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2014年11月13日 (木)

松宮秀治「文明と文化の思想」(36)

西欧近代が「文明」と「文化」の双方を相互補完的に必要としたのは、近代が進歩主義の補完物として保守主義を必要としたからである。近代とはその根本に社会変革、技術革新、自由主義経済という進歩主義と密接にかかわる人間活動の新領域の開拓を前提として生まれる社会体制の創出であるが、一方においては現存制度の維持、歴史的価値の保存という変化を欲しない傾向、つまり自然的な伝統主義と進歩主義によって取り残される人間の精神的、内面的な価値を理論的に体系付けることで生まれる、いわゆるマンハイムの「近代的保守主義」が相互補完的に支える社会体制のことでもある。「近代」とは科学技術の進歩と政治機構の改良だけで成立しうるものではなく、人間精神の内面的な充足、いうなれば芸術的、宗教的、教養的な充足という双方向での「進歩」のうえに成立するものである。

いうなれば西欧近代とは啓蒙主義とロマン主義、合理主義と反合理主義、進歩主義と保守主義が一見それぞれに独立した要請をもって相互対立、相互敵対しているようだが、実のところはそれぞれが相互補完的に作用することで、ひとつのまとまりを成している時代のことである。つまり「文明」と「文化」の共存時代である。それは「文明」の外面性と「文化」の内面性が対立的、敵対的に分離して存在しているのではなく、相方がそれぞれに不足している所を相互補完していることで成り立っていることを意味している。これらのことを総合して別の言い方をすれば西欧近代とは、「文明」と「文化」が相互補完的な蜜月状態にあった時期を意味するものといえるのである。

すでにマルクス主義のような進歩主義の極点が保守主義の価値を無化する論理体系を構築することで、「文明」価値の優位性と独立性の道を拓き、また帝国主義的な利害関係のなかでフランスやイギリスのような先進国民国家がドイツのような後進的民族国家の「文化」に対する「文明」の優位性をイデオロギー化することで、さらには人類学や民俗学が「文化」概念の相対化を促進させることで、「文明」と「文化」の相互分離をもたらし、結果的に「近代の終焉」という西欧近代の弱体化と相対化をもたらすことになる。

科学と技術の発展は科学革命や産業革命と呼ばれるほどの成果をあげたに留まらず、科学研究領域の拡大と専門分化をもたらし、技術開発の加速度的進歩は人間生活の全分野において予測を越える恩恵を与えた。だがそういった産業、医療、交通、通信、情報技術などにおれる恩恵的発展は、大量殺戮、大量破壊兵器や爆弾などによって、常にその価値を相殺される側面を持つにいたった。また原子力発電の恩恵もその故障や事故によって相殺されるという側面をも伴うものである。このようにして近代の最大の価値であった「進歩」と「文明」は、当初の楽観主義によって支えられた信頼に疑念が投げられるようになる。それは科学技術の進歩、文明の進歩はかならずしも人間の幸福を増大させるのに貢献するだけでなく、人間の不幸の増大の要因ともなるという認識の発生と浸透でもある。「文明」がこのように楽観的な自己信頼のなかに否定的な自己不信を抱き始めたとき、内部的な価値分裂を開始させるだけではなく、「文化」とも決定的な分裂を生じさせてくる。なぜなら「文化」そのものも自律的な人間の自己展開の産物であるゆえに、「科学」や「文明」の否定的な側面を救済する能力を持ち合わせていないからである。つまり両者とも自己絶対性、自己優越性のみを基盤にして成長してきた思想であるゆえに、内省機能をもたず、価値の相対化によって存立基盤を失うと同時に、自らを成り立たせていた理念を失ってしまうからである。より具体的にいえば、「文明」はアメリカ合衆国やロシア連邦、日本という新興国の胎頭によって、「文明」の独占を維持できず、ヨーロッパの地位低下が必然となったからである。言い換えれば「西欧」と「近代」は等記号で結ばれたものとして、非西欧圏に対して「文明」の理念をもって優越性と指導的位置を維持してきたのだが、その「文明」が非西欧圏においても容易に育成、成長が可能であることが明らかになったとき、「近代」は絶対的な価値ではなく、相対的な価値になってしまったのであった。

「文化」においても同じことが起こった。「文化」も歴史学、人類学、民族学によって相対化を余儀なくされてくると、西欧的、近代的理念の支柱を失い、個々の国家、民族、集団の価値へと分解を開始する。理念価値としての「文化」のエリート主義的な特徴が相対化され、個別的な人間集団の生活様式や習慣といった集団的関心へと分解されていくとき、それは「文明」のように漸進的な自己縮小の経過を辿るのではなく、独自の概念転化で生き残りの道を開拓していこうとする。

言い換えれば「近代」が西欧世界の独占物でなくなり、非西欧圏へ転移されることで、「文明」も「文化」も西欧の独占物ではなくなり、西欧人の絶対的な自己優越意識の徴表概念ではなく、相対的な価値概念となり、歴史学や社会学の学術用語のなかで適宜その意味範囲を規定されるものとなる。本書がこれまで扱ってきた「文明」「文化」の概念は西欧近代が自己価値と自意識の認識のために学術的に規定した概念ではなかった。つまり世界全域のどの時代、どの地域の人間の集団的行動様式にも対応させられてきた文明や文化の概念でなく、まさしくそこから区別されるために括弧つきにされるところの西欧近代のみが独占してきた絶対的な価値概念としてであった。

「文明」と「文化」がこの絶対的価値を失うのは、第一次世界大戦期の英仏の「文明」とドイツの「文化」のイデオロギー対立を契機とする西欧近代思想の分裂、そして戦闘期と第二次世界大戦期に至る西欧の衰退のなかにおいてであった。この西欧の衰退と「文明」と「文化」の絶対的価値の喪失を象徴的に明示してくれるのは、シュペングラーの『西洋の没落』とトインビーの『歴史の研究』である。相対化された文明と文化はもはや括弧付けを必要としない。文明はシュペングラー的な自己縮小とトインビー的な自己拡大というそれぞれ相反するベクトルの方向をとりながら相対性のなかで休眠状態に陥り、夢想状態のなかに過去の栄光をとどめる概念となってしまった。

つまり、シュペングラーとトインビーの「文明」「文化」の概念の相対化とは、それがもはや「ヨーロッパ的伝統の連続性」の指導原理でもなく、ヨーロッパの優越性やヨーロッパの世界支配の正統性を保証する価値概念ではなくなったことを意味する。ただ、それがただちに「西洋の没落」と第三世界の急速な興隆や非西欧世界の優越性や指導性への移行を意味したのではない。それは「ヨーロッパ的伝統」の正当性の嫡子とはいえないが、その庶子として、それを受け継ぐべき権利を十分に主張しうるアメリカやソヴィエト連邦が依然として、「西欧文明」の優越性を継承保持する立場にあったことを意味する。

だが、第二次世界大戦後の「冷戦」状態の進行とその構造は、「世界史」の指導理念と目標を「文明」軸の理念と「文化」軸の理念に分断させてしまった。社会主義陣営は特権的少数者による世界支配「革命」という変革を理念とするために、最大多数の最大幸福を指導原理とする「文明」価値の推進者となり、自由主義陣営は「世界史」が実質的な歴史的実践のなかで築き上げてきた諸国民、諸団体の国家体制、国家伝統の維持を目指すがゆえに、「文化」価値をその指導原理、理念とする立場に立つことになる。このように冷戦時代は「ヨーロッパ的伝統の連続性」を支えた「文明」と「文化」の価値理念が、米ソにまで拡大された「世界史」の理念として、世界を支配し、方向付けする力を保持していた。しかし、その指導原理、理念が、「冷戦」という世界不安構造のなかで、その相互補完性を完全に失い、徹底的な対立関係に置かれる。当初、全人類の解放の導き手とみなされた社会主義が、その「革新」の理念を推進させえないだけでなく、逆に一党独裁という権力維持のみの実践過程のなかで、「文明」理念が最も敵対視した自由の抑圧と専制主義へ転落することで、自由主義体制に敗北してしまった。一方、「文化」の擁護に回った自由主義陣営は、資本主義と国家権益の推進のなかで、社会主義が「進歩」主義から「保守」主義へ急旋回したのと真逆に、「保守主義から「進歩」主義へ方向転換し、グローバリゼーションという金融資本の世界化、貿易の国家間障壁の排除、撤廃ないし軽減、通信や情報伝達の一元化を提唱することで、「保守」主義を「革新」主義的な方向に転換させるという逆転現象を招来させている。これによって「文明」という概念は死語化の方向を辿り、代わって「グローバリゼーション」が「世界史」の指導原理、指導目標のごとき役割を演じる振りをしている。一方、「文化」も「文明」と同様、もはや自己の優越的価値を歴史哲学、政治哲学が領導してきたような価値概念でなく、せいぜい自国の文化財が「世界遺産」に認定、登録されたとき、ささやかな自意識の満足としかならないような矮小な価値概念に成り下がっているか、カルチュラル・スタディーズという学問に整備されてきている。

 

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