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2014年11月12日 (水)

松宮秀治「文明と文化の思想」(35)

「文明」「文化」という概念が本来このようにヨーロッパの独占物であり、西欧世界の非西欧世界に対する優越性の証明のためにつくられた名辞であったものが、非西欧圏の歴史や社会、人間活動の成果にまで拡大、適応されることによって、西欧的価値領域を越えたものになってくるとき、「文明」と「文化」の概念は複雑な概念複合を果たし、概念の多義化を招くことで、両概念の関係の理解を困難なものにしている。この複雑に錯綜してしまった「文明」と「文化」の関係を整理し、さらにはその両概念の関係の変化の諸相と両概念のイデオロギー的特質の同不同を整理してみる必要がある。そのために「文明」と「文化」の概念理解を四つの位相から考えていくことにする。そのひとつは「文明」を「文化」の上位概念とする見解、第二は逆に「文化」を「文明」の上位概念とする見解、第三は「文化」と「文明」は敵対的に対立するとする見解、第四は「文明」と「文化」を同一的、同義的な概念とする見解である。

そしてさらに、文明と文化の両概念の関係が、ヨーロッパの文明、文化の連続性と統一性というイデオロギーとどのように連動してきたのかということをも考え合わせてみたい。この「文化」と「文明」の両概念の関係のありようそのものがヨーロッパ文明の連続性というイデオロギーとも密接に関わり、バラグラフが言うように19世紀歴史学のヨーロッパ的伝統の連続性という学説として、次に掲げる三つの歴史学イデオロギーと深く関わっているものと考えられる。ひとつは、西欧近代の歴史的な起源をギリシャ・ローマという古典古代の合理主義的精神と人間主義のヒューマニズム思想に由来する「進歩」精神の文脈のなかに見い出そうとする「ルネサンス・イデオロギー」である。ふたつめは、真の西欧近代精神の起源をゲルマン人の「自由」精神に求める「ゲルマン・イデオロギー」である。三つ目は、西欧近代精神は近代人の自律した市民意識が、人間社会の新しい存在形態として、主権在民の共和主義的な社会統治機構としての国民国家の完成を目指すか、あるいは市民的な個人としての連合よりも、言語や伝統の共通性に支えられた民族集団の精神的連帯のなかに、人間社会の新しい統治機構の強化を目指すところの、いわゆるナショナリズム思想に基づく「ネイション・イデオロギー」である。

西欧近代が創り出した新たな価値とは、すべてがそれぞれに自立的価値を主張し、それぞれが達成点をすぎると、外からの抑止機能を欠くために、独自の暴走と逸脱の本性を表面化させてくる。西欧近代が創出した「科学」や「芸術」といった価値も価値の自律性を要求し、道徳価値や宗教価値、社会効用価値からの独立を主張し、自己の内的な価値の発展のみを求め、外からの干渉や抑止に鋭敏に反応し、それを極力排除し、自己の価値体系を完結させようとする。その特性は「文明」も「文化」も同じである。両概念がそれぞれに自己の優位性を主張するとき、一方が他方を自己の下位概念ないしは内包的従属概念としようとする。潜在的には概念分化や対立化の要因を内在させていたとはいえ、西欧諸国が帝国主義的な利害闘争を文明と文化のイデオロギー的な思想闘争に転化させていく以前の段階では、それぞれが他方を自己の内包領域に取り込む働きを示し、相互補完性を維持してきていた。

「文明」と「文化」が相互補完性を維持する必要性は、西欧近代が「世界史」という虚構の人類史モデルを創出し、西ヨーロッパ世界にのみ進歩主義的で自由主義的な歴史形成能力を認め、残余の地球上のいかなる地域や国家にも歴史形成能力を認めず、そこに存在するのはただ「停滞」と「隷属」のみで、「文明」や「文化」という人間の自己完成を目指す歴史形成意志が欠如した世界として自己を対置させたためである。言い換えれば「世界史」とは超越的な絶対者の意志の支配を拒否した人間の自由意志が自己の歴史と自らの選択意志で設定した理念や目標にそって世界を変革していこうとする歴史創造の意志なのである。したがって西欧近代の歴史とは過去に起こった出来事や事件ではなく、進歩への意志を持った人間が進歩の目標に照準を合わせた理念を価値規準として過去の人間活動を再整序したものである。つまりそれが「文明」であり「文化」なのである。

したがって「世界史」や「文明」「文化」という概念は本来的には、今日の歴史科学や社会科学が目指すような価値判断を排除し、可能な限り中立的な方向を目指すものではなく、西欧近代の優越性を証明する価値概念そのものだったのである。西欧の優越性を西欧人の空想的な思い上がりではなく、実体的で明証性のあるものにしていくためには、ヘーゲルに代表されるような「世界史」という歴史哲学的な思考によって、「進歩」と「自由」という観念と実体的、実証的な歴史的制度化の軌跡を西欧社会においてのみ見い出していくことが必要であった。そしてその西欧の実体的な優越性を観念的な方法ではなく具体的で明証性のある方法で呈示するために、「文明」と「文化」が西欧近代の人間活動全体を包括する概念が選ばれ、育成されたのである。

西欧近代の歴史思考の革命的な独自性は、人間活動の歴史的変遷に「進歩」という観念を導入したことである。前近代と非西欧世界の歴史観はすべての歴史的な価値規範と価値尺度は過去においてすでに先験的に提示されており、人間活動におれる進歩を想定することも、また進歩に価値を置くという思考も発生させなかったところにその特徴が存在する。

 

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