を定めるために欠くことのできない機構のすべて」であること。

フロイトの言う「文化」「文明」や啓蒙主義時代のそれは、人間が被造物としてこの世界に投げ与えられた存在者として神や超越者によって受動的な生存に服従した生活ではなく、世界の主体的な創造者、改変者は人間であり、人間の主体的な意志の軌跡として世界を再解釈すること自体であった。いいかえれば「文化」「文明」の本義は人間の生存を宗教的世界観や伝統主義的な世界観のなかにとどめ置き、人間生存の領域から人間の主体的意志の関与領域をできるかぎり小さなものにしていこうとする思想を排除していく思想の中に存在する。つまり「文化」「文明」とは所与のものではなく、人間の主体的な意志による製作物だということである。ただしフロイトの「文化」「文明」の概念と啓蒙主義時代とロマン主義時代のそれとの間には測り知れないほどの大きい懸隔が存在する。その概念差とは概念成熟の差である。20世紀に至って両概念がイデオロギー的な分離を進めるまでは、ほぼ同義概念のように一体性と互換性を保ち続けてきていた。

2014年10月16日 (木)

松宮秀治「文明と文化の思想」(9)

第2章 ロマン主義と文化

19世紀末以後のドイツ人とドイツ語圏の人々は「文化」という語に特別な意味を込め、その語に自己の心性と自己の生存の意味を同化させようとしてきた。ヘルムート・プレスナーの『遅れてきた国民』(1935年)では、そのことが主張されている。彼の言わんとすることは、本来「文化」という概念は「文明」の概念同様に宗教的な世界観から人間を解放し、神の被造物としての人間を世界創造の主体へと転化させるための観念体系構築の中心的な概念であった。言い換えれば、それは徹底的に世俗的な概念だったものである。それがドイツにおいては他の西欧諸国とは異なって再びルター主義の労働観、職業活動観と結び付いて、新たな「世界宗教」的な神聖価値を帯びだしたというのである。

これに対してフロイトは民族性や国民性という装着された二次的な人間精神ではなく、意識下の本源的な人間精神の探求者として「文化」の全人類的性格を解明しようとした。フロイトは「文化」が人類全体に対しては神聖価値からの解放者役割を果たしながらも、個体としてのひとりの人間には抑圧者的な役割を持つ二重性をつねに問題とした。フロイトにとって「文化」とは何よりもまず、「人間の文化」、つまり人類全体の文化であって、特定の人間集団、つのり特定の国民や民族、さらには特定の地域集団や特定の共同体のそれではない。また特定の国民や民族の精神はその歴史の聖別化の対象とされるべきものでもない。文化とは「人間が自然の力を制御し、人間の欲求を充足するべく自然のさまざまな財を獲得するために手にしてきたすべての知識と能力全体」のことである。それは人類全体が共通に獲得してきた知性の進歩と技術の進歩の全過程に対して与えられるべきものである。言い換えれば、それは神という絶対者や天命といった超越者によって人間に分与された神聖価値の下賜物ではなく、人間の欲望充足への努力と欲望の相互調整過程で生み出されてくるその時々の社会制度との関係そのものが文化ということになる。

自然の力を制御し、自然からさまざまの財を手に入れようとする人間の欲求充足が文化であるなら、人間相互間の欲望を調整し、欲望の馴致のために創り出された社会の諸制度も文化である。いいかえれば個人の欲望の充足のためになされてきた人間の知的進歩と拡大,技術の進歩と拡大も文化であれば、個人の欲望に敵対し、それを制御し調整しようとする社会の諸制度も文化である。だからフロイトは、その相互関係こそが文化の本質であるとする。そしてその本質の解明への仕事に着手するために、個人の欲望の文化への攻撃、個人の欲望からの文化の防衛という点から論を展開させていく。

「文化」という概念と観念は突き詰めていれば最終的にはこの二つの方向に分岐するものである。一方は「文化」を「文明」から峻別し、それを自国や自民族の精神価値の神聖化、優越価値化の方向で概念化し、そしてそれに対応する観念の体系化を目指す方向である。もう一方は「文化」と「文明」の間に概念的差異を拡大させず、個人を国家や民族に結び付けるよりもむしろそれを「社会」や「公共圏」といったゲゼルシャフト的な集合体に結び付けることによって、特定の個別的な国家、民族、集団の価値よりも「人類」と「世界」の普遍的な価値を目指す方向である。前者はプレスナーが分析したようなドイツの「文化」概念である。それは「文化」と「文明」が概念を峻別し、精神価値に関する領域をことさらに区別し、「文化」の「文明」に対する優越感を信奉する。それに対して非ドイツ的な「文化」概念は「文明」と峻別されることなく、両者は状況に応じて融合し、両概念は容易に意味の互換性が与えられ、精神価値と物質価値の峻別を嫌うのである。前者は啓蒙主義的思考に対する意図的な対立のなかに自己の存立根拠を据えようとするロマン主義とナショナリズムの思考の産物であり、後者は物質的、技術的な進歩によって、「人類」と「世界」の功利主義的な改善の恩恵の享受を標榜する啓蒙主義の思考の産物である。その意味でフロイトの「文化」概念は啓蒙主義の正統の継承である。それに対してプレスナーの分析するドイツの「文化」概念はロマン主義とナショナリズムの真性の継承である。

 

プレスナーが分析したドイツ語の「文化」概念は、西欧諸国の一般的な文化概念が宗教的な基盤を徹底的に破壊することで、「理性」という言葉とだけ結び付いて、「人類」と「世界」の普遍性と共通の普遍的な価値を目指したのに対して、ドイツ語の文化は「理性」との結合だけにとどまらずに、「精神」とか「生」とか「民族」という言葉とり結合をも果たしてしまったのである。その結果、啓蒙主義が世俗価値と峻別した宗教価値が再び世俗価値のなかに侵入し、世俗価値の宗教化と神聖化が再開され始める。

キリスト教神学、つまりその教義体系において信徒の世俗生活における神に対する義務と信仰生活における教会に対する義務との間に境界線は存在しない。両者は神の恩寵と摂理の中で完全に受動的な生を享受するだけである。それに対してルター派のキリスト教徒にとっては世俗生活における神に対する義務と、信仰生活における教会に対する義務はそれぞれに別なものとして一致してはいない。プレスナーの言うようにドイツの文化という言葉が「宗教的な地盤との繋がりを保持している」のは、啓蒙主義においてそれが「理性」という言葉とだけ結合していただけであったのが、ロマン主義とナショナリズム思想のなかで特有な意味と意義を与えられてくる「精神」と「生」と「民族」という言葉と結び付いて、それらを「文化」の重要な内包概念とするためである。

プレスナーが言わんとすることは、ドイツ人が19世紀から20世紀にかけて育てあげていった「文化」という概念は啓蒙主義が説いてきたような「世界」の脱神話化、世俗化的な解釈の上にのみ構築された概念でもなく、またカトリック的な宗教思想が継承してきたような世俗生活における「教会に対する義務」との間に何の分裂、つまり不一致も存在しないという思想の上に構築された概念でもなかったということである。言い換えればドイツの「文化」概念は啓蒙主義やその申し子のフロイトのように反宗教的で世俗的性格のみを強調する方向で観念体系化されたものではない。またカトリック的な神秘主義が主張するように、人間の知的発展も人類と世界の科学的、技術的な進歩も究極的には神の超自然的な神秘的な力と神の支配する「コスモス」の秩序を越えることはできない。それゆえに、人間の個人的な主体的「自由意思」など、大局的な見地からすればとるに足らないものであるとする。ドイツの「文化」概念は、この啓蒙主義的な「文化」と「文明」の成立の方向とは異なった方向を歩んで形成されたものであったということである。ドイツ人は「文化」という概念を19世紀から20世紀にかけて再解釈し、再構成してきたプロセスを説明したものである。ドイツのロマン主義は啓蒙主義ほど宗教を人間の知的発展の不完全な段階での「幻想」とも「幻覚」とも考えず、またキリスト教神学のように「世界」の存在の「第一原因」とも考えない思想で、人間の世俗活動の神聖化を推し進めようとしたのである。

「文化」や「文明」という概念は本来きわめてゆっくりと成長を遂げてきたものである。それはその言葉自身の自己発展により成熟へ向かったものというより、プレスナーがいうように、「それは18世紀の理性という言葉や次の時代の精神とか生とか民族という言葉と同じものである」といえる。言い換えると「文明」や「文化」という言葉はその意味範囲の広さそれ自身が負いきれないため「理性」や「精神」という人間の個人的な主体性と同義的なものによって代表的に表現されるか、あるいはキリスト教的な受動的な、彼岸的な人間の「生」に対するアンチテーゼとしての主体的で現世的、世俗的な生活としての人間の「生」、あるいはその集合的表象としての「世界」と「民族」によって代替的に用いられてきたのである。

2014年10月14日 (火)

松宮秀治「文明と文化の思想」(8)

私たちはそれほど深く考えることもなく「世界史」という言葉を使用するが、それは高等学校の教科書のような日本史、東洋史に併置された概念でなく、またその機械的な概念でもない。それはこれまでたびたび触れてきたようにキリスト教的な「普遍史」に対する人類の文明史、文化史としての「世界史」という歴史哲学の新しい近代価値の観念体系の構築を意味するものだったのである。この普遍史から世界史への転換においてヴォルテールの『諸国民の風俗と精神について』を西欧の歴史思想史における「コペルニクス的転換」と評価され、それがキリスト教の普遍史のヘブライ人的・キリスト教徒的な世界観の狭隘さの打破、いいかえれば空間的にはヨーロッパに限定され、精神的には異教として「世界」の外に置かれた領域の世界への編入、つまり実質的な地球規模での世界の拡大の開始をそこに見い出している。

ヴォルテールが啓蒙主義史学、つまり歴史主義の先駆者であり代表者という認識はマイネッケの『歴史主義の成立』以来ほぼ異論なく承認されていることであるが、それは単にそこにとどまるのではなく、聖書学と聖書年代記を基礎とする「普遍史」から、人間の歴史をすべて「文明」と「文化」の概念のもとに超越者や神とは切断された世俗世界の進歩と発展する「世界史」への歴史意識のコペルニクス的転換の起点となったものであった。

ヴォルテールの反「普遍史」の思想と世俗世界史の思想。「世界」の歴史が髪の被造物としての歴史、つまり神の創造神話として記述を開始されようが、あるいは事物がそれぞれの起源を持つ「開闢」神話として語り始められようが、このように人間の主体的な関与とは無関係なものは、歴史記述から排除されるべきであるという思想がその根本にある。そこからさらには歴史は民族集団が形成され、その民族集団が「文明」の歴史を開始させ、「帝国形成」を始める段階、そしてその帝国形成とその歴史記述(年代記記述)が中国のように同時代的に平行するか、そうでなくてもオリエント諸帝国のようにその記憶が消失を免れる段階で記録されるような歴史段階から歴史記述は開始されるべきという思想と繋がってくる。つまり、人類の未開段階を神秘化して、架空の神話的な起源を作ることで宗教的なイデオロギー化を計っていく歴史思想への反撥の表明である。したがって考古学以前の時代のヴォルテールの歴史思想が考古学時代、無文字時代、さらには人間の「未開時代」の歴史に無関心であったことも咎め立てる必要はない。

ヴォルテールは創世神話の容認は諸民族の神話時代、英雄(半神)時代の容認と同様、歴史の神秘化、秘教化の是認につながるものとして、その「歴史哲学」から排除されるべきものとなる。歴史哲学は後にカントやヘーゲルにおいて「世界」の合目的的発展へと誘導されていくが、ヴォルテールにあってはいまだ合目的な世界発展の意識よりも、反「歴史神学」的性格が強く、世界史の反聖書年代記的進展の証明が急務となっている。

ヴォルテールの中国の「発見」は聖書年代学の否定、つまり聖書年代学の嘘と欺瞞の暴露にとって願ってもない助けとなったものである。中国の歴史記述が歴史記述のひとつの模範となるのは、そこに宗教の支配の形跡がほとんど見い出されないこと、そしてそれがヨーロッパ世界の普遍史的な聖書年代記の誤りを認識させ、それに代わる新しい歴史認識の開始の一助となる点である。

 

「普遍史」と「世界史」の概念区分を整理してみると、今日でもフランス語や英語では両者の概念区分がなかったり、曖昧だったりする。「普遍史」と「世界史」の概念区分は啓蒙主義の普遍史に代わる世俗世界の要求によって明確にされ、啓蒙主義の歴史主義の思想に由来する「世界史」が、「普遍史」を駆逐してしまって、それに続く近代歴史学の専門科学としての独立が聖書年代学と「普遍史」を完全に無効化してしまう。すると新たに「世界史」に関して新しい問題が発生してくる。科学的な「世界史」の記述は可能かという問題である。カントやヘーゲルの歴史哲学のように「世界史」を人類の合目的的な理念への達成過程と見る見方、そのような歴史記述は可能であり、正当性を持つ。なぜならそこにおいては個人や集団や民族の歴史は人類全体の歴史に吸収され、全体の発展のなかでのみ意味づけされ、暦と敵意義を与えられるものとされるからである。それに対して、科学的・実証的な歴史科学は「世界史」を理念的な発展と考えるのではなく、歴史を個体的発展とみる歴史主義の出発点としているからである。歴史主義の「歴史」とは究極的には「文明」と「文化」の形成主体としての個体的歴史主体を分類していくものであって、「世界」という抽象的な全体性を解体していく思想だからである。それぞれ地域的には孤立しながら、時間的には同時発展を示す複数の「文明圏」「文化圏」をどのような順序と配列で歴史的に記述するのかという問題である。この問題を突き詰めれば、果たして「世界史」というものが歴史科学的に存在可能かということになる。さまざまな「世界史」の起点のどこに、その起点を求めようともそれがすべての文明圏、文化圏の人々に受け入れられるものとなることは出来ない。なぜなら歴史主義とは究極的にはそれぞれの文明圏、文化圏を価値として相対化してしまい、「世界史」の起点そのものの設定を無効化してしまうからである。近代の歴史思想とは啓蒙主義の歴史哲学によって「世界史」の理念を設定しながら、歴史主義の科学的実証的な歴史哲学で「世界史」を解体させるという二律背反を背負い込んでしまったのである。しかし、この西欧近代の歴史主義の矛盾は歴史主義のみがもつ性質ではなく、広く歴史記述全般が持つ問題でもある。歴史とはどの民族、国家、集団の歴史記述であれ、自己の他に対する優越性あるいは自己の独自性と価値の主張というイデオロギー的な要求を基盤とすることが、その本質だからである。

2014年10月13日 (月)

松宮秀治「文明と文化の思想」(7)

今日的な意味での「文明」「文化」の概念の成立は啓蒙主義と歴史主義が世界を歴史的に分類していく作業の中で遅々として成熟を果たしてきたものである。つまりそれは神学的世界観にあって統一的に解釈されていた世界が、哲学的、科学的、世俗的に「文明」軸と「文化」軸によって再解釈され、領域別に分類され、その分類された領域がそれぞれに自律性を主張しあうなかで形成されたものである。その分類された領域は19世紀を通じて政治史、経済史、法制史、芸術史、文学史というように個別科学の領域形成と自立性の過程と複合的に並行しながら、それぞれの個別領域への価値賦与的な役割をも同時に果たしてきたのである。文化人類学が未開人の「文化」という脱価値的な方向を開拓してくるまでは、「文明」「文化」は人間の特定領域を価値化するための概念であり、またその役割を十分に果たしえたものであった。だがそれが文化人類学という学問が「文明」「文化」の概念範疇からは無価値であった未開人を学問的な対象として見なし始めたとき、従来の「文明」「文化」の価値が相対化され、学問的な価値同化、つまり没価値が始まった。以後この両概念は価値概念と没価値概念という両義性のなかで概念の曖昧化を促していくことになる。

ほぼ19世紀末と20世紀初頭に至るまでは「文明」「文化」の概念は一義的に価値概念であり、人間の諸々の活動領域をその両概念を基準に分類し、自律化させることで、そこに人間的諸業績の個別価値化の役割を果たすものであった。人間の活動は神の統一的な意志の支配のもとで同一的方向に導かれるものではなく、個人、集団、民族といった個別的な意志で独自に個性的領域を形成してきたとするのが、啓蒙主義の「世界史」と歴史主義の「国民史」の観念である。前者はより「文明史」に、後者はより「文化史」に軸足を置いたものであれ、これから見ていくように時代の代表的な歴史書は、両概念が今日我々の視点から整備できるような整然たる区分のなかにあったわけではない。

西欧の「近代」が創出した価値概念のなかで「文明」「文化」が最も複雑で多義的で、その概念規定がきわめて難しいのは、それらが概念成熟を果たす以前に、その概念を規定し、概念を構成する諸要素が言葉の成熟より先に観念群として観念的に独立した領域を創りあげてしまっていたからである。

概念が成熟する以前にその概念を形成する諸領域のほうが先に成熟を果たし、その諸領域を「文明」や「文化」の概念が自らの領域の中に取り込み、整序していった。だがそれに対して「文明」と「文化」はその内包的領域を確定できずに概念的な確立を果たしていくことが遅れる結果になってしまった。両概念は同時的な成長と共通の錯綜した成熟過程の中で、明確な概念区分を不可能にする諸要素を抱え込んできている。それゆえエリアスのような両概念の時系列的な整備や先進民族と後進民族の対立という整備の仕方は、歴史事実を無視したものになっている。

「文明」と「文化」、さらには啓蒙主義と歴史主義を対立するものというよりは、それぞれが相互侵犯的な関係でそれぞれの概念や観念を形成してきたものと考えている。もう一度戻っていえば、「文明」と「文化」がそれぞれ相互補完的に、また相互侵犯的に概念形成を果たしてきたのは、啓蒙主義と歴史主義の思想的な対立のなかではなく、むしろ「歴史」という概念と観念を「普遍史」から「世界史」へ転換させたという歴史的な過程の中においてのことであった。

2014年10月12日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(6)

「文明」「文化」の概念の成立と啓蒙主義の歴史思想とのかかわり、人類史の宗教史観的な「普遍史」から歴史哲学的な「世界史」への転換の意味を改めて考え直してみるためには、この「歴史主義の成立」という問題に暫く関わっていくことが必要である。なぜならこの問題は、フリードリッヒ・マイネッケの『歴史主義の成立』によって、その問題が啓蒙主義とロマン主義の個性主義の対立という図式に還元されてしまうことで、より大きな次元での伝統社会の歴史決定論から近代社会の歴史創造論への移行という人類思想史上の革命が西欧近代の合理主義対非合理主義の葛藤という文脈に移し変えられる結果を招いてしまったからである。

マイネッケは歴史主義の出発点を「人間本性の恒久的同一性を信ずる頑強な自然法的思考」を軟化させ、流動化させることにあったとする。つまり彼は「理性」の普遍性を前提に出発する西欧近代の合理主義哲学、つまり啓蒙主義哲学の思考に対する感性の非合理主義を基盤とする反合理主義、反理性主義、つまりロマン主義的な反自然法的思考の出現のなかに「歴史主義の成立」を見い出していくのである。このような歴史主義こそが彼にとっては思考の革命を意味するが、その思考革命の前に立ち塞がっているものこそ「啓蒙主義」の普遍であるという。

マイネッケによれば歴史主義の成立の契機を与えたのも啓蒙主義哲学であったが、その成熟を最も強く妨害したのも啓蒙主義だというのである。そして歴史主義的思考を最も強く体現していったのはドイツ・ロマン主義の非合理主義的思考への欲求ということになる。

結論を先取りして言えば、西欧近代の「歴史」の観念がつくりあげたもので最も革命的な意義をもつものは「世界史」と「国民国家史」という観念を確立したことである。マイネッケ流の歴史思考にとどまれば、最終的には人間を「人類」という観念的集合としてとらえ、またそれを普遍的な理性的共同体として考察するのが啓蒙主義の歴史哲学であり、それを個別的な考察に置き換えていくものがロマン主義の歴史主義ということになる。啓蒙主義の歴史哲学が最終的に目指すものは、普遍的な理性の共同体である人類の理念の合目的的な達成を目指す「世界史」の意味の解明であるであるのに対して、ロマン主義の目指す歴史とは感情という個別的な動因によって固体化される個人や地域集団や民族集団の個性化の過程、つまり「国民国家史」的な世界史の分別ということになる。だがそれも近代の「歴史」の観念が究極的にはし人類の「文明」史的展開と民族の「文化」史的な展開軸という措定によって成り立っているものである限り、啓蒙主義の歴史哲学とロマン主義の歴史主義が、相互対立関係にあるものではなく、相互補完関係のなかで、近代の「歴史」観念の形成に与してきたものと見るべきだろう。

 

「世界史」という概念は、人類の歴史を再構築するために神の意志の実現過程と見る「普遍史」を、啓蒙主義が人類という理性共同体の自己理念の実現への過程の中に再編成的に整備し直した概念である。それはヴォルテールの歴史的発展を諸民族、諸宗教集団のそれに分割し、それら諸民族、諸集団の習俗や生活様式、思考様式の民間主体としながらも、全体としては人類の理性の普遍性の枠組みの中で考える歴史思考の産物であると捉えうるものであるとした考え方である。カントやヘーゲルの歴史哲学は諸民族や諸宗教集団の習俗や生活の型の形成過程にほとんど無関心で、一方は理性が設定する人類の世界市民的理念の実現過程ととらえ、一方にあっては自由の理念の実現過程と見ることで、関心はもっぱら理性の展開、精神の発展という思想史の領域に限定されるものであれ、問題意識はつねに人類の発展の全体という「世界史」の観念のもとになされる歴史思考である。

それに対し歴史主義の歴史思考は、「世界史」という人類全体の発展から個別的なもの、特殊なものの独自性の追求に関心を集中させていく。その限りでは、歴史哲学と歴史主義は認識の方向性を異にするが、それは対立的離反の方向を明確化していくというよりは、相互補完的に協同しあい、人間存在の歴史性を確認することで共通の目標を追求していくものである。その人間存在の歴史性の確認作業を主導していく歴史観念の中心にあるものが「文明」と「文化」という概念である。この概念装置が存在してはじめて、「普遍史」が「世界史」に転換しうる契機が与えられる。

マイネッケでさえもが認めざるをえないように、歴史主義の出発点は啓蒙主義のなかに求められるべきである。それは啓蒙主義がキリスト教普遍史から世俗主義の世界史への転換を可能にするさまざまな概念装置を創出し、人間を神の被造物とするキリスト教の諸観念体系を破壊し、世界を世界史と人間の主体的な創造物とする観念体系の形成を始動させたためである。この啓蒙主義の世界と世界史という新しい理神論の展開の中で整備されてきたものということができる。理神論はその出発点にあっては神の存在を合理的に証明していくという護教論の展開過程から生まれながら、その帰結においては神の存在を否定する無神論にさえ転換しうるほどの神の世界と世界史に対する関与を制限して行き、ついには宇宙創造だけを神の領域に残し、他はすべて人的、普遍的理性の実現過程の産物としてしまう理論に転換されていったからである。

啓蒙主義の「世界史」は一方的にキリスト教神学の「普遍史」への対抗思想として、それては別個の論争的思考として生み出されてきたものいうよりは、むしろ大きな時代全体の理神論的な雰囲気のなかで、相互に協同し、協調していくことで生み出されてきたものといえる。

啓蒙主義の「世界史」の概念と「文明」「文化」の概念がどのような統合過程を経て近代の新しい価値に成長していったのか考えていくに先立って、我々が時間的には相前後し、理想的にも反措定として生み出されたと考える歴史上の諸概念や諸価値の成立プロセスをもう少し時系列に則して見ておきたい。

「文明」「文化」という概念は人間を神の被造物と見るか、あるいはその被造物性を逃れた主体的な「世界」の形成者と見るかによってその概念化が抑制されるか促進されるかの差と連動しているということができそうである。カントのようにキリスト教をも「単なる理性の限界内での宗教」と見る理神論者にとっては、「文明」も「文化」もともに人間の歴史的使命の達成過程の段階的な成果を表わす概念として積極的に取り入れていくことのできる概念となるであろうし、一方ジョンソン博士のように敬虔なクリスチャンで、時代の理神論的な傾向に不同意で。しかもつねにシニカルに人間の思いあがり冷水を浴びせつづける性格の人物にとっては、「文明」だけではなく、「文化」という概念も無条件には受け入れることのできない概念であったろう。

ここから見えてくることは、「文明」「文化」の概念が先進国民の自負と後進国民の対抗意識から概念形成されてきたものではなく、とはいってもその要素を全面的に否定することはできないが、人間の自己の形成の歴史的発展を神の摂理と神意の中に見い出すのではなく、自己の主体的な関与の場とみなし、その業績を分類学的な思考のもとに整序していく中で生み出していったものであるということである。つまり「文明」「文化」という概念は西欧近代の歴史思想が歴史を人類史という観念で再構成し、人間活動の全体を個々の活動領域に範疇化していくプロセスの中で次第に概念形成をはたしてきたものであるということである。

2014年10月11日 (土)

松宮秀治「文明と文化の思想」(5)

18世紀の啓蒙主義の思想にあっては、キリスト教的禁欲の否定と情念と感性の解放こそが、伝統社会と宗教支配からの脱却であり、「世俗主義」という新しい価値観念体系の創出と新しい「世界」解釈への出発点となったものである。

「世俗主義」、いいかえれば「西欧の近代精神」とは、人間を被造物とみなすすべての人間観、世界観を打ち砕き、「文明」と「文化」という概念枠の中で、「世界史」は神の年代記ではなく、人間が原始的な未開段階から文明・文化への段階へ自らの努力で発展させてきたもの考える思想である。別な言い方をすれば、「文明」「文化」とは、「世界史」の発見によって概念形成を果たしてくる世俗的な価値体系の統括概念だということである。つまり「世界」が神の被造物と見なされ、「歴史」も神への意志実現過程として定められた進行の枠内の事象として、人間の意志を超えたものとされることへの反論の理論化の概念であったことを意味する。

それに対して、「世界史」の発見とは、「歴史」を人間の自己展開とみなす思想の創造を意味する。「文明」「文化」とは神の意志や恩寵・摂理とは関係なく、人間が自力によって自己展開させたものを集約し、総括し、神的な価値とは無関係な人間中心の価値で整序させたものの総称である。

今日的な概念的進歩が結果的には人間の内面的進歩と連動してくるという考えを概念化したものである。「文化」は人間の美意識や倫理、集団的結合や離反を促進させる。「共同体の精神」を組織化し、価値として整序することで、人間の社会化を進展させ、その共同体の精神の内面的価値が、結果的には技術の進歩がもたらす人間の物質的進歩とも連動するものの概念化である。いうなれば「文明」は物質的進歩が出発点に置かれながら、帰結点においては人間の内面的・精神的価値とも結合するものの場であり、「文化」は精神的価値が出発点に置かれながら、帰結点においては物質的・社会行動規範の場である。両者は質的に同一のものでありながら、始動と帰結点のベクトルの方向が逆向きになっているのである。

だか、本来的には、それらは個別概念ではなく、それぞれが他を含んだ独立概念で、「文化」は文明を含み、「文明」は文化を含んだものとして概念形成を果たしてきた。両概念の形成期にあっては、理念的な価値を規準にまで高めた高位置事業を中心に整備されていたので、没価値的で価値自由な領域はその概念にまで含めないのが普通であった。「文明」が概念化される際は、「歴史」概念と結合することで、未開・半文明・文明という段階に応じた文明の段階差が明瞭になると概念枠に必然的に集約されることになる。つまり、「未開」という概念はそれ自身として存在しているのではなく、高次「文明」という概念の成立を伴ってはじめて意味をなす概念である。

このように時代によって価値水準が変動する「文明」「文化」の概念に統一性を与え、同一の概念枠内で統括可能なものにしていくのが「歴史」という概念である。「歴史」という概念は、18世紀に入ると過去の出来事の記録という意味を超えて、出来事と出来事の間の「持続的関連性」を意味するものになる。「持続的関連性」とは「文明の進歩」と「文化の進歩」の意であり、神や超越者の意志とは一切関係のない人間、つまり人類全体の自己展開を意味しているものである。したがって「世界史」とはキリスト教的な神の被造物としての神の年代誌(記)ではなく、未開段階から文明段階に至る人間の自己努力の「持続的な道程」という相互連関性が歴史哲学的思考となったものである。

ここで私たちが再確認しながら見ていかなければならないことは、啓蒙の歴史主義の哲学的歴史思考というものが人類史上の思想革命そのものであったという事実である。それ以前のいかなる伝統社会の歴史観も宗教歴史観も共に歴史の栄光はその出発点にあり、時代の進展は人類の堕落と衰退、衰亡へ向かうという下降史観を基本としていたということである。伝統主義社会の歴史観も神学的な宗教的歴史観も歴史の帰結点は「終末」かあるいは「来世」という観念で締めくくられることになる。

それに対して啓蒙の歴史主義思想は、人類の無限の進歩を前提として出発する。いうなればそれは「理性」の自己展開という非完結的な「進歩」の意志に支えられたものされる。このような伝統社会の歴史観と宗教的な神学史観から啓蒙の歴史主義への転換は18世紀の用語で言えば、キリスト教的「普遍史」観から世俗史観的な「世界史」への転換ということになる。「ユニヴァーサル・ヒストリー」から「ワールド・ヒストリー」への転換ということになる。

キリスト教の聖書年代記に代表されるような伝統社会の人類史は、その起源においても終末においても基本的には、神や超越者の意志の実現という宗教的教養によって整理された特定の「神話」と結び付けられる。言い換えれば、人類の歴史とは人間の自由意志とは完全に無関係にあらかじめ予定されてい進路を辿る行程とされ、歴史に対する人間の能動的関与の余地が存在しないものである。つまり人類は基本的には歴史に対して受動的な役割しか与えられない存在である。啓蒙主義の歴史哲学は人間の歴史意識における「コペルニクス的転換」てせあり、人類の思想の歴史における最大級の革命とされるべきものである。この思想によって人間ははじめて神の「宇宙」創造の中に被造物として受動的な投げ出された存在から、「世界」という人間が主体的に創造していくとのできる空間の中で主体的に歴史の創造にかかわっていくことのできる存在となったのである。

2014年10月10日 (金)

松宮秀治「文明と文化の思想」(4)

啓蒙主義時代以前、つまり前近代社会の奢侈の用語法は、王侯貴顕あるいは宗教的な権門に集積される富、例えば宮廷の宝物室や「クンスト・カンマー」に蓄えられる金銀、宝石、財宝といった特権的財とその誇示的出資や権威維持的出費といったものに連想が集中するのであるが、啓蒙主義の奢侈や贅沢とは、いうなれば「必需品を上回るものにかける出費」ほどの意味で、この概念は極めて相対的である。しかし啓蒙主義哲学の奢侈概念はこの相対的な価値を相対的のままにとどめ置くのではなく、それを社会的な価値基準と心理的価値基準の双方から絶対的な規範に統合させようとするのである。したがって奢侈は単に必需品を上回ったものというだけではなく、社会的有用性と人間の情念の正しい解放の方向性とをもつもの、つまり社会倫理的にも社会的悪徳とは相反する方向性を志向するものでなければならないとされる。

いうなればそれは国家財政の健全化、つまり国家富強に属すると同時に、国民の欲望の解放、情念の解放を善導するものでなければならない。つまり奢侈とは恣意的な情念の解放ではなく、共同体の精神と共同体の利益に一致したものとして国家がその組織化を行ってゆくべきものということになる。啓蒙思想にとって「奢侈」「贅沢」しは決して個々人の私人の私的な金銭支出の問題ではなく、国家や政府によって国家富強政策と共同体精神の建設に向けられるべき社会性と倫理性の集約のための産業と勤勉の組織化なのである。

このように「奢侈」は確かに経済学的な概念であるが、それがもはや『百科全書』ではそこに留まらず、中世キリスト教の欲望の禁圧、情念や感性に対する嫌悪と反世俗主義の精神に対する強力な挑戦を集約する概念にまでなっていることが理解できる。「金持ちが天国の門をくぐるのは、ラクダが針の穴を通り抜けるより困難である」という言葉に象徴される世俗的価値に対する反感が、ここでは欲望と情念の解放の新しい指標として、世俗主義理論の集約点へと変化している。宗教的な禁欲主義、清貧主義はその高邁な理想主義によってひとりの人間をより高潔な人格者へと変貌させることができるかも知れないが、社会の進歩という観念とは無縁なものである。それに対して、「奢侈」を肯定する世俗主義は、人間の活動領域を単に私的な精神領域にとどめ置くのではなく、その経済的、社会的諸活動の領域へ移行せしめることで、社会進歩を促進させ、またその社会進歩を人間価値の拡大に転換させる力を持つに至る。

奢侈や贅沢や浪費という人間の経済的活動は禁欲的な精神主義の価値観から見れば、虚飾・虚栄という非人格価値の領域に貶められるものであるが、世俗主義という社会価値の次元においてはまったく新しい価値領域を開拓するのである。

禁欲的な精神主義のもとでは負の価値しか与えられない野心、虚栄心、名誉心までもが世俗主義のもとで正の価値に転換されるばかりでなく、もっと積極的に「共同体の精神」の必須条件にまで高められてくる。なぜそうなるのか。禁欲主義、清貧主義、精神主義にとって欲望の否定の結果得られる霊的人格の獲得と精神の豊穣感と満足感は、高い価値目標となり、社会規範としても推奨に値するというより、至高目標、至高善とされるべきものであるが、欲望や情念の解放を目指す社会にあっては、それはきわめて片鱗の私的領域の善とされるだけで、社会的な価値目標とはなりえない。世俗社会にあっても、清貧、高潔、求道的人格は、個人的倫理価値として賞賛に値するものには違いないが、それが共同体の精神的な価値にはなりえない。そよりも、野心、虚栄心、名誉心は後ろめたいものとされることはなく、また、奢侈に後ろめたさを感じない人格がより高い社会的価値をもつことになる。

『百科全書』が「奢侈」を啓蒙の徳目の最大級の価値のひとつに高めようとするのは、欲望の解放・情念の解放こそが世界を人間中心の思想へ変革するための最も有効な手段であることを明確に洞察していたためである。「勤勉」や「誠実」「刻苦勉励」という徳目ではなく、「奢侈」が世俗価値の徳目の筆頭に置かれるのは、それが場合によっては個人的な悪徳へ転化される危険性を孕むものであっても、社会集団の共同体的な価値としては、個々人の悪徳をも償って余りあるほどの社会的徳目を有しているからである。また奢侈はそれだけで単独に育成されるべきものではなく、野心や虚栄心や名誉心と結合することでより強大な社会的価値を生み出す方向において解放されるべきであるとされる。

『百科全書』の時代、「文明」と「文化」の概念はまだ概念形成の緒についたばかりで、後代におけるような概念成熟を果たしていないが、『百科全書』の中心思想は、世界は禁欲的な欲望抑圧を脱し、新しい人間中心の価値を構築していくべきであるとする。そして世俗的価値とは「文明」と「文化」の価値軸で整序されるべきであるということである。

奢侈、野心、虚栄心、名誉心の結合が共同体の欲求として容認されることは、社会が最大多数の最大幸福を目標に「文明」の進歩という思考軸にそって社会を宗教価値ではなく、人間価値で再編成し、さらには、社会の進展をつねに先取りしながら社会設計を行っていくことをも意味する。このような思想は、20世紀の用語法を用いれば、「資本主義の精神」あるいは「企業精神と利益欲」というものに置き換えることができる。もちろん前者はウェーバーの用語であり、後者は存バルトの用語であるが、それはともに18世紀に存在しなかった「資本主義」という経済学の用語内に取り込まれた概念となってしまっている。だがこの奢侈の概念、さらにはそれらとの結合において近代の世俗主義の特定の価値概念を形成する、野心、虚栄心、名誉心は、経済学という特定のジャンルの枠内に押し込めてしまうことのできないものである。それらすべての個別的な概念は西欧近代の資本主義思想の構成要件となりうるものではあるが、それを経済学的な述語の枠組みだけにとどめ置くことのできない、より広い近代主義の思想との結合が考慮される必要のある概念である。

2014年10月 9日 (木)

松宮秀治「文明と文化の思想」(3)

第1章 啓蒙主義の歴史哲学

「文明」「文化」とヨーロッパの啓蒙思想が神の世界支配から離脱して、人間による世界支配の新しい価値体系を構築するために価値基準の指標を明確化した観念である。神による世界支配に代わる、人間による世界支配とは、人間が神の被造物とされていた世界観を放棄して、自らが世界の創造者になるための新しい世界観を提示していくことである。別の言い方をすれば、西欧近代が宗教的、禁欲的な世界観から離れ、人間性の解放のための理念的な指標として設定したのが「文明」「文化」という価値観念だった。

人間性の解放とは感性と情念の解放であり、欲望の解放である。キリスト教に限らず、すべての世界宗教は禁欲と情念、感性の抑制と固有のタブーを基礎としている。個別宗教における聖職階層と一般信徒の分離が制度的に定まってくると、禁欲も両者間で差異化されるが、いずれの宗教の禁欲も聖職者の苦行的禁欲の実践内容が制度化されるようになる。聖職者層の苦行的な禁欲は、本能的欲求の否定と現世否定の思想を統合し、心身の欲求を統一的に抑制することで宗教的理想を実現する手段としていくことである。霊と肉を分離させる二元論的な傾向の宗教ほど禁欲的性格が強いのは、聖職者層の禁欲が理念的一般信徒(世俗信徒)の中により多く取り込まれているからである。

背俗信徒が聖職者の禁欲実践を世俗生活のなかで実践することはできない。もしそうすればそれは世俗内禁欲ではなく、すでに世俗外禁欲の領域になっているからである。それが西欧の「宗教改革」の理念であったと考えたのがマックス・ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理の分析であった。

ウェーバーはキリスト教の禁欲をヨーガ行法や禅宗教団体的な瞑想主義、神秘主義的な禁欲とは区別して、聖職者の「世俗外禁欲」と一般信徒の「世俗内禁欲」という二つの理念型に分けた。彼によればキリスト教の行動的禁欲は、個人を神の意志を遂行する道具とし、持続的な自己統御と自己審査に基づく計画的禁欲生活の組織化ということになる。楽園追放という人間の本源的堕落の克服として実践される中世の修道的禁欲は「世俗外禁欲」とされ、現世にあって世俗的な職業(召命)によって人間の本源的堕落を制御する方向で組織されたものが「世俗内禁欲」であるとされる。

世俗外禁欲であれ世俗内禁欲であれ、本能の抑制、情念と感性の抑圧を含む禁欲からの解放こそが啓蒙の目標であった。宗教的な禁欲は情念や感性の抑圧にとどまらず、人間性そのものの抑圧であるとするのが啓蒙の根本思想である。それゆえ宗教的な禁欲から人間を解放し、人間性を奪回することが啓蒙の課題となる。人間性の奪回とは、人間を肉体的な存在者としても認めることである。

魂の神への回心、神との霊的な交感という高次の霊的法悦ではなく、より低次の五感の物質的快楽、食欲、性欲、物欲という人間の本性的な欲望をも人間性の基本的な構成要件として認めること、これが啓蒙の宗教的禁欲を否定する中核の思想である。ピーター・ゲイのヨーロッパ啓蒙主義の社会史を論ずる『自由の科学』は、この禁欲主義と宗教的神秘主義からの解放を「神経の回復」と名づけた。

啓蒙主義にとっては生の衰退からの生の欲求への回帰を「神経の回復」とすることで、それを人間生存の目標とすることこそが人間性の回復そのものであった。ということは人間は霊と肉との分離という二元論的な存在者ではなく、両者の結合と均衡を求めて努力する存在者であるということになる。宗教的禁欲の対極にあるものは当然、世俗的欲望であるが、その欲望を組織化し、体系化し、方向性を与えるのが欲望の解放、つまり奢侈である。そのため宗教的禁欲から悪徳の代表格とされていた奢侈を哲学的に再編して、啓蒙の徳目のひとつを昇格させねばならない。ディドロとダランベールの『百科全書』の「奢侈」の項目はその実例を示すものである。

そこでは、「奢侈とは、快適な生活をえるために、富や勤労を使用することである」とのべられているが、それは奢侈が単に禁欲から情念や感性や人間の本源的な欲求を解放するだけのものではなく、社会的に組織されるべきものであることを述べている。つまり奢侈とは一個人の幸福と快楽の増大という心理学的次元の問題にのみとどまるのではなく、社会的な富の形成、労働の組織化、産業の整備、知識と諸技術の発達等と係わりあう社会学的次元の問題だということである。

ここで論をさらに進めるために、少し補足しておかねばならぬことがある。それは『百科全書』の「奢侈」の項目がいう奢侈という語の用語法と啓蒙時代のこの語の一般的用語法のことである。それはこの時代の重商主義の経済学的用法と重なり合うものであるが、それは財産の蕩尽や浪費を意味するものではない。それは特定の個人、王侯とか大貴族とか特定の富豪への富や財宝の集中とその眩惑的、眩示的浪費のことではない。『百科全書』や啓蒙主義者のいう「奢侈」とは、いつの時代においても偽善的なモラリストたちや禁欲主義者の格好の批判の対象とされてきたものであるが、それは「富をえたいという欲望と、その富を享楽したいという欲望は、社会が始まって以来、人間の本性のなかにあるから、また、これらの欲望はすべてのおきな社会を支え、富まし、活気づけるものであるから、また奢侈は一つの善であり、それ自体はなんら悪を為さないものであるから、したがって哲学者や、君主のように、奢侈をそれ自体として攻撃すべきではない」ということになる。

ここまでくると啓蒙主義時代の「奢侈」の概念が一般的な用語法での浪費や蕩尽的消費とは違って、土地中心の農産業から商工業中心の産業革命資本整備の基礎的用件となることが理解される。これは視点を変えればアダム・スミスの『国富論』の産業育成論に繋がる論点をもつものであり、20世紀に至ってのマックス・ウェーバーとヴェルナー・ゾンバルトの資本主義間の起源論争にまで持ち越される論点を含んだものである。

ともあれ啓蒙主義の「奢侈」論は、宗教的禁欲主義の否定に終始するだけではなく、人間の欲望の解放を産業振興理論と結び付けるものだったのである。いうなれば奢侈とは人間の社会的進歩と国富論、人類の最大多数最大幸福という功利主義的な主張が結合する結節点に置かれた概念だったのである。別な言い方をすれば「文明」「文化」の概念は抽象的な理念ではなく、産業、通商、国家富強、国民の幸福度によって測定され、またそれを目標として進展することで国民全体の幸福が促進されるのが「文明」である。そして精神的・内面的幸福を安定させ、それを物質的幸福や人民の都会的洗練、マナーの向上、倫理的完成の方向へ進展させるのが「文化」ということになる。

2014年10月 8日 (水)

松宮秀治「文明と文化の思想」(2)

もう一度出発点に戻れば、「文明」と「文化」とは西欧近代がそのプログラムを始動させる革命的な概念であり、その概念が西欧の「近代」を成立させる諸価値を観念体系にまで育てていく役割を担ったということである。つまり、西欧の「近代」の諸価値、たとえば「科学」「技術」「芸術」「歴史」といった近代の新しい諸価値がそれぞれの観念体系を創出し、人間を神という超越者の被造物の位置から、神に代わる「世界」の新しい創造者の位置にのぼらせるもの、それが「文明」と「文化」の概念の役割であった。さらに両概念は「歴史」を神の摂理、つまり神が被造物をその救済の目標に導こうとする計画の実現過程とみる見方、あるいは仏教的な宇宙原理の進行、さらには中国の天命思想の反映とするような宿命的な人類の運命とみる見方から、人間の主体的な世界への働きかけの結果としてみる見方へ転換させ、人間こそが歴史の主体的形成者であるという考え方を確立させていったものなのであった。言い換えれば「文明」「文化」とは、人類の歴史と現状が神や超越的な存在者の意志の結果ではなく、人間自身の意志の集結物とみなされるという考え方に転換させるべく案出された概念だということである。つまり人間の歴史とそれが置かれている現状とは神や超越者の関与の産物ではなく、人間自らの進歩への意志と自己完成への意志の結果、人間自らが達成させてきた業績そのものであるとする考え方から創造された概念なのである。

その意味で「文明」はより科学的、技術的な成果へ向けられたものであり、「文化」はより精神的、内面的、芸術的な成果へ向けられたものであるとはいえ、両概念はともに人類の自己努力による「進歩」の成果を規準、尺度として案出された概念であったといえるのである。いうなれば「文明」と「文化」は西欧啓蒙主義の観念の産物なのである。

西欧の啓蒙主義とは、神という絶対的な超越者という主人に隷従させてきた人間という奴隷あるいは囚人を宗教的神学、つまり神話から解放し、自力で自己の歴史を切り拓く存在に導く思想である。神話を解体させ、世界を呪術から解放するための概念装置の役割を最も大きく担ったものこそが、「文明」と「文化」という概念であった。いうなれば啓蒙主義とは人間の思考を「脱魔術化」させる思想であったが、17、8世紀の西欧の啓蒙主義ほど徹底した脱魔術化のプログラムを提出した思想は他に存在しなかった。人類史上、さまざまの地域や時代において、「啓蒙」の試みが西欧の17、8世紀の啓蒙主義ほどの成果を得ることができなかったのは、ひとつには何よりも西欧の「文明」「文化」の概念に匹敵する概念も観念体系も作り出しえなかったためであり、ひとつには西欧の汎神論、理神論、無神論という継承的で徹底的な宗教との闘争を持続させることができず、その意志が欠落していたためである。

歴史と社会から超越者の影響力が減少され、排除されればされるほど人間は被造物性と絶対者への隷属から解放され、自律的な領域の拡大の確立を自己のものとすることができるからである。人間が自律的な領域を拡大し、確立させるということは、人間が世界の主体的形成者であると同時に、被造物として人間と同一範囲内で捉えられていた「自然」とも分離され、人間は主体的進歩者に、自然は客体的進化者にされることでもある。つまり人間は主体的な創造者となり、自然は人間領域とは別の、人間の関与の度合いによって関係性が測定される客体的な対象物に変えられるのである。

ホルクハイマーとアドルノの「神話は啓蒙へと移行し、自然はたんなる客体となる」というテーゼは真である。啓蒙の進展は一方では人間に対する宗教の支配領域を減少させ、社会領域でも神聖価値の領域の減少という宗教の「世俗化」現象を一般化させると同時に、世界認識の領域においても自然の客体化が促進され、人間による自然支配が加速、増大されることになる。いうなれば人間の自律化とは、人間による人間の合理的支配と人間による世界と歴史の合目的支配の開始であると同時に、人間による自然の恣意的な支配の開始でもある。

啓蒙主義以後、つまり西欧の「近代」以後、世界と歴史と自然は人間の認識能力の操作力に比例した客体的対象へと変貌させられる。つまり世界と歴史と自然は「文明」と「文化」の概念枠内の存在となり、すべてが人間の勢力範囲内のものとして、神や超越者が存在するすべてのものを神話的解釈の枠内にとどめてきたと同じように、「科学」という合目的的な意図のもとに再編成されることになる。いうなれば西欧の「近代」以後にあっては、「文明」と「文化」が伝統社会の神や超越者に代わる新しい神々を創造する概念装置となり、「科学」「技術」「芸術」という神聖価値の観念体系を構築する基礎となる。それゆえ、「文明」「文化」という概念は宗教的な神聖価値に代わる新しい世俗価値創出の概念装置として、近代世界に見合った新しい神聖価値、つまり「民主主義」や「科学」や「技術」「芸術」といった新しい神々を創出する観念体系をつくっていくことになる。啓蒙と神話の関係がここにおいて二律背反的なものとなる。自ら神話を排除しながら、自らも神話の製作者になるという両面性に陥らざるをえないという二律背反の抱え込みである。

 

『啓蒙の弁証法』が語るように啓蒙が宗教的神話を破壊することは、神話を完全に無化させ、まったく新しい神話なき人間社会を作り上げていくことではない。それは自らが破壊した神話を自らの体中に吞み込んでそれをマナとして自己の新しい神話創出の養分としていくことである。宗教的神話は破壊され、解体されたが、啓蒙は新しい「近代」神話という世俗神話を作り出してくる。これは宗教的神話に対する哲学的神話とも言うべきものである。

「近代」の神話は「科学」「哲学」「技術」「芸術」「民主主義」といった新しい神々を作り出し、またそれは近代の啓蒙の哲学が考え出した理性、悟性、感性という人間認識能力の三つの機能に基づくものとされ、宗教的認識の基礎である「信仰」の非合理性に対して、実践理性という合理的、合目的的な思考体系を目指すものとされる。

宗教的神話がその教義体系を絶対的な「要請」ないしは「公準」としての承認を命じる、つまりポストラート(絶対的公理)として「信仰」を要求するのに対して、哲学的な近代神話は宗教を社会領域から追放し、人間の内面と精神の領域に閉じ込めるような、近代の神々に対する命令的な強制、つまり絶対的な「信仰」の命令は行われない。それは「真・善・美」と「真理」「正義」「創造」と「自由」という近代神話の最高価値の概念が理性、悟性、感性という自律的人間の内面領域の中で、強制なき自由意志という主体的な判断にまかされているように見え、またそう考えられているからである。

だが相違はごく外見上のことに過ぎない。キリスト教の異端に対する苛酷な弾圧、異教に対する理不尽な軽蔑は、近代において消滅するか減退を余儀なくされたかのように見えるが、近代の哲学的神話も「文明」「文化」という教義の観点から見通せば、非西欧圏に対する自己の優越とそこからくる傲慢は決して理性的なものでもなく、また正義、真理や理性にかなったものでもなく、自己中心的な「要請」や「公準」から解放されたものではないのである。

また「科学」「技術」「芸術」「民主主義」という神々も必ずしも人々の良心的で公平な自由意志によって神格化され、近代的な神聖価値を与えられたものではなく、それもまた近代の神々への「信仰」がポストラート(絶対的公理)として人々を強制しているのである。「民主主義」は議会制度と三権分立と司法の独立という教義を通じて、「科学」は真理の探究と学問の自律性の要求という教義を通じて、「科学」は真理の探究と学問の自律性の要求という教義や高等教育機関・研究機関の制度化という教義を通じて、「芸術」はミュージアムの神殿化と美の自律的価値という、制度と教義を通じて、「技術」は社会進歩と人間の幸福の増大という教義を通じて、近代の神聖価値を体系化し、近代の神学を創出することで、近代神話への「信仰」を不可避なものとしていく。

2014年10月 7日 (火)

松宮秀治「文明と文化の思想」(1)

序章 人間が世界の支配者へ

「文明」「文化」という二つの概念は西欧近代がそのプログラムを始動させるため、はじめは怖々ながら、次第に明確な確信をもって提示した革命的な価値観念であった。「文明」「文化」の両概念が共に革命的であるのは、両概念が人類史上初めて伝統社会のすべての価値体系を見直し、それまで存在していなかった価値体系を創出するために案出された画期的な思想を表明する概念だったからである。

「文明」「文化」の両概念がもつ画期的な思想とは、人間が世界の支配者、主導者、管理者になるべきであるという考え方である。今日のわれわれからすればそのようなことはあまりに当然すぎて、改めて強調されること自体が不思議に思われるが、歴史的に見れば、この考えこそが他のいかなる思想よりも革命的なものであった。なぜなら西欧の「近代」社会以外に、世界が人間によって変革できるとも、また人間によって支配され主導されうるものと考えた時代も民族も存在しなかったからである。西欧近代以前において人間は神の被造物であって、主体的な意志で世界の進行に参与しうる存在ではなく、近代以前の西欧キリスト教時代にあっては人間の自由意志という概念自体が存在しなかった。

したがって「文明」「文化」が、人間の主体的関与によって世界が変革され、支配され、主導されうるという前提で成立しうる概念であるとすれば、それは人間が神に代わって人間が世界の形成主体となるということは、人間が世界の新たな創造者となることである。人間が世界の新たな創造者となるということは、人間が神を殺し、葬送し、鎮魂の儀式を行うことであり、人間が「世界史」の設計者となることで、「普遍史」としての神の世界設計を無化し、人間が主体となる「世界」を新たに設計していくことである。

この意味で「文明」「文化」とは、人間の行動すべてを神の意志とは無縁な、人間の主体的意志の産物とみなそうとする思想のプログラム設定のために案出された概念である。西欧近代以前のどの世界もまたどの時代も、神や超越者という絶対者の意志を超えるいかなる世界を想像することさえできなかった。つまり、そこでは世界の進行、人間の運命はすべて神の御心や天命といった超越者の意志のなかで決定され、予定されたものとして、人間の主体的意志とは無関係なものとされていた。

「歴史」は神の摂理、恩寵の中で予定調和的に決定された時間の進行のことであって、人間の主体的意志が関与する余地のないものであった。「歴史」が人間の主体的意志の産物とされるためには、神や超越者という絶対者の関与を排除する機能を始動させうる「文明」「文化」という概念の創出が必要であった。

「文明」は進歩の観念と結合して人間が生み出す技術的、科学的成果という方向をとりながら、人間社会の物質的豊かさを促進させる価値の総称として伝統社会の宗教的価値に代わる価値観念体系となっていく。それに対して「文化」は人間の精神的、内面的な成果とより多く結びつく方向で、人間の道徳的向上、人間性の増進、情緒的豊かさ、知的向上、教養の拡大を目指す人間的活動の成果全体を意味する概念となっていく。

だが「文明」と「文化」は辞書的な説明のように、前者は外面的な技術や科学的な成果、後者は内面的な精神的、人間的な成果と截然と区分してしまうべきではなく、むしろ両者を相互補完的で、意味の互換性をもつ概念と捉えるのがより適切である。今日の一般的な語の用法では、「文明」は進歩主義の観念とされ、「文化」は保守主義的で、歴史主義的な観念とされ、その概念区分もかなり明確になってきているように思われるが、往々にしてそう考えられているような対立概念ではなく、その歴史的な用法から身ともそれは相互補完的な概念であると同時に、つい近年までは意味が複合し、用語上でも意味の互換可能性をもつもので、明確な概念区分が困難な語であった。

18世紀にはほぼ同義語で、また相互補完的で、意味の互換性をもっていた「文明」と「文化」が、19世紀末から20世紀初頭、それまでのイギリス、フランスの「文明」の成果が圧倒的に優勢の中で、「文明」概念が「文化」概念を吞み込んで、文化価値が文明価値に圧倒されると、文明が両概念の代表概念の役割を果たしてくる。我々にとって最もわかりやすい例をあげれば、日本の近代化は「文明開化」の標語のもとに、福沢諭吉によって代表される「文明」概念が、「文化」概念を内包させ、大正教養主義の出現まで「文化」概念を育成させることがなかったことに相当する。20世紀に入ってドイツの「文化」概念の拡大にともなって、「文明」と「文化」は並立概念となりながら、両者は概念混合を加速させ、ほぼ同一概念と意味の互換可能性を強めていった。

しかし、20世紀の科学技術文明の批判拡大に伴って、「文明」がその進歩主義的な側面への信頼を失うことで、保守主義的で、歴史主義的な「文化」の内面的・精神的な側面との対立が顕在化してくるようになる。それによって両概念は概念分化がはじまるが、その概念分化は必ずしも概念対立に至るものではない。

「文明」と「文化」はそもそも対立概念なのか、それとも同一の意味が別の言葉で現わされた同義概念なのか、あるいはきわめて近似した概念であり、対立というよりは相互補完概念なのかというのが出発点にあった問題である。本書は「文明」と「文化」をあまりにも対立概念としてしまう考え方が、両概念のもつ歴史的な意義と価値を見誤せるものであるという考え方から、とりあえずノルベルト・エリアスのような「文明」と「文化」の根本的対立、さらには進んで「文明」が先進国民(民族)の自意識の表明であり、「文化」は後進国民(民族)の対抗意識つまり物質的、技術的には差をつけられているが精神や道徳価値においては優先しているという自意識の表明であるという考え方をひとまず背景に後退させることから再出発を目指すものである。

2014年10月 6日 (月)

ジャズを聴く(18)~「ブッカー・リトル・アンド・フレンド」

Booker Little and Friend    1961年夏録音

Jazlittle_frend
  Victory and Sorrow

Forward Flight

Looking Ahead

If I Should Lose You (Ralph Rainger, Leo Robin)

Calling Softly

Booker's Blues

Matilde 

 

Booker Little(tp)

Julian Priester (tl)(tracks 1-3 & 5-9)

George Coleman (ts) (tracks 1-3 & 5-9)

Don Friedman(p)

Reggie Workman (b)

Pete LaRoca(ds)

 

最初の「Victory and Sorrow」のファンファーレのような出だしは、トランペットがリードして、テナーサックスとトロンボーンがコードの音を重ねてハーモニーを奏でる、その後も各パートをアンサンブルで合奏するという、まるでクラシックの弦楽四重奏のように各楽器がハーモニーで融け合い、それぞれにパートを演奏している。これは、従来のジャズのコンボでは、ユニゾンでテーマを一斉に吹くかリードが提示して受け渡していくというやり方が、定型的だった中で、かなり新鮮に響いたのではないかと思う。リズム・セクションも、ピアノはリズムを刻み、コードを支えるというよりは、リズムに後追いで加わり装飾的な音を加えているという弾き方で、ブロックコードの弾き方も響きを考えて、余韻を引っ張るのと余韻を抑える響きを使い分けて、リズムにアクセントをつけているし、ドラムスはリズムをキープする一方で、バスをかなり装飾的に使っている。こうしてみると、リーダーのリトルだけでなく、メンバーが新鮮な響きを積極的に作り出そうとしているのが演奏に出ている。その傾向は2曲目の「Forward Flight」に進むとさらに強くなり、ここではピアノの響きがクラシックのピアノのように音色やタッチの使い分けがよくきこえてきて分散和音の響きなどはとても残響豊かに響いてクラシックのピアノ曲のような響きがする。これらは4曲目の「If I Should Lose You」を除いて、すべてがブッカー・リトルのオリジナル曲で、メロディの感じがスタンダードな曲とテイストが異質なところに大きな原因があるのではないかと思う。つまりは、リトルのリードにしたがっての新鮮な響きとなっていると思う。特徴的なのは、そのハーモニーの使い方で、マイナーコードを適当にまぶして味わいを出させようとしていて、そのマイナーのところをトランペットのリトルがたいていの場合担っているということで、普通なら輝かしい音色のトランペットでしなくてテナー・サックス辺りの役割を、トランペットのリトルがやっていることで、この辺りにリトルの指向が表われているのではないか。

一方、4曲目の「If I Should Lose You」はしっとりしたマイナー調の曲だけれど、トランペットとピアノの絡みが続く。ここでのリトルは感情をこめて情緒たっぷりに吹くのではなく、クールにメロディを正確に吹いている感じだ。逆に、それだけに抑制された哀感が漂ってくる感じがしてくるのが、リトルの特徴ではないかと思う。ピアノのクリスタルな音色も、それと拮抗している。

2014年10月 5日 (日)

ジャズを聴く(17)~ブッカー・リトル「アウト・フロント」

前回のバイオグラフィーで紹介されているように、クリフォード・ブラウンが若くして亡くなった後、そのサウンドを独自に発展させ新たな可能性を切り開こうとした。これが、大方の評価ということになっている。しかし、クリフォード・ブラウンのサウンドはどういうので、リトルがそれにどのような新しい展開をさせたのか、具体的な説明をする人はいないし、私が聴いてもよく分らない。ただ、何となくトランペットのサウンドのテイストのイメージの違いを敢えて言うとすると、灼熱の太陽のように情熱的に輝くのがブラウニー、月光のように冴え冴えと妖しく輝くのがリー・モーガンなら、満天の星空のように、あるいはそこにゆらめくオーロラのように輝くのがリトルと言えるのではないか。スパッと抜けがよくて冷たい感触なのだ。そして、彼のプレイの特徴は丁寧にじっくりとメロディを吹く誠実さにあるといっていい。彼のアドリブは装飾的なオカズはほとんど使わずに、いかにメロディを紡ぐかで勝負している、変に音を歪ませたりすることもない、逆に高音などはスッと抜けるようにキレイに出るので、磨かれたトーンのように聴こえる。そして、ときおり差し挟まれるマイナーのフレーズが独特の哀感を聴く者に感じさせる。旋律的な魅力を感じさせるものになっている。そのため、彼の録音は、一度聴いて強烈な印象を与えるというよりも、何度も繰り返し聴かれて親しまれるタイプのものになっている。ただし、彼のメロディは多少クラシックの現代音楽の不協和音っぽい、変わったメロディではあるので、好みは分かれるかもしれない。そこで、拒絶反応をするかどうかで、彼のプレイを好きになっていくかの分岐点になると思う。

 

Out Front  1955年11月25日録音

Jazlittle_out
  We Speak

Strength and Sanity

Quiet, Please

Moods in Free Time

Man of Words

Hazy Hues

A New Day

 

Booker little (tp) Eric Dolphy (as,b-cl,fl) Julian Priester (tb)

Don Friedman (p) Art Davis (bonlyA-1,A-3,B-4)

Ron Carter (bonlyA-2,B-1,B-2,B-3) Max Roach (ds,tympani,vib)

 

ブッカー・リトルのリーダー作品4枚のうちの1枚。すべての曲がリトルのオリジナル曲ということだが、これらの曲がもともとそうなのか、彼らの演奏がそのように聞こえてしまうものなのか、不協和音のようなハーモニーで、クラシックの20世紀音楽でいう無調のように聞こえてしまう「変」と感じてしまうメロディがあちこちに出てくる。「不安定の美学」と称した人もいるそうだけれど、リズムが変拍子っぽく変化が激しい不安定に聞こえるのもあわせて、暗く、そして、少し重苦しいムードが漂っている。ただし、これは結果として、そう聞く人がいるということであって、ここに収められた演奏は、新しい音楽を追求した若い才能たちが真面目に取り組んだ、悲壮感の漂う真剣そのもののピリピリした緊張感の高い演奏の真空パックされたものとなっている。アルバム・タイトル『Out Front』(先頭をきって)に込められたリトルの気負いや使命感が、いい意味でも悪い意味でも、ストレートに出ていると思う。

1曲目の「We Speak」の最初に3管により呈示されるテーマがアルバム全体を通しての基調となって、アルバム全体が変奏曲のように構成されている。クラシックでいう、ライト・モチーフとか循環主題とか言われるものだ。それゆえなのか、このテーマが、最初からそういう意図でつくられたからなのか、結果としてそうなったのか、ということは分らないが、クラシックのシンフォニーの主題のような作品の構成上の操作しやすいように作られている、どちらかという自然に湧き上がってきたというよりは、アタマで理論的に考えられたようなものに聞こえる。これは、共演しているエリック・ドルフィーの志向の一面とも共通していると思われるため、このアルバムでは目立っているのかもしれない。テーマのあとリトルのアドリブとなるが、それはメロディとして聞こえる。それは、リトルのフレージングと深い音色によるものだろうか、このアドリブを聴くだけでも彼の音楽性が表われていると思われる。その後のエリック・ドルフィーのアドリブのギミックにちかいオクターブ高い音で素っ頓狂な始まり方をして鋭角的に斬り込むようなプレイでテーマに生命を与えている。ティンパニを加えたドラム・ソロがはいり、ドラムが目立つプレイを意識的にしているようで、これは、アルバム全体のテンポの変化が少ないため、ドラムが折々のアクセントとなって演奏に推進力を加味している。2曲目の「Strength and Sanity」はテンポを落としたスローなナンバーで、3管のハーモニーと緊密なアンサンブルで、まるでクラシックの室内楽のようなガッシリと組まれた演奏。その代わりにジャズ的な伸びやかさは感じられず、1曲目の重苦しさはつのる。一方、3管の音色が融け合いコード変化がメロディっぽく聞こえるという新鮮な響きを生み出している。これに続く、トランペットのソロはサックスやトロンボーンと絡み合うもので、即興性よりもアンサンブルの緻密さが優先されている。この曲の演奏からは、そのような高い構築性が印象的である反面、それゆえの息苦しさもある。そういう意味で、ストレスを感じさせるほど緊張感の高い演奏となっている。3曲目の「Quiet, Please」は演奏時間が8分を超す大作で、テンポが上がり前の曲でほとんど聞こえなかったリズム・セクションが聞こえてくることで、軽いカタルシスが感じさせつつ、演奏が走り出す。このアルバムのメインとなるものと思われるが、リトルとドルフィーのソロにも力が入っている。かつてのレコードであれば、ここで片面が終わり、レコード盤をひっくり返して裏面をかけなおすわけだが、その4曲目の「Moods in Free Time」では途中からドラムスが叩かれなくなり、リズムが消えてしまい、管楽器による和音をバックにドルフィーのサックスがソロをとる。リズムがない中で、和音の靄の中での鋭角的なドルフィーのソロは、独り言の呟きのように錯覚さられ、その鋭い斬り込みはまるで自分に切りかかるような内省的な印象が強い。そして、5曲面の「Man of Words」では、ここまでの傾向の頂点に達し、最初からリズムが消えて、リトルのトランペットソロは、これまでの曲で何回も変奏されたテーマを吹く。個々に至り深刻さは極まり、リトルの演奏は絶唱にように痛切に響き、聴きようによっては宗教性を帯びてくる。ジャズでこのようなことを言うのは見当違いと言われる節もあろう。しかし、このアルバムを通して、リトルをはじめとしたメンバーの真摯さ、そこまで行っている、と私はおもう。だから、このアルバムをしょっちゅう聞くことは、なかなか難しい。それだけに、聴いた後の感動とか充実感は比類のないもの。その反面、聴くには覚悟が必要、正座して聴くというようなところがある。遊びの面がほとんどなく、楽しむという要素が希薄なため、結果的に聴く人を選ぶものとなっている。

2014年10月 4日 (土)

ジャズを聴く(16)~「ブッカー・リトル」

クリフォード・ブラウン亡きあとオリジナルなサウンドを携えて登場した最初のトランペット奏者、ブッカー・リトルは、早すぎる死ではあったが、多くの潜在的な可能性を持っていた。12歳でトランペットを始め、シカゴ音楽院に在学中にジョニー・グリフィンやMJTと共演した。ニューヨークでは、1958~59年にマックス・ローチとそれ以降はフリーランスでプレイした。ローチ、アビィメリンカーンとレコーディングしている。その中には、ジョン・コルトレーンのアフリカ、ブラスアルバムや1961年7月のファイブ・スポットでのエリック・ドルフィーとの実況録音もある。彼の忘れがたいメランコリックなサウンドと即興での飛躍はアバンギャルドの方に向いていたが、ハード・バップから離れてしまうことはなかった。4枚のリーダー・セッションを残し、23歳で尿毒症と亡くなった。これは悲劇的な損失だった。

 

Booker Little  1960年4月13,15日録音

Jazlittle_little
  Opening Statement

Minor Sweet

Bee Teel's Minor Plea

Life's A Little Blue

The Grand Valse

Who Can I Turn To

 

Booker little (tp)

Tommy Flanagan (p) Wynton Kelly (pA-2,A-3)

Scott La Faro (b)

Roy Haynes (ds)

 

ピアノ・トリオにブッカー・リトルのトランペットがソロ楽器として加わったワン・ホーンの編成である。この録音の紹介では、枕詞のようにトランペットによるワン・ホーンのアルバムは退屈になり勝ちだが…と、で、この録音はその例外という書かれ方が為されるケースが結構多い。たしかに、それはそうでトランペットひとつで、聴き手を飽きさせないというのは、リトルの実力の表れだろう。

1曲目の「Opening Statement」最初から、リトルのトランペットがテーマを吹いて入ってくる。ここに彼の大きな特徴が出ているのだが、このときの彼のトランペットは抑揚があまりなく、どちらかという“プワァァ~”と一本調子で吹いているのだ。そこに微妙なニュアンスを込めたり、ビブラートをかけたりといった小細工を弄することなく単純素朴に吹いている。その不用意といっていいほどあからさまなフレーズに驚いてしまう。聴く人によっては単調に聞こえ、ここで好みが分かれるのではないかと思う。リトルの好きな人は、これだからこそリトルのトランペットの音色を堪能できると言うだろう。あるいは語りかけてくるような感じという人もいる。そして、リトルの吹く冒頭のフレーズなのだが、一本調子のぶっきら棒に吹かれるのが、メロディの中にマイナーコードに転調するところがあって、それがスパイスとなって哀愁が漂う印象を起こさせるところがある。しかし、かといって情感たっぷりというわけではないので、一歩調子さによって嫋々としたムードに堕さない一種の品格を保っているようにも捉えられる。ただし、これは、リトルのつくり出すフレーズが、その後の展開を考えているからではないか、と思える。それほど、フレーズを提示した後のアドリブのパートが即興的という感じではなく、まるでクラシック音楽の変奏曲とかソナタ形式の展開を思わせるような構築的に展開されているからである。ビ・バップ以降のジャズは楽器というツールを操るメカニカルなテクニックが大いに伸び、それが演奏にフィードバックしてきたようなところがあって、人声の情緒性よりも、音という抽象的なものの運動性が前面に出てきたところがある。リトルのつくり出すフレーズは、あくまでもその運動性がベースになっており、哀愁とかいうのはその上での味付けのようなものではないか。むしろ、その後のクラシック音楽をおもわせるような展開が、リトルの真骨頂ではないかと思う。そして、この録音でのリトルの充実は、哀愁という味付けと構築的な展開という、本来なら相矛盾するようなものを違和感なく同居させているところにあると思う。それは、ひとえにリトルのつくり出すフレーズの魅力に負っていると思う。

2曲目「Minor Sweet」もリトルのソロで始まる。マイナー・コードを交えたフレーズは、リトルの特徴を十分に発揮させ、その後の展開への期待が否が応にも高まってくる。そこでのリトルは、フレーズを二つに分解し、あたかもクラシック音楽のソナタ形式の第一主題と第二主題を対立的に扱うかのように、二つの方向にアドリブを展開させ、その絡み合いで緊張感を高めていく、しかし、そのような息詰まる展開の中で哀愁のフレーズが、その雰囲気を保たせたまま聞かせるのは、スコット・ラファロのベースに拠る所が大きい。ベースはリズムを低音を支えリズムをキープすることから跳躍して、リトルのトランペットに対して、対旋律をプレイし始め、いつしか対位法的なアンサンブルの様相を呈してくる。それによって劇的に高められた緊張が、開かれたように外に向かって発散するのだ。そこで、還ってくるトランペットのフレーズは伸びやかなものとなっている。この短い曲はクラシック音楽の交響曲に匹敵するずっしりとした手応えを感じさせる。

5曲目「The Grand Valse」はメジャーの調子なのだけれど、ここまで4曲がマイナー調で哀愁の連続だったためか、同じような吹き方で吹かれると、何故か哀愁を感じてしまう。メジャーでただよう哀しみといえば、モーツァルトの疾走する哀しみということになるではないか(ちょっとばかり飛躍しすぎ?)。全体に、このアルバムはミディアムテンポで、リトルの吹くトランペットのむき出しのメロディの印象が前面に出ているが、この曲は比較的(このアルバムの中では)アップテンポ気味で、ピアノを含めたリズム・セクションがビートを刻むなかで、リトルが短いフレーズを重ねるようにアドリブをしていく、しかし、エリック・ドルフィーのバンドに参加したライブ・アルバムでのプレイのような即興にかけるというようなピリビリとした緊張感はなくて、この人の即興というのはいくつかのパレットを持っていて、その中から場に応じて取り出してくるタイプのようで、その時々で何ができるかというスリルよりも、全体してどのようなものになるかという構築性のようなところで演奏を組み立てているような感じがする。それだから、黒人っぽい臭いのようなものが、あまり感じられなくて、クラシック音楽っぽいテイストが感じられるものになっていると思う。ただし、あくまでもジャズという枠内でのことだ。逆に言えば、これだけメロディがフィーチャーされているようでいて、BGMにならないのは、ジャズであるという枠をキッチリと守っているからだと思う。その分、リトルという人は、聴いていて重いところがある。

2014年10月 3日 (金)

ヴァロットン展─冷たい炎の画家(7)

7.神話と戦争

Vallootnorfeリアルな質感の、幾分、対象への感情移入すら感じられる作品群に次いで、展示されていたのは、まさに正反対ともいえるパロディに近い、思いっきり対象を突き放したような作品群でした。ヴァロットンという人は、バランス感覚というのか、ある種シニカルな屈折を常に抱え込んでいたのは、このあたりの中途半端な距離感の取り方に原因があるように思えてきました。そもそも、シニカルな斜に構えた姿勢と言うのは、自分の立場を全面否定するようなものではありえないのです。対象を真実信じることができないのであれば、そもそも画家等にならなくてもいいはずです。そういうことに直面しなくても済む仕事なら、いくらでもあるはずです。しかし、ヴァロットンは画家という拘らなくてはならないものを職とした。それなら、それで思い切って、開き直ってしまえばいいものを、それもできなかった。つまり、画家にしがみつきながらも、そのことに対して懐疑し続けた人ではなかったかと思います。それは中途半端のどっちつかずです。そういうところは、彼の制作する作品にも、よく言えばバランス感覚、悪く言えば、中途半端なところでうろうろして、へんに屈折した細工を施して、さも何かありそうなものになっている。しかし、バカの一念のように愚直に一つのことを追求して突出して最終的にひとつの潮流を作り出すような迫力がない。多分、ヴァロットン自身も、そういう煮え切らない自分に気付いていたのではないか、と思います。

Chavannesrest「引き裂かれるオルフェウス」と言う作品。ギリシャ神話のオルフェウスがエウリデーチェを追って冥界へ赴き、そこから戻った後、秘儀を伝えなかったため女性たちに八つ裂きされてしまうという場面を描いたものです。殺戮の生々しさはなく、背景の風景等は牧歌的ですらあります。全体的な淡い基調の色彩や動きの少ない静止したポーズのような人物で、表情が見えないところなどは、今年はじめに見た、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの冷たい(退屈な)壁画によく似た印象を受けました。まるで、「アフリカの女性」のようなストレートな作品を描いてしまったことを恥じるかのように、クールな作品を仕上げでみせ、それだけでは単なる退屈なだけだから、題材にひねりを入れたものを採り上げて奇を衒ったというように見えます。こういう作品を見ていると、技量的には若いころから、ほぼ出来上がっている人なので、進歩とか成長とか、成熟というような愚直な一本道を突き進む人でもなかったので、堂々巡りのように同じところを行ったり来たりして、時折、そのプロセスの中で時代の流れとうまくシンクロして効果の上がるような作品を提供した、という人だったのではないかと思います。だからこそ、死後急速に忘れられていったのも納得できます。

 

2014年10月 2日 (木)

ヴァロットン展─冷たい炎の画家(6)

6.マティエールの豊かさ

Vallootnafrica展示フロアが変わって、この美術館は古い建物を無理に美術館に改造したものであるために、展示室が小さくて空間が不十分であるために窮屈な場合が多いのと、展示室の間を歩かされ、その間セキュリティのためか何度も自動ドアを開けるという甚だ不興なところがあるのですが、このときは、それが却って歩かされている間に、場面が劇的に変わるという体験をさせてもらいました。禍転じて…ということにしておきましょう。展示室の自動ドアを通って出くわしたのが「アフリカの女性」という作品です。まずは、描かれた女性の圧倒的な存在感と見るものに迫ってくるような生き生きとした生命感に圧倒されました。これまで見てきたシニカルな画風とは共通点が見出せないほどでした。同じ画家の描いたものなのだろうか、と疑問に思ったほどです。

でも、最初に見た「20歳の自画像」が、この作品に通じるものではなかったか、と思い出されてくるのです。この自画像から実に30年以上経って、ヴァロットンはヌード画像で、このような生々しい迫力ある作品を制作したわけです。この作品をみて、ヴァロットンという人が深い懐疑にとらわれていながら、絵筆を棄てることなく、執拗に作品を描いていた理由が分かるような気がしました。ヴァロットンが、このような作品を描きたかったというのではありません。それはおそらく、真実を真摯に求めているがゆえに、ちょっとした疑いも放置しておくことができなかったということではないでしょうか。その疑いを追及していくうちに、泥濘にはまるように懐疑にとらわれてしまった。彼の描く作品を見ていても、仕上げに手を抜くということがなく、生真面目な性格であることが分かりますが、それが禍いして中途半端なところで追及をうやむやにして誤魔化してしまうということができなかったのかもしれません。決して、緻密に描きこんだり、滑らかな仕上げを施しているわけではありませんが、この女性の黒い肌に輝き、頭に巻いた布と腰に巻いた布の質感違い、その間の肌に柔らかくて滑らかな感じ、肉体のどっしりとしたような豊かな量感。そして、何よりもその表情の描き方にヴァロットンの思い入れが感じられるほどです。

Vallootnetude小品ですが「臀部の習作」という作品は、タイトルの通り習作なのでしょう。臀部のかたち、前に見たヌード作品のような形態が整えられているものでなく、右側に体重がかけられて歪んだかたちになっていますが、それにともなって多少筋肉がタブつくように垂れ下がる動きが荒い筆致のなかで精緻に表現されています。まるで、画家の目の前に立っているモデルの尻を愚直に描いただけとも見えなくはないのに、今まで見てきたヴァロットンの作品には見られない存在感と迫力の主張がありました。

「赤い服を着たルーマニア女性」という作品。おそらく「アフリカの女性」はモデルを前にして即興的に手早く描かれたのであろうと想像できるのに対して、こちらは後で仕上げの手を入れているのだろうと想像できます。仕上げの処理が為されていることにより、表面が磨かれたように滑らかになり、肌の感触のゴツゴツした感じが薄くなってしまっていますが、それを補って余りあるのが、描かれた女性のストレートな表情です。これまで見てきたヴァロットンの人物画の仮面のような表情に比べて、なんとストレート、というよりもあからさまです。

Vallootnromヴァロットンという人は、おそらく生真面目であるとともに、幾分シャイな性格で屈折したところもあるような、決して感情を面に表わすような人ではなかったのではないか、これらの作品を見ていて、そう思いました。それは、ヴァロットンが活躍した時代は、印象派に始まる変革期のような時代であらたな運動が次々と起こり、一方で写真の発明によって、従来の手法の絵画を若い画家が素直に描くというのは難しかったかもしれません。画家といえども生活をかけた商売です。絵が売れることがまず必要です。そのためには時代の流行や人々の嗜好に沿ったことをしなければなりません。それと、ヴァロットンの持ってしまったシニカルな性格です。それらが相俟って、これまで見てきたようなスタイルを作り上げたのでしょう。しかし、ヴァロットンは、それだけでなく、そのスタイルの陰で違った方向性のスタイルも彼自身の作り出したものとして持っていたということでしょう。ヴァロットンという画家の多面性、しかもそれらの面が別々の方向を向いているのではいなく、相互に関連しあいながら、補い合うように彼の画業の展開を推し進めてきたといえるのかもしれません。

2014年10月 1日 (水)

ヴァロットン展─冷たい炎の画家(5)

5.冷たいエロティシズム

Vallootnnude2ここでは、ヴァロットンの描いた裸婦像を集めての展示です。ここでの裸婦像は、かつてのように神話や物語に借りた理想の美をあらわすものというものや、アングルらのオリエンタル趣味の舞台でヨーロッパの人間とは違うものとしてヌード画像を表わす、というものではありません。そのものずばりのストレートなヌード画像です。しかも、ヴァロットンのヌードは、室内で(ということは娼家)、描かれている女性は娼婦です。そのポーズはかなり扇情的に身をくねらせて、挑発的ですらあります。現代の男性雑誌のヌード・グラビアによく似ています。しかし、それが官能的とか、肉感的とか、そういう印象を見るものに抱かせるということはないと思います。いわゆるワイセツという感じははしません。もっとも、ワイセツかどうかというのは、かなり主観的な基準になるので、私だから感じなかったということもあるかもしれません。しかし、そういう場合には性的なリアリティーらしさ、生々しさのようなものがあってしかるべきですが、ヴァロットンの場合には、そういう要素がほとんど感じられません。ヴァロットンの場合は、女性ヌードを描いても、それが生身の女性というよりもマネキン人形のように見えてしまうのです。では、ヴァロットンは形態とか陰影とか色彩とかそういう要素にむしろ興味があって、そのためにヌードを描いたのか、というと、それもないようです。というのも、そういう場合であれば、不自然なほどに身体をくねらせた扇情的なポーズをとらせたり、形態を歪ませたりはしないはずです。また、ヌードの身体の肌の描き方が妙にツルツルな滑らかさで人の柔らかさからはほど遠いものにはしないはずです。

Vallootnmane「オウムと女性」という作品です。マネの「オダリスク」とよく似た作品です。もっとも、このような作品の女性のポーズはティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」以来のヌード画像の代表的なポーズです。これをマネは堂々と娼婦を、そのポーズで描くことで、発表当時にはスキャンダルになったといいます。それが、ヴァロットンの制作した1900年代初頭には、もう衝撃は薄れていたのでしょうか。「オランピア」で描かれているのは少女といってもいい女性であるのに対して、ヴァロットンの描いているのは成熟した女性です。しかし、どちらに肉体の生々しさを感じるかというとマネの方です。ヴァロットンの場合は身体には陰影が描き加えられているので、身体の凹凸は分かりますが、輪郭線がはっきりしていて書割のような感じで、しかも女性の身体の外側の輪郭のカーヴがベッドのシーツの皴と同じ形になっていて、いわば、女性の身体の線がシーツに波紋のように広がっているかのようです。このように様式化されてしまっています。まるで、これでワイセツに感じるなら感じてみろ、と挑発しているかのようです。

Vallootnnude「赤い絨毯に横たわる裸婦」という作品です。アングルの「グランド・ダリスク」を裏返しにしたようなポーズの女性です。窮屈なほどに腰をくねらせて、尻をこちらにむけさせて強調しているのは、アングルのポーズを真似たものではないかと思います。ヴァロットンの作品では、背景もなくただヌードの身体が画面中央にあるだけ、という構成としては抽象化されたものですが、その焦点の集まるヌードについては筆跡は粗く、塗りにはムラがあるように見えます。そして女性の顔はまるでデッサン学習のための角張った石膏の顔を写しているような柔らかさのない、それゆえ表情が見えないものとなっています。それだけに、生身の身体という感じがしないでいます。

Vallootnang2このようなヌード画像をヴァロットンは少なくない数を描いたようですが、そういう注文が多かったということなのでしょうか。何ゆえに、このようなものを多く描いたのでしょうか。ひとつ考えられるのは、他者、つまり作品を見るものをヴァロットンがあらためて認識したということなのではないか、と私は想像しています。というのも、ヴァロットンの作品には、目の前にあるものが、はたして真実存在しているのだろうかという懐疑が底流にあるのではないか、という印象を最初に述べました。それは、その後のヴァロットンの画業の展開に従って、その懐疑も展開するというストーリーを進めことができました。とはいっても、今まで述べてきたヴァロットンの懐疑というのは、あくまでも作品を制作しているヴァロットンが描く対象であるものにたいして感じていたことで、その枠を出るものではありませんでした。しかし、ヴァロットンが感じているのであれば、他にも同じように感じている人もいるはずです。それは、ヴァロットンも気づいていましたが、そう人が自分以外に存在するということを前提にして作品を制作するまでには至っていなかった、と言えます。あくまでもヴァロットンの認識の中でのことだったわけです。しかし、ここにきて、他者の存在、端的に言えば、ヴァロットンの作品を見る人が、ヴァロットンと似たような懐疑を抱いていたとすれば、彼の作品をストレートに鑑賞するなどということが果たしてできるのでしょうか。それに気づいた時に、ヴァロットンは、ヌードという意識下のレベルでストレートに反応しやすい題材をとりあげて、そこでリアルとのズレを意図的に生じさせる効果を生むような作品を提供したと考えられないでしょうか。その際に、過去の名作をパクるという一種のパロディという仕掛けを施すことによって、ズラしという仕掛けの跡をあからさまにして見せてしまう。そのことで、あえて言えば、作品を通してヴァロットンは懐疑の共有、とまではいかないまでも、ある種の共感を求める、ということを試みたのではないか。そこに、改めて他者としての作品を見る者の発見が、これらのヌード作品にはあったではないか、と私は独断と偏見で想像しています。

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