無料ブログはココログ

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(5) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(7) »

2014年10月12日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(6)

「文明」「文化」の概念の成立と啓蒙主義の歴史思想とのかかわり、人類史の宗教史観的な「普遍史」から歴史哲学的な「世界史」への転換の意味を改めて考え直してみるためには、この「歴史主義の成立」という問題に暫く関わっていくことが必要である。なぜならこの問題は、フリードリッヒ・マイネッケの『歴史主義の成立』によって、その問題が啓蒙主義とロマン主義の個性主義の対立という図式に還元されてしまうことで、より大きな次元での伝統社会の歴史決定論から近代社会の歴史創造論への移行という人類思想史上の革命が西欧近代の合理主義対非合理主義の葛藤という文脈に移し変えられる結果を招いてしまったからである。

マイネッケは歴史主義の出発点を「人間本性の恒久的同一性を信ずる頑強な自然法的思考」を軟化させ、流動化させることにあったとする。つまり彼は「理性」の普遍性を前提に出発する西欧近代の合理主義哲学、つまり啓蒙主義哲学の思考に対する感性の非合理主義を基盤とする反合理主義、反理性主義、つまりロマン主義的な反自然法的思考の出現のなかに「歴史主義の成立」を見い出していくのである。このような歴史主義こそが彼にとっては思考の革命を意味するが、その思考革命の前に立ち塞がっているものこそ「啓蒙主義」の普遍であるという。

マイネッケによれば歴史主義の成立の契機を与えたのも啓蒙主義哲学であったが、その成熟を最も強く妨害したのも啓蒙主義だというのである。そして歴史主義的思考を最も強く体現していったのはドイツ・ロマン主義の非合理主義的思考への欲求ということになる。

結論を先取りして言えば、西欧近代の「歴史」の観念がつくりあげたもので最も革命的な意義をもつものは「世界史」と「国民国家史」という観念を確立したことである。マイネッケ流の歴史思考にとどまれば、最終的には人間を「人類」という観念的集合としてとらえ、またそれを普遍的な理性的共同体として考察するのが啓蒙主義の歴史哲学であり、それを個別的な考察に置き換えていくものがロマン主義の歴史主義ということになる。啓蒙主義の歴史哲学が最終的に目指すものは、普遍的な理性の共同体である人類の理念の合目的的な達成を目指す「世界史」の意味の解明であるであるのに対して、ロマン主義の目指す歴史とは感情という個別的な動因によって固体化される個人や地域集団や民族集団の個性化の過程、つまり「国民国家史」的な世界史の分別ということになる。だがそれも近代の「歴史」の観念が究極的にはし人類の「文明」史的展開と民族の「文化」史的な展開軸という措定によって成り立っているものである限り、啓蒙主義の歴史哲学とロマン主義の歴史主義が、相互対立関係にあるものではなく、相互補完関係のなかで、近代の「歴史」観念の形成に与してきたものと見るべきだろう。

 

「世界史」という概念は、人類の歴史を再構築するために神の意志の実現過程と見る「普遍史」を、啓蒙主義が人類という理性共同体の自己理念の実現への過程の中に再編成的に整備し直した概念である。それはヴォルテールの歴史的発展を諸民族、諸宗教集団のそれに分割し、それら諸民族、諸集団の習俗や生活様式、思考様式の民間主体としながらも、全体としては人類の理性の普遍性の枠組みの中で考える歴史思考の産物であると捉えうるものであるとした考え方である。カントやヘーゲルの歴史哲学は諸民族や諸宗教集団の習俗や生活の型の形成過程にほとんど無関心で、一方は理性が設定する人類の世界市民的理念の実現過程ととらえ、一方にあっては自由の理念の実現過程と見ることで、関心はもっぱら理性の展開、精神の発展という思想史の領域に限定されるものであれ、問題意識はつねに人類の発展の全体という「世界史」の観念のもとになされる歴史思考である。

それに対し歴史主義の歴史思考は、「世界史」という人類全体の発展から個別的なもの、特殊なものの独自性の追求に関心を集中させていく。その限りでは、歴史哲学と歴史主義は認識の方向性を異にするが、それは対立的離反の方向を明確化していくというよりは、相互補完的に協同しあい、人間存在の歴史性を確認することで共通の目標を追求していくものである。その人間存在の歴史性の確認作業を主導していく歴史観念の中心にあるものが「文明」と「文化」という概念である。この概念装置が存在してはじめて、「普遍史」が「世界史」に転換しうる契機が与えられる。

マイネッケでさえもが認めざるをえないように、歴史主義の出発点は啓蒙主義のなかに求められるべきである。それは啓蒙主義がキリスト教普遍史から世俗主義の世界史への転換を可能にするさまざまな概念装置を創出し、人間を神の被造物とするキリスト教の諸観念体系を破壊し、世界を世界史と人間の主体的な創造物とする観念体系の形成を始動させたためである。この啓蒙主義の世界と世界史という新しい理神論の展開の中で整備されてきたものということができる。理神論はその出発点にあっては神の存在を合理的に証明していくという護教論の展開過程から生まれながら、その帰結においては神の存在を否定する無神論にさえ転換しうるほどの神の世界と世界史に対する関与を制限して行き、ついには宇宙創造だけを神の領域に残し、他はすべて人的、普遍的理性の実現過程の産物としてしまう理論に転換されていったからである。

啓蒙主義の「世界史」は一方的にキリスト教神学の「普遍史」への対抗思想として、それては別個の論争的思考として生み出されてきたものいうよりは、むしろ大きな時代全体の理神論的な雰囲気のなかで、相互に協同し、協調していくことで生み出されてきたものといえる。

啓蒙主義の「世界史」の概念と「文明」「文化」の概念がどのような統合過程を経て近代の新しい価値に成長していったのか考えていくに先立って、我々が時間的には相前後し、理想的にも反措定として生み出されたと考える歴史上の諸概念や諸価値の成立プロセスをもう少し時系列に則して見ておきたい。

「文明」「文化」という概念は人間を神の被造物と見るか、あるいはその被造物性を逃れた主体的な「世界」の形成者と見るかによってその概念化が抑制されるか促進されるかの差と連動しているということができそうである。カントのようにキリスト教をも「単なる理性の限界内での宗教」と見る理神論者にとっては、「文明」も「文化」もともに人間の歴史的使命の達成過程の段階的な成果を表わす概念として積極的に取り入れていくことのできる概念となるであろうし、一方ジョンソン博士のように敬虔なクリスチャンで、時代の理神論的な傾向に不同意で。しかもつねにシニカルに人間の思いあがり冷水を浴びせつづける性格の人物にとっては、「文明」だけではなく、「文化」という概念も無条件には受け入れることのできない概念であったろう。

ここから見えてくることは、「文明」「文化」の概念が先進国民の自負と後進国民の対抗意識から概念形成されてきたものではなく、とはいってもその要素を全面的に否定することはできないが、人間の自己の形成の歴史的発展を神の摂理と神意の中に見い出すのではなく、自己の主体的な関与の場とみなし、その業績を分類学的な思考のもとに整序していく中で生み出していったものであるということである。つまり「文明」「文化」という概念は西欧近代の歴史思想が歴史を人類史という観念で再構成し、人間活動の全体を個々の活動領域に範疇化していくプロセスの中で次第に概念形成をはたしてきたものであるということである。

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(5) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(7) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松宮秀治「文明と文化の思想」(6):

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(5) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(7) »