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2014年10月 5日 (日)

ジャズを聴く(17)~ブッカー・リトル「アウト・フロント」

前回のバイオグラフィーで紹介されているように、クリフォード・ブラウンが若くして亡くなった後、そのサウンドを独自に発展させ新たな可能性を切り開こうとした。これが、大方の評価ということになっている。しかし、クリフォード・ブラウンのサウンドはどういうので、リトルがそれにどのような新しい展開をさせたのか、具体的な説明をする人はいないし、私が聴いてもよく分らない。ただ、何となくトランペットのサウンドのテイストのイメージの違いを敢えて言うとすると、灼熱の太陽のように情熱的に輝くのがブラウニー、月光のように冴え冴えと妖しく輝くのがリー・モーガンなら、満天の星空のように、あるいはそこにゆらめくオーロラのように輝くのがリトルと言えるのではないか。スパッと抜けがよくて冷たい感触なのだ。そして、彼のプレイの特徴は丁寧にじっくりとメロディを吹く誠実さにあるといっていい。彼のアドリブは装飾的なオカズはほとんど使わずに、いかにメロディを紡ぐかで勝負している、変に音を歪ませたりすることもない、逆に高音などはスッと抜けるようにキレイに出るので、磨かれたトーンのように聴こえる。そして、ときおり差し挟まれるマイナーのフレーズが独特の哀感を聴く者に感じさせる。旋律的な魅力を感じさせるものになっている。そのため、彼の録音は、一度聴いて強烈な印象を与えるというよりも、何度も繰り返し聴かれて親しまれるタイプのものになっている。ただし、彼のメロディは多少クラシックの現代音楽の不協和音っぽい、変わったメロディではあるので、好みは分かれるかもしれない。そこで、拒絶反応をするかどうかで、彼のプレイを好きになっていくかの分岐点になると思う。

 

Out Front  1955年11月25日録音

Jazlittle_out
  We Speak

Strength and Sanity

Quiet, Please

Moods in Free Time

Man of Words

Hazy Hues

A New Day

 

Booker little (tp) Eric Dolphy (as,b-cl,fl) Julian Priester (tb)

Don Friedman (p) Art Davis (bonlyA-1,A-3,B-4)

Ron Carter (bonlyA-2,B-1,B-2,B-3) Max Roach (ds,tympani,vib)

 

ブッカー・リトルのリーダー作品4枚のうちの1枚。すべての曲がリトルのオリジナル曲ということだが、これらの曲がもともとそうなのか、彼らの演奏がそのように聞こえてしまうものなのか、不協和音のようなハーモニーで、クラシックの20世紀音楽でいう無調のように聞こえてしまう「変」と感じてしまうメロディがあちこちに出てくる。「不安定の美学」と称した人もいるそうだけれど、リズムが変拍子っぽく変化が激しい不安定に聞こえるのもあわせて、暗く、そして、少し重苦しいムードが漂っている。ただし、これは結果として、そう聞く人がいるということであって、ここに収められた演奏は、新しい音楽を追求した若い才能たちが真面目に取り組んだ、悲壮感の漂う真剣そのもののピリピリした緊張感の高い演奏の真空パックされたものとなっている。アルバム・タイトル『Out Front』(先頭をきって)に込められたリトルの気負いや使命感が、いい意味でも悪い意味でも、ストレートに出ていると思う。

1曲目の「We Speak」の最初に3管により呈示されるテーマがアルバム全体を通しての基調となって、アルバム全体が変奏曲のように構成されている。クラシックでいう、ライト・モチーフとか循環主題とか言われるものだ。それゆえなのか、このテーマが、最初からそういう意図でつくられたからなのか、結果としてそうなったのか、ということは分らないが、クラシックのシンフォニーの主題のような作品の構成上の操作しやすいように作られている、どちらかという自然に湧き上がってきたというよりは、アタマで理論的に考えられたようなものに聞こえる。これは、共演しているエリック・ドルフィーの志向の一面とも共通していると思われるため、このアルバムでは目立っているのかもしれない。テーマのあとリトルのアドリブとなるが、それはメロディとして聞こえる。それは、リトルのフレージングと深い音色によるものだろうか、このアドリブを聴くだけでも彼の音楽性が表われていると思われる。その後のエリック・ドルフィーのアドリブのギミックにちかいオクターブ高い音で素っ頓狂な始まり方をして鋭角的に斬り込むようなプレイでテーマに生命を与えている。ティンパニを加えたドラム・ソロがはいり、ドラムが目立つプレイを意識的にしているようで、これは、アルバム全体のテンポの変化が少ないため、ドラムが折々のアクセントとなって演奏に推進力を加味している。2曲目の「Strength and Sanity」はテンポを落としたスローなナンバーで、3管のハーモニーと緊密なアンサンブルで、まるでクラシックの室内楽のようなガッシリと組まれた演奏。その代わりにジャズ的な伸びやかさは感じられず、1曲目の重苦しさはつのる。一方、3管の音色が融け合いコード変化がメロディっぽく聞こえるという新鮮な響きを生み出している。これに続く、トランペットのソロはサックスやトロンボーンと絡み合うもので、即興性よりもアンサンブルの緻密さが優先されている。この曲の演奏からは、そのような高い構築性が印象的である反面、それゆえの息苦しさもある。そういう意味で、ストレスを感じさせるほど緊張感の高い演奏となっている。3曲目の「Quiet, Please」は演奏時間が8分を超す大作で、テンポが上がり前の曲でほとんど聞こえなかったリズム・セクションが聞こえてくることで、軽いカタルシスが感じさせつつ、演奏が走り出す。このアルバムのメインとなるものと思われるが、リトルとドルフィーのソロにも力が入っている。かつてのレコードであれば、ここで片面が終わり、レコード盤をひっくり返して裏面をかけなおすわけだが、その4曲目の「Moods in Free Time」では途中からドラムスが叩かれなくなり、リズムが消えてしまい、管楽器による和音をバックにドルフィーのサックスがソロをとる。リズムがない中で、和音の靄の中での鋭角的なドルフィーのソロは、独り言の呟きのように錯覚さられ、その鋭い斬り込みはまるで自分に切りかかるような内省的な印象が強い。そして、5曲面の「Man of Words」では、ここまでの傾向の頂点に達し、最初からリズムが消えて、リトルのトランペットソロは、これまでの曲で何回も変奏されたテーマを吹く。個々に至り深刻さは極まり、リトルの演奏は絶唱にように痛切に響き、聴きようによっては宗教性を帯びてくる。ジャズでこのようなことを言うのは見当違いと言われる節もあろう。しかし、このアルバムを通して、リトルをはじめとしたメンバーの真摯さ、そこまで行っている、と私はおもう。だから、このアルバムをしょっちゅう聞くことは、なかなか難しい。それだけに、聴いた後の感動とか充実感は比類のないもの。その反面、聴くには覚悟が必要、正座して聴くというようなところがある。遊びの面がほとんどなく、楽しむという要素が希薄なため、結果的に聴く人を選ぶものとなっている。

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コメント

CZTさんはジャズライブとかもいかれるんですか?私もジャズは好きですね、レイチャールズとかipodにいれたりして時々きいてますよ♪

poemさん、コメントありがとうございます。ジャズのライブは行ったことがないんです。専ら録音で楽しんでいます。ロックとクラシックの実演には行きましたが、ここ数年は行くことがなくなりました。

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