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2014年10月21日 (火)

松宮秀治「文明と文化の思想」(14)

ナショナリズムによる近代国家は無名戦士の墓というモニュメントによって前近代の宗教共同体と神授王権の君主制国家の「死と不死」の観念を再神話化することができた。しかし、近代国家は前近代の超越的権威が神話化しえなかった「生の栄光」を神話化しえたことで独自の歴史的価値を創出したのである。古代と中世の「祖国のために死ぬこと」は、選ばれた少数者の特権に還元されるものであった。つまりその死が英雄の死、殉教者の死として顕彰されるものは、選ばれた少数者の特権的な死であり例外的な死であった。それに対して近代国家における戦死者とは不特定多数者の死であり、戦闘者の意志と決断によって選び取られた死でもない。それは文字通り「無名性」「匿名性」の死である。そしてその死が無名性と匿名性の中で「国民」という抽象的な集合概念に変化することで国民全員という全体性を獲得してくる。まさにこれと同じことが近代国家の「生の栄光」の神話を「国民」や「民族」という共同体全員の共有物としていく。「生の栄光」とは宗教的な彼岸価値でもなく、伝統社会の権威的な超越的価値でもない。それはまさに「現世」という此岸価値であり、人間集団内の実生活の中でのみ作り出されたものの価値である。その人間活動を集約的に観念化する概念が「文明」であり「文化」だったのである。

近代の国民国家の国民は祖国のために死ぬという義務の紐帯によって、「国家」という想像の共同体の一員となる。そしてこの想像の共同体という擬制集団は国民の生と死の方向までを強制する力を持ってくるが故に国民を運命共同体として結束する。それに対して、「文明」「文化」も国民と同様、人間集団を想像の共同体の構成員へと転換させていく概念ではあるが、国民のような運命共同体の成員に対する拘束力、強制力を発揮するものではなく、逆に人間が自己のアイデンティティを確認し、自己価値と自負心の依拠とするために主体的に、意思的に結集していく到達目標とされるものである。その意味で「文明」と「文化」は国民のような非人称的名称ではなく、人間の自己の人格形成、教養的成長と結び合わさった人格的概念なのである。文明、文化の概念は国民の概念のように人間の生死にまで踏み込んでくるものではないが、人間の生の栄光としての人間活動の最高、最善の価値領域への人格的な参入として自己価値の絶対化、自己価値以外のものに対する軽視、蔑視という夜郎自大的な唯我独尊の自己崇拝の感情を拡大させてしまう要因ともなるものである。

啓蒙主義の文明と文化の概念は、前者は個人の社会生活上の振舞いの洗練やマナーの向上と、後者は人類集団の未開状態、生物的自然状態の野蛮性からの脱却という原義を越えて概念を拡大させ、さらには相互に概念補完を行いつつ、両者は暫定的に一体化して、ひとつには人類の習俗、つまり生活様式の民族的差異、風土的生活条件の差異、もうひとつは人類の進歩的発展を理念的に方向付ける「理性」と「進歩」の概念的結合から諸民族の発展段階の差異を意味するものになった。ここから人類の進歩発展の経緯と差異による分岐の全体を確認する「世界史」という新しい歴史認識が生み出される。つまり、「世界史」とは人類全体の進歩という理念の下では人類学でありながら、個別の民族や国家の変遷の考察手段という点においては歴史主義的な歴史科学の成立を内包するものである。啓蒙の「世界史」であれ、ロマン主義の「国民史」であれ、この歴史思想は西欧の歴史思想においてだけでなく人類史的な観点から見ても人間認識の革命的な変革をもたらしたものである。なぜなら18世紀末に起こったこの歴史主義的な歴史思想は、人類史上初めて「人間存在の歴史性の認識」をもたらしたものだからである。近代の歴史主義的な思考以前の時代にあっては、歴史的思考、歴史的知識はつねに人間の精神生活の片隅に置かれたものであった。なぜならそこで中心的な重要性をもっていたのは、変わることのない万物の秩序であって変化のなかに置かれたものでなかったからである。だが、啓蒙の歴史思考、つまり「世界史」は、自然法、つまり何らかの万物の秩序にいまだにかなり補われていたため、ロマン主義の「国民史」から多くの変更と改革を求められてくる。啓蒙の「理性」に代わって、ロマン主義の「精神」が、文明と文化の概念の中心となるのはこのような経緯によってである。

 

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