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2014年10月25日 (土)

松宮秀治「文明と文化の思想」(18)

啓蒙主義の理性の普遍性への確信は、いつの間にか誤ったひとり歩きをはじめ、「進歩」思想と結び付けられることで、啓蒙主義=楽天主義という図式がつくられてくる。

啓蒙主義者は気楽な人々ではなかったし、啓蒙主義も楽天主義の思想ではなく、楽天主義とか悲観主義という次元を超えたものであった。啓蒙主義者は人類史上で最も重大で深刻な思想問題と対決した人々であり、彼ら自身も権力による監視、投獄と敵対者たちの批判に最も活動を妨害され、煩わされた人たちだった。彼らのいう歴史の進歩とは一歩一歩着実により光明に満ちた段階に発展していくものではなかった。またその理性信仰とは啓蒙主義思想家にその社会と歴史全体のなかに安定感を得させていたものでもなかった。むしろまったく逆である。彼らは社会と歴史全体の中に安定感を見い出しえなかったため、「進歩」という観念体系を構築し、それによって社会の現状を批判し、権威と権力によって叙述されてきた過去の歴史記述全体、つまり歴史全体を書き換える方向を示したのである。その方向性の指示こそが「進歩」であり、過去(歴史)の再整除の価値基準となったものが「文明」であり「文化」だったのである。

啓蒙主義の歴史哲学の「進歩」とは、誤解されているような楽天主義的な歴史の前進への信頼ではなく、宗教社会と伝統社会の権威と権力が最高にして最善の価値基準と設定した超越的な力を無効化させるための、思想的な対抗概念なのである。つまり、葬り去られるべき過去の宗教価値と政治価値に対抗するだけの新しい価値の公準となりうるものとして、啓蒙主義者が理念として設定した価値目標であって、その実在が信じられた現実ではない。それは社会主義者や共産主義者が説いた未来の理想社会が理念であって、現実でないのと同じである。

啓蒙主義の「進歩」とは人間精神と人間の歴史の自動的な好転への期待ではなく、宗教社会と伝統社会が抑圧してきた「人間」の本性のなかに内在する能力を解放し、その能力の解放から新たに生じてきた価値を積極的に評価し、育てることで、宗教社会や伝統社会の価値体系と正面から衝突し、闘争して行こうという思想が生み出した観念なのである。進歩とは、未来に達せられるべく理想と目標を設定することで社会の現状維持が社会秩序の保持につながるとする伝統主義の守旧精神と積極的に闘争することを意味し、過去に向かっては宗教社会と伝統社会が自己保存のイデオロギーで塗り固めた歴史像と歴史観を破棄して、歴史をすべて人間の活動の産物とする「文明」「文化」という新しい価値概念で再整除しなおすことをも意味している。

ドイツ観念論哲学の歴史哲学が歴史を理性の実現過程と捉えることで、「進歩」の観念は人間の内面性の進歩、つまり精神の進歩と道徳的進歩にまでその範囲を拡大させる。

人間思想の革命的な転換である近代化と近代諸価値の基盤とは、最終的には「進歩」という観念の生成と発展求められるべきものである。科学技術における進歩の観念の芽はたしかにフランシス・ベーコンによって植え付けられたものといえるが、科学技術の進歩が西欧における進歩の観念の歴史の主流を形成してきたという考え方自体が、実は20世紀の西欧の歴史学が流布させた「科学革命」と「産業革命」という歴史的概念の拡大の結果で、時代の歴史の中で科学技術の進歩が現実的な実感として体感された現実認識の変化を意味するものではなかった。この科学革命の時代は、産業革命の時代に行われた「新旧論争」「古今論争」と呼ばれる古代と近代のどちらが優れているかの論争を反映したものであり、この時代の西欧人の「進歩」の意識の実情は、到底今の我々が進歩の概念で捉えるものとはいえないほどに異なったものであった。いうなればそれは進歩論というよりは古代と近代のいずれが人間的価値において優れているかの優越論の問題で、科学技術の進歩や社会制度の進歩の論争の問題ではなかったのである。

「進歩」とは人間が孤立した被造物として無力なまま世界に投げ出されているか、あるいは永遠の輪廻の中で、因果応報の定めの中で転生を繰り返すという受動的に位置から自らが世界の支配者、主宰者の位置に進み出ることである。言い換えれば受動的に与えられた位置にとどまるのではなく、自ら運命の開拓者として、社会的諸制度や人間の歴史的発展の創造者、決定者としての位置を引き受けることである。そのときの社会的諸制度や歴史的発展の理念的指標となるのが、「進歩」の観念である。この「進歩」の観念に自らが創出した諸価値、私たちはこれを近代価値というのであるが、その諸価値を「文明」と「文化」という概念で整除し、その概念を人類史の諸段階、諸局面に割り振りしてきたのである。この両概念は19世紀中葉から後半にいたるまで概念対立や概念区分は明確ではなく、それぞれの国民が母語表現のなかで言語使用の好みで選択されていた。

ところがそれが19世紀中葉頃から、それぞれの国民の自意識と国民的矜持、優越意識の表現として、「文明」と「文化」が概念分化と対立を意識させるようになってきた。そしてその概念分化と概念対立は20世紀に入って第一次世界大戦によって概念のイデオロギー化でひとつの極点をつくり出すことになる。英仏の「文明イデオロギー」は科学技術の進歩に加え、民主主義や主権在民の思想の社会的浸透と拡大へり自負となったのに対して、もう一方の「文化イデオロギー」はドイツ国民の精神価値を優位に置く自意識の表現となっていったのである。

このように19世紀中葉をすぎると「文明」と「文化」の概念が相互補完的から対立的な分化の方向に進み、20世紀に至っては両概念がイデオロギー的対立と敵対関係にまで至ってしまうのは、「進歩」を西欧の前近代社会の最高の神聖価値であった「神」に代えて、近代の新しい神として、世俗的人間価値の最高理念にしてきた世俗神学ともいうべきものであり、進歩、文明、文化の新しい三位一体の教義の修正を迫られたことを意味している。「進歩」の理念が古代の超越的な規範理念、たとえばプラトンのイデアのような超越的な理念が真善美の人類の理想の絶対的な規範となる人間観・社会観に代わって、新しい人間中心主義の価値体系を築き上げるとき、過去の伝統社会の価値を一方では凌駕し、屈服させると同時に、もう一方ではそれを懐柔し、同化させるという両面での対応を必要とした。伝統社会の規範遵守、典礼尊重による安定社会の停滞性に対しては、一方では革新による新しい社会価値の創出という展望を称揚し、さらには慣習的反復と形式的な儀礼継承に代わって人間の内面的な価値の本源的な追求の優越を説く近代価値の教義の集約概念が「文明」と「文化」であった。その意味で「進歩」「文明」「文化」は近代の新しい三位一体の蜜月時代が意外に短かったのは、西欧近代があまりにも急速な近代価値の拡大を図り、世界の近代化が加速され、結果的には「近代」の暴走化と不消化な「近代」の拡散をもたらしてしまったためである。

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