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2014年11月25日 (火)

菱田春草展(4)~第2章 「朦朧体」へ:空気や光線を描く(2)

Hishidaautamn「秋景」(上図)という作品は翌年に描かれたものらしく、画面の上半分は“朦朧”としています。この少し前に制作された橋本雅邦の「白雲紅樹」(右下図)とモチーフや構図がよく似ているので、菱田の「秋景」の“朦朧”としているところがよく分かると思います。いわゆる“朦朧体”については一般的には、日本美術院で岡倉天心が横山大観や菱田たちに空気、光線といったものを描く方法ないかと示唆したことに応えて、画面に置いた色を空刷毛(絵の具をつけない刷毛)で暈すという手法を考え出した。その効果を最大限に活かすため、伝統絵画においてもっとも重視され、かつ、自身も日本画の価値のひとつと認めてきた筆線や筆さばきを手放すことなった、というのが教科書などで述べられていることではないかと思います。もし、このことが真相であるとすれば岡倉はそもそも空気や光線を描く方法を問いかけたのでしょうか。岡倉がこのような問いを発したのは、従来の日本画に空気や光線を描く方法がなかったからでしょう。ということは、そもそも従来の日本画は空気や光線を描くことがなかったからです。日本画でも西洋絵画でもおなじように写実ということを言いますが、日本画の場合は“見たまま”を描くということで、西洋絵画の“リアル”ということとちょっと違うと思います。例えば、光が物体に当たれば陰が生じます。それを“見たまま”に描くということは、陰でものの色がかわったという表面の変化を写すことになります。これに対して、“リアル”ということは物体が立体であり、そこに一方向から光が当たれば当たらないところに光が届かず陰になるということを、つまり、物体が立体であることゆえに陰が生じることを描くことになります。そのためには、単に陰を描くだけではなく、陰をつくりだす光も描く必要が出てきます。それは、間接的な陰を描くことで光を示唆することもあるでしょうが、通常は見えてこない光を描く対象にする必要が生じてくるということなのです。ここで、“朦朧体”の件に話を戻せば、岡倉天心が空気や光線を描く方法を問うたということは、従来の日本画の“見たまま”ではなくて、西洋絵画のような“リアル”を日本画に取り入れようとしたことに他ならないのではないか、と私には思えます。それは、日本画が日本画であるべき根本的な画面のつくりに対する根源的な問いかけ、あるいは変革の求めに他ならなかったのではないか、だからこそ権威をはじめとして当時の日本画の関係者が本能的に“朦朧体”への拒絶反応を示したのではないか、と勝手な想像をしてしまいます。

Hishidahougaiさて、作品に戻りましょう。このようなことを考えながら「秋景」と「白雲紅樹」を比べてみましょう。滝の位置が左右逆ですが、秋の紅葉のなかで画面の横に滝を配して、岩石と水流と紅葉を対照させて際立たせているという趣向で両者は似たところがあります。しかし、全体として「秋景」の印象は画面が完結しているというのか、その中で濃密な印象があります。これに対して、「白雲紅樹」はもっと開かれた感じと言いますか、サラっと淡白な印象があります。言い過ぎかもしれませんが「秋景」には実際に岩がせり出して深く切り込んだ谷の薄暗い中で岸壁のゴツゴツした感触を目の当たりにしながら滝の流れ落ちる爆音が聞こえてきそうな画面になっています。その下半分は西洋絵画のように隅々まで彩色されて描きこまれています。実際に、私は展覧会場で、この作品を見て、菱田の描写力に感心してしまった、しばらく見入っていました。この展覧会では重要文化財に指定された菱田の代表作と言われる作品も展示されていましたが、そんな作品よりも、このような作品の方が菱田の描写力の凄さが実感できると思います。でも、これだけの描写ができて、西洋絵画の手法を取り入れることができたのに、なぜ菱田は日本画にとどまり続けたのでしょうか。この「秋景」のようなリアルに接近した作品を描くことができのたであれば、西洋絵画の油彩画に転向してしまった方が、この方向性をさらに追求できるはずです。しかし、菱田はそれをしなかった、あるいはできなかったということです。それは、芸術上の理由だけではなく、様々な事情が絡んでいるのだと思いますが、ここで日本画家であろうとしたのが、菱田という画家の個性と、彼の長くはない画業の苦闘に表われているのではないか、と私には思えました。それは、あえて一般論化してしまえば、西洋の先進的な文明を導入した当時のエリートたちが、それでも日本人であろうとし、あるいは日本の伝統的な環境の中で西洋的な文明との間で板ばさみになったに重なるのではないか、と思われたのです。夏目漱石が小説を通して終生追求していったテーマでもあることです。今回の菱田の回顧展の展示をみて、このような日本と西洋の狭間で右往左往する軌跡として、彼の作品の推移を見ていました。

Hishidachild「菊慈童」という作品です。この作品をみると、菱田の、あるいは“朦朧体”の限界がはっきりと表われています。画面の中心であるべき菊慈童が風景の中に埋もれてしまいそうなのです。そして、全体の風景画リアルに描かれている中で、中心の人物である菊慈童だけがリアルでないのです。今まで述べてきたことによれば朦朧体というのはものごとを“見たまま”ではなく“リアル”に描くための手法として考えてもいいのではということでしたが、そもそもこの作品では人物は“リアル”に描こうという意図は最初からなかったとしか見えません。立体的な厚みとか重量感をもった立体として捉えられず、従来の日本画の平面的な捉え方で外観をつくって、それに対して装飾のように陰影を付け足したようにしか見えず、存在感が薄いのです。それは、画面全体の中で菊慈童のサイズか小さくて目立たないということ以上に、存在感が希薄なので目立たないということなのです。それに比べて、背後の紅葉した森林や水流が色彩を淡くしてあっても“リアル”ら描きこまれているために菊慈童が存在感で勝てなくなっているのです。それ故にでしょうか、菊慈童には輪郭線が引かれて、背後との境界をはっきりさせています。その必要があったのです。私の勝手な妄想ですが、この作品に、私は西洋画の“リアル”と日本画の“見たまま”との間の相容れない間の狭間にあって、どっちつかずに追い込まれて苦労している菱田の姿が見えてきてしまうのです。

ここで、「菊慈童」という作品に対して視線を変えてみることにします。この菊慈童というのは、中国の古代の時代に罪を犯した周王(穆王)の侍童が、幽谷山奥の地に流され、孤独の中で四季の山川草木に身を委ね、風月水土を暦として過ごす慈童。その慈童が野の菊露を飲みつつ、永遠の若さを保ったという故事に基づくものだそうです。そうであれば、画面全体に秋色が広がる中央のやや下に立つ菊慈童があまりに小さく描かれるのは、リアリズムというよりは、たった一人で深山幽谷に暮らす孤独感をシンボリックに表現するためのものだった、という見方もあると思います。仮に、菊慈童を大きく描いて、背景を消し去ってしまったとしたら、人物の表情に寂しげな思いを表わすことはできるでしょうが、その置かれている尋常ならざる状況まで表現するには至らないでしょう。菱田は、そこで紅葉が広がる風景の中で、独りポツンとその風景と一体化するように立つ姿を描いた。そして、物語を表わすのと、菊慈童のシンボリックな姿を際立たせるために、微細な部分を描き込んだ。例えば、小川のところどころに咲く菊、慈童の頭の飾りの菊、その手に持つ手折った菊、そして着物の模様の菊と、それらすべてが菊慈童を際立たせための演出としての効果をあげているのです。これは、前回の「水鏡」のところで若干触れたラファエル前派の手法とも相通じるところがあるということもできます。菱田は、この後、風景の広がりに対して人間や動物を対比的に置いて、風景の広がりと手前の人間なり動物なりとの二項対立の構成を用いることが多くなります。同じ会場で展示されていた「高士望岳(荘重)」などもそうです。これらを見ると、苦し紛れに見えなくもないのですが、日本画の平面的な画面世界の中で、それとは異質な立体的な奥行きを対立させずに画面の中に落ち着かせようとする一つの解決策を見い出していく糸口を見つけようとしていたのが分かります。

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