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2014年10月 4日 (土)

ジャズを聴く(16)~「ブッカー・リトル」

クリフォード・ブラウン亡きあとオリジナルなサウンドを携えて登場した最初のトランペット奏者、ブッカー・リトルは、早すぎる死ではあったが、多くの潜在的な可能性を持っていた。12歳でトランペットを始め、シカゴ音楽院に在学中にジョニー・グリフィンやMJTと共演した。ニューヨークでは、1958~59年にマックス・ローチとそれ以降はフリーランスでプレイした。ローチ、アビィメリンカーンとレコーディングしている。その中には、ジョン・コルトレーンのアフリカ、ブラスアルバムや1961年7月のファイブ・スポットでのエリック・ドルフィーとの実況録音もある。彼の忘れがたいメランコリックなサウンドと即興での飛躍はアバンギャルドの方に向いていたが、ハード・バップから離れてしまうことはなかった。4枚のリーダー・セッションを残し、23歳で尿毒症と亡くなった。これは悲劇的な損失だった。

 

Booker Little  1960年4月13,15日録音

Jazlittle_little
  Opening Statement

Minor Sweet

Bee Teel's Minor Plea

Life's A Little Blue

The Grand Valse

Who Can I Turn To

 

Booker little (tp)

Tommy Flanagan (p) Wynton Kelly (pA-2,A-3)

Scott La Faro (b)

Roy Haynes (ds)

 

ピアノ・トリオにブッカー・リトルのトランペットがソロ楽器として加わったワン・ホーンの編成である。この録音の紹介では、枕詞のようにトランペットによるワン・ホーンのアルバムは退屈になり勝ちだが…と、で、この録音はその例外という書かれ方が為されるケースが結構多い。たしかに、それはそうでトランペットひとつで、聴き手を飽きさせないというのは、リトルの実力の表れだろう。

1曲目の「Opening Statement」最初から、リトルのトランペットがテーマを吹いて入ってくる。ここに彼の大きな特徴が出ているのだが、このときの彼のトランペットは抑揚があまりなく、どちらかという“プワァァ~”と一本調子で吹いているのだ。そこに微妙なニュアンスを込めたり、ビブラートをかけたりといった小細工を弄することなく単純素朴に吹いている。その不用意といっていいほどあからさまなフレーズに驚いてしまう。聴く人によっては単調に聞こえ、ここで好みが分かれるのではないかと思う。リトルの好きな人は、これだからこそリトルのトランペットの音色を堪能できると言うだろう。あるいは語りかけてくるような感じという人もいる。そして、リトルの吹く冒頭のフレーズなのだが、一本調子のぶっきら棒に吹かれるのが、メロディの中にマイナーコードに転調するところがあって、それがスパイスとなって哀愁が漂う印象を起こさせるところがある。しかし、かといって情感たっぷりというわけではないので、一歩調子さによって嫋々としたムードに堕さない一種の品格を保っているようにも捉えられる。ただし、これは、リトルのつくり出すフレーズが、その後の展開を考えているからではないか、と思える。それほど、フレーズを提示した後のアドリブのパートが即興的という感じではなく、まるでクラシック音楽の変奏曲とかソナタ形式の展開を思わせるような構築的に展開されているからである。ビ・バップ以降のジャズは楽器というツールを操るメカニカルなテクニックが大いに伸び、それが演奏にフィードバックしてきたようなところがあって、人声の情緒性よりも、音という抽象的なものの運動性が前面に出てきたところがある。リトルのつくり出すフレーズは、あくまでもその運動性がベースになっており、哀愁とかいうのはその上での味付けのようなものではないか。むしろ、その後のクラシック音楽をおもわせるような展開が、リトルの真骨頂ではないかと思う。そして、この録音でのリトルの充実は、哀愁という味付けと構築的な展開という、本来なら相矛盾するようなものを違和感なく同居させているところにあると思う。それは、ひとえにリトルのつくり出すフレーズの魅力に負っていると思う。

2曲目「Minor Sweet」もリトルのソロで始まる。マイナー・コードを交えたフレーズは、リトルの特徴を十分に発揮させ、その後の展開への期待が否が応にも高まってくる。そこでのリトルは、フレーズを二つに分解し、あたかもクラシック音楽のソナタ形式の第一主題と第二主題を対立的に扱うかのように、二つの方向にアドリブを展開させ、その絡み合いで緊張感を高めていく、しかし、そのような息詰まる展開の中で哀愁のフレーズが、その雰囲気を保たせたまま聞かせるのは、スコット・ラファロのベースに拠る所が大きい。ベースはリズムを低音を支えリズムをキープすることから跳躍して、リトルのトランペットに対して、対旋律をプレイし始め、いつしか対位法的なアンサンブルの様相を呈してくる。それによって劇的に高められた緊張が、開かれたように外に向かって発散するのだ。そこで、還ってくるトランペットのフレーズは伸びやかなものとなっている。この短い曲はクラシック音楽の交響曲に匹敵するずっしりとした手応えを感じさせる。

5曲目「The Grand Valse」はメジャーの調子なのだけれど、ここまで4曲がマイナー調で哀愁の連続だったためか、同じような吹き方で吹かれると、何故か哀愁を感じてしまう。メジャーでただよう哀しみといえば、モーツァルトの疾走する哀しみということになるではないか(ちょっとばかり飛躍しすぎ?)。全体に、このアルバムはミディアムテンポで、リトルの吹くトランペットのむき出しのメロディの印象が前面に出ているが、この曲は比較的(このアルバムの中では)アップテンポ気味で、ピアノを含めたリズム・セクションがビートを刻むなかで、リトルが短いフレーズを重ねるようにアドリブをしていく、しかし、エリック・ドルフィーのバンドに参加したライブ・アルバムでのプレイのような即興にかけるというようなピリビリとした緊張感はなくて、この人の即興というのはいくつかのパレットを持っていて、その中から場に応じて取り出してくるタイプのようで、その時々で何ができるかというスリルよりも、全体してどのようなものになるかという構築性のようなところで演奏を組み立てているような感じがする。それだから、黒人っぽい臭いのようなものが、あまり感じられなくて、クラシック音楽っぽいテイストが感じられるものになっていると思う。ただし、あくまでもジャズという枠内でのことだ。逆に言えば、これだけメロディがフィーチャーされているようでいて、BGMにならないのは、ジャズであるという枠をキッチリと守っているからだと思う。その分、リトルという人は、聴いていて重いところがある。

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