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2014年12月20日 (土)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(6)

2.離人症と中動態

香山リカは、自分の身体を自分にとって他なるもののように語る言葉遣いと、ダイエット(自分の身体をコントロールすること)の流行等とを重ね合わせ、そこに「超心身二元論」を見て取る。心と体を別の実体とする伝統的な心身二元論を超えた、「心は体と別、しかも心は体の外にある」という二元論である。心は体を離れ、事物を操作するように外からこれを操作する。心身の間に、それどころか体の各部分のあいだにから、まとまりや統一性は考えられていない、というのが香山の見解である。香山は、このような「超心身二元論」と、離人症との類似を指摘している。離人症の症状の一つ、自己の身体に対する疎隔すなわち自分の身体が自分のものではないかのように感じられることが、「超心身二元論」の身体に対する操縦の意識と奇妙に一致するというのである。

我々の文脈からすれば、離人症に見られる病的な「自己の身体に対する疎隔感」は、自己の身体に対する関わりが他動詞的なものに変容している。我々はここに、自己の身体との関わりが、中動態で表わされてきたことの意味を、別の角度から見ることができる。離人症の患者は自分の身体を「別の人の体」「切り株」「ローラースケート」のようなものにたとえる。ここで訴えられるのは、自己の身体が、自分の体としてではなく、ただの事物としてしか感じられないということである。本来、自分の身体は自分にとって、他のものとは違ったものとして感じられる─あまりにも当たり前で、普段はほとんど意識されることのない私と私の身体との関係を、離人症患者のことばは逆照射する。離人症では、このような、自己の身体に対する疎隔感の他に、自分自身や外の世界の事物に対する疎隔感も、症状として現れるという。これは、自我感の喪失、事物の実在感の喪失と言われることもある。自分自身との関係、外界の事物との関係が変容してしまい、自分が自分である、ものがものであると、感じられないわけである。離人症の患者にとっては、自分が自分であること、ものがものであることが、成り立たなくなっているとさえ、言うことができるかもしれない。

このように考えると、離人症は、私が私であり、ものがものであり、世界が世界であることの、何か根元のようなところ、当たり前すぎてどんなことなのかあらたまって説明することが難しい事柄に、関わる疾患と思われてくる。

この離人症をフェーデルンは「自我備給」の貧困化という形で考察している。フェーデルンは「自我」を「自我感」と理解する。すなわち、自我はあくまで「体験」であり、自身の自我の感覚としてある、という理解である。フェーデルンは、自我のエネルギーを想定し、それを「自我備給」と呼ぶ。フェーデルンによれば、「自我感」は、この「自我備給」が主観的に体験されたものである。フェーデルンはまた、自我に属するものと、自我に属さない外的対象とを分かつ「自我境界」を考える。心的自我、及び心的自我の一部をなす身体的自我が、心的自我感、身体的自我感として、自我境界の内部で、直接体験されるのに対し、外的事物は、その印象が外部から自我境界を通過してくることによって、実在性を持つ対象、事物として認識される、というのである。自我境界も、とくに身体的自我感によって備給され、それと成立している。フェーデルンはこのように自我備給という根源的なはたらきによって、私が私であり、私の身体が私のものであり、ものがものであるようになっている、と考えている。

ここから離人症は、自我感として体験される自我備給が衰退すると、自分が自分であり、自分の身体が自分の身体である、ということが感じられなくなる。これは、「自我が内的堅固さを失った」状態、「自我の崩壊」であって、「自我アトニー」と呼ぶべきものである。他方、特に自我境界の自我感の備給が衰退すると、そこを通過してくる外的事物が実在感を失うことになる。注目すべきことに、フェーデルンは自我感を、「対象なき自我リビドー」によるものと考え、その性格を表現するのに、古代ギリシャ語の「中動態」を持ち出している。

我々にとって興味深いのは、私が私であり、私の体が私のものであり、私の知覚する世界がリアルな世界であることを支える自我備給、一次的ナルシシズムの初源的なかたちが、「中動的」だという指摘である。離人症の様々な症状から振り返って考えると、中動態という言語の範疇は、私が私であり、私の体が私のものであり、私の知覚する世界がリアルな世界であることを成り立たせている働きを捉えるための、思考の範疇として利用できる、ということになるのではないだろうか。

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