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2014年11月 2日 (日)

松宮秀治「文明と文化の思想」(26)

西欧近代は前近代の神に代わる新しい神々を創出した。前近代の一神教が近代の多神教に変貌しただけで、近代社会も神々を必要としたのである。西欧近代の神々の中で最大級の権威をもつのが「科学」「芸術」「歴史」という神々であり、同じように神格的威力を発揮し、さらに神話的観念体系として近代人の価値観を支配してきたのが「進歩」「文明」「文化」という概念群である。いうなれば西洋近代の神学は科学、芸術、歴史という神格を中心に教義が形成され、進歩、文明、文化の観念体系に沿った近代神学の教理問答が展開されてきたのである。西欧近代は確かに合理主義的精神と分析知を推進させてきたが、一方では新しい権威主義と新しい神秘主義をも同様に育成させてきている。ここでいう神秘主義とは専門的な哲学的述語が規定しているような、神秘的体験に中心的な意義を認めようとする宗教的、哲学的な立場に限定されるものではなく、西欧近代的思惟が価値体系に仕立て上げた価値体系を経験的、実証的に説明するのではなく、その概念体系を先験的なものと考え、それが直接的には神的なもの、超越的な価値と合一したものであるとする感情である。言い換えれば神秘的な合一感情によってしかその真の価値を実感し得ないとする感情や信念が私の言う神秘主義である。本性で中心的に語ってきたヘーゲルにおいて、歴史、時代精神、国家は神秘的な合一によって生成した近代の神そのものになった。

近代はキリスト教を追放しただけでなく、キリスト教以外のあらゆる神々を追放した。そして神を内面化することで、宗教の社会的な強制力を完全に抑圧し、古い宗教的な祭式から解放されたと思い込んでしまった。だが、近代の合理主義を推進していく神話体系を必要とし、それに見合った宗教的教義と祭式をつくり出さねばならなかった。なぜなら啓蒙の合理主義はロマン主義の非合理主義を内包することでしかその存在の立脚点を確立しえない相対的な合理主義に過ぎないものだったからである。したがって表層的には合理主義を装いながらも、その内実は非合理的な絶対的権威を必要とする複合性を克服することができなかった。そのため近代社会は多元的な近代価値を神格化して、近代の神話を創出する必要に迫られ、その神話の管理機能を国家に委ね、その管理機構を多元的に分散化させた。しかし、近代国家の神話を最も包括的に集合させ、もはや古い宗教的な祭式がカバーできなきなった役割を代行しうる近代の祭祀施設として創出されたのが「ミュージアム」という近代の神殿である。それは「国家が主体であると同時に客体ともなりうる」新しい様式の祭祀施設としての近代の神殿である。そして、そこで執り行われる近代の祭式とは、「国家が国家自身に捧げる恒常的な敬意」である。国家が国家に捧げる恒常的な敬意とは、言い換えれば国家が自らの「歴史」と「文化」と「文明」を顕彰することである。国家が自らの歴史、文化、文明を顕彰するために執り行う祭式とは、自らの価値と尊厳を高めるあらゆる過去の記念碑的な遺品を蒐集し、保管し、展示することで、自己の存在価値と社会価値を同化させることで、共同の目標を設定していくことである。

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