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2014年10月26日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(19)

西欧近代と近代の諸価値の中心にあるのは「進歩」という観念である。この「進歩」の観念が西欧社会を変革させ、その社会変革の思想が西欧における「人間精神の進歩」を歴史的に実践させてきた。それが端的に表われたのが「自然権」というものである。カッシーラの『国家の神話』によれば、「自然権」という思想はローマのストア哲学に由来する観念が、キリスト教の「原罪」という人間の社会的結合の障壁となる観念と神学的な神秘主義的思考で人間の社会的組織化という観念に変容させられたものであるという。それによって「自然権」という観念は、人類の普遍的な価値の指標とされたが、西欧近代の政治思想家たちはこの観念が、人間をして「原罪」からの自力脱出を助けるものではなく、むしろ神的救済以外の方法では、つまり最後の審判以外では救出し得ない被造物集団にとどめおく理論になってしまうことに気付いたのであった。

「自然権」を人間に与えられた天与の権利としてその権利の存在に満足することは、その価値を人類の普遍的な価値として、神や超越的な絶対者の支配に安住し、人間が自己の力で自己の運命や歴史を開拓するという努力を放棄していることを意味する。いうなればストア哲学やキリスト教神学の自然権の授与者としての人間は自由や平等を神話的な観念、呪術的な観念として捉え、人間を単なる動物的な生存者として神や超絵的な絶対者の前に対等で平等に投げ出されている存在者として相互了解しているだけのことにとどまる。ホッブスやロックはこの「自然権」を人間の主体的な進歩の意志にとっての負の価値物、つまり人間を自然状態への隷属にとどめ置くものとして、人間相互の「契約」を通じて「自然法」という個別的な価値につくり換えることで、神的価値に隷属する人間の意志を主体的で自律的な価値に換えていこうとした。言い換えれば自然権を自然法に転換させるということは、神的、超越的な普遍価値を個別的で地域的な社会集団の価値に細分化させることであった。さらに具体的に言えば、普遍的な人類に統括されていた人間存在を地域的な主権国家、つまり領主制国家、君主制国家、さらには国民国家、民族国家という個別的な人間の社会集団に独立させていく過程だったのである。

ホッブスとロックによってもたらされた西欧近代の進歩の観念の最大の成果は、ネイション・ステイトと市民的権利の結合である。なぜネイション・ステイトの発明が進歩の観念と結び付くのかといえば、人々が自然権のなかにとどめ置かれている状態は、万人の万人に対する闘いという、私権と私権の対立を合理的に処理、解決する段階に達していない人間精神の「未開」状態を意味するからである。ホッブスの場合はこの私権と私権の対立を処理する機関としてのコモンウェルスという立法・行政・司法の合体した「リヴァイアサン」という強力な「文明装置」が考案される。しかし、ロックの場合は、より文明化された輿論の法という、公共圏あるいは社会の良識を代表する観念装置になっていく。この輿論の法という観念装置は、私権と私権の対立をより高位の公共の利益という観念で軟化させ、国家という暴力的な権力装置の権力の恣意的行使を制限し、国家構成員の広範な意見を吸い上げる役割を果たすものである。ロックにおける意見とは、単なる人々の思いつきとはその場限り意見をいうものではなく、同一社会集団の共通の思考と行動の様式を指すもので、そこには社会の叡智と良識が集約されたという意が込められたもので、公共意見、公共利益、公共関心の語法に発展していくものである。

ここでさらに一歩進めて「社会」「公共圏」の発見がなぜ「進歩」や「文明」とむすびつくのかをも考えてみたい。社会とか公共圏とは単なる人間の物理的集合、つまり自然権の状態ではなく、またキリスト教的中世の「教区民」という超越的な権力と権威によって個々人の意志とは無関係に、神聖権力の恣意的な命令で形成される地域的区割りに帰属を強制された人間集団ではなく、人間相互の合意によって形成される意志的な結合集団である。公共社会を意味するpublicの原義は、共通の言語によって組織される公衆を意味するものであった。中世の僧侶階級や学者、知識人の用語であるラテン語は、地域と身分を越えた読書人団体の言語であり、一般大衆の俗語とは別の人間集団の形成原理をもっていた。この「俗語」は地域的、方言的な範囲を次第に国民国家の共通語的な方向で組織され、いわゆる国民的な母語として組織されてくる。言い換えればそれぞれの国の「国語(俗語)」は、ラテン語の普遍性、つまり社会圏、公共圏という地域的、個別的意志形成を阻んで、あらゆる価値をキリスト教的に一元化する普遍主義を地域的な個別化の要求のもとで解体、再組織する最大の武器となった。

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