無料ブログはココログ

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(30) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(32) »

2014年11月 8日 (土)

松宮秀治「文明と文化の思想」(31)

言い換えれば西欧はギリシャ・ローマ世界と自己を結び付けることで、東方世界に対する西方世界、西欧世界に対する非西欧世界という世界史像を創造することができたのである。18世紀の西欧近代思想によって、ギリシャはその本来の東方世界と地中海世界から切り離され、西欧世界の創始者の地位を与えられ、また東方の古代帝国の専制と停滞世界とは異なった原理に立つ民主制と進歩を原理とする新しい世界の出発点とされたのである。

西欧近代はギリシャを自己の歴史圏内に取り込むことで、「世界史」を完全に自己の独占物とすることに成功した。なぜなら18世紀以前には非西欧世界、特に東方世界、オリエント世界は異教瀬書いであったが、「世界史」から除外されてしかるべき世界ではなかった。例えばヴォルテールの『諸国民の風俗と精神について』やその序論の『歴史哲学』におけるように非西欧世界も厳然たる「世界史」の構成要素として扱われ、その歴史的発展も西欧世界と対等の比重をもって扱われていた。それがギリシャが西欧の歴史圏に取り込まれると、非西欧世界は「停滞社会」とされてしまい、そこから歴史的発展という概念が奪われ、非歴史社会とされてしまう。言うなれば東方世界とは変化を受け付けない世界であり、極度に保守的であるために新しい思想や生活様式を受け付けようとしない世界にされてしまったのである。当然そこには物理的な時間の推移はあるし、出来事の連鎖は存在する。だが、そこには「歴史」は存在しない。なぜなら歴史とは人間存在の様態、思想を変化させる動的な刺激と作用、言い換えれば「進歩」の概念を生み出す作用因だからである。

非西欧世界が停滞社会として西欧世界の進歩社会に対置されることで、そこから「歴史」が奪われてしまう。言い換えればそれは非西欧世界が「世界史」の展開への関与の資格を奪われた存在となってしまったことを意味する。非西欧世界は「世界史」の圏外の付随的な存在として、歴史学的な対象から外されて、民族学と社会人類学、文化人類学の対象とされてしまうのである。「世界史」とは文明と進歩を独占する西欧世界の特権的占有物である。民族学や人類学は「世界史」から切り離された周辺社会や非西欧社会の非歴史性や種族的特質への差別的関心から生み出され、裏返しされた優越意識の産物である。いうなれば「世界史」とは文明と野蛮のディスクールであるが、「文明」と「進歩」が特権的に語られるときは、世界史のつまり歴史学的なディスクールとなり、非西欧世界が差別的な関心で語られるときは、「野蛮」と「未開」のディスクールとなる。

西欧近代がギリシャを「世界史」の実質的な出発点に措定することは、すでに述べたように東方世界、オリエント世界を「世界史」の前史とすると同時に「西欧世界」の外縁的存在とすることを意味する。これは西欧近代がキリスト教の「普遍史」を排除することで、ヘレニズムと西欧を結合させようとする思想的な要求でもあった。したがって、このような思想から生まれてくる西欧近代の諸科学は「ギリシャ」にその出発点を求め、自己の理念的な範型をギリシャ精神のなかに見い出していこうとする。自然科学の仮説と観察と実験をギリシャ精神から引き継いだものとし、政治学、法学という社会科学は自由と民主制という理念の発生をそこに求め、歴史学、芸術史学は進歩の理念の発生と「文明」「文化」の理念の実質的規範の成立をそこに求めようとする。

言い換えれば西欧近代は自らが創り出す近代的諸価値の源泉をギリシャに求めようとするのである。それは彼らが創造していく近代価値の源泉がギリシャにすでに存在していたというより、彼らが創出した価値をギリシャに逆投影したという方がより適切である。たとえば「進歩」という歴史的な理念価値は、ギリシャによって与えられたもというより、西欧近代が自ら創り上げたものをギリシャに逆投影させたものである。なぜなら、そうすることで「西欧」という地域的価値は普遍的な「世界史」的な価値に昇格させられるからである。西欧近代の「世界史」的な価値、言い換えれば非西欧世界に対する優越価値と自己中心価値を理論的に構築し、その価値を保証していったものは、西欧近代の個別的専門諸科学であるが、それぞれの諸科学が自己の価値の中心軸にしていったものが、ギリシャであり、古典古代という理念であった。とくに人文諸科学は単にギリシャを価値の中心軸とするだけでなく、研究の出発点と帰着点をギリシャという「古典古代」の精神の理解に求めていくのである。

人文諸科学は18世紀末までは、萌芽的に専門分化の方向を示しながらも、厳密には未分化状態にあった。古典文献学、比較言語学、古代史学が渾然一体的に「世界史」の科学的基礎付けを果たしていくなかで、西欧近代の人文諸科学の中心軸は歴史科学となっていく。なぜなら「世界史」の根本原理は「進歩」であるがゆえに、歴史科学は人間の精神の進歩とそれを保証していく自由の拡大を跡づけるだけではなく、それらを西欧近代と結びつけ、西欧近代の内在的な原理にまで育て上げていかなければならないからである。言い換えれば「世界史」とは西欧近代がギリシャ精神を自己の内に取り込み、自己のものとしていくなかで、自己の「世界史的革命」という優越的位置を確保していく過程であると言えるのである。西欧近代のすべての思想家、歴史家に共通する信念は、歴史とは歴史的な出来事の連鎖ではなく、歴史的な出来事に意味を与える「進歩」の理念の確認と「進歩」に明確な歴史的使命を与える自由の精神の不断の拡大ということである。

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(30) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(32) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 松宮秀治「文明と文化の思想」(31):

« 松宮秀治「文明と文化の思想」(30) | トップページ | 松宮秀治「文明と文化の思想」(32) »