無料ブログはココログ

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(9) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(11) »

2014年10月17日 (金)

松宮秀治「文明と文化の思想」(10)

「文明」「文化」の概念が次第に成熟して人間生活全体の人間活動の価値を意味するようになってくると、このように人間生活そのものやその活動の様態、あるいはその所属領域全体を同義的な意味をもつものとなってくる。そしてその概念が啓蒙主義的な「人類」「世界」「理性」といった世界市民的な概念成熟の方向から特に西欧世界の民族主義的な諸特徴の表象価値、言うなればロマン主義的な方向での「国民」「民族」「精神」の価値への転換を果たしてくると、啓蒙主義の人類全体の普遍的な価値の指標から特定の地域、特定の民族と国家の精神価値が概念の中核的な構成要件となってくる。ここにおいて両概念は西欧と西欧人の自己価値を中心に意味領域が規定されるようになってくる。

いうなればロマン主義の「文明」「文化」の概念は啓蒙主義がキリスト教の神聖価値から独立させた人間の世俗活動の領域を再び神聖化する方向に進み、改めて人間活動の最聖別化の概念に変化し始めたのである。「文明」と「文化」という西欧近代の新しい価値概念は近代概念は近代以前の価値概念は近代以前の宗教的価値観や伝統社会の価値観が社会秩序の維持のために最も忌避し、負の価値しか与えなかった諸観念を新しい概念群によって価値を逆転あるいは転換させるための中心的役割を担った言葉である。

前近代の伝統的価値体系の社会にあって最も忌避され、否定的な評価しか与えられなかった観念は「進歩」であり「変革」であり「革命」といった既存の社会秩序の変動や破壊を想定させるものであった。なぜなら伝統社会も宗教的価値支配の社会もともに権威主義的な価値によって社会秩序を維持していくことが出発点であると同時に目標点でもある社会だからである。伝統社会の価値はあらゆる社会活動の規範が「しきたり」や「ならわし」といった伝統的な慣習の維持に依拠するものであり、また王侯や家父長的権威主義社会は支配者の命令と被支配者の服従は武力や経済力といった物理的な力関係よりも支配者の持つ権威の不動性、いうなればその不滅性と普遍性に対する心服と畏敬という心理的な関係に依拠するものだからである。

「文明」や「文化」という概念は西欧の前近代社会の社会秩序やその中に生きる人々の伝統主義的な心性を変革させ、「近代」という進歩と変革が中心価値となる社会体制の創造の終結点に位置するものである。この概念を中心にあらゆる近代的価値が複雑に連動し、相互に絡み合い、この概念の内包領域をかぎりなく広いものとし、伝統社会の価値を無力化、無価値化、さらには価値の店頭と新しい価値の創出をもたらす概念群の相互作用の観念連合が加速的に推進される。そのため「文明」と「文化」の両概念はその言葉の独立的な発展の方向で概念成熟を行っていくのではなく、その概念が内包する個別的な領域を独立化、自律化させることで、巨大な観念連合を意味する名辞として発展していく。

いうなれば「文明」「文化」という概念はこのようにたえずその外延を拡大させることによってその内包諸概念の相互関係を変化させるものである。したがって啓蒙主義時代にあっては「理性」「人類」「世界史」「進歩」「変革」という概念がそれぞれの相互関係の中で十分に「文明」概念の意味内容を表現することが出来た。つまり「文明」という語そのものを使用しなくても代替概念やその観念連合でその内実を表現し、また伝達したのである。「文化」に関して同じことが言える。実際その二つの語は実用的使用の頻度が極めて低い語で、18世紀末から19世紀初頭の諸文献のなかで直接出会うのは人々が想像するよりもはるかに少ない語である。

「文明」も「文化」もそれぞれの概念が内包する観念群、具体的には「理性」「進歩」「改革」「人間性」「人類」「世界」「歴史」「国家」「民族」「精神」「芸術」「学問」「技術」「伝統」といった諸観念がときには緊密な観念連合を果たしながら、ときには他の観念を排除していくかたちでそれぞれの独立の概念化を果たしてきたということであり、さらには、「文明」や「文化」の概念に対して自己の概念の絶対的な独立を主張せず、相互の観念連合のなかでそれぞれが内包領域を合同化させるという概念発展の二重性を保ってきたためである。

「文明」と「文化」は19世紀全体を通じてほぼ同義語的に使用されてきた語であり、その概念は交換可能な互換性をもつと同時に、つねに一方が他方を内包概念として含みもったものであった。なぜなら両者ともに前近代の神学的な神聖な秩序と伝統支配的、権威的な世俗的秩序という、いうなれば教権と君主権の秩序体系のなかで変動的に与えられた生の役割しか果たしえなかった人間が、自らを世界と生の創造者として位置づける理論体系を創出していくのに最も応用範囲の広い概念が「文明」と「文化」だったからである。この両概念は人間が世界における自己の存在意義を主体的な存在者に転換させるために最も包括的な概念となりうる拡大性を持ったものであった。そのためこの両概念は西欧近代の新たな価値群を自らの内に取り込みえた。またそのため両概念は厖大な内包領域をもつと同時に近代価値の領域拡大に比例してその概念の外延を次々と拡大させていくことになる。

西欧近代がその政治、経済だけでなく、芸術、科学、技術の領域、さらには思考様式や社会慣習に至るまでの生の全領域での新価値の観念を体系化してくると、「文明」「文化」の概念はその広領域性と価値の複合性ゆえに特定の限定された領域の価値の明確化、先鋭化には不向きなものになってくる。たとえば芸術の分野において、過去の芸術作品群が「芸術家」ではなく職能的な「職人」階層の人々の製作物である場合、それらを「文化財」として再評価する理論は整備しえても、近代の新たな価値としての「芸術」の理論や社会価値の更新や創出者としての「芸術家」の概念をつくりだしていくためには、「文明」や「文化」を主導概念とするよりも、位置を逆転させ、「芸術」を主導概念として、それらを内包概念化した方が近代価値の創造の理論の明確化、尖鋭化をより確実なものにすることができる。

18世紀末から19世紀中葉にかけて「文明」と「文化」は使用頻度の高い言葉として直接、表面に現れるよりもむしろその内包領域の諸価値を発展させるかたちで外延を拡大させながら世界の世俗化を推進させることで自己目的を果たしてきた言葉だったのである。その意味ではフロイトが見事にその本質を見抜いたように「文明」「文化」の二つの本質は次の二つの事柄であるというのである。ひとつは「自然の諸力を支配してその財物を欲求の充足に供するために人間が獲得した知識と能力の全領域」であること。いまひとつは「人間相互の関係、とくに獲得可能な財物の分配を定めるために欠くことのできない機構のすべて」であること。

フロイトの言う「文化」「文明」や啓蒙主義時代のそれは、人間が被造物としてこの世界に投げ与えられた存在者として神や超越者によって受動的な生存に服従した生活ではなく、世界の主体的な創造者、改変者は人間であり、人間の主体的な意志の軌跡として世界を再解釈すること自体であった。いいかえれば「文化」「文明」の本義は人間の生存を宗教的世界観や伝統主義的な世界観のなかにとどめ置き、人間生存の領域から人間の主体的意志の関与領域をできるかぎり小さなものにしていこうとする思想を排除していく思想の中に存在する。つまり「文化」「文明」とは所与のものではなく、人間の主体的な意志による製作物だということである。ただしフロイトの「文化」「文明」の概念と啓蒙主義時代とロマン主義時代のそれとの間には測り知れないほどの大きい懸隔が存在する。その概念差とは概念成熟の差である。20世紀に至って両概念がイデオロギー的な分離を進めるまでは、ほぼ同義概念のように一体性と互換性を保ち続けてきていた。

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(9) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(11) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松宮秀治「文明と文化の思想」(10):

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(9) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(11) »