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2014年10月 3日 (金)

ヴァロットン展─冷たい炎の画家(7)

7.神話と戦争

Vallootnorfeリアルな質感の、幾分、対象への感情移入すら感じられる作品群に次いで、展示されていたのは、まさに正反対ともいえるパロディに近い、思いっきり対象を突き放したような作品群でした。ヴァロットンという人は、バランス感覚というのか、ある種シニカルな屈折を常に抱え込んでいたのは、このあたりの中途半端な距離感の取り方に原因があるように思えてきました。そもそも、シニカルな斜に構えた姿勢と言うのは、自分の立場を全面否定するようなものではありえないのです。対象を真実信じることができないのであれば、そもそも画家等にならなくてもいいはずです。そういうことに直面しなくても済む仕事なら、いくらでもあるはずです。しかし、ヴァロットンは画家という拘らなくてはならないものを職とした。それなら、それで思い切って、開き直ってしまえばいいものを、それもできなかった。つまり、画家にしがみつきながらも、そのことに対して懐疑し続けた人ではなかったかと思います。それは中途半端のどっちつかずです。そういうところは、彼の制作する作品にも、よく言えばバランス感覚、悪く言えば、中途半端なところでうろうろして、へんに屈折した細工を施して、さも何かありそうなものになっている。しかし、バカの一念のように愚直に一つのことを追求して突出して最終的にひとつの潮流を作り出すような迫力がない。多分、ヴァロットン自身も、そういう煮え切らない自分に気付いていたのではないか、と思います。

Chavannesrest「引き裂かれるオルフェウス」と言う作品。ギリシャ神話のオルフェウスがエウリデーチェを追って冥界へ赴き、そこから戻った後、秘儀を伝えなかったため女性たちに八つ裂きされてしまうという場面を描いたものです。殺戮の生々しさはなく、背景の風景等は牧歌的ですらあります。全体的な淡い基調の色彩や動きの少ない静止したポーズのような人物で、表情が見えないところなどは、今年はじめに見た、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの冷たい(退屈な)壁画によく似た印象を受けました。まるで、「アフリカの女性」のようなストレートな作品を描いてしまったことを恥じるかのように、クールな作品を仕上げでみせ、それだけでは単なる退屈なだけだから、題材にひねりを入れたものを採り上げて奇を衒ったというように見えます。こういう作品を見ていると、技量的には若いころから、ほぼ出来上がっている人なので、進歩とか成長とか、成熟というような愚直な一本道を突き進む人でもなかったので、堂々巡りのように同じところを行ったり来たりして、時折、そのプロセスの中で時代の流れとうまくシンクロして効果の上がるような作品を提供した、という人だったのではないかと思います。だからこそ、死後急速に忘れられていったのも納得できます。

 

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