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2014年11月17日 (月)

生誕200年ミレー展─親しきものたちへのまなざし(4)~第3章 家庭・生活

この展覧会では、農民の姿を英雄として描いた「農民画家」としてのミレーという見方ではなく、「人間」ミレーの姿に焦点をあてて見直してみた時に、ミレーの作品の根底にあるものとして改めて浮かび上がってくるものは、家族や身の回りの人々に対する慈愛や望郷の念など、人が誰しも思い描く普遍的な思いであるとして、それを「親密性」というコンセプトにシンボライズさせて、前面に打ち出して展示を構成させている、そこで章立てしてまとめられたのが、この展示ということになるのでしょうか。

 

Milletcock「鶏に餌をやる女」(左図)という作品です。農婦が右側の家から出てきて庭に飼われている鶏に餌を与えている姿です。参考として、アルベルト・アンガーというスイスの画家が同じ題名で同じ題材を扱った作品を残しています(右下図)ので、ミレーの特徴がよく分かると思います。両者は構図も良く似ているのですが、微妙な点が違います。まず背景から見て行きましょう。両作品とも右側に家の建物があって、農婦はそこから出てきたように描かれています。しかし、アンガーの場合は背景全部が建物の壁になっているのに対して、ミレーの場合は建物の壁は場面中央左で切れて、その奥の空間、農地がはるかに覗いています。ミレーの場合は、これによって奥行きを見て取ることができます。さらに右側の建物の壁の描き方が極端に近いほど強調された遠近法で、奥行きをさらに印象付けています。これによって、餌やりをしている農婦が立体的に浮き上がってくる効果を生んでいます。さらに、餌を啄ばむ鶏の中で、置くに離れた2羽を置いてことさらに小さく描くことによって遠近感の強調を補強しています。この離れた2羽の鶏を配置することによって観る者の視線の方向を奥の空間に誘導し、その奥の空間と農作業をしている男性に導いているのです。これに対して、アンガーの農婦は立体的に浮き上がるというよりは背景の一部となって、全体の餌やりの光景のパーツとして構成されているようです。その違いは農婦の立ち位置の違いにも表われています。アンガーの農婦は画面中央に描かれています。これに対して、ミレーの作品では農婦は中央からやや右側にずれて描かれています。そのため中央はある種の空間となっています。それは、ひとつには上述の効果で視線を導かれた奥の農地で作業している男性と、遠くと近くで離れた空間であるが画面で向かい合うようなかたちになり、それを観る者に分からせることになります。これは、ひとつには奥の男性と手前の農婦を対向させることによって奥の男性に対して農婦が力強く映るという効果を生んでいることをあげていいと思います。しかし、それ以上にミレーはどうしてこのような構図にしたのかということで、じつは農婦を中心から右にずらして位置させて開いた中央の単に地面しか描かれていない空間を介して奥の男性農夫と向き合うようになっている、この真ん中の空間こそが、この作品の中心ではないのか、そう私は思います。何も描かれていない、いわば空虚ですが、私にはミレーはここに向けて、人物の配置だの、奥行きを強調した空間構成だのをしているように思えます。ここで、ここで参考にしたのか、今回は展示されていませんが有名な「晩鐘」という作品です。この作品では、中心をはさんで男女が頭を垂れて祈る仕草を描いています。実は、この「晩鐘」と同じように、この「鶏に餌をやる女」の男女は中心に向けて向かい合い頭を垂れているのではないか、と思われるのです。つまり、ミレーは農作業とか農家の生活を写すのではなくて、それに仮託して祈るという行為、つまりは宗教的なものを描いていたのではないかと、私には思えます。

Milletcock2_3それだからこそ、ここでの主役である農婦はアンガーの作品のように誰か分かるように写実的に細かく描写されるのではなくて、ミレイの特徴的な丸い造形で輪郭を靄がかかったようにぼんやりとさせて明確にしないことで、特定の個人をさすことなく人を一般的に表わすようになります。これは中世のイコンにも似た一種のパターン化と私は考えます。それが証拠に、この「鶏に餌をやる女」と同じような構図、構成で題材となっている行為とか舞台を変えた作品をミレーは何点も描いています。今回の展示でも、「子どもたちに食事を与える女」(左下図)という展覧会ポスターでも使われた作品もそうですし、「バター作りの女」も変形されていますが当てはまります。「ミルク缶に水を注ぐ女」は対向する人物はいなくなっていますが、おなじような構成です。

Milletbansyoそして、これらの作品で祈りの対象となるのは神様ということになるのでしょうが、この神様というのは伝統的な宗教画にあるような崇高で超絶的な神というのではなくて、もっと身近な存在であるように思えます。そのひとつは、これらの作品のサイズは様々であるとはいえ、1mにも満たない小さなものであることがまずひとつです。教会に飾られるような宗教画は大画面で見る者を圧倒し、畏怖の念を起こさせるものですが、これらの作品は小さくて、そういうことは起こりえません。そして、これらの作品で描かれている人々は神を仰ぐように見上げているのではなく、下を向いて祈っています。これは勿論、神の前で頭を下げているのでしょう。それだけではなくて、作物の恵みをもたらす大地への感謝というのか土俗的な信仰の名残のような身近な存在としての神様に感謝と祈りを捧げているように、私には見えました。「鶏に餌をやる女」で鶏に餌を投げ与えているのは、同時に恵みの大地に感謝の捧げものをしてもいるのではないか、これは穿ちすぎではあるかもしれませんが、この農婦の間近に空虚な中心としての祈りの対象となる神の空間をおくことで、それも故なしとはいえないと思いますし、それだけに神というものに「親密性」を与えることによって、作品を成立させることができた、と私は思います。

Milletchild_2さらに、画面を正面からの視点ではなく斜めからの視線で捉え、構成を左右対称にして均衡をはかるのではないものにしているということは、客観性を持たせるのではなく、主観的な性格を与えているように見えます。つまりは、農村の生活風景として、改めてひとつの完結した世界を画面に構築するというよりは、ピンナップ写真のように主観的に断面を切り取ったようなティストを与えるために、ある程度意図的につくられた視点と構図ではないか、と私には思われます。それは、従来の歴史画や宗教画のような余所行きのあらたまった画面とは違うし、かといってリアルな写実とも違う、農家の自然に生活らしさをミレーが、いかにもそれらしく、しかも農家に行ったことのないパリという都会の人にも見やすいようにつくった絵画世界だったのではないかと思います。それは、一種のノスタルジックなユートピアというのでしょうか。例えば、現代の日本において昭和30年代の東京オリンピックを日本が元気で希望に満ち溢れていた時代であるかのように、当時生まれていない若い人々までもが“昔は良かった”とでもいうように見ている。そういう異世界をミレーの農家を描いた作品は、結果として作り出そうとしたことになったのではないか、と私には思えるのです。その世界がリアルにフランスの田舎の農家の生活を写実したものでなかったからこそ、アメリカや日本でミレーの作品が受け容れられた。これは、もともと故郷というものを最初から持てなかったアメリカの人々や国を挙げての近代化政策で伝統的な農村を否定的に見ることを強いられた日本のエリート層にとっては、手頃な代替物としてうまくフィットすることができたのではないか、と想像できます。そこでは、ぼんやりとした描法や画面構成の不均衡さは、むしろノスタルジックなユートピアの幻想性として、人々の想像を邪魔することのない好ましいものに映ったのではないでしょうか。そして、身近なものとして神に祈るというのは、近代化され科学的な志向がいきわたろうとする風潮に敵対することなく、その渦中の人々の心の隙間に入り込むことを可能とした、とくにノスタルジックなユートピアに惹かれるような人々に対してはなおさらです。ただし、このようなことをミレー自身が意識して、それを意図的にやったということではないでしょう。それは、即品が制作された後に、尾鰭がついていってのことだろうことです。

Millettaneさらについでです。この「鶏に餌をやる女」の餌をやっている農婦のポーズは、「種撒く人」のポーズとそっくりです。だから、ミレーは明らかに、構図とか、ポーズとか、題材とかを使い回しして作品を制作しているのが分かります。

ミレー自身は、パリではやっていけず故郷にもどったはいいが、肖像画家として生きる道は閉ざされてしまう。たしかに、妻をはじめとして家族や親しい人の肖像を描くことによって、自らの特徴を自覚して、それを生かす方向というのがありえることに気付いたのではないでしょうか。ここで、どのような経緯でミレーが農村や農家を描くようになったのかは分かりません。しかし、結果として、そういう題材がミレーの特徴的な描き方が欠点とならない可能性のあるものだったことは確かです。そこで、ミレーの作風も件の肖像画から変化していきます。そのひとつが、肖像画では1人の人物を描くことであったのを2人以上の人物を、しかもその人物たちの織り成す関係を描くことになった点です。この兆候は、ミレーの妻を描いた肖像画にも生じていたと考えられます。それは、モデルである妻と制作者であるミレーの関係が作品に表れてきていたと考えられる。肖像画というのは言ってみればモノローグのようなもので、モデルの人物が大ホールの聴衆を前に講師となって講演をするようなものです。しかし、ミレーの描いた妻の肖像画は、ミレーと妻の対話のようなものになっています。それが絵を観る者にとっては、ミレーに代わって絵に対峙するわけで、そこで話しかけられているだけでなく対話をしているような親密性を感じることになります。その対話を画面の中に持ち込んで、画面の中の人物たちにそういう動きや表情をさせる形になっています。それが画中で人々が向き合う構図だったり、客観性を感じさせないバランスをはずした構成だったりであるわけです。そこに、これまで欠点て思われていた自身の特徴を個性の表れとして生かすことを方法論としてつくりえた、と言えるのではないでしょうか。

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