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2014年11月30日 (日)

菱田春草展(8)~第4章 「落葉」、「黒き猫」へ:遠近を描く、描かない

Hishidafallsiga菱田は病に仆れ、療養生活を余儀なくされます。その後、病に小康を得たことから制作を再開します。その際に、菱田は色彩研究に替わる新たな課題として距離を掲げ、自宅周辺に広がる雑木林をモチーフに追求し始めたといいます。展示の説明では、菱田自身の言葉が引用されていました。“それにつけても速やかに改善すべきは従来ゴッチャにされて居た距離ということで、これは日本画も洋画も同様大いに考えねばなるまい。自分もこれまで始終このことは注意していたつもりだが、この大切な法則がややもすると絵の面白味ということと矛盾衝突するところから、ついそれの犠牲となってしまう「落葉」にもそうした場面が多かった、決して頭からこの法則を無視したわけではなかったのであるが”(引用は不正確)この引用に対して、菱田は“距離”と“絵の面白味”を相反する要素としてとらえていたと解説されていました。菱田の言う“距離”とは奥行きのことであり、絵の面白味”とは平面性とか装飾性を指すと言われているようです。それは“距離とはすなわち写実のことであり、春草は、画面の中の距離感が却って絵の面白味を損ねることがあると考え、画趣(面白味)を出すために距離感つまり、奥行きを犠牲にした。「落葉」は、遠近法的な写実空間を描くことを超克しようとして誕生した、装飾的絵画空間への知的挑戦であった。”という考え方や“距離の法則という空間の奥行きを表わすことと、絵の面白味という絵画としての構成や装飾的な効果ということの間の矛盾をいかに調和させるかということが、「落葉」の連作において大きな課題として追究されていった”という解釈があるといいます。つまりは、奥行きを感じさせる立体感と平面的な装飾性という、ふたつの相反する方向の板ばさみにあって、いろいろ試してみたということでしょうか。このような議論があるということを踏まえながら、作品を見て行きたいと思います。

Hishidakodati_2菱田は「落葉」という共通のタイトルで、数点の作品を連作のように制作しました。今回の展示では、それらを一堂に集め、まとめて見ることができました。その中で、まず連作の最初に描かれたと考えられている「滋賀本」(左図)と呼ばれる作品から見て行きましょう。この滋賀本は他の一連の作品と比べると印象がまったく違ってきます。それは「落葉」というタイトルでありながら落ち葉が描かれていないことが上げられます。「落葉」というタイトルからは、連作の他の作品がそうであるからと言うことでもないでしょうが、秋の紅葉で葉が落ちるということをまずは想像します。したがって、紅葉するような広葉樹を中心とした雑木林で、葉が落ちてしまっているが故に、遮るものがなく秋の陽が差し込んでくる明るい森の姿です。しかし、ここで描かれているのは杉という紅葉しない針葉樹の林です。短絡的かもしれませんが、私には、このことから菱田は落葉というタイトルは後でつけたもので、もともと落葉とか紅葉を題材として描こうとしていたのではないと想像するのです。では何を描こうとしたのか。それは、この作品で描かれているものを見れば一目瞭然で、木立、あるいは林だったと思います。敷衍していえば、木々が生える林が広がっているさま、です。これは、私の勝手な妄想ですが、菱田の描く作品は風景が多く、伝統的な日本画にあるような花鳥画というような花や鳥だけをピックアップして描いた作品は少ないのです。あったとしても、風景の中においた姿を描いているとか、その中でも風景画広がっているのと対照的に鳥が描かれていることで、逆に風景の広がりが印象深くなるとか、風景の中で鳥や動物がアクセントとなっているのです。また、菱田(と言うよりは日本画)の人物画がことごとく精彩が感じられないのは、人間が一つのまとまりとして有限の完結してしまったものだからではないか、と思われます。その代わりに「水鏡」のように現在の姿と後世の朽ち果てた姿を両方表わそうとした時間的な広がりを含ませた場合に作品は生き生きとしたものに変貌していました。このことから、菱田の作品には時間的であれ空間的であれ、ずっと広がっていくものに対する志向が底流にあったのではないか、と私には思われるのです。そして、眼病を患った闘病生活のなかで、視力が失われていくという画家として生きていけなくなるということを迫られ、残された時間が僅かしかない中で自分の画家としてのアイデンティティを考えたときに、広がりを描くという志向性を自覚したのではないか。そして、それを自分なりに作品に定着させるために選んだのが山水の風景でもなく、川や海でもなく、木々の生える林という題材だった。それは、「朦朧体」に代表されるような面として空間を捉えることや、空気や光を描くという西洋画的な方法論に頼ることなく、線描による日本画の伝統の体系の中で、日本画的に表現するという姿勢でいけば、林のなかの樹木その他のパーツの配置や描き方で、ということを選択することに行き着いたのではないか、と私は想像します。それは、先立つように制作された「秋木立」(右図)という作品が、この作品と同じように杉林を題材としながらも、こちらは杉林の一部の光景を切り取ったにとどまり、この作品のような広がりを感じさせない違いに見ることができると思います。「秋木立」で杉の生える地面が奥へ向かってせり上がっていくように描かれているのは、画面の上方を遠方とする伝統的な日本画のおやくそくの構図を利用としたためと説明されています。さらに奥に向かって徐々に色調を暗くしています。しかし、広がりという点でみれば、「秋木立」の描き方では斜面に見えて、その斜面の地面が観る者の視野を遮ってしまうため、木々の間に広がる空間がなくなってしまい、閉じた印象になってしまいます。これに対して、「落葉」では「秋木立」の斜面という立地を平地に変えようとします。そのために奥の方の木の根元の位置を画面の下にずらし、背後になにもないスペースが生まれました。そこに広がりが生まれる余地が生まれたと思います。しかし、今度は逆に「秋木立」に感じられた奥行感が薄くなって、平面的な印象が強くなってしまいました。

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