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2015年1月

2015年1月31日 (土)

ルディー和子「合理的なのに愚かな戦略」(1)

経営やマーケティングの戦略を立てるということで思い浮かべるのは、膨大な量の情報を前に、高度な学習教育を受け広範囲にわたる教養を身につけた経営者が、他の経営陣と議論を重ねたうえで論理的かつ理性的に熟考した判断を下す…という光景でしょう。しかし、これは、意思決定プロセスのすべてではありません。知識、記憶、学習、思考を含む認知活動だけでは人間は決断を下すことは出来ません。認知は行動を起こすためのプロセスではいのです。行動を起こす、つまり決断を下すには感情を必要とします。

一流企業の頭脳明晰であろう経営者が、なぜ、同じ間違いを繰り返すのか?米国ビジネススクールの著名な学者によって書かれた経営書を熱心に読む経営者たちが、なぜ、誰からも指摘されるような単純な間違いを犯すのか?理由は簡単です。ほとんどの経営やマーケティング戦略に関する本は、読者が論理的に考え意思決定を下すことを前提として書かれているからです。

データや資料に基づいて戦略を立てるまでは論理の世界です。でも、それを実行するかどうかの決断は理性だけでは決められません。過去の経験に基づくひらめきや、成功体験から生まれたしがらみ、プライドや功名心、執着心といったような要素が大きく影響力を行使します。優秀な経営者であるからこそ、自分が理性以外の要素で判断しているとは思ってもみない。これが有名企業が経営ミスを犯す最大の理由です。

本書では、ビジネス上の重要な決定が論理的思考だけで決められていないこと、それが、企業が失敗する真の原因だということを、具体例を挙げて解説しました。

2015年1月29日 (木)

ウィレム・デ・クーニング展

Kooningpos_2朝から都心に出かける用事があって、予定より早く終わったので、昼ごはんの時間を割いて、以前より生きたいと思っていたデ・クーニング展に寄ってきました。おかげで、この日の昼は立ち食いを数分でかきこむという慌しいものとなってしまいました。

美術館はブリジストン本社ビルの中の一郭にある、オーナー経営者のコレクションを財団にして見せるという類のもので、もともと展示用に作られたものではないため、無理してスペースをつくっているのがありありと分かり、企画展とかお洒落なミュージアム・カフェで人を呼んで、集めたコレクション見せつけようという意図が透けて見えるような私設美術館の大規模なものという印象でした。ウィレム・デ・クーニンク展については、日本でまとまって作品を見る機会がなかった、この画家の作品を集めた初めてのものということだったので、期待して行ったのですが、私の事前の情報が不確かだったのかもしれませんが、展示されていたのは、スケッチ等も含めて30点くらい、10室あまりに分割された展示室のうち2室分でしかなく、あとは常設のコレクションを、とくに目当てでもないのに見せられるというものした。正直な感想としては、騙されたというものです。それでも、デ・クーニングの作品がすばらしく、一点でも心を奪われることがあれば、それでよかったのですが、残念ながらいまひとつ、私には分からない、食い込めないで終わってしまったので、なおさらです。

例によって展覧会主催者のあいさつから引用します。“ウィレム・デ・クーニングは、ジャクソン・ポロックと並んで、第二次世界大戦後にアメリカで開花した、抽象表現主義を先導した画家のひとりとしてその名を知られています。その作品は、具象と抽象の狭間の表現と、激しい筆触を特色とします。本展の核を成すのは、デ・クーニングの有数のコレクションを誇る、アメリカ合衆国コロラド州を本拠地とするジョン・アンド・キミコ・パワーズ・コレクションからの、1960年代の女性像を中心とした作品群です。─中略─本展は、これらに日本国内の美術館が所蔵する作品を加えた油彩・水彩・素描、約35点で構成されます。これまで日本でまとめて作品を見る機会のなかった戦後アメリカを代表する画家の作品をご堪能ください。”とまあ内容のない形式的なもので…、と何か、私も感情的なきらいがあるようで、悪意むき出しの書き方をしていますね。

Kooningstudy_2さて、その画業の一部になりますが(今回は、やたら“一部”に拘泥していると自分でも思いますが)、ピンク色と黄色の色遣いが全体として印象に残りました。ただし、後で調べてみればデ・クーニングはずっとピンクや黄色を中心として色遣いをしていたわけではなく、1960年代の作品にそのような傾向が強いということらしいです。今回の展示は1960年代の作品がほとんどで、最初に展示されていた「マリリン・モンローの習作」が1950年代の作品で少し傾向を異にするようでしたが。そして、“激しい筆触”と主催者あいさつにもありましたが、筆遣いが荒っぽいところです。しかし、そういう筆触が必ずしも激しさとか荒々しさといったこと、さらに言うと、こういうときよく結び付く感情をぶちまけたような、という印象には結び付かなかったことです。抽象表現主義といって、デ・クーニングやジャンスン・ポロックを一緒にしてしまうのはどうかとは思いますが、ロスコもそういうところがあると思いますが、この人たちには表現衝動が直接的でないことに起因するクールさがあるように思います。クールという冷たいという語感と、それからスタイリッシュでかっこいいという意味合いの両方を含めたイメージです。何かを表現するというホットさがないというのか、それは感情をぶつけるのでもなく、理念やメッセージを伝えるのでもない。デ・クーニングの場合は、即興的に絵筆を疾らせた結果、できたものを後で評価なり意味づけをして作品として完成させるという印象を受けました。ただし、これは私が作品を見てイメージしたことで、実際にデ・クーニングが、どのように描いたのかは、私には知る由もありません。そういうことから、一見では激しい様相を呈しているデ・クーニングの筆触については、日本の書のかすれとか滲みを技法として活用したヴァリエィション豊かな筆遣いで即興的に制作するのに近いものではないかと思ったりしました。それは、もうひとつには、これだけ筆触をあからさまに残しているにもかかわらず、絵の具をマチエールとして立体的に積み上げたり、物質的な量感を強調することはせずに、あくまでも画面の平面に留まっているということです。これは、画面に何かを込めるということには意識がなく、あくまでも画面を見る人は正面から平面として見るということを前提にして、見る人たちへの効果を考慮しているということではないかと思います。私には、ここで展示されている女性像の作品群については、女性を描いたというよりは、描いたものに対してデ・クーニングがそれらしいタイトルをつけたもののように感じられました。シュルレアリスムのオートマティズムのような描き方ではないかと、デ・クーニングは女性を描こうしたというよりは、絵筆を動かしているうちに描かれたものを見て、女性を連想させたというようにみえました。デ・クーニングが描いた結果が女性に見えたとすると意識下に、そういう形とか何かがあったのかもしれません。

ヨーロッパ系の抽象絵画が精神的なものであるとか、感情的なものであるとか、不安とうような漠然とした雰囲気であるとか、幻想とか、いずれにしても重荷を画面が背負うものであったのに対して、ポロックもそうですが、デ・クーニングの作品はそのよう重荷を脱ぎ捨てたような、身軽さが、とくに第二次世界大戦の苦しさから解放され、これから世界の覇権を握っていこうとするエネルギーに満ちたアメリカの肯定的で建設的な社会の中で受け容れやすかったのではないかと、想像しました。

Kooningreag展覧会チラシに使われている「リーグ」という作品は、まさに今まで述べてきたことが当てはまると思います。これを女性像と言われれば、そのように見えるでしょう。これは、例えばピカソが描く対象の形象を崩していって抽象的なものにしていったようなカチっと決まった何かが見えません。多分最初からなかったのだろうと、ピンク色のきれいな色を不定形に画面に塗っているうちに、無意識のうちに何とはなしに形らしきものができてきた、それを女性像として観る者に提示することで、観る者には女性像に見えてくる。ピンク色に塗られた画面上部の真ん中あたりが女性の顔の部分でその下で左右に水平に広がるようなのが肩の線のように見えてきます。とくにピンクという色が、女性の肌にも衣装にも見えてくることも援けとなっている。それでは、デ・クーニングという人が描くのと他の人、これなら人である必要はなく猿でもかまわないでしょうか、の違いはどこにあるのか。多分、違いはないのではないか。それならば、デ・クーニングと他の人が描いたのを分ける境界はどこにあるのか。というと、それは偶然にできたものに対して評価を与えタイトルを付けて作品として提示する、という一種のプロデューサーとしての機能のようなものではないか、と見ていて思いました。つまり、コンセプトを企画し、画面をデザインし、形を与え、彩色を施した結果が作品であるというのが、デ・クーニング以外の画家であるなら、デ・クーニングはとりあえず観る者に提示する“物”をいくつも作成し、それは前段階のようなもので、その“物”の中から作品として観る者に提示すべきものを選び出し、それについて、いつ、どのように提示するか、その中には作品タイトルであるとか提示するため細工、例えば画面に多少手を加えたりなど、とか作品のコンセプトを付け加えたりとして、その“物”に意味という付加価値を与えるのが作業の中心(当然、ここにはデ・クーニングというブランドを付与することも含まれます)で、そこにデ・クーニングの作品と他の単に画面に色を塗られたものとか分けるものがある、というような気がします。これは、実際の事実とは異なるものです。単に、私が展覧会場で見たデ・クーニングの作品を見て想像したことでしかありません。

Kooningtwo幼児に撥を握らせて、好きなように太鼓をたたかせてあげると、最初は太鼓をたたくという肉体を動かすことや太鼓をたたくと音が出ることへの驚きから、めちゃくちゃな動きで太鼓をたたくでしょうが、次第にその動きに規則性が生まれてきて、ある種のリズムで太鼓をたたくようになってきます。絵を描く場合も、無秩序に線を引いたり色を塗ったりすることを繰り返しているうちに、不思議なことに線や色塗りにある種のパターンが、いくつか生まれてくることになります。そういうことは、例えば「二人の女」や「歌う女」といった作品で人の形に見ようと思えば、そう見えてくるパターンが現れてくることになります。まるで描き撲られたような、これらの作品には新石器時代の洞窟に描かれた壁画のようなプリミティブな雰囲気があるのかもしれません。これらのデ・クーニングの作品は新石器時代のもののようなイノセントな力強さを感じさせることはなく、どこかスタティックな印象を持っています。

デ・クーニングの評伝の中で引用されている本人の文章“私の興味は、抽象、デザイン、形態、色彩ではありません。私のような描き方をすると、画の中にドラマ、怒り、痛み、愛、人物、馬、空白などより多くのものを描きこむことができます。あなたがわたしの作品をご覧になれば、あなたにもある種の情感あるいは想念といったものが生まれてくるはずです。”というのは、ここで私が見たような屈折した見方の説明としても意味が通るものになっています。

2015年1月28日 (水)

N社のこと~またまた、久しぶり

以前にIRの業務を担当していた時に懇意にしていただいた方の厚意で、先日N社の第3四半期の決算説明会を見学してきました。以前にも、このブログで感想をアップしてきましたが、日本を代表する電子機器メーカーで、社長は創業者でもあり、いわゆるカリスマ経営者ということになっている人です。

今回の説明会は、その社長が自ら会社の経営にとって画期をなす転機だったと宣言し、今後の経営についてビジョンを(本人は個人的妄想とのたまわっていましたが)熱く語るという、決算説明といい投資関係者や報道関係者だけに聞かすにはもったいないほど面白い説明会でした。この会社1973年に小さな町工場としてスタートし、その社長のエネルギッシュな経営で業績を伸ばし、度重なるM&Aによって飛躍的に拡大成長してきた会社です。売上規模でいうと100億円の売上を達成してから15年のスパンで売上高を一ケタ増やしてきて、今年度は1兆円の大台に乗ることがほぼ確定したそうです。15年で売上を十倍にするということを繰り返してきた、というのは売上の増加額が年々増えていったということで、並大抵のことではないことです。社長本人は、当たり前のようなことを言っていましたが、毎年売上を増やしていくすら大変な時代なのですから。で、社長さんは、当然のように15年後には10兆円の売上高を目指すといいます。常識的に考えれば、規模が大きくなるに従って、10倍に増えることの難易度はどんどん高くなっていくはずです。だから、本人は個人的妄想と言っていました。でも、本人は本気であることは、実際に話しているのを聞いていると分かります。まあ、そんな妄想パワーに触れるだけでも、元気をもらえるじゃありませんか。調子のいい話を景気よく、しかも本気でぶち上げる、しかも、いい歳をした爺さんが、です。50歳の私なぞ、若造とかいわれて、尻を叩かれているような気分でした。話を聞いていて、15年後には達成してしまうのではないか、と思わせる迫力と説得力がありました。比較するのも変ですが、先日の選挙のときの実現するかどうか何ともいえない、実現させる気があるのかどうかも窺えない、景気対策の政策談義などとはレベルの全然違うものでした。

その場は述べられていたビジョンというのは、最初に電子部品のメーカーとしてスタートして、品質の高い部品を提供していた部品業者から、その部品を核として自動車や電機製品の主要な部分を任せてもらうアセンブリーメーカーへ脱皮したのが現在だといいます。今期が転機だと社長が述べたのは、その脱皮が終わったからです。例えば、自動車にはパワーウィンドとかミラー、あるいは電子制御で成り立っている部分がたくさんあります。自動車メーカーは電子機器は専門ではないので、その動く部分全体を一つのユニットととして自動車メーカーは自動車本体に取り付ければいい状態で提供するようになったといいます。こういうところは、最近どんどん自動化されてきたところなので、従来の自動車関連の電装メーカーも作る事ができないので、率先して開発して提案すれば、ライバルがいない状況だそうです。さらに将来は自動運転の開発が盛んですが、そのときにハンドルやブレーキを動かす部分の開発も率先してやっているということらしいです。何も自動車だけでなく、家庭電機製品でも、掃除機の吸引モーターは主要部分でメーカー自身が作りますが、それ以外の部分でも電子制御しなくてはならないところが入ってきているけれど、そこまで自社で開発し作ってしまうと、コストが高くなってしまうので、そういう部分を一括して受注してしまうのだそうです。それを続けていくと、自動車も家庭電機製品もN社を抜きに作れなくなるのです。現在のN社はその方向を目指していると言います。

で、社長さんの妄想ビジョンというのは、それをグローバル規模にして、世界の自動車や電機製品をある部分で支配しようという妄想です。さらに、いままで触れることもしなかった、最終製品まで扱い、グローバル電機メーカーになれば、10兆円の売上も夢ではないそうです。単に数字だけではイメージしにくいと思いますが、利益でいえば、N社は営業利益率が10~15%なので、売上10兆円になれば、営業利益は1兆円を数千億円超えることになり、その利益額はトヨタ自動車のグループ全体の利益とほぼ同じ規模になります。(自動車産業は利益率はそれほど高くないので、売上高は20兆円を上回りますが)

一方で、こんな景気のいい話をぶち上げるのは、別の理由もあるのでは似ないか、と僻みっぽい私は考えるわけです。それは、社長さんの年齢です。多分、15年後まで第一線にいられるかどうか議論が分かれると思います。社長をずっと続けるにしろ、ワンマンといわれ社長さん一人で仕切ってきたのが、ずっと続くということは考えられません。そうであれば、次世代への継承ということが必要となってくると思います。優秀な人材がたくさんいらっしゃるでしょうから、ことさら次のことを問題にするのはおかしいのかもしれません。しかし、この社長さんは、破格の人です。だからいくら優秀な人でも、次に経営を引き継ぐ人は普通の人でしょう。そのときに、社長さんと同じようにグイグイ引っ張っていけることができるかどうか。というのも、いままでN社はパソコンの部品のメーカーでした。パソコンを含むIT機器の業界というのは景気の変動が激しく、N社のような部品メーカーは一時でも判断を誤れば、大量の不良在庫を出してしまったり、逆に急ぎの大量の注文をこなしきれず、ライバルに顧客を奪われる危険に常に曝されています。そこを野生の勘だか、超人的な先を見る目で悉く成功を獲得してきたのが、この社長さんです。だから普通の人ではないといえるのです。そのことは社長さん自身も分かっていると思います。だから、N社が浮き沈みの激しい業界の部品メーカーから、自動車や電機製品のような中長期的な生産計画にもとに注文をだす顧客の主要部分を任されるような会社に脱皮しようとしたのは、優秀な普通の人の長所をもっと有効に機能させて、N社の成長を続けさせることを可能にするためだったのではないか、と私には思えるのでした。だから、社長さんは、自分が退くために手塩にかけて育ててきたN社の本質を変えようとしてきたのではないか、つまり、N社の社長さん離れを自身で進めたのではないか。そう思うと、ちょっと寂しくなるではありませんか。

だから、景気のいい話がぶち上げられた、社長さんの話について、一抹の寂しさを感じてもしまったのでした。

また、次の説明会の時に、どんな顔をして話をするのか楽しみになりました。

 

2015年1月27日 (火)

ジャズを聴く(21)~ズート・シムズ「ズート」

ズート・シムズはクール・ジャズにカテゴライズされるスタイルのテナー・サックス・プレイヤーだった。彼のテナーはスウィングのエナジーとブルージーな熱さに充ち溢れながらも、滑らかでリラックスしたフィーリングをも兼ね備えていた。ビック・バンドやボーカルもまじえたジャム・セッションで舞い上がるように目立つことも出来たが、合わせものでは過度に出しゃばることなく、その上手さを発揮していた。シムズはレスター・ヤングの影響を受けていたが、盲目的な模倣者ではなかった。たしかに、彼のキャリアの最後近くでは、レスター・ヤングやビ・バップに影響されたアプローチよりも、むしろ、原点に戻るようにベン・ウェブスターのモードでプレイしていた。

シムズの家族は寄席芸人で、彼自身も小さい頃からドラムスとクラリネットを演奏し始め、13歳でテナー・サックスを手に取った。2年後にプロとなり、ダンスバンドのツァーに参加した。1943年にベニー・グッドマンに加入する前の40年代前半にはボビー・シャーウッドともプレイしている。1944年にはビル・ハリスとニュー・ヨークのカフェ・ソサイエティでプレイしている。その一方、ジョー・ブシュキンのリーダー・アルバムのレコーディングに参加している。

その後、カリフォルニアに移り、シット・ギャレットと共演する。軍務に就いた後の1946年には再びグッドマンのもとでプレイし、47年にはジーン・ローランドのもとに加わった。そのころ、スタン・ゲッツ、ジミー・ジェフリーそしてハービー・スチュワードとプレイしている。ハーマンのもとを去ると同時に、短期間バディ・リッチと活動を共にし、50年にはグッドマンに復帰している。1951年にはエリオット・ローレンスに加入した。50年代前半になってプレスティジ・レーベルでソリストとしてデビューし、1953年には、スタン・ケントンのグループでプレイしていた。1954年から56年にかけて、ヨーロッパに渡り、ジェリー・マリガンのバンドに加わり、それ以降のマリガンのバンドのソリストとなった。他方で、50年代前半にアル・コーンとの間でコラボレーションを始め、これが後々まで長く続くことになった。2人はコラボはフレンドリーでありながら、ほどよい緊張関係を保っていて、素晴らしいツイン・サックスのレコーディングを何点も残している。彼らは、70年代にスカジナビアと日本にツァーを行っている。シムズがボブ・ブルックマイヤーとのクインテットでプレイしたセッションは5枚の異なる録音となって残されている。彼は、50年代には、ユナイテッド・アーティスツ、リバーサイド、ABCパラマウントでレコーディングした。70年代に入るとソプラノ・サックスを演奏し始め、ソプラノ・サックスによる優れた録音をパブロ・レコードに残している。60年代以降は様々なレーベルで多くのレコーディングに参加している。

Jazzoot_zoot

Zoot   1956年10月12日録音

 

9:20 Special

The Man I Love

55th Street

The Blue Room

Gus's Blues

That Old Feeling

Bohemia After Dark

Woody'N You s

 

Gus Johnson(ds)

Johnny Williams(p)

Knobby Totah (b)

Zoot Sims(ts)  

 

ズート・シムズというプレイヤーは録音を通じての印象は好不調の波が少なく毎回安定したプレイをしている。それはそれで凄いことだと思う。ジャズというその場一発の即興演奏をウリとする音楽で、毎回いいフレーズが浮かんでくると限らない。しかも、録音してプレイが後世に残るわけで、人は前回の録音があれば、今回の録音は前回と比べてどうこう言ってくる。前回の録音が素晴らしければ、今回は当然のごとく、それ以上のものを期待する。前回と同じレベルでは期待外れと言われかねない。かくして、プレイヤーは過大なプレッシャーを抱え込んで録音に臨むとなれば、そこでコンスタントに毎回安定した結果を残すこと自体が、実は非凡な才能、あるいは隠れた努力の賜物と言っていいと思う。

ズート・シムズの場合は、そういう安定と裏腹にマンネリということを常に抱えていたと思う。例えば、ズートをこれから聴こうという人に、彼のおすすめ録音をというときに代表的なものをと思っても、結局どれも、そう変わらないということになってしまうのだ。それが、ズートの特徴でもあるのだが。へんな喩えだが、水戸黄門の一件落着と同じで、マンネリをひとつの藝にしてしまった、というものではないだろうか。

だから、彼の録音の違い、それに対する好き嫌いは、ズートのプレイもさることながら、サイドメンの顔ぶれと編成による変化によるところが大きいといえる。

この録音は、ズート・シムズにとっては初のリーダー・アルバムだったということだが、編成は、彼のテナーによるワン・ホーンの編成で『Down Home』と同じ形態となっている。ただ、メンバーの違いがでて、こちらの方が鋭い感じで、『Down Home』のようなズンチャッ!という感じがなく、より洗練された感じになっている。特にピアノの抜けがよくて、人によってはキンキンするように感じられなくもない。

さて、マンネリをひとつのウリにまでしているズートの特徴が顕著に表れているのが2曲目「The Man I Love」というスロー・ナンバーだ。ここでのズートのプレイは聴き手の感情移入を拒むかのようだ。嫋嫋としたところは微塵もなく、この辺りが、彼を男性的と評する人がいるが所以なのだろうけれど、ズートはメロディや音楽の形を厳格と言っていいほど守っている。それ以上にリズム感、全体の乗りをキープさせている。つまりは、スロー・ナンバーでも、歌い上げるということよも、安定した乗りで曲が前へ前へと進むことを大切にしている。それは、聴く者にとっては、演奏に部分的にのめり込んだりすることはなくて、音楽と一定の距離を保ちつつ、安定した乗りから生まれる心地よさを、それとなく享受している感じになる。かといって全く音楽から離れてしまうとことはなく、音楽との間に就かず離れずといっていい絶妙の距離感が生まれているということだ。だから、録音をエンドレスにして流しっ放しにしていてもいい。そこで、安定したズートのプレイはピッタリはまるというわけだ。

それはまた、ズートのアドリブにも言える。彼の即興には光るフレーズとか意外な展開とか、即興自体の切れ味で勝負するのではなく、即興が続いて全体として生み出される乗りに聴く人を巻き込んでいくような感じだ。だから、彼のフレーズはテーマの変奏のように聴こえる。そこで、部分的にフレーズに注目してしまうと、かえって聴く人の乗りが崩れてしまうのだ。だから、彼のサックスはブローすることは少なく、腹八分目という感じで余裕をもって軽く吹き流している。その真骨頂は1曲目の「9:20 Special」や「55th Street」「Bohemia After Dark」といったテンポのいいナンバーではないかと思います。

2015年1月26日 (月)

ジャズを聴く(20)~ズート・シムズ「ダウン・ホーム」

Jazzootレスター・ヤングの足跡を追ってサックス奏者となり、スウィング様式による最強のサックス奏者と呼ばれた。

白人のサックス奏者。そのプレイの特徴を一言で、“朴訥さ”と言う人がいる。曰く、“田舎の純朴なお百姓さんのような語り口で、一言一言をしっかりとかみしめるように、律儀にフレーズに組み立てて行く。結構ハイスピードの演奏もやるがあんまり軽薄な感じがしない”。ズート自身は高い音を好み、長ずるに及んでテナー・サックスに加えてソプラノ・サックスも吹くようになったという。しかし。イメージとしてズートの音は線が太く、どっしりと腰を据えたような重量感があるように受け取られる。それだから「クール」と反対の「ウォーム」と言われたりするのではないか。

ズートは若いころにビック・バンドにいた経験のせいなのか、アンサンブルの中で自分を生かしていくタイプで、共演者や伴奏者を生かしながら、全体としてコンセプトを実現させていくタイプだと思う。彼のプレイをよく聴いていると、同じような節を同じように繰り返していることが多い。まあ、一部の天才を除けば、毎度ハッとするようなフレーズを差し挟むことなどできない。そうであれば、手持ちのフレーズをうまく使いまわすこということになるだろう。要は、その使い方の問題で、ズートは、それほど豊富でないフレーズを何度も繰り返して積み重ねる。その繰り返しがリズムを作り、彼独特の推進力あるノリを作り出す。繰り返すことによって耳になじんだ節によって、スウィングのビックバンドで培われた、ストレートでスウィンギンなノリが生み出されると、それが聴く者に親近感を抱かせてノリに誘われるような心持ちにさせられる。それが、ズート・シムズの特徴であると思う。それが、朴訥と言われるのではないだろうか。

繰り返しとは、すなわち継続であり、継続するためには安定していなければならない。これは、詰まる所ジャズの大きな魅力であるアドリブの即興的なスリル、この先何が出てくるか分からない展開の読めない楽しみというのはない。節が繰り返し続いていくことを前提に、その繰り返しの安定感が、だからこそ単調に聞こえてしまう人もいるだろう。しかし、それがウォームテイストの源となっていると思う。

 

Down Home   1960年6月7日録音

Jazzoot_down

Jive at Five 

Doggin' Around 

Avalon

I Cried for You 

Bill Bailey 

Goodnight, Sweetheart

There'll Be Some Changes Made 

I've Heard That Blues Before

 

Zoot Sims(ts) 

Dave Mckenna(p),

George Tucker (b), 

Dannie Richmond(ds) 

 

ズート・シムズはリーダーとしてメンバーをぐいぐい引っ張って革新的な新たな何かを創造するというよりも、安定した演奏で安心できる名演をたくさん残したサックス奏者というイメージが強い。そして、ベツレヘム・レーベルに録音した『Down Home』は、そのようなズート像を代表する一枚である。

人によっては単調と言われるかもしれないけれど、アルバム全編にわたって、ノスタルジックなスウィング感に満ち溢れている。これは、ダニー・リッチモンドのエンヤトットノリのドラミングとデイヴ・マッケンナのスウィング風ピアノがズートの暖色系テナー・サウンドとうまく溶け合って、何やら懐かしげで、でも全然古くないうまい按配のサウンドを醸し出す。実は、ドラムスとベースのリズム部隊はズートを煽り立てている。これに対するズートは15歳からプロとしてスウィング・ジャズのビック・バンドで活動した経歴を生かしてスウィング・ジャズのテイストで、ビック・バンドのソリストのようにバンドと一体化し、そのソロパートを担うような、バックとのバランスを考えて、スウィングっぽいフレーズをアドリブで駆使している。それが、ズートの特徴である、訥々とした一音一音を律儀に組み立てていく、角張ったプレイが、フレーズをヨコの流れではなくて、タテの刻みとして聴く者には捉えられるだろう。それが、自然とベースとドラムのリズムに自然と注意が行って、レトロ調のリズムがさらに印象強くなって、そのリズム部隊がズートを煽る、という循環。それが、シンプルでノスタルジックという雰囲気でありながら、全体にユルんだりダレたりしたところがいささかもない。

 

2015年1月25日 (日)

ウフィツィ美術館展(4)~第3章 大工房時代のフィレンツェ

派手な大作はボッティチェリでほぼ出尽くし、この後は小品に面白いものが数点ありました。

Ufizpietaアンドレア・デル・サルトの「ピエタのキリスト」という作品です。ボッティチェリの絢爛豪華とは正反対の作品。デル・サルトが意図して描いたのか、結果としてこのような形で残されたのかは分かりません。ピエタという題材は多くの作品ではキリストの死体を聖母マリアや弟子たちを含めた人々が取り囲み、その死を悼むという情景が描かれているものですが、そこにはキリストを抱きしめる人や涙を流す人など様々な人物が描かれているものです。しかし、この作品では中央に死んだキリストがぽつねんと腰掛けている姿があるだけです。キリストの姿だけを取り出してみれば、同じく展示されていたペルジーノの同名の作品に通じるところがあって、現実の人間のリアルな人体になっています。後輪光も見えずアトリビュートもほとんど見られません。ここにいるのは、独りの男の死体だけです。その寂しい姿は、どのような人であろうとも、たとえキリストであろうとも死ぬときは独り死んでいくしかない、死そのものの孤独さを表わしているかのようです。がっくりと肩を落として俯いた姿からは表情を読み取ることもできません。しかし、その肩を落としたような姿はまた、耐え切れないほどの重みを背に負った姿にも見えます。それは、両腕を広げたようなポーズや、背をかがめているにもかかわらず、腹筋が張っているように見えることから窺われます。私はキリスト教徒ではないので、キリストの逸話を知悉しておらず、そこに想像をめぐらすには限界がありますが、受け取り方によっては、その死によって大きなものを抱え込んだ姿が時には崇高に見えてくるかもしれない、と想像することもできなくはありません。この姿は、言うなれば、人が独りの個人として神とか信仰に向き合ったときに、その独りの個人に対して訴えかける作品になっているといえないでしょうか。それは、教会に通い形式的な儀礼に参加することが信仰であるというマスとしての民衆ではなくて、個人としての内面を持つにいたった、つまりはパスカルに代表されるような独りの精神として神に向き合うという信仰の姿に応じたものになっているのではないか、と私には思われます。それは教会に大々的に掲示され、人々を教え導くのではなくて、一人ひとりの自覚した精神に働きかけ、問いかけようとするものなっているのではないか、と思えます。その意味で、近代的な精神の信仰に適ったものとして見ることができるものになっていると言えます。それは、別の意味では、感動とか共感といった近代的な鑑賞にも耐えうるものになっているということです。

Ufizpieta2アンドレア・デル・サルトという画家は、他にも「自画像」などの作品が展示されていましたが、本人が意図してこのような描き方をしたのかは分かりませんが、後世の近代主義の世俗化された芸術とか精神とかに十分に沿うことのできるものを残していた画家として、私にとっては今回の大きな収穫でした。ボッティチェリに対しては、落胆しかなかったのを埋め合わせるに十分でした。

この後の展示では、プロンヅィーノなどのマニエリスムの画家たちの展示がありましたが、残念なことに場つなぎの数量あわせとしか、私には思えない展示としか見えなかったので、感想を書くほどのもでもないと思います。全体として、日本人というのはヨーロッパの人からはなめられているのであることが、全体の展示を見ていて感じました。こんなものでも本場ものとして、ありがだがるのだろうと、たかを括っているというイタリアの姿勢が透けて見えた、というのでしょうか。私が僻みっぽい性格だからかもしれません。

2015年1月24日 (土)

ウフィツィ美術館展(3)~第2章 激動のフィレンツェ 美術の黄金期の到来

前章の終わり頃からボッティチェリの作品展示を見ることができました。言うまでもなく、初期ルネサンスを代表する著名な画家であり、今回のウフィツィ美術館展の目玉といわれているものです。

Venusそこで、数点が展示されているボッティチェリの作品の印象を端的に申しますと、「こんなものか」という失望ととまどいでした。展示されているボッティチェリの作品を見てみると、展示されている作品が失敗作というでもない限り、平面的で装飾的な画面の作り方をしていたのが分かります。例えば、今回の展示にはありませんが「ヴィーナスの誕生」は横一列に、同一の線上に人物が並んでいて、背景は書割のように平面で、人物とその余白をうめるために背景が描かれているという構成になっています。その人物も肉体の厚みがなく平面的です。つまり画面全体ではのっぺりとしていて、まるで塗り絵のようになっているわけです。また、それぞれの人物はコスチュームプレイのような形で描き分けられている人かたのパターンにようです。このような描き方の構造を見ていくと、前章でみたペルジーノ、さらにはギルランダイオよりも古いタイプで、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニに近いタイプではないかと思われてくるのです。では、なぜボッティチェリがルネサンスの代表的な画家で革新的なようなイメージをもたれてしまっているのかといえば、それ以前の画家では取り上げることあまりなかったギリシャ神話のような異教的な題材を先駆的に採り上げたことによるのではないかと、思いました。それまで誰も採り上げていないということは、前例がないということです。そこで、あらたにパターンを創る必要があります。それをボッティチェリがやった。いわばデザイナーです。デザインをしたからといって、作品として優れたものになったとは限らない。今回のボッティチェリの作品を見ていて、そんな想像をしました。このことには証拠も何もないのですが、私なりに、ボッティチェリの作品について、何がいいのかを探してみた挙句、このくらいのことしか見つけることができませんでした。

Ufizbot「パラスとケンタウロス」という作品です。今回の美術展のポスターやチラシに使われた、いわば、この美術展のメインの作品です。ボッティチェリの作品の中でも「ヴィーナスの誕生」や「春」ほどではないにしろ、きわめて知名度の高い作品なのだろうと思います。ケンタウロスという半人半獣を人と並べられるようにデザインするということは大変だったのかもしれません。また聖書を題材とした絵画作品のように決まりごとに従えば内容はそれにより込められてしまうことはないわけです。だからデザインができたことで足れりということになっているように思われます。細かいところは工房の職人たちに任せて…。実際、バラスの仕草と表情がちぐはぐ、というよりも、表情まで描き込まれていないでお面のようになっています。人体のバランスも取られていない(バラスの手が長すぎる反面足が短い。また首のすわりが悪い)し、ポーズも不自然です。最初から不自然でいくという方針で描かれたのならいいのでしょうが、見ていると、デザインを考えているうちにポーズを色々といじって、人体の基本的な構造が分かっていないので途中で不自然なことに気付かず、最終的に修正できなかったというのが実際のところなのではないかと思います。このバラスとケンタウロスの並び方はイコンの中の似たパターンをそのままに使っている感じです。背景の描き方もまるで演劇の舞台装置のようで、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの「砂漠で改悛する聖ヒエロニムス」に通じるところがあります。文句ばかり並べ立てているようですが、絵画作品として、どこに魅力があるのか分かりかねるというのが正直な感想です。ただし、この作品を発注したであろうメディチ家のサロンにおいて、この作品を飾り、それをネタにその場にはギリシャ神話や文化にくわしいフィチーノやピコ・デラ・ミランドーラたちがギリシャのことを雑談やら何やらで時間をつぶすには、とても便利なものだったのかもしれないということは考えられます。それは絵画作品として鑑賞するというのではなくて、飾りです。一種の職人仕事です。

Ufizbot2「ロッジャの聖母」という油彩の作品です。「バラスとケンタウロス」のような大作ではなく小品です。後年の修復でかなりの加筆がなされているとのことですが、前例のある聖母子像なので安心して見ていられるのですが、聖母とキリストについてはイコンを見ているような錯覚に捉われます。聖母の顔は陶器のように冷たい感じがしますし、赤子の顔はイコンのちょっと怖いパターンのままです。多分、ボッティチェリという人はダ=ヴィンチの登場以前の人で、ダ=ヴィンチのような解剖学的な正確さで人を描くという現代の視点でいえば科学的合理主義に基づく視野というのが、なかった人ではないかと思われます。むしろ、伝統のイコンのパターンのほうに絵画のリアリティを感じ、ダ=ヴィンチが現れても、自身の視点に影響を受けることがなかったのでしょうか。だから、油絵の具という新しい機材を与えられてもペルジーノのように、その新機材を生かした表現を展開させていくことはなかった。ただし、小手先になるのでしょうか、聖母の滑らかで柔らかな肌の感じを上手く表現していたと思います。ボッティチェリは他にも聖母子の作品が展示されていましたが、その点だけは、ひとつの魅力としていえるのではないかと思います。

このウフィツィ美術館展の最大の眼目がボッティチェリということでしたが、このように私にはボッティチェリの作品がつまらなかったので、全体としては失望という感想でした。歴史や美術史の教科書で習うルネサンス初期の巨匠ボッティチェリがこんなものなのだとするとルネサンスというのはいったい何だったのか、何か大袈裟ですが、そんな疑問を感じました。近代絵画という言い方が適当かどうかは分かりませんがリアルとか自然とかいうことがキーワードで立体的な空間を二次元の平面的な画面に違和感なく定着させるという考え方。これは、例えば、ここでも何度も触れましたが、レオナルド・ダ=ヴィンチが人間を正確に描くために解剖学的な分析により骨格だとか筋肉の構造まで理解して人の身体を描く表現を展開する。そのようなことがルネサンスを契機として様々な模索が始まった。つまりは、近代絵画の始原がルネサンスあたりにあると考えていた。ところが、そのルネサンスの巨匠であるボッティチェリの作品が、このような近代絵画という視点に入ってこない、時代が異なるものだったというわけです。

だから、教科書から想像するようなルネサンスというのが革命的ともいえるような運動というイメージではなくて、北部イタリアのフィレンツェやミラノ等の都市の一部のごくローカルなところで、ダ=ヴィンチ等のような人々かそれぞれに活躍したのが、後からそういうものという物語をつくった、というのが本当のところではないでしょうか。

しかし、この後、その失望を補うほどではありませんでしたが、小さな発見が数個あって、それらが今回の収穫となったと思います。

2015年1月22日 (木)

ウフィツィ美術館展(2)~第1章 大工房時代のフィレンツェ

Ufizgil展示室に入り、その大きさと鮮やかな色彩により目立っていたのが、ギルランダイオの「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」という作品です。テンペラ画というもので、その後一般的になる油彩画とは描き方や絵の具等の道具の異なっていることより、出来上がってくる作品が異なってくるのが、実感としてわかるように思えました。たとえば、この作品の中央の人物の衣服の赤の色調、その色というより色の感触、色が光として目に入ってくる調子が油絵とは異なるのです。言葉にして具体的に説明するのは難しいことです。あえて感覚的な言い方で許してもらえれば、実際に人が衣装として着ている色を写したというのではなくて、赤という色が鮮やかにまず主張されているという印象です。それは、中世の教会の聖堂の壁面に飾られているモザイクのタイルの色の美しさと同じような、まず色ありきで、その色によって組み立てていくという感じです。私が、この「聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ」にまず、目を奪われたのが人物の衣装の鮮やかな赤とその中の細かい装飾的な模様の金色でした。(まあ、その印象をもっともらしく述べているだけなのですが。)このように画面の構成要素である色が一人歩きしようとしているのは、画面全体が装飾的で平面的であるからです。この作品の画面の構成や構図をみれば中世のイコンのパターンそのままであるように私には見えます。しかし、そこで描かれている個々の人物は平面的なパターンの枠を乗り越え肉体の厚みを備えた人間に見える姿になってきています。そして、背後のアーチも陰影が付されて真っ平らの平面ではなくて奥行きが多少感じられる描かれ方になっています。そうは言っても、画面全体に空間が構成されていて、その中で背景の建築があり、その建築を背後に空間を隔てて人物が立っているという位置関係が構成的に表現されているのではなくて、個々の描かれているものの奥行きとか立体感が装飾の一種のように扱われているように見えます。それゆえでしょうか、後のダ=ヴィンチやラファエルには感じられない鮮やかな色彩が前面に現れ、それだけにも目を奪われる煌びやかさが、この作品にはあります。それは、テンペラ画という油絵に比べて陰影のグラデーションを精緻に施していくのには向いていない代わりに、のっぺりとはするものの色彩の発色が明るく鮮やかで、色相互のコントラストを付けやすそうという、テンペラの限界と特徴を突き詰めていったものではないかと思います。思うに、テンペラ画では建物の壁面を壁画として飾るものだったり、書物などの挿絵のような、なにものかの付属物とか装飾的な役割を担わされていたもので、この作品も絵画として独立した存在で何かを表現するというよりは教会の飾りのようなことを期待されていたのではないか。その中で、私の想像ですが、ギルランダイオは、彼をとりまく注文者や関係者の志向する方向が後のダ=ヴィンチやラファエルのような作品に向いていたのを察知して、あるいは自身にそういう志向性があって、テンペラ画でできるところまで進めたのがこの作品ではなかったかと思います。

Ufizbal同じ頃に制作されたと思われるバルトロメオ・ディ・ジョヴァンニの「砂漠で改悛する聖ヒエロニムス」という作品です。上の作品と同じテンペラ画です。こちらもイコンのような平面的で装飾的なものがベースになっていて、画面の中の各パーツが各個に洗練されてこようとしているのが分かります。この作品は聖ヒエロニムスの物語の挿絵の機能を担っていて、その一場面を自立した表現として作品化したというのではないように思えます。言うなれば、聖人の物語の説話的な機能を効率的に伝えるというメディアというもので、そのメディア自体が独立した価値を主張するものにはなっていない、挿絵とか紙芝居のようなものであったように見えました。この作品では、聖人やキリスト教のアトリビュートが雑多に詰め込まれているような感じで、物語の説話的要素、言い換えれば情報をできるだけ多く盛り込んでいこうとする意図が見えます。ここでは作品画面自体のまとまりとか統一性とか見易さのようなものは優先的には考慮されていないように見えます。このような作品を後世のいわゆる芸術作品として見ようとする目からは、人物の肉体表現であるとか、背後の洞窟の特徴的な描き方を面白がるという方向に行くのでしょうか。とはいえ、私には、ここで展示されている作品について絵画としてみるという点では、非常に難解な作品でありました。これらについて好き嫌いを言う前に、分からないというのが正直な感想です。

Ufizperuこれらに対して、これは絵画に近いと感じられたのがペルジーノの作品でした。それらのほとんどはキャンバスに油絵の具で描かれていたものでした。とくに「悲しみの聖母」という作品は模写なのだそうですが、写実そのもののような画面で、そこに息づく人間が居る作品で、これまで見てきたノッペリしたパターンのような人の形とは異質な、そこには人の個性も、表情もありました。この一作だけで時間がワープして近現代に飛んできてしまったという印象です。この作品には、もはやテンペラ画のような鮮やかな色彩で目を惹くということから、色彩が対象である人物をリアルに写すという画面を構成するために機能することが重視されるようになっています。表現ということが重視され、それを総合的に画面に表わされている。そこには、聖母という抽象的な記号ではなくて、どこそこの誰かと特定できそうな悲しみを湛えた女性が生々しく描かれていました。天上にいる手の届かない存在としての聖母ではなく、実際に目の前にいるような具体的な人間として、共感したりする感情移入ができるものとして描かれている。それを観る人が、個人としてその画面に対峙することができるものになってきているのです。個人に起因する“感動”という反応は、このようなところから誕生してくるのではないか、思わせるものになっていました。この後で、ボッティチェリの作品をみると後退というか、アナクロという言葉が頭の中に浮かんできてしまいます。

2015年1月21日 (水)

ウフィツィ美術館展(1)

かつてない大型台風が日本列島を通過して台風一過の晴天と思いきや、あいにくの雨となり、その台風の通過にとともに秋が深まり日中の気温も9月まで残っていた夏の暖かな陽気から一気に肌寒さを感じられるようになりました。もともと人気の高いだろうことは予想がついていたので、そんな外出には躊躇するような日であり、展覧会は会期初めなので、混雑はしていないのでいないかと思って美術館に寄ってみました。しかし、65歳以上の方は入場無料とかある日だったようで、高齢者を中心に入場者は少なくない状況で、ひとつの作品の前には数人の鑑賞者が常時張り付いていました。高齢者の鑑賞者は仲間と誘い合わせて来場した人が多く、仲間同士で話しながら鑑賞するグループがいくつもあったりして、一人静かに絵と向き合うということはできませんでした。

Ufizposさて、この展覧会は美術館からコレクションの一部を借りてきて見せるということなので、そこに意図とか趣旨を強く反映させることはないと思いますので、いつものように主宰者のあいさつを引用することにそれほどの意味はないと思います。ただ、ウフィツィ美術館の概要のようなことについて展覧会チラシに書かれていましたので、引用します。
“イタリア・ルネサンスの中心都市フィレンツェでは、15世紀後半から工房による組織的制作活動が盛んになり、数多くの優れた芸術家が生まれました。彼らは互いに切磋琢磨し合うなかで、工房の画一的な様式を越えた表現を探求し、やがてヴァザーリが「マニエラ・モデルナ(新しい様式)」と呼ぶところの、16世紀の卓越した新時代様式が開花します。本展は、世界的に名高いウフィツィ美術館の収蔵品を通して、15世紀から16世紀にかけてのフィレンツェ美術の流れを展観します。メディチ家のコレクションを核に設立されたウフィツィ美術館はもっとも歴史が古く、ルネサンスを代表する画家ボッティチェリの多くの作品を所蔵する美術館としても知られています。このボッティチェリの作品を多数紹介するほか、アンドレア・デル・サルトやポントルモ、ブロンヅィーノら16世紀のフィレンチェ美術を牽引した主要な画家たちの約80点に及ぶ作品を通じて、豊かで多様なフィレンチェ・ルネサンスの真髄に迫ります。”

Ufizperuただひとつ、今回の収穫だったのは、フレスコ画で油彩画が並べて展示されていたことで、フレスコやテンペラに比べて油絵の具で描かれた作品は、まったく異質のものとなっていたのが分かったと言う点です。これらを同じ絵画とひと括りにしていいのか、ということを率直に感じました。具体的にいうと、画面と言う平面の考え方で、フレスコやテンペラの場合は、遠近法とか陰影等の画面に奥行きを感じさせる技法が建物の壁面を飾る浮彫(レリーフ)に似たものを絵画で描こうとする程度に収まっているのです。これに対して、油彩画は立体を画面の平面に再現しようとしている。これを敷衍して考えれば、遠近法の追求とか、その先の写実という考え方は油絵であったからこそ出てきたことで、フレスコやテンペラしかなかったのであれば、もっと平面的で形式的で装飾的な方向に進んでいった可能性もあったのではないか、という想像を膨らませることができた点です。実際に、多くのフレスコやテンペラが展示されていましたが、その中で油彩によるペルジーノの聖母を描いた肖像画(右図)がいかに異彩を放っていたか、ということです。

第1章 大工房時代のフィレンツェ

第2章 激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来

第3章「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生

第4章 フッレンツェ美術とメディチ家

展示は、このように章立てられていましたが、一人の画家の軌跡を追いかけるのではなく、一つのテーマで作品を広く集めたのでもないので、この章立ては従うことはせずに、目に入った作品についてピックアップして述べてみたいと思います。

2015年1月20日 (火)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(30)

5.作者であることのオートオートポイエーシス

我々は、これまで中動態で捉えてきた制作過程を、「作者であることのオートポイエーシス」という視点で考察していくことができるだろう。作者はあらかじめ作者であるのではなく、制作という産出プロセスの作動を通じて作者であり、作者になりつづけていく。作品はシステムの構成素であろう。ただし作品も最初から作品であるのではない。作者からすれば、制作という産出プロセスが続くことによって産出された事物が作品となる。作品という構成素が制作という産出プロセスを作動させ、その制作から産出されたものが、作品として次の制作を作動させ…そのような循環が続くことによって、作者は作者になり続け、なり続けることによって作者である。作者は、このように循環的に作動を続けるオートポイエーシス・システムと、考えることができるのではないか。

作品制作とは、身体を備えた作者が何らかの素材を用いて見たり聞いたり触れたりできる客観的事物をつくり出すことである。頭の中にしかないものは作品ではない。意識や精神のはたらきだけで出来る作品などない。したがって制作は何よりも行為として捉えなければならない。だからこそ我々は、これまで、制作という行為との関係で、作者(および作品)の成立を理解しようとしてきた。これは、近代の芸術論が想定したような「作品を支配する最高権威としての作者」と構造主義以降の美学が考察の対象とする「作品に内在する作者」とのあいだ、実在の生身の作者を考えることでもある。そして作者自身の制作体験からすれば、具体的に作品をつくること(作品ができること)から、事後的に作者になるということが生じていた。中動態を思考の範疇にし、技術論やハビトゥス論を足掛かりに考察すると、作者は、制作という行為を通じてみずから変容し、その都度作者に生まれ直してくるように思われた。その事態は、オートポイエーシス理論をモデルに捉え直すことができる。

しかし、そもそものオートポイエーシス論からすれば、作者だけではなく個々の人間一般が、オートポイエーシス・システムであるはずだ。行為によって自己として存在するのは、作者だけではない。誰であっても、行為を通じて変容し、その都度自己になり直すのである。とすれば、芸術という領域のオートポイエーシスを特徴づけるのは何なのか。そのためには、芸術を芸術として成立させている、より広い文脈を視野に入れなければならなくなる。作者という一つのオートポイエーシス・システムだけでなく、作者を取り巻くほかのシステム、すなわち他者や社会というシステムも関わってくるからである。他の個人や社会はそれぞれに、それ自身オートポイエーシス・システムとみなされるが、作者という一個のオートポイエーシス・システムにとっては環境である。したがってシステム相互の関係は浸透とみなされる。

芸術は、制作にしろ、受容にしろ、日常とは異なった体験をひとに生じさせるものと捉えられている。芸術体験を通じて、ふだん生きている世界とは別の次元に手が届いたとか、今まで気づかなかった何かに気づいたとか、知らなかった何かに出会ったとか、これまで存在しなかった全く新しい何かが生まれたとか、それまでの自分とはどこか変わったとか、等々、人は感じる。一方「創発」とは、進化論、生命論、システム論などで使用される概念で、進化論から言えば、「それまでになかった新たな質が誕生する現象」であり、システム論では「在るシステムにおいて、その部分の総和とは異なる性質、機能が、システム全体においてあらわれる現象」である。いずれにしろ、予見不可能な何か、それを成り立たせる要素からは説明できないような何かが「おのずと出現してくる」ことを指す。とすれば、芸術の特徴の一つを、創発という言葉で捉えることは可能だろう。我々の日常生活においても、時に創発は生じるはずだが、とはいえ新たな事柄が生じず平凡に同じ事柄が繰り返されることも少なくないし、そうであっても別に問題はない。これに対して芸術は、創発を一つの重要な特徴として営まれる活動と考えられるのである。

オートポイエーシス・システムは産出プロセスの環状作動によってのみ、自らを作動を維持継続していく。産出物が構成素として次の産出プロセスを作動させるプロセスが環状に連鎖するという条件さえ満たせば、その時々の構成素や産出物プロセスはどのようなものであってもよい。逆から言えば、どのようなものにもなりうる。どのようなものになるかは、システムの作動によってしか決まらないのであるから、いつ何時でも予見不可能な新しい何かが出現しうるのである。このようにオートポイエーシス・システムは創発の可能性をあらかじめ本質として備えている。それゆえにオートポイエーシスは、創発を一つの重要な特徴とする芸術を理解する際の理論モデルとなりうる。もちろんオートポイエーシス・システムに創発が生じない場合もあるだろう。オートポイエーシス・システムが構成要素や産出プロセスの変化なしに同じ構造のまま循環を続けているのであれば、変化しない主語を基体として、能動─受動の言葉のみで事態を語ることになるだろう。我々の日常生活にはそういう場面も多く、そう語ってもあまり問題は生じない。しかし創発という現象が問題になれば、それを語る言葉は中動態を必要とし、そこではオートポイエーシスに気づきうる特権的な場所ということになるだろう。我々は中動態を足掛かりにして「作者であることのオートポイエーシス」を見出したが、そこに至る考察は、「作者であるということは、どういうことか」という芸術の領域の問いであることによって、有利なかたちで進んだものと思われる。

 

「作者であること」をオートポイエーシスとして捉えることによって、我々にはどのような視界が開かれるのだろうか。本章では、作者の作品をつくるという行為に焦点を当てて考察を進めたが、作者が作者であることには、他者や社会(歴史、文化)が大きく関わっている。社会や他者も、それ自身オートポイエーシス・システムとみなされている。したがって、作者と他者や社会との関係を、オートポイエーシス・システム同士の浸透というかたちで考察することができるだろう。その際、創発という現象が一つのポイントとなるはずだ。すなわち芸術という領域において、創発は作者(というオートポイエーシス・システム)に生じるだけでなく、作品の受容者にも生じている。我々は作品の受容体験にも中動相を見たが、それもオートポイエーシスというかたちで理解することが可能であろう。創発はさらに作者と受容者を包む社会にも生じているだろう。そしてそれら各々には、「作品」が構成素として関わっているはずだ。作者、受容者、社会というオートポイエーシス・システムに、作品という事物が、何らかの形で共通に組み込まれ、それらの相互浸透において働いているのではないか。

また本章では、作者をおおざっぱに一つのオートポイエーシス・システムとして考察したが、オートポイエーシス論では、一人の人間に生命システムと心的システム(あるいは意識システム)の区別が行われたり、認知行為システムと情動・感情システムとが語られたり、自己システムを感覚、浴動、情動、言語という四つのシステムからなるものとする場合も見られる。ここでも、それら複数のシステム相互の関係が問題となる。芸術の創発が生じるにあたって、それらはどのように浸透し合いどのように作動しているのか。

芸術において創発が価値とされるのであれば、人はそれを求めて行為していることになる。しかしその創発は外部からの操作で引き起こせるものではなく、人はそれに巻き込まれてみずから変化することによってしかそれを体験できない。制作であれ受容であれ、それを求める意識的行為が芸術の名の下に行われているわけだが、その際、いったい何をどうすれば創発が起こることになるのだろう。意識的に何をどうすることが、創発に向かうオートポイエーシス・システムの作動につながるのだろうか。我々に何が出来るのだろうか。そもそも芸術の領域でひとは何をしてきたのだろうか。システム相互の浸透関係も視野にいれ、オートポイエーシス論からそれを考えることができそうである。

2015年1月19日 (月)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(29)

4.作動による存在、自己であることの事後性

オートポイエーシス・システムにおいて、システムは構成素を産出するが、産出されたものが構成素とされるのは、それがその後の産出プロセスを作動させるからである。したがって、システムの構成素は、それによって次の産出プロセスが作動した後にしか、定まらない。構成素だけではない。システムには環境からの撹乱も生じうるのだから、何が構成素となってつぎにどういう産出プロセスが作動するかも、あらかじめ決まっているわけではない。作動が続くことから遡って、構成素も産出プロセスのあり方も、それと確定するのである。その時々のシステムの状態は、そこに何が属しどのようにはたらくのか、遡行によって事後的にしか確定しない。

ここに見て取られる事後性は、オートポイエーシス・システムの個体としての存在が作動の継続によって成立していることに基づく。作動し続けること抜きに、システムとしての存在はない。システムは、みずから循環的に作動し続けることによって個体として在るのであって、あらかじめ与えられるようにして在るのではない。したがって、あらかじめ定まった構成素や産出プロセスはない。構成素や産出プロセスは、作動に先立っては決まっておらず、刻一刻のシステム作動から事後的にそれと定まるのである。システムが作動したということから遡って構成素や産出プロセスが定まる。しかしまた、それらの構成素や産出プロセスによってシステムはそのように作動し、そのように存在したのだ。これは、事後性と遡行、時間を巻き込んだ循環と同様のものである。我々はこのように、それがなぜ生じているのかの原理を、システムの「作動による存在」に見ることができるだろう。

この事後性や遡行は、個々の構成素や部分的な産出プロセスについて生じるだけではない。オートポイエーシス・システムという個体そのものについて、同様のことが言えるのである。作動し続けることによって存在し、作動を通じて新しい姿に変化しうる個体がオートポイエーシス・システムであり、その存在や姿は、その後の作動が続くことによってのみ、遡行的にそれと定まる。我々はオートポイエーシス理論によって、中動態で語られる出来事の成り立つ仕組みを、理解できるように思われる。

2015年1月18日 (日)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(28)

2.中動態

中動態は、思考の範疇として考えれば、過程の内にあるもの(あることになるもの)が過程の内で生成したり変化したりする事態を指す。過程に外的で自己同一的なものは前提されていない。しかも中動態は、過程のうちにあるものが一でありながら二へ向かい、二へ向かいながら一であり続ける事態でもある。一と「二に分けられた一」とのあいだなのだ。変化や差異を含んだ一、それ自身からずれていく一。同じものでありながら別のものになる(である)こと、別のものになり(であり)ながら同じものであり続けること。「おのずから~なる」が議論を全体化へ向かわせるのに対し、中動態には差異化の方向性が組み込まれている。

主体─客体関係成立の手前で主体を成立させる差異化、世界を現れさせる差異化、主体と世界とを同時に成立させる差異化、そのような差異化のはたらきが中動態で記述され、中動態を思考の範疇として考察される。差異化という概念は、主体が、あらかじめ主体であるのではないこと、世界が対象化された客体である以前に主体を超えた出来事の内に現れること、との関係で意味を持つ。芸術体験が中動態で記述されるのも、同様の文脈で理解できるだろう。

しかし差異化が取りとめのない差異の戯れに終わらず主体や客体が成立するには、差異を取りとめる一がなければならない。中動態にはその一も組み込まれてはいる。一と差異化が同時あるとして、一に差異化が組み込まれているとして、差異が一へと媒介されるとして、その一はどのように一なのか。一から差異が生まれるのであって、差異から一自体はうまれないのではないのか。

「遡行」や「事後性」の問題は、ここに関わってくる。作品を制作しようとする者は、何をどのようにつくればいいのか、何を表現したいのか、制作に先立ってはっきり分かってはいない。しかし作品が出来上がった時には、「自分がつくりたかったのはこれだったのだ」と思える─「作者」であることの引き受け、「作者である私がこの作品をつくった」という能動─受動の言明は、こうして成立する。メルロ=ポンティは、ベルグソンを意識しつつ、この遡行にある根源的な事態を見る。ある時点で成立した判断は、みずから過去に遡っていく。現在が過去をつくる。そしてその過去は過去にとっての未来である現在を準備することになるものだった。表現以前に表現されるものはないが、表現は表現によって表現されることになるものを表現することだった。表現以前に表現されるものはないが、表現は表現によって表現されることになるものを表現されることだった。ここには時間のもつれを含んだ循環がある。メルロ=ポンティはこの事態をそのまま受け入れる。ベルグソンが絶えざる変化を重視して、同じであり続けるものを退けるかとも見えるのに対し、メルロ=ポンティは変化するということと、同じであるということと、同じ重さで積極的に肯定する。彼はむしろ両者が同時に成立していることから、大文字の「存在」を考えようとしていた。時間を巻き込む循環は、それ自身からずれていく一の「一であること」と関わる。しかしそれはどういうことか。「作品ができた」というような中動態の言い回しは、なぜ事後的に「私が作品をつくった」というように能動態で言い換え可能なのだろう。

中動態は、「おのずから~なる」と同じく、主体─客体関係が成り立たない事態を捉えるものである。しかし、「おのずから~なる」や中動態によって捉えられる事態があるとしても、それはそのまま主体─客体関係が成り立たない事態を捉えるものである。しかし、「おのずから~なる」や中動態によって捉えられる事態があるにしても、それはそのまま主体─客体関係の全面否認や否定につながりはしない。それは主客関係の手前の事態と言われることもある。それならそれはどのように手前であるのか。そこからどのようにして主体や客体が成立するのか、それは主体や客体とどのような関係をもつのか。われわれは、ファシズム的全体性と際限なき差異の戯れとのあいだを問題にしなければならない。

 

3.オートポイエーシスの理論

中動態の、それ自身からずれていく一の「一であること」、変化を通じて同じであることの「同じ」を考えなければならない。その際、オートポイエーシスの理論が新しい視野を開いてくれる。

オートポイエーシスとは、生命システムの考察から提起された概念である。システムは、関係しあう要素の集合であり、要素間の制約しあう関係性から統一的全体を構成している。生命もシステムの一つであるが、他のシステムと異なり、自分で自分を維持し再生産する。このような生命システムを説明するために、マトゥラーナとヴァレラは、反復的に自己を生産しながら作動するシステム一般の仕組を「オートポイエーシス」という語で概念化した。

あるものが次の何かを産出するプロセスを作動させる。そのプロセスから産出されたものが、次の産出プロセスを作動させる…。そのようにプロセスが連鎖し、ある時点での産出プロセスが、連鎖の最初のあるものを産出した時、プロセスの連鎖は、一つの閉じた環を形成する。いったん連鎖の環が閉じると、産出プロセスはどこかで元のところに戻り、そこからまた同じように次々と連鎖的に作動を続ける。この作動連鎖はそれ自身で、ぐるぐる廻っていくはずだ。産出プロセスの連鎖は一つの閉じたシステムをなし、システムの産出物がシステムそのものを作動させるということになる。システムを作動させる産出物はシステムの「構成素」と呼ばれる。自ら産出した構成素によって作動するのだから、システムは自己完結的に、みずから作動を続ける。これがオートポイエーシス・システムと呼ばれるものである。

我々はここに、個の成立を見ることができる。オートポイエーシスは個体化の理論である。システム作動の自己完結が、システムを個として存在させる。システムは、それ自身で作動することによって、他とは絶対的に区別された個として存在する。この個はねそれ以上分割不可能な単位体である。環境も、システムの側から境界づけられる。すなわちプロセス連鎖が環状に作動するとき、内と外の区別が生じ、プロセスの環状連鎖であるシステム自身と、環の外の環境とが、境界づけられるのである。この境界付けはシステムの作動によってシステムの側から行われ、システムそれ自身と、トステムの環境とが、区切られて同時に成立する。したがって、すでにある環境の中にシステムが出現するのではない。だからといって未分化の全体に何かの力が働き、それによってシステムと環境とが対称的に分化してくるのでもない。オートポイエーシス・システムは、外的な何かによって存在するのではなく、それ自身の作動によって存在する。システムと環境との区別は、システムの側から非対称的に行われるのである。

オートポイエーシス・システムの個は、作動しつづけることによってのみ同一の個である。言い換えると、システムを作動させ続ける産出物(=構成素)が変化していっても、構成素を産出するプロセスのどれかあるいはすべてが変わって言っても、作動が環状に途切れず続く限り、そのシステムは、原理上、同じ個体゛ということになる。我々はここに、同じであること(一であること)と変化・差異化することとを、同時に成り立たせる原理を見ることができる。

オートポイエーシス・システムの特徴は、この「個体性」「環境の自己決定」と並んで「自律性」「入力と出力の不在」が挙がり、計四点が指摘されている。オートポイエーシス・システムは、みずから作動することによって存在し、作動を決定するのもシステム自身である。これが自律性である。また、オートポイエーシス・システムは、外部から作動を指示決定されないという意味で入力がなく、産出する自分自身の構成素(=システムを作動させ続ける産出物)という意味で出力もない。我々の土俵に引き寄せれば、オートポイエーシスは中動態で作動する。

自律的であり、入力も出力もないのであるが、システムは環境と関わる。環境はシステムに浸透する、あるいはシステムは環境を巻き込んで作動するといわれ、両者の関係には「浸透」という語が当てられる。すなわち、例えばシステムは構成素を産出するが、そのためにはもととなる別の物質が必要であり、それは環境に属するものである。環境の一部である何らかの物質を構成素に変化させることが、システムの作動である。環境は、このようにシステムの作動に組み込まれている。それが浸透である。浸透が入力とみなされないのは、システムの作動を決定するものではないからである。浸透によってシステムと環境のあいだにありうるのは、決定性のない影響関係だけである。浸透によってシステムと環境の双方に生じる変化は、「撹乱」と呼ばれる。作動するシステムは、撹乱を通じて変化し、差異化していく。ただし撹乱がどのように起こるかは、外部の何かではなく、作動の中でシステム自身が決定している。影響に決定性はなく、システムは自律的である。変化・差異化はあくまでもシステム自身の作動から生じる。我々はここにも、中動相を見ることができる。オートポイエーシス・システムは作動しながら変化し、この変化はおのずからの変化なのである。

 

表現の自由…個人的妄言

フランスの新聞社が襲撃され、その後の一連の動きは規模が大きくなり、表現の自由とか、自由といったところにまで議論が広がり、欧米の各地で大規模なデモが行われたり、と連日報道されているのを目にしていて、戸惑いを感じているので、少し書いてみたいと思います。ただし、これは、個人的な独断と偏見に基づくもので、理解不足による誤解が含まれているおそれが多分にあるので、読んでいただけるようであれば、その点を留保しておいて下さい。

まず、テロ云々のことは、ここでは触れません。話はその後の議論と、それによって発生した動きに、私は注目していて、それに戸惑っているからです。だから、襲撃行為の是非とか、その人たちがどうだということは、切り離し離すことにします。

で、風刺の戯画を掲載した新聞社が襲撃されて、関係者が亡くなった。それは表現の自由に対する重大な脅威であり、それは民主主義の根幹を揺るがすもので、守らなければならない。それはフランス一国のものではないということで、パリのデモにヨーロッパの大国の首脳が顔を揃えて行進したりしたのでしょう。

そこで、まず議論のひとつとしてあるのは、表現の自由ということです。新聞社が襲撃されたということが、表現の自由に対する脅威に直結したということです。これは、ひとつには襲撃されたのが新聞社であったということがそうであったのかもしれませんが。この場合に、何をどのように表現したか、あるいはしようとしたかということは、とりあえず措いて、そのことに対する吟味は全く行われず。表現をするという行為自体が優先されたということです。これに対して、襲撃した側は襲撃という暴力手段だけが取りざたされ、その動機とか原因は不問に付されたということです。そこに恣意が働いている、そうまで言わなくても、無意識のうちにそのように進めてしまっている、そこにバイアスがかかっている。表現の自由ということに議論を絞ってみれば、民主主義の体制にとっては大切な事柄で尊重すべきことです。しかし、表現の自由ということなら何でも認められるということはありえないはずです。つまり、何を言うのも表現するのも自由で、言いたい放題というのではないし、そんなこと現実には出来ない。だから、実質的なところで認めるべき表現と、そうでない表現に区別されて手いるはずです。そこには、何をどのように表現するかという表現に対する吟味と判断が、前提として働いていなければなりません。実際の事実をみてもれば、このような表現の自由が大声で主張されているさなかに、フランスでコメディアンが自身のフェイスブックでの発言によって連行されています。彼の発言には自由が認められていないということになりますが、新聞社への襲撃に端を発して大規模に人々が参加した国で、その連行に対して表現の自由の侵害と大声で抗議したという報道はありません。

そうであれば、表現の自由の内実として、新聞社の風刺記事は守られるべきもので、コメディアンの発言は守られるべきでないという線引きがされたということでしょう。そうであれば、新聞社を襲撃した人々は、襲撃という手段は別して、その守られるべきか否かという線引きを知らなかった、あるいは別の線引きをしていたと考えられのではないか。実行者たちは亡くなって真偽を確認する術はありませんが、少なくとも遺された発言からは使命感をもって実行に及んだことは確実であると思うのです。

そうであれば、この襲撃をもって一概に表現の自由そのものに対する侵害と言ってしまっていいのか。襲撃の実行者たちも、表現の自由を尊重していたと考えられる節があります。それは、自身の実行に際してメッセージを残しているという点です。彼ら自身も表現しているのです。自身の主張を表現しているということは、表現ということを尊重しているからこそです。そして、それが制度として成立するためには表現の自由を認めなければいけないはずです。

これらのことを考えてみて、今回のことが表現の自由に対する侵害とか、脅威であると普遍化して言っていいのか、そういう議論があってもいいのではないかと思います。そこを一足飛びに、表現の自由への脅威であると、一種ヒステリックなほど欧米各地で大勢の人々が動員され、首脳が相次いでメッセージを発表している。それらは、まるで、表現の自由を認める線引きと自分たちのバイアスは一致していて、それ以外の線引きをしている人々は一切認めないと言っているように私は見えます。多分、デモに参加している人たちは、そんなことは意識していなくて善意な人々で、自分たちは被害者であるというような危機意識で参加しているのでしょう。それだけに無意識のうちに、自分たちの基準がグローバルスタンダードであるということに何の疑いも抱いていないように思えるのです。そこに、言いすぎかもしれませんが、ヨーロッパの帝国主義的な支配意識、とくに文化的な支配を前提にされているのが垣間見えるのです。私は、被害者意識が強いのかもしれません。しかし、表現の自由を守れという声の中に異文化の存在を認めるとか尊重するという姿勢は見られなかった気がします。

そこに私は、個人的に違和感を強く抱きます。実際のところ、パリで行われた大規模なデモ行進にヨーロッパの首脳は参加していましたが、それ以外の国々の首脳は一部を除いて見られませんでした。

このことに対しては、他にも目に付くことがありますが、ここでは議論の焦点がぼやけてしまうので、これ以上は触れません。

2015年1月17日 (土)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(27)

終章 中動態とオートポイエーシス

1.「おのずから~なる」

ル・ラルという助動詞は、学校文法では自発、尊敬、受身、可能という四つの意味を表わすとされる。これについて大野晋は、その四つの意味の根本は「自発」「自然の成行き」にあるとする。すなわち、可能は「物事は自然の成行きで成就する」、受身は「自分が関与しないのに自然の成行きとしてある事態が成立する」、尊敬は「相手が自然に動作した」という具合に、他の意味はどれも「自然の成行き」から理解されるというのである。ということはつまり、例えばひとが何事かをなしえたというような主体の能動とも受け取れる事態、ひとが何事かを被ったというような受動とも受け取れる事態が、ともに「自然の成行き」から説明されるということになるだろう。「自然の成行き」から説明されるということになるだろう。大野は日本語に日本人の「物事を自然の成行きと捉える傾向」を指摘する。日本人は物事の根本に「おのずから~なる」はたらきを見るというのである。

木村敏は「おのずから」「みずから」が、どちらも「から」という起源・発生を意味する助詞を共有すること、またどちらも「自」と漢字表記され「より」と訓読されて、やはり起源・発生を意味することに注目する。そしてこのことをヒントに、「自己=みずから」の不成立と「自然さ=おのずから」の喪失とが、不可分な関係にあると理解する。すなわち、「自」が「もともと主客未分なある根源的な自発性」を指すと考えれば、「自然=おのずから」は「根源的自発性」を指すと考えれば、「自然=おのずから」は「根源的自発性がその自発性を損なうことなく自由に湧出している姿」を指し、「自己=みずから」は、「この根源的自発性を主体の側に引き受けて、『み』すなわち自己の内部からの起源のものと見立てたあり方」を指すというのである。自然と自己がともに主体的人間と客体的世界との「あいだ」の出来事であり、「主客未分の根源的自発性から発生してくる等根源的・共属的な現象」だと木村は理解する。自己と世界、主体と客体が一つの「根源的自発性」から成立し「根源的自発性」によって支えられている─木村もまた、「おのずから~なる」というはたらきを根源的、根本的なものと見ている。主客未分の「根源的自発性」が「おのずから=自然」であり、そこからの差異化によって「自己=みずから」と客体的世界が成立する(=なる)という図式である。木村は、「おのずから~なる」という考え方に、ポスト構造主義の「差異化」の考え方を組み込んだと見ることもできよう。

竹内整一は、「おのずから~なる」をベースとする思索には、主体としての人間の営為も含め、すべての物事を「自然の成行き」「生成のエネルギー」「根源的自発性」等に一元的に回収する方向性があると懸念する。自然と作為は対立するものとされるが、自然はより深い層で、対立するはずの作為を回収してしまうのである。「みずから」、自己の主体性は、「おのずから」のうちに手放される。すると「みずから」の「みずから」であること、自己の主体性は、もはや問えなくなる。確かに木村は「みずから」を「おのずから」の差異化として、「根源的自発性」をこちら側(「みずから」の側)への引き受けとして理解した。しかしそれでも、なぜ「根源的自発性」があちら側ではなく、こちら側に引き受けられるのか分からない。統合失調症の症状には、自発性があちら側に帰される「させられ体験」も現れるのである。そしてそもそも「みずから」を生み出す差異化はどのように起こるのか。「おのずから」自身には積極的な差異化の契機が見当たらない。そこからはむしろ、全体へと引き止める方向性が強く感じられる。「おのずから~なる」の枠組みでは、自然から作為がどのように生まれるのか、自然から自己がどのように差異化されるのかを問うことができない。自己はどのようにして自己であるのか。

芸術体験を内側から(日本語で)語る言葉に、「おのずから~なる」系統の記述が使われるのは、おそらくそこで、主体のイニシアチブによらず「自然に」ひとりでに成立する動作や作用や状態が体験されるからだろう。言い換えると主体を超えた「おのずから」に回収されるのだろうか。そうなればわれわれは、制作主体や受容主体について、もはや語れなくなる。しかし他方、制作者は自分が作品を創作したとも言い、受容者は自分が作品を理解したとも言う。である以上われわれは、制作者や受容者が「おのずから」の体験をどのようにして「みずから」に引き受け、「みずから」の体験とするのかを、なお問わなければならない。

2015年1月16日 (金)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(26)

4.作者であることの事後性

芸術制作における「表現によって知る」ことの時間のもつれは、作品に表現される精神的意味的なものが物質的感覚的なものなしには存在しえず、作品の物質的感覚的なものも精神的意味的なものを表現するというかたちでしか存在しえないことから、生じていると考えられる。表現の場面に特徴的に見られる時間の構造は、芸術作品が物質的感覚的なものと精神的意味的なものとの一体になったものであると言うこと、作品制作が物質的感覚的なものに手を加えながらそこに精神的意味的なものを現れさせていく身体的行為であるいうことと、呼応していると言うことができるだろう。その事態を、我々は中動相という形で考察してきた。

つくり手の作者であることは、出来上がった作品から事後的に成立すると考えられる。作品をつくる過程が、主観的なものと客観的なものとの「かたち」を介した相互限定なのであれば、つくり手自身、つくる過程の中で変化していく。それは、出来上がる作品に呼応した変化のはずだ。作品の出来上がることと、つくり手の「作者」になっていくこととは、一つの同じ中動の動的構造をなす。同じ構造に与ることから、両者のかたちは対応する。おそらくここからつくり手には、出来上がったものが「自分の作品」と思えるのだろう。「自分の作品」とは、「自分のつくった作品」である。つくり手は、出来上がった作品から、遡ってその作品の「作者」になる。作品に先立つ「作者」であることを事後的に引き受ける。「作者」である自分が「作品」をつくり出したと、時間を遡って認める。遡行によって、「作者が作品をつくった」と、能動─受動のかたちで出来事を語るようになる。

ここには現在による過去の修正がある。過去が現在を決定する決定論に対し、現在が過去に意味を与えるという逆方向の決定論である。そしてこの修正は、修正された過去が現在を決定したようなかたちになされる。これはフロイトの言う事後性と同じ図式である。

中動態は生成変化の態である。しかもそこには「差異ともいえない差異」が用意されていて、後から振り返れば、主体─客体、精神的意味的なもの─物質的感覚的なもの、等々の二元的対立が遡行的に見出される。

 

2015年1月15日 (木)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(25)

2.「回顧的錯覚」─ベルグソン

このような「そう思われる」を、「錯覚」と言い切るのがベルグソンである。『思想と動くもの』においてベルグソンは、ある時点で実現し実在となったことについて、それがそれ以前に可能性として実在したとする立場を厳しく批判している。それは、何かが実現した後に成立した判断を、遡ってそれに先立つ過去に適用するという「誤謬」なのだ。ベルグソンの考え方からすれば、我々が問題にしている「表現によって知る」において、表現によって表現されることになるものは、表現以前にその現在には存在しないということになるだろう。表現以前には何を表現したいのか「分からない」のに、表現が完了した時点で「表現したかったのはこれだ」「私はこれを表現しようと思ったのだ」と思えるというのは、表現によって現実に表現されたものを、実現した表現から遡って過去に見出す「錯覚」なのである。したがって、コリングウッドが、表現によって表現された「想像的情緒」以前に、意識されない「心的情緒」があらかじめあるとするのは、ベルグソンから見れば誤りということになるはずだ。意識される以前の「心的情緒」は、表現が「想像的情緒」を表現することの可能性、「想像的情緒」が表現によって創り出され意識されることの可能性として、想定されたと考えられる。しかし表現がなければ表現される「想像的情緒」はないし、「想像的情緒」の内に「素材」として想定される「心的情緒」もない。表現されるものは表現以前には存在せず、表現によってはじめて存在するというわけだ。

表現以前の時点での「表現したい何か」は、知られていなかったのではなく、もともとなかったのだ。表現する前に、表現したいことはない。表現によって「知る」のは、出発点である過去の「表現したかったこと」ではなく、表現によって新たに生まれた「表現されたこと」である。未来に知られることになる自分は、過去の知られていない自分ではなく、未来の時点の新しい自分なのだ。

しかしベルグソンはこの「錯覚」を「誤謬」としてただ退けるのではなく、それが「我々の悟性の本質そのものに起因する」ことも指摘している。それは偶々生じた単純な勘違いではない。ベルグソンによれば、悟性には「持続を隠す」機能がある。悟性は持続の流れを、一瞬一瞬の位置や状態に分解し固定した上で、それらの関係というかたちに再構成して理解する。これらの位置や状態は固定され、それ自身として変化や運動を含まないものと捉えられている。悟性は、変わらない動かない何かを基盤として設定する。常に同一である固定的なものを、悟性は求めるということなのだろう。「回顧的錯覚」も、これと同様の悟性の働きかけから生まれるとベルグソンは考える。

何事かを真であると判断したその判断は、我々の悟性の本質により、いわば自動的に過去へと遡っていく。「錯覚」は、我々の意志と関わりなく生じてしまうのだ。ベルグソンは我々のうちに「現実がいったん生じたら、その現実のイマージュを過去へ投げ返す精神の働き」を見る。彼は、可能的なものが後に実現されるという言い方ははっきり否定するが、何かが実現したのちに「それは可能だった」と振り返って言うことそのものについては、必ずしも否定していない。彼は、「回顧的錯覚」が、我々の生きている中で避け難く、いわばひとりでに生じるものだと認めている。我々は「錯覚」を生きている。実現した現在によって、過去は絶えず作り直される。とすれば、そういう時間を我々は生きているということにもなるということだ。

 

3.「キアスム」としての時間─メルロ=ポンティ

ベルグソンの言う「回顧的錯覚」を「錯覚」とせずに、「遡行運動」を時間の成り立ちに積極的に組み込んで考察するのがメルロ=ポンティである。彼は、表現される考えや意味が表現に先立ってあらかじめ存在するということを繰り返して否定している。表現されるものは、表現以前にはどこにもなく、表現によってはじめて出現する。それは、表現において表現されるものがそれを表現するものと一体であるからだ。しかしメルロ=ポンティは、表現以前に全く何もないと言っているわけではない。彼は表現に先立つ「漠然とした熱気」あるいは「充ちることを求めるある欠如」を語る。ただしそれも、完了した表現から遡って気づかれることのようだ。

過去の内に現在の可能性を見ることは、ベルグソンにとって、刻一刻予測不可能な新しいものの生まれる自由がある、ということの否定を意味した。過去の内に現在の可能性があるならば、我々はすでに存在するものによってあらかじめ決定されているわけで、そこには自由がない。ベルグソンの考え方からすれば、我々があらかじめ決められていないということと、振り返って過去のうちに現在の予兆を見ることとは、互いに両立不可能なことである。しかしメルロ=ポンティは、ベルグソンにとって両立不可能なこの二つのことを、どちらも否定することなく認めようとする。「未来と過去の間の交換」を、彼は語るが、それは彼が、宙に浮いたもっぱら自由な精神を考えるのではなく、身体をもって世界を生きる人間を考えるからである。メルロ=ポンティにとって表現の問題は、そこに関わってくる。それは、拘束されながら自由であることの問題でもある。

晩年の論文『哲学を讃えて』において、メルロ=ポンティは、ベルグソンを論じつつ、この問題を取り上げている。メルロポンティは、ベルグソンの哲学を、「表現の哲学」へ向かうものとして捉える。ベルグソンは自由と物質、精神と身体を対立させたかもしれないが、他方で、物質や身体があってこそ、精神がこの世界に現われそこで自由を実現することができるということも認めていた。自由な精神は、必然的な物質や身体の内に、自らを「表現」しなければならないのだ。自由なものと必然的なもの、精神的なものと物質的なもの、という互いに対立する二項は「表現」において交差する。「真なるものの遡及的効力」「真なるものの遡及運動」も、単なる「回顧的錯覚」ではなく、深く「表現」に関わる事態である。

ある時点で成立した判断は。自ら過去に遡っていく。現在が過去をつくる。そしてその過去は過去にとっての未来である現在を準備していたものと捉えられる。表現以前に表現されるものはないが、表現は表現によって表現されることになるものを表現することでしかない。メルロ=ポンティはベルグソンの言う「真なるものの遡行運動」に、「表現」をめぐって「過去と現在」「物質と精神」という各々対立し合う二項が互いに立場を交換し、互いに依存し合う関係を見る。もつれ合う二項のうちのうち一方を、他方に交換することはできない。もつれはもつれのまま、それ自身で根源的な事態である。言い換えると、ベルグソンはが絶えざる変化を重視して、同じであり続けるものを否定したのに対し、メルロ=ポンティは変化するということと、同じであるということを、ともに肯定する。彼はむしろそのことから、大文字の「存在」を考えていく。彼の探究する大文字の「存在」は、対立する二項のもつれを通して気づかれるものと考えられている。「表現によって知る」ということ、「ああそうだったのだ」ということばが指し示すその事態は、メルロ=ポンティにとって、「真理」や大文字の「存在」を垣間見ることのできる特権的な交差の場なのである。

「キアスム」という概念は、このようなもつれに関わっている。二つの項が相互に含み合い依存と合ってどちらか一方に還元できない状態を、メルロ=ポンティは「キアスム」と呼ぶ。何よりも身体と精神がキアスムの関係にあると言われる。

2015年1月13日 (火)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(24)

第十章 生成と遡行

芸術作品は魔法の杖のひと振りで一瞬のうちに出来上がるようなものではない。芸術作品をつくるには、時間がかかる。芸術作品がもっぱら精神的意味的なものであるならば、それは一挙に頭の中だけで出来上がるかもしれない。しかし芸術作品は、ひとが見たり聞いたり触れたりできる物質的感覚的なものを扱い、そこから(精神的意味的なものを背負った)客観的事物としての芸術作品をつくり出さなければならない。物質的感覚的なものが表われるように、しつらえなければならない。それには、必ず時間がかかる。つくり始めがあり、目で見、手を動かして進む作業があり、つくることの終わりがある。作品の制作、そして表現の作業は、時間の中で行われる。

しかし、この制作の時間、表現の時間には、何やら奇妙なところがある。

制作・表現の時間は、つくっている現在を中心に、奇妙なもつれ方をしているように思われる。それはどういうもつれ方なのだろうか。制作・表現の時間はどのような構造を持つのだろうか。

 

1.「表現によって知る」ということ─コリングウッド

コリングウッドは、芸術家が表現によってはじめて自分を知るという事態に注目する。彼は『芸術の原理』という著作において、この点を中心に芸術活動を考察していく。

コリングウッドは、芸術活動を一般の技術活動と対比させることから考察を始める。彼によれば、技術活動では、あらかじめ明確な目的が設定され、それを実現する手段が講じられる。目的実現のために、計画が立てられ、それが実施される。しかし芸術活動はそうではない。芸術活動に目的と手段、計画と実施の区別はないというのである。

コリングウッドは、芸術活動を芸術家による自らの情緒の想像的表現と理解する。ただしそれは、芸術家が表現すべき情緒を分かった上で、それを表現するにふさわしい方法を考案し、それを手段として表現するというようには行われない。芸術家は自分のしたいことが分からないし、したがってそのために何をどうすればいいのか分からない。芸術家は表現することによってのみ、自分の表現したいこと、すなわち表現によって表現されるべき情緒を知る。「発見する」という言い方もコリングウッドはする。表現とは、表現しなければならない情緒を、自分自身に分かるようにする作業ということになる。

そもそも表現によって表現される情緒は、表現以前にはどうだったのか。少なくともそれは、表現する芸術家に現前してはいない。コリングウッドは表現以前に情緒がないとは言わない。彼は意識のレベルに達する以前の情緒を「心的情緒」と呼び、表現によって表現された「想像的情緒」と区別する。彼の言う「心的情緒」とは、意識のレベル以前の、純粋な感覚器官のはたらきに伴って自動的に生じる情緒、「獣のような」情緒である。この情緒はコントロール不可能なかたちでふりかかってくるものであり、ひとは、自分がそういう情緒を感じているとも意識せず、分からぬまま一方的に翻弄されているだけだというのである。

このような意識される以前の「心的情緒」を意識しようとする時、ひとは「心的情緒」を、意識のレベルで経験される情緒の「素材」に転換しようとする、とコリングウッドは言う。すなわち心的情緒はそのままでは意識されない。情緒を意識するためには、ひとはより高次のレベルである意識のレベルに、心的情緒と異なる情緒を改めて生み出さなければならない。心的情緒は、意識のレベルにおいてここで改めて生み出される意識的情緒の「素材」をなすわけである。そして、この意識のレベルの情緒は、必ずそれにあさわしい表現と一緒に経験される。表現によって、ひとは自分の情緒を意識する。表現によって、心的情緒は意識的情緒の「素材」となる。したがってひとが表現によって意識するのは、言い換えれば表現によって表現されているのは、心的情緒そのものではない。素材としての心的情緒にはひとの手が加わり、新たな情緒が生み出されている。コリングウッドはそこに想像力のはたらきを見て、表現によって表現されるこの情緒を「想像的情緒」とする。ひとが意識するのは、この「想像的情緒」だけである。その意味で、「表現は、それが表現するものを創り出す」とさえ言われる。

もともと「表現によって知る」ということは、表現する前は何を表現したいか分からなかったのに、表現が完了すると「自分の表現したかったのはこれだ」と思えるということである。多くの人がこれを体験している。しかしここにはある種の矛盾がある。何を表現したいか知らなかったら、表現によって表現されたものが、自分の表現したかったことだとは分からないはずなのだ。表現の完了を判断することさえできない。コリングウッドは、情緒をいわば二重底にすることによって、この矛盾をやり過ごそうとしているように思われる。最初に意識されない情緒があり、それが表現の素材となって意識される情緒になる。

しかしコリングウッドの論からすれば、最初に存在する「心的情緒」と表現によって意識される「想像的情緒」は、厳密な意味では異なるものである。「知らなかった」情緒は、「知ることのできた」情緒と同じものではない。したがってこの場合、ある何かを最初は「知らず」、後になってから「知った」と単純に言うわけにはいかないだろう。表現によって表現されることは、表現されるまで分からない。表現する者はそれについて、表現以前の時点で「自分はこれを表現したい」「これを表現するつもりだ」と現在の時制や未来の時制で語ることができない。しかし彼は表現が完了した時点で、「自分はこれを表現したかった」「自分はこれを表現しようとした」と、過去の時制や過去における未来の時制で語る。彼にはそう思われるのである。表現しようとする者が表現を通じて表現しようとしているのは、未来になってはじめて過去にそうだったと思えるような何か、あらかじめそうだったように思われることになる何かなのだ。

2015年1月12日 (月)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(23)

3.作品の自立と実在の作者

つくり手が、出来上がった作品から遡って事後的に「作者」になるということは、言い換えれば、「作品に内在する作者」を自分に引き受けることであろう。「作品に内在する作者」は「実在の作者」と区別される存在である。それは作品の物質的感覚的前景に現われる精神的意味的後景であって、それ自身としては存在せず、作品を受容する者に対してのみ存在する。それを引き受けてつくり手が事後的に「作者」になるのであれば、そこにおいては、出来上がった作品を自分自身で受容すること、自分のつくった作品を見たり聞いたりすることが必要なはずだ。作品の、実在の作者から自立した客観的事物であるという側面が、ここで再び意味を持ってくる。それは、つくり手自身も見たり聞いたりしうる対象なのだ。

現象学が指摘するように、実在の事物は見る者を「超越」する。私が見るのはいつも対象の一側面(アスペクト)であって、事物には、私に見えている側面を超えた「それ以上」が必ずある。知覚体験において、ひとは新たな事物のすべてを見尽くすことができない。すべてを把握し尽くすことができない。見るたびに、新たな何事かを発見しうる。それでもなお事物には、まだ見ていない「それ以上」が残っている。事物の「超越」であるということは、「見る」ことによって今まで知らなかった何事かを把握する可能性が、常に開かれていることを意味する。芸術作品が実在の事物である以上、出来上がった作品は、つくり手自身にとっても、このような「超越」である。つくり手は、自分のつくったものを知覚し、それまでの自分の把握を超えた何事かに出会う、少なくとも出会う可能性、発見の可能性が開かれている。この何事かは、芸術作品において物質的感覚的なものと精神的意味的なものとが不可分である以上、精神的意味的な層にまで届いているだろう。つくり手は、それを受容し、可能性の広がりごと自分に引き受けることができる。「超越」は、つくり手が出来上がった作品から事後的に「作者」になるということに、大きく関わるはずだ。

芸術作品が事物であり「超越」であるということは、作品が出来上がる以前、制作の途中においても、同様に言うことができるだろう。未完成であっても試行錯誤の途中であっても、つくり手の目の前には製作中の事物としての作品(になりつつあるもの)が実在する。

さらに、つくり手が、作品の「内在する作者」を引き受けて「実在の作者」になったのであれば、彼または彼女は、客観的事物としての「超越」としての作品が、それ以後すべての受容者に知覚を通じて与えうる精神的意味的なものをも、可能性ごと「自分のもの」として引き受けることになるのではないか。「超越」とは、他者に対する開かれでもある。「実在の作者」が作品に自分の名を付すのは、自分の手を離れた作品に他者が見て取りうる「後景」を、自分の手許に回収し自分のものとして引き受けるためだと思われる。

我々は、つくり手にとっての「作者」であることを考察してきた。その結果、つくり手が事後的に「作者」になるということ、出来上がった作品を引き受けることによって「実在の作者」でありえていることが、見えてきたように思われる。そこには、作品の客観的事物・物質的感覚的形成物であること、つくり手自身もそれを受容することが、大きく関わっていた。言い換えれば、つくり手にとって自分のつくったものを見たり聞いたりすることの重要性である。つくることの中にある見ること、「作者」であることを成立させる「作品」の受容─実在の作者は、もう一人の受容者である。作品の受容は、長い間創造の追体験と捉えられてきた。しかし、創造が受容の先取りだとも言えるのではないだろうか。

2015年1月11日 (日)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(22)

2.制作と遡行

制作とは、単に想を抱くことではなく、知覚可能な客観的事物としての作品を現実につくり出すことである。つくり手が何事かを表現したいと思っても、たとえそれをどのような物質的感覚的形象に表現すればよいのか頭の中で明確に構想したとしても、それが他人の目に見える実物にならない限り、作品を制作したことにはならない。つくり手の表現したいことがら、それを表現する手段や方法、つくり手の「意図」は、それが単なる「思い」や「構想」にとどまっている限り、いまだ作品ではない。他者にも受容可能な事物となったものがはじめて作品と呼ばれ、そこにまで至る過程全体が制作なのである。結果として出来上がった芸術作品において、精神的意味的なものと物質的感覚的なものという二つの契機が見て取られることが確かだとしても、制作において、精神的意味的なものを生み出す過程が別々にあるとは限らない。作者が表現したい精神的意味的内容をまずこころに抱き、次にその精神的意味的内容を表現するのに十分な物質的感覚的形象を実在として形成する。仮にそう考えるとしても、精神的意味的内容がどのようにして物質的感覚的形象に表現されるのかが、なお問題として残る。その結びつきはどこでどのようにしてつくられるのか。作者が頭の中で、表現すべき精神的意味内容を十分に構想し、次いでそれを、現実の世界で、現実の素材や技術を用いて実現するというのだろうか。しかし実在の作者のつくる作業を見る限り、たとえ「構想」といえども頭の中だけで生み出されてはいない。造形の領域で言えばアイデア・スケッチや絵コンテを描いたりエスキスをつくったりする作業なと、作者は何らかの物質的感覚的実在を実際に扱い、多くは試行錯誤する中から形象をつくり出している。そこには「やってみる」という作業がある。

制作における「技術」と「かたち」が、この問題を考察する足掛かりになる。「かたち」は、物質的素材に対しては主観の側に(質量に対する形相)、精神的意味的内容に対しては客観の側に(内容に対する形式)属するとみなされてきた。技術もまた、物質的自然に対してはそれに形を与える主観の側、精神に対する目的を達成するための手段として客観的な事物の世界の側に属すとみなされる。技術もかたちもどちらの側とも言え、どちらの側でもないといえる両義的位置を占めている。裏返せば、技術やかたちは、物質的感覚的なものと精神的意味的なものとのあいだ、両者をつなぐ位置にある。かたちは物質的素材に外から押し付けられるものではなく、技術は目的に対する手段ではない。かたちは、主観と客観とが関わる中、人間と世界が交わる行為の中から、両者の間にいわば両者の相互限定として生じる。目的や意味はかたちが生じてくる中から、かたちの内に限定されて現われてくる。かたちは、物質的感覚的なものと精神的意味的なものを差異化=媒介する。われわれはここにも中動相を見出したのである。

芸術作品の制作に「やってみる」作業がなぜ必要なのか、その理由をこの中動の位相に見ることができるだろう。芸術作品の制作において、精神的意味的なもの(主観的なもの)と物質的感覚的なもの(客観的なもの)との結びつきは、つくり手の頭の中だけで出来上がりはしない。(生きた精神である)つくり手が(物質的感覚的な)素材や環境と実際に関わる身体的行為の中から、相互限定によるかたちが生まれ、実在するそのかたちにおいて、精神的意味的なものが物質的感覚的なものと一体となって見出される。つくり手は、精神的意味的なものと物質的感覚的なものとが一体となって目の前にあるということをめざして、物質的感覚的実在を相手にあれこれ試行錯誤するのだろう。制作において、つくり手が直接に扱うことのできるのは感覚的物質的実在であって、精神的意味的なものではないからである。精神的意味的なものは、つくり手とつくり手の扱う物質的感覚的実在とのあいだにあるかたちが成立したとき、はじめいそこに現われてくるはずだ。芸術作品を構成する精神的意味的内容と物質的感覚的形成物は、目で見、手を動かす具体的行為の中から、一緒になって生まれてくる。

もちろん、つくり手が、つくろうと思う作品について、あらかじめ何らかの目標や見通しを全く持っていないということはないだろう。精神的意味的な層においてであれ、物質的感覚的な層においてであれ、あるいはそのどちらでもないかたちで、「こうしたい」「こういう感じ」というような何かが、程度の差はあれ、あるはずだ。少なくとも動機となるような何かがなければ、作品をつくるという意図的行為は始まらないのではないか。つくり手はそのような何かを抱き、出発点におけるその何かが、実際のつくる作業を通じて試行錯誤の内に限定され明確化されていくとも考えられる。つすればつくり手は、作品が出来上がってはじめて、自分がどのような作品をつくろうとしていたのか知るわけだ。このようなつくり手は、制作過程を外から支配し制御する者とはいえないだろう。どのような作品をつくるのか、何を表現したいのか、どのような精神的意味的内容をどのような物質的感覚的形象に担わせるのか、どうすればそれができるのか等々を、明確に把握した上で作品をつくっているわけではないからだ。つくり手は、つくる過程を超越的な位置から能動的に支配するのではなく、過程の中動の中に巻き込まれている。つくり手は、どんな作品をつくろうとしていたのか、作品が出来上がらないとわからない。実在の作者とは、出来上がった作品を見て、「ああこれだ」と、気がつくようなつくり手である。

出来上がった作品を前にして、「自分がつくろうとしていたのはこれだったのだ」と気づくというのは、どういうことなのだろうか。ここには時間を遡る判断がある。あらかじめどのような作品をつくろうとするのかはっきりとわからないままつくっていたつくり手が、出来上がった作品を見て自分が何をつくりたかったのが気づくという事態は、作品が出来上がった時点で成立した判断を、時間を遡らせて、つくる以前やつくっている最中にも当てはめるということに他ならない。我々はここに、メルロ=ポンティの言う「真なるものの遡行運動」を見ることができる。「真なるものの遡行運動」とは、もともとベルグソンに由来する概念で、ある時点ではじめて真だと判断されたことが、真理は永遠であるという思いによって、その時点より以前にも真であったとされること、言い換えると、真なるものについての経験が、それに先立つ時間自らを投影することを指す。ベルグソンにとってこれは、批判すべき回顧的錯覚だった。しかしメルロ=ポンティは、これを「表現」の特徴と捉えるのである。表現されたものは表現によってはじめて「ある」のだが、その表現はあくまで「表現されたもの」あっての表現である。ここには一種の循環がある。表現したい内容であれ、つくるべき作品の構想であれ、作者の意図であれ、あらかじめ何かがあったわけではない。しかし作品は、そういう何かの実現として成立している。精神的意味的なものが物質的感覚的形象に表わされている。つくり手はそこから遡り、そこに見て取られる意味内容を構想や意図等を、日付を遡らせて自分のものとする。つくり手には、それがもともと自分のもっていたものだったと思える。出来上がった作品は、自分が自分から主体的につくったものだと思える。つくり手にとって作者であるとは、こういうことであるようだ。

つくり手の作者であることは、出来上がった作品から事後的に成立することと考えてよいのではないか。作品をつくる過程が、主観的なものと客観的なものとのかたちを介した相互限定なのであれば、つくり手自身、つくる過程の中で変化している。それは、作品に呼応した変化のはずだ。つくり手は、出来上がった作品から、作品が出来上がったということから、遡ってその作品の「作者」になる。作品に先立つ「作者」であることを後日引き受ける。「作者」である自分が「作品」をつくり出したと、時間を遡って認める。「実在の作者」は、こうして成立すると考えられるのではないか。

2015年1月10日 (土)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(21)

第九章 作者であることの事後性をめぐって

バルトが「作者の死」を宣言したのが1968年で、彼が言わんとしたのは、作品をつくり出した生身の作者を作品について最高権威とすることの否定である。ある作品がどのような意図でつくられ何を意味するのか、それをこうだと断定し支配する権限は作者にはない。作品の意図や意味について作者があれこれ作品外で語っても、それは究極の答えではない。目の前にあるつくられたものがすべてである。その中でのみ意図や意味は語られるべきであり、その外にある作者のことばを規準として解釈の当否を決めることはできない。「作者の死」は、受けての復権と結び付いている。意図や意味は作者に支配権や独占権のあるものではなく、受け手が積極的に作品から引き出すものと捉えられる。作者ですら、受け手が作品を通じて見出す作者なのだ。受け手の自由が謳われ、生身のつくり手は権威の座を逐われる。

しかし、だからといって実在の生身のつくり手が「作者」でなくなったわけではない。つくり手はなお「作者」を名告る。それはどのようにして可能なのか。その時の「作者」とは何を意味しているのか。

1.芸術作品の二層構造と作品に内在する作者

芸術作品は、ひとのつくった客観的事物である。それは見たり聞いたり触れたりできるものの一種である。しかしただの事物ではない。何かしらの「意味」「精神的内容」を受け手に感じさせ、「美的体験」をもたらす特別な事物である。芸術作品はしばしば、その存在において、物質的・事物的な層と精神的・意味的な層の二層をもつと言われてきた。

芸術作品は、物質的な「前景」と精神的な「後景」という、分裂しつつ単一の全体をなす二層構造をなす。ニコライ・ハルトマンによれば、この二層構造によって芸術様品は、「生きている精神」と区別された「客体化された精神」となっている。さらに「客体化された精神」のうちでも芸術作品は特別な存在である。芸術作品は「一つの全体」であり、外部に頼らずに「それ自体で完結している」。ハルトマンのこのような考察からすれば、芸術作品は、「生きている精神」との対比において、さらに他の「客体化された精神」との対比において、感覚的な実在の形成物に客体化されてあるということがとりわけ重視されることになるだろう。

美的対象において、精神的内容は実在の感覚的形成物に「封じ込められ」てのみ保持される。しかもそれは、感覚的な形成物の中に「それ自体で」あるのではなく、あくまでそれを把捉する「われわれに対して」ある。こうして、物質的なものの中に精神的なものがどのようにして「客体化」されて作品となっているのか、作品の「前景」である物質的なものからどのようにして精神的なものが「後景」として受け取られるのか、言い換えると、物質的感覚的形成物に精神的内容が支えられるその仕方、前景から後景が現象するその仕方が問題なのである。

芸術作品における精神的なものが、それ自体としては存在しえず、物質的なものに担われ支えられてのみ存在するということ、さらに作品における物質的なものが主体から独立した実在であるということは、芸術作品がつくり手から自立した存在となっていることを意味する。芸術作品がその「精神的なもの」ゆえに他の事物と区別されるのが確かだとしても、「精神的なもの」は、「客体化」さり、事物としての作品となっている。芸術作品の二層構造は、精神的なものである作品が、感覚的物質的形成物として実在の作者とは別個の存在であるという事態をもたらすのである。そして受容者は、そのように実在の作者とは別に存在する作品において、物質的感覚的前景から、後景である「精神的なもの」を捉える。精神的なものを物質的なものと切り離さずに考えるとき、作品における精神的なものは、実在の作者における精神的なものとは別にあるということになるだろう。我々はここに、作品に内在する作者と実在の作者を区別する根拠を見出すことができる。作品における精神的なものが仮に実在の作者に由来するもの、作者の「精神的なもの」だとしても、それは実在の作者からは独立した物質的感覚的存在のうちに「客体化」されて存在している。受容者は実在の作者とは別個の物質的感覚的存在に「精神的なもの」を捉えるのであって、たとえそれを作者の「精神的なもの」と理解してそこに作者を見たとしても、それは実在の作者および実在の作者に生きている「精神的なもの」とは別に存在するもののはずだ。

ハルトマンの見て取った芸術作品の二層構造は、さらに進んで「作品に内在する作者」重視にもつながる。つまり、作品における「精神的内容」は、それ自体で存在するものではなく、受け手、受容者にとってのみ存在する。受容者がある特定の態度を取ることによってのみ、作者からも受容者からも独立した物質的感覚的形成物を「前景」として、精神的な「後景」が現象する。とすれば、受容者にとって問題となる「精神的なもの」「作者」とは、受容者の受容から独立に存在する実在の作者それ自体、実在の作者の精神的なものそれ自体ではなく、受容によって物質的感覚的形成物に現象する「後景」としての「精神的なもの」、「作品に内在する作者」であるしかない。受容者にとって、作者は、作品の外にいる作者であるより前に、まず作品を通して見えてくる作者、作品の内側から現れる作者だということになるのである。

「実在の作者」と「作品に内在する作者」とを区別し、「作品に内在する作者」を第一のものとする立場は、このように、芸術作品の二層構造との関係で理解することができる。ハルトマンが芸術作品に見て取ったような「二層性」、すなわち物質的感覚的なものと精神的意味的なものとが分裂しつつ不可分な一体をなして現われる事態は、様々な論者から指摘されている。我々はすでに、カッシーラの表情論やメルロ=ポンティの表現論にも、同様の「一が二であり、二が一である」事態の記述を見てきた。彼らが揃って物質的感覚的なものと精神的意味的なものとが「一が二であり、二が一である」ようにして現われる中動相を、見て取ったことには、それが見たり聞いたりする体験からの考察であったことが共通している。これはおそらく偶然ではない。芸術作品に見出される二層構造は、芸術作品を見たり聞いたりする体験、受け手の手千葉を基本として見出されるものである。ハルトマンは作品を受容する知覚体験から出発し、受容体験に芸術作品の二層構造を見出す。とすれば我々のこれまでの考察は、受け手の、作品を受け取るという場面から作者を考えるものであったことになろう。

2015年1月 9日 (金)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(20)

3.行為と意図

我々が問題にするのは、作品の制作行為における自由や主体である。したがって動作を基盤に行為が形成される次第を考えなければならない。その際、「意図」が問題になってくる。一般には、主体の「意図」が行為を引き起こすとされる。行為に先行する「意図」に導かれて、さまざまな下位の動作や行為が組み合わされ、目的をめざす一連の行為が形成されると言われる。はたしてそうなのか。

ひとは、意図的な行為とそうでないふるまいを区別する。車を運転したり絵を描くことは意図的な行為だが、石に躓いて転んだり、くしゃみをすることはそうでない。そうであれば、意図的行為においては、行為者が「~しよう」という意図をまず抱き、それによって実際の行為が引き起こされるようにも見える。しかし、ウィトゲンシュタインらが指摘するように、意図的行為から「意図」のみを取り出すことは難しい。「私が自分の腕を上げると言う事実から、私の腕が上がるという事実を引き去るとき、あとに残るのは何なのか」という問題である。日常的なふるまいにおいて私は、「腕を上げよう」という私の意図を、腕が上がることと別に、頭の中や心の中に、それ自身として見つけることはできない。

アンスコムは著書『インテンション』において、行為者のこころの中から意図的行為を理解しようとする立場を批判し、意図的行為を行為者の言表によって規定した。すなわち、行為者が「なぜそうしているのか」と尋ねられて、観察にたよることなく答えられるような行為が意図的行為である。

意図は行為においてある。行為は意図を含んでいる。行為と意図とは不可分なかたちで全体としての「意図的行為」をなしている。意図と行為は、全体から抽象された二つのアスペクトなのだろう。意図が行為を導いているように見える場合も確かにあり、行為が意図を生んでいるように思われる場合もある。しかしいずれにせよ両者の関係は外的ではありえない。行為の主体は行為に巻き込まれ、その中で変化する。自分以外の環境や対象と関わる行為の中で、制約を通じて、主体は変化し、主体がもつ意図も変化する。制約に応じて、主体は新たなかたちをなし、意図が定まる。「何事かをなしうる自由」の「何事か」は、おそらく「なしうる自由」と一緒に生まれる。意図をもって行為をなす者というのが行為の主体の定義であるならば、それは行為の主体の新たな形成でもあろう。われわれはこの過程にもまた、中動相を見出すことができる。

 

4.制約と構想力

これまでの考察で我々は、行為において、行為者に課せられる制約との関係で、行為者の能力が行為のかたちとして獲得され、行為の意図も生まれることを見た。芸術作品を制作する行為も、事情は同じであるはずだ。客観的事物としての作品をつくるということは、つくり手にとって、あえて制約の場に身を置くことであるはずだ。つくり手は常に制約によって拘束されている。しかしそれは、「何事かを成しうる能力」を獲得するために不可欠なことであり、実現可能な「何事か」を発見するために必要なことである。意のままにならない、どうすればいいのか分からない、どうなるか見通せない─そういう状況と関わる中で、つくり手のかたちが次第に形成され、なしうる何事か、つくりうる何かが、新たに見出される。この発見が「制作の自由」の拡大であろう。

「制限」「制約」「不自由」から「新しい充実した表現」「自由な力」が生まれる─我々のこれまでの考察からすれば、これは決して「逆説的」なことではない。これはすなわち「創造」の位相である。我々は先に、制作を通じて「なしうる何事か」「つくりうる何か」が「発見」されると述べた。厳密に言えばこれは「発見」ではない。「発見」とはすでに存在するものが「発見」されるわけだが、つくり手の見出す「何か」は新たに生み出されたのだ。すなわち「創造」である。「創造」が、つくり手当人にとっては「発見」と思われる─われわれはここに、制作過程の中動相を再確認することができる。つくり手は、制作過程を超越しそれを制御する固定的な主体、能動的な主体ではない。過程に巻き込まれて変化する主体、「拘束」された状態から制約に応じて新たなかたちに生成する主体である。したがって、今までなかった「何か」を「自分が創造した」とは思えない。新しく生まれた「何か」について「見つかった」と言うしかない。それでも外から見れば、あるいは後から振り返れば、それは自分がつくったことになるのだ。「創造」は、制約から出発し制作主体の新たな成立を内に含むこのような中動的過程と考えられる。「作品」と同時に「作者」も成立してくる動的な過程である。

三木清は、創造に与る構想力を、意識の問題としてではなく行為において考察している。アリストテレスが形を永遠に変化せず常にある実在、先在的なものと見るのに対し、三木は形を変化するものと見て、形と形の変化を「行為」において考察する。「行為」は「ものに働き掛けてものの形を変じて新しい形をつくること」であり、そこに構想力がはたらく。静的な論理である形式論理に対し、「構想力の論理」は動的な論理として追求される。

「創造」は、生命が環境においてあり、環境に対する適応として、環境に規定されつつ自ら形をつくるところにすでに認められる。人間の技術も同様に形をつくることであり、根本的には主体と環境の適応関係を意味する。形は、主観的なものと客観的なものとの統一、因果論と目的論の統一として、技術の過程の中から生まれる。構想力は行為において働き、「創造」は制約や限定抜きには成り立たない。

芸術作品の制作は、それが環境と関わり客観的事物を生じさせる行為であることによって、自由でありうるし、創造的でありうる。制約や拘束があることによってはじめて、限定的なかたちが形成され、新しい「何か」が現実に生じうる。「創造」はそこにある。無制限な自由からは、おそらく何も生まれないだろう。つくり手にとっての制約を外から除去していくことは、「自由」や「創造」を痩せ細らせることになりかねない。ひとが制約を承知で事物としての作品をつくるのは、それによって「自由な創造」が可能になり、自由が実現され、自ら自由な制作主体となるからなのだ。

2015年1月 8日 (木)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(19)

第八章 拘束からの生成─いかにして「作者」になるのか─

1.制作の自由と制約

少なくとも近代において、作者は「自由な主体」であることが求められてきたように思われる。とりわけロマン主義的な芸術観からすれば、主観的なものの自由な表現に芸術の意義が見出されることから、作者は何ものにも拘束されずに「自由に」「己の欲するままに」制作を行うべきだとされる。

ところで。作品の作り手である作者は、たとえ主観的なものから出発してとしても、最終的には客観的事物を生じさせなければならない。したがって制作は、つくり手の意識の外で、意識を超えた材料と関わる過程を含む。絵画制作における絵具も画布も、音楽における楽器音や声も、文学における言葉も、そのような材料である。材料には、それぞれ固有の性質があり、つくり手はそれが許す範囲内でしか作品を作れない。つくり手は材料を、完全には支配できない。材料が意識を超えており、制作に材料が必要である以上、制作は材料から何かしらの制約を受けることになる。その意味で、制作は自由ではない。作品の制作には何かしらの不自由がつきまとう。

材料に由来する制約が制作にとってマイナスと見えるのは、作品の制作を、頭を働かせること(構想)と手を動かすこと(機械的実現)の二段階に分けて考えるからである。まずは自由な構想であり、その実現が物理的条件に妨げられるという図式だ。構想と実現が別個の過程であれば、制作の自由は意識のレベルにこそ完全な形であり、材料に由来する制約や不自由は構想を現実化する物理的手段の不備ということになる。しかし、つくり手が意識と身体の単なる足し算ではなく、制作が構想と実現の二段構えでないとしたら、制作の自由は、意識のレベルにおいてではなく、つくる行為全体の中で考えられなければならないだろう。行為における自由は、無制限な自由ではなく、常に何らかの制約を前提とする自由である。無制限な完全な自由がまずあって、それが制約によって切り縮められていくのではない。行為する主体は、与えられた環境の中で、自然的・文化的な条件の下、何事かを意図して実現する。それが行為の自由である。行為の自由は、常に何らかの前提、予めの制約との関係で発現する。とすれば自由と制約は、単純に相反するものではなく、むしろ絡み合っているのではないか。

作者が制作の主体である以上、作品をつくることには自由がなければならない。ただしそれは無制限の自由ではない。材料はつくり手の自由を制限する。しかしつくり手は材料から作ることの可能性を得る。つくり手は材料からの促し、触発によって、作品をつくる。作家たちがしばしば語っているように、つくり手は、材料に繰り返し触れ、それに馴染むことによって材料の魅力や可能性を発見する。その材料でできること、やってみたいことが、徐々に見えてくる。新たな「意図」、あらたな「構想」が生じる。つくり手にとって制作の可能性が広がる。これはつくり手の自由の拡大である。つくり手は材料と関わることを通じて、材料との関係において、自由な制作主体になる。自らの自由を獲得する。

この自由は、つくり手が変わらぬまま、外からの制約を取り除くことでもたらされるものではない。つくり手自身の変化によって、自由が生まれるのだ。つくり手は、与えられた条件の下、具体的なつくる行為の中で変化する。そのことによってはじめて、ある自由が手に入り、自由につくることができ、つくり手は自由な制作主体でありうるだろう。

 

2.かたちから実現する自由

稲垣良典はハビトゥス論をふまえ、「自由を、人間の形成から現実に自由が実現されていく道にそって考察」している。そこで稲垣は習慣(ハビトゥス)を「獲得・形成された能力」と理解する。一般に習慣は自由との関係で言えば、人間を枠にはめて拘束するもの、自由と対立するものと考えられがちだ。それを「獲得・形成された能力」とすることは、通常の語法から外れている。しかし例えば人が「慣れ」によって何事かを「意のままに」なしうることを思えば、習慣は何事かを現実になしうる能力と捉えることができる。自由と対立せず、むしろ自由を実現するものと考えられる。「慣れ」はまた、ひとが自分自身に働きかけ、さまざまの可能性を統合・組織化し、自分を環境に「合う」よう「調整」することから生じる。すなわち習慣という能力は、環境に応じた能動的な自己形成によって獲得される。稲垣によれば、この形成された能力が「行為の主体」である。

この習慣(ハビトゥス)という観点から考察される「行為の主体」は、自由の実現に向けて自らをかたちづくり変化していく主体である。主体は、環境に応じた自己調整によって、かたちづくられていく。人間は安定した行為の型をかたちづくる。それが能力としての習慣、ハビトゥスであろう。環境という制約との関係で、行為のかたちが定まってくる。環境が変化すれば行為のかたちも変化していく。可塑的な人間が特定の環境(=制約)に応じて自己を限定し特定のかたちになる。我々は、習慣(ハビトゥス)を、そのような自己限定によって生じる行為のかたちと理解することができるように思われる。ここで言うかたちは、目に見える形や輪郭のことではなく、より高次の、関係や調整の原理だろう。それによってはじめて何事かをなしうる自由が実現するのであれば、自由は制約に呼応するかたちという限定から生じるということができるかもしれない。

かたちと自由の関わりについてこのように考えていくとき、身体運動学が興味深い知見を与えてくれる。長崎浩によれば、人間の動作は、歩く、座る、食べる、つかむ、というような基本的動作であっても、学習して身につける能力、すなわち技能である。ひとは成長とともに歩くことを学び、いったん歩けるようになると、後はいちいちどうするか意識せずとも歩くことができる。そして歩く環境や速度が変わっても、歩行の運動パターンは変わらない。技能の達成には、動作のかたちの定型化、パターン化が見て取れる。長崎によれば、このパターン化が、意識の負担を軽減し、動作の正確さと恒常性を保障する。我々はここに、何事かをなしうる能力としての身体技法、動作のかたちとしての技能という位相を見ることができる。動作の定型化という「形の形成」は身体部分の運動の協調と言う事ができる。身体は数多くの関節や筋肉からなり、この各々にはどのように動きうるかという運動の自由度がある。その結果、身体全体を見れば運動の自由度は膨大なものであり、その自由度のいちいちを、中枢が個別に制御するのでは不可能だと考えられる。身体の各部分は独立に動くのではなく、異なる部位の運動が特定の仕方で組み合わさり協調して動くのである。この場合の協調とは、各部位が他の部位と一定の関係をもって動くことであり、自由度の削減を意味する。協調があれば、運動の制御は少ない自由度の特定で済む。各部位の運動は、協調によって、一定のかたちをもつ動作へと様々に構築され、そのことからひとは運動を制御して何事かをなしうるようになる。意味ある行為が成されるのである。

現実に何かをなしうる能力は、環境からの制約に応じた自己限定により形成される─我々は、ハビトゥス論にも、身体運動学の動作論にも、自由を実現するかたちという位相を見ることができる。行為における自由は、制限のない全き自由としてあらかじめ与えられているのではなく、環境とのあいだにかたちが形成されることによって、一歩一歩、具体的に実現していく。

おいしくいただく

年末年始のお休み。どこかに出かけるでもなく、自宅で寝正月を決め込んでいましたが、普段はあまり見ることのないテレビを見るともなく、見て過ごしました。お正月番組というのでしょうか、正月向けに晴れ着を着た男女が多数集まって大騒ぎをする光景を見ているうちに、ちょっと気になることがありました。そういう番組でよく見られたのが、食べ物が供されて、それを男女が食べるという場面です。私のような年寄りがお行儀のことをいうのは、口うるさい年寄の文句ということになりますが、我慢していただきたいと思います。

供された食べ物を口にした男女が、口をモクモグさせながら、何か探るような表情をして「ん…、うん」という言葉にならないことを発声していました。これは私が子供の頃であれば、非常に行儀が悪い、失礼なことだったと思います。そして、この若い男女は口にした食べ物を呑みこむか呑み込まないうちに「旨い」という言葉を連発していました。これは、私には、とてもおいしそうに食べているように見えませんでした。ということで、私が常識的に食べるということ、おいしく食べるということと、このテレビに映っている男女のそれとは、かなり違うのではないか、と正月早々思ったわけです。寝正月で、暇を持て余していた私は、暇つぶしに少し考えてみました。

まず、食前の「いただきます」についてですが、これは食べ物をいただくということで、その感謝の意をあらわすものということでしょう。最近、合掌して「いただきます」を言うひとが多いようです。私が子供の頃に受けたしつけは、「いただきます」で合掌するのは僧侶で、食べ物として供されたのはもともとは生物で、食べ物を食べるというのは他の生物の生命をいただくということから、そのことへの感謝ということで、合掌するということではないかと思います。私が受けたしつけは、これとはちがって、合掌するのではなくて、両手を膝に乗せた正座の姿勢で、礼をするように「いただきます」をするように、というものでした。これは食べ物として食卓に供されるまでには、沢山の人々の手がかかっているということで、身近なところでは、支度をしてくれた母親や、その費用を稼いでくれた父親をはじめとして人々に感謝をして「いただく」ということだったと思います。そこで合掌したら、冥福を祈ることになるので、それは違うということになるわけです。

だから、食べ物を食べ残すことに対しては、苦労して作物を育て収穫した農家に片に申し訳ないという教育を受けたことを覚えています。そのようにして、食べ物をありがたくいただくのは、それが人が生きていく上で、食べなければ人は生きていけないからです。食べるということは人が生きていくための神聖な行為ということができ、だから、そのことに専心しなければいけないわけで、だからこそ、食事の時に余計なお喋りをしない、と躾けられたと思います。そういう意味で、供された食べ物を一口咀嚼しながら「旨い」などと批評めいたことをいうのは、苦労してくださった人々に対して失礼に見えるわけです。まず、出されたものをきちんと噛んで食べる。残さないでたべる。食べ物をお腹におさめて、しっかりと身体に吸収するということを実感するのが満腹感、満足感です。それを全身で感じたあとで、はじめて「おいしかった(おいしくいただいた)」という言葉が出てくる。たんに表面的な感覚器で知覚するという批評的な、いってみれば上から目線で、食べ物に関わった人と切り離してしまって快楽の道具のように感覚的な戯れのように、いってみれば口先だけの巧言令色で飾ってしまうというのは、私が受けた躾に従えば、傲慢さがあらわれ、失礼な態度に見えました。そして、さらに言えば、全身で食べ物を取り込むという、いってみれば全身で食べ物をおいしくいただくという満足感に至らない、本当においしいのか、というように見えました。

かつて、吉田健一という小説家が、ある料亭の豪華な料理を評して、御馳走と宴会料理は違う、と言いました。感覚的な旨いでは、御馳走をおいしくいただくことはできないのではないか、と思います。

年寄の説教、かな。とはいっても、私自身、切実に食事をしているかといえば、こんなことを書いてしまうと、一番襟を正さなければいけないのは、この私自身だったりする、と反省もかねて。

2015年1月 7日 (水)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(18)

3.素材と行為

ギブソンによる生態学的心理学は、知覚を機械的・要素的な刺激に対する聖体の要素的・機械的反応から考える立場を批判し、知覚者と環境との相互依存性を基本に置く。つまり、心や脳が外部から入ってきたデータを処理して、秩序意味を作り出すと言うのではなくて、生体とその環境が、各々構造化された全体であり、機能的・構造的に結び付いて一つの系をなすと考える。環境はそれ自体で構造化されて意味を持ち、知覚者はそれを直接知覚する。それが「アフォーダンス」という語に表われている。

「アフォーダンス」は、「環境が、その中で生きる動物に与えてくれる行為の機会」、「生体の活動を誘発し方向付ける性質」であり、環境の中で生きる動物にとってその環境がもちうる「意味」や「価値」のことである。したがって、動物の身体構造や大きさや能力によって、アフォーダンスは異なる。アフォーダンスは、動物との関係において定まる特性なのである。種ごとに、あるいは個体ごとに、様々に異なるアフォーダンスが無数にある。アフォーダンスはそれを知覚する者との関係において捉えられた特性ではあるが、知覚するものの「経験の特性」ではなく、あくまで「環境の特性」であるとギブソンは強調する。アフォーダンスは単に主観的なものではなく、ある個体がそれに気づかなくても、そこに存在する。アフォーダンスは個々の主観、個々の経験を超えて存在するものであり、その意味で生態学的な実在とされる。

環境は様々なアフォーダンスに満ちており、知覚者はそれを直接知覚する。例えば知覚者を取り囲む散乱した光、すなわた「包囲光」をもとに視覚を考えてみると、伝統的な視覚論が視覚の基礎と考えていた放射光、すなわち知覚者の目に届く直線としての光が構造を持たないのに対し、包囲光はそれ自身「包囲光配列」という構造を持つ。知覚者は、この包囲光配列の構造の中にアフォーダンスを直接知覚する。つまり、知覚者が要素的な刺激から知覚を構築するのではない。光そのものが構造化され、そこに環境を特定する情報があり、知覚者はその情報を「抽出する」。しかし、近くは、光の中にある情報の単なる受容ではない。ギブソンが「情報抽出」という言い方をするのは、知覚の働きの能動性を強調してのことである。アフォーダンスは直接知覚されるが、それは一方的入力ではない。知覚には、知覚には、知覚者の積極的な探索や調節の活動が必要とされる。ギブソンは、環境や刺激と言われるものが秩序化、構造化されていると考えるが、その秩序や構造は、知覚者が自ら動くことによって、動きに応じた視界の変化を通じ、変化の下で持続するもの不変なものとして、見出されるというのだ。環境の中の情報は、静止したままでは得られず、知覚者が動くことによって時間の中で変化における不変項として抽出される。知覚者自らが能動的に動くことが知覚に必要である以上、そこには目や耳や鼻などの狭義の知覚器官だけでなく、身体全体が関与する。つまり、知覚は行為であり、全身的な活動であるということになる。ここから「知覚系」という概念が生じる。知覚のために行為は組織化され、身体は構造化されるということになる。

環境には無尽蔵のアフォーダンスが実在するはずだが、知覚者は無前提にそのすべてを知覚するわけではなく、知覚者ごとの情報抽出における系のはたらき方次第で、そのうちのあるものがその知覚者に立ち現れる。我々はここに、一種の技術を見て取ることができるだろう。生態学的心理学の示す知覚のあり方には、環境に促され環境に応じて成立する「行為の形」としての技術と捉えうる側面がある。この技術は、知覚者の内部というよりむしろ、知覚者とその環境からなる一つの全体としの動的構造内部、両者の界面に位置し、変化し続けているはずだ。

このようなアフォーダンス理論は、我々が問題する素材と技術との関係が、一方的な関係、外的な関係ではないことを示唆してくれる。アフォーダンスは、知覚者が環境の中で行動することによって発見される。素材を扱う者は、素材と実際に関わる行為の中で、素材のアフォーダンスに気づくということになる。素材のアフォーダンスを知覚するためには、それを抽出する知覚系のはたらき方が、素材に応じる形で成立しなければならない。そしてアフォーダンスの知覚が、ギブソンの考えるように外界と一致するものであるならば、知覚する者は、アフォードされた何事か、言い換えると自らにとって「意味」や「価値」をもつ何事かを、プラスの意味や価値ならば現実化すること、現実に利用することができるはずだ。我々は素材のアフォーダンスを抽出し現実化する技術を、素材に応じた身体的な系の組織され方や働き方、系における高次の調整や制御の仕方として考えることができる。とすれば技術は、身体が素材と関わる中から素材に促されて生まれてくる。素材の持つ特性は、素材に応じた技術によって抽出され現実化される。両者は内的な相互依存関係にあり、その関係は、「意味」や「価値」を内に含んで成立している。

 

4.技術と構想力

我々の関心は、芸術における制作を、頭の中、心の中のこととしてではなく、身体を動かし素材を扱って客観的事物を生み出す具体的な行為として捉えることにある。形や素材、それらと関わる技術をめぐる考察は、芸術作品がどのようにして生まれてくるのかという問いに関わり、創造性についての問いに向かう。

三木清が論じる構想力は、それが行為と関係づけられている点において、我々の関心を引く。三木清は行為を観察と区別する。しかも三木の考える行為とは、意志のことではなく、「広い意味においてものを作る」こと、すなわち「制作」に悟性と感性を結合する機能を認めたことに着想を得ているが、構想力を、頭の中、意識の中で働くものではなく、「身体をもって物そのものに突き当たる」行為においてはたらくものと考えるのである。構想力の論理とは形の論理であり、形を形成する技術の論理である。個々で問題とされる形が形式論理の扱う抽象的な形式でない。三木は行為の形を主観的なものと客観的なものとの綜合とみる。形は「イデーと実在との統一」である。三木は、技術における形の形成に構想力の働きを見る。すなわち、身体をもった人間が環境と関わる中から、両者の相互限定・相互依存の結果として、意味の受肉である新しい形が生まれる。そこではたらくのが構想力なのであれば、我々は構想力を、行為する身体の内に見て取ることができるだろう。あるいは、構想力は、身体と環境からなる一つの動的な構造の内部、両者の界面にはたらく力と言った方がいいかもしれない。そしてそのはたらきは、能動─受動ではなく、中動態であるはずだ。

作品の制作とは、素材との技術的対話かもしれない。作り手は素材にはたらきかけ、そこから何がしかの応えを受け取る。何がしかの発見がある。それが次のはたらきかけへとつながる。芸術制作における創造性は、どこか他のところにではなく、まずここに求められなければならないだろう。

経営を語る語彙について

美術史家のゴンブリッチは名著『美術の歩み』の中で、興味深いことを書いている。例えば人からある絵画をなぜ傑作だと感じたのかは、「普通、言葉では正確に説明することはできない。しかし、このことは、この作品もあの作品も、同じようによいものだとか、好き嫌いの問題は議論することができないとかいう意味ではない」。こうした問題について議論することを通して、「以前には見逃していた点に私たちは気付くようになる。私たちは気付くようになる。私たちは、各時代の芸術家たちが成し遂げようと努力した調和ということに関して、感覚を高めるようになる。これらの調和に対する私たちの感覚が豊かになればなるほど、私たちは、それらの作品をもっと楽しむようになる」。ゴンブリッチいわく、「紅茶を楽しむ習慣を持たない人々にとっては、一つの銘柄は、他のものと、どう見ても似たりよったりの味に見える」が、「その人たちがもし、洗練された味を探すだけの暇と意志と機会を持てば、どのタイプとのミックスが好ましいかについて一家言をもつ本当の「鑑定家」となり得る」。つまり、「好みというものは洗練し得るという事実を隠せるものではない」というのである。これは、「趣味を語る言葉」の問題だ。例えばワインのテイスティングにおいては、特定の味覚に対応するさまざまな語彙を覚えていくことを通し、微妙な感覚の差異や関連や同一性や連想に徐々に気づくことが出来るようになっていくのであろう。個々の経験が、ばらばらな印象にとどまらず、互いに明瞭に関連付けられ、知の体系となっていくことにより、より深い体験が可能となる。

これは、経営を語るという場合にも言えると思う。例えば、IR活動で投資家やアナリストと企業の経営を様々の角度から、多彩な語彙で語り合うことにより、微妙な機微やビジネスモデルのユニークな視点などについて今までになかった見方や見逃していた点に気づくことを可能にする。経営を語る語彙を増やすということは、経営の視野を広げ、深めると言っていいのではないか。自社を語れない経営者やIR担当者は(こういう言葉は、形容矛盾なのだけれど、現実には存在する)、会社を経営するという概念を持たないとアナリストや投資家から見られても、しかたがない。だから、IR担当者にしても、学生に会社を語る採用担当者にしても、監査担当者にしても、社内にとどまらず、社外の異質な人と会社を経営を語り合うことは、大きなメリットがある。

2015年1月 6日 (火)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(17)

Ⅲ.生成の場面─中動態の発動と結果

第七章 かたちの生成─身体・技術・素材─

芸術作品は、物質的なものと、それを超えた精神的意味的なものとが結び付いた存在と理解することができる。であれば作品の制作は、制作者の頭の中だけでは完結しない。画家がカンバスに筆で絵の具を載せていくこと、小説家が原稿用紙に文字を書いていくこと、音楽家が喉や楽器で聴こえる音を実際に連ねていくこと等なしに、作品はない。制作には、物質的感覚的な事物の世界での具体的な作業が必要である。

物質的感覚的な素材を実際に扱う作業については、それを構想の単なる実現と見る立場もある。すなわち最初に作品の精神的意味的なものが作者のうちに抱かれ、ついでそれをどのような物質的感覚的なものに担わせるか細かく構想され、最後にこの構想を実際の材料を用いて事物として実現するという具合である─言い換えると、芸術作品は、まずは作者の精神において「内的」に構想され、細部にわたって練り上げられ、ついで事物の世界で「外的」に完成されるというのである。しかし作品の制作は、このように「内的形成」と「外的完成」という二段構えで行われるものなのだろうか。精神における「内的形成」が制作の本質的過程で、事物を扱う作業は、それを物理的なものに置き換えられるだけの「外的完成」、二次的過程なのだろうか。そして何より精神的意味的なものと物質的感覚的なものとの結びつきは、制作者の頭の中で、「構想」として内的に形成されるものなのだろうか。

現実の制作を見る限り、制作者は実際の作業なしに構想してはいない。制作者たちはむしろ、物質的感覚的な素材をどのように加工すればどのような精神的意味的な内容がそこに表われるか、両者がどのように結び付くか、絵筆を取ったり、言葉や音を自分の前に並べたりというような、実際に見たり聞いたり触れたりできる素材を扱う作業から見出しているように思われる。その作業は、作品の制作において二次的な過程ではなく、より重要な位置を占めるものと思われる。

1.芸術と技術

作品の制作を、単に「頭の中」だけのこととしてではなく、実際に体を動かし事物を扱う行為まで含めて捉えようとするとき、技術という問題が浮上する。竹内敏夫は、周知のように、今日芸術を指すartKunstという語は、もともと技術を意味する。芸術は、美的価値、芸術的価値などと言われる何らかの価値の実現をめざして、材料を加工形成し、客観的な作物手背あるところの作品をつくり出す、そのため、それを現実につくり出す工夫・たくみ(art)、わざ・能力(Kunst)という側面、すなわち合目的的な制作活動としての技術の側面が、芸術にあるということである。ここで技術は、目的とする価値という精神的意味的なものと、客観的作物であるということの物質的作物であるということの物質的感覚的なものとを結ぶ位置に置かれている。

このような芸術が一種の技術であるという考え方に対して、コリングウッドは、技術には目的と手段、計画と実施の区別が必ずあるのに対し、芸術には必ずしもそれがない指摘して、芸術は技術ではないと断じる。芸術作品の制作は、何を目的としてどのような作品をつくるのか、どのような作品をどのようにして作るのか、はっきりしないまま進んでいくことがある、ということである。このような中動態の特徴は、技術と相容れないものなのだろうか。

芸術は巨視的に見れば、竹内が言うように、価値の実現を目指す合目的的な創作活動である。しかし個々の作品制作体験の内部に視点を置けば、コリングウッドの指摘するように、具体的にどのような個別的価値内容をどのような個別的作物について実現するのか、そのために材料をどのように加工形成するのか、いわば下位のレベルで目的論的構造が認められなくなっている。それはどういうことなのか。我々は、この問題を、身体を備えた制作者が、見たり聞いたり触れたりできる素材に手を加え、作品を形作る全体的行為から、より詳しく考えていかなければならない。

 

2.形と素材

作者がつくろうとする「作品」の内容やすがたかたちをどれほど豊かに、詳細に,頭の中で思い描いたとしても、それは現実世界の事物とならない限り、決して作品ではない。作品は、誰もが見たり聞いたり触れたりできる実在の対象である。作者の「想」や「意図」を重視し、意識や精神のはたらきを中心に制作を考える立場は、芸術作品が客観的事物であり、制作が既存の事物を材料にして別の事物を現実につくり出す行為であることを、軽視したり無視したりすることになりかねない。

問題は常に、芸術作品が、「意味」や「想」や「意図」といった、見えないもの、可能的なもの、普遍的なものの次元に足をかけると同時に、今ここで目に見える現実的なもの、個別的なもの、特殊なものの次元にも足をかけている、というところにある。芸術作品は二つの次元にまたがる。二つの次元を、精神的なものと物質的なものと捉えることもできるだろう。したがって芸術作品の制作を考えるには、それがいかにして二つの次元にまたがりうるのか、その次第が問われなければならない。形や形に与える技術は、この文脈において、二つの次元を媒介するものとして重要な意味をもつことになる。

芸術をめぐる考察の中で、形は従来、二種類の対立の内に置かれてきた。一つは「内容─形」という対立であり、もう一つは「形─素材」という対立である。「内容─形」という対立において、内容が意味の側、精神の側、主観の側に置かれるのに対し、形は事物の側、客観の側に置かれる。「形─素材」という対立においては、素材が事物の側、客観の側に置かれ、形はむしろ意味の側、精神の側、主観の側に置かれる。対立項の取り方によって、あるときは意味や精神や主観の側とされ、あるときは事物や客観の側とされるということそのものが、形が二つの次元を媒介することの証とも考えられよう。

技術が個々の具体的な形を生み出す「行為の形」であり、そこに差異=媒介という中動の働きが見られるということは、技術が所与の目的に対する単なる手段ではない、ということを意味する。すなわち技術は、頭の中で完成した形を、素材に押し付けるだけのものではない。作品が現実的で個別的な事物であるためには、素材が不可欠であって、技術が素材と関わりをもち、素材に形が現実化しなければならないのであるが、形や技術が二つの次元を真に媒介するためには、技術が素材に対し、外側から一方的に操作を加えて任意の形を与えるというのであってはいけない。形やそれを生み出す技術が、素材と何らかの内的な関係を持つのでなければならない。

フォションは『形の生命』という著作において、形と内容との二分法を退け、形そのものに意味作用や活力を見出す。彼が問題にする形とは、抽象的な形それ自体ではなく、受肉としての形、素材と結び付いている形である。彼は、素材に外部から押し付けられている形に対し、むしろ素材の側からもたらされる形を見出したといっていいだろう。彼の観察によれば、ある素材から別の素材へ移行すると、形は必ず変容を被る。素材は、形に働きかけて形を変容させるわけだ。ただし、これは決定論を意味しない。素材もまた、形によって変えられるからである。要するに形と素材の関係は相互依存的な関係といえる。形と素材は互いに影響を及ぼし合い、様々に結び付いて一つの作品をなす。今われわれは「結び付く」という語を使ったが、この言い方は不正確だろう。この「結び付き」だが、形も素材も、一つの作品であることから各々それとして成立しているのである。ここにも中動態を見ることができる。とりあえず「結び付き」という語を使って言えば、素材と形は様々に「結び付き」、そこから様々な変容が生まれる。この形と素材の「結び付き」を現実に生じさせるのが、手と道具である。そこに技術が関与する。

技術は、手が道具で素材と関わる行為においてはたらき、そのことによって素材の内に形が生まれる。技術は素材あっての技術であり、特定の素材に対してそれにふさわしいあり方として、成立している。フォションは素材の「技術についての運命」という言い方もする。素材の「技術についての運命」は、素材の「形にまつわる運命、使命」に呼応する。技術は「さまざまなやり方で素材の中に形を生きさせる仕方」である。素材に応じた技術がはたらくことによってはじめて、先に述べた形と素材との相互依存的な結び付きが可能になるということだろうる素材に応じた技術によって、単なる可能性であった素材の「形にまつわる使命」が現実化し、素材の内に現実の形となる。素材の側からもたらされる形が、素材の内に形として現実化するためには、素材にふさわしい技術が必要なのだ。

素材と形が結び付くその過程、「素材に形が生きる」ということの生じる過程に、技術は関与する。「素材の形にまつわる使命」と「形の素材にまつわる運命」とを間を取り持ち、個々の形を素材に受肉させるのが技術ということになろう。フォションによれば技術と素材とのいわば運命的な関係が、それを可能にする。しかし技術を「行為の形」と考える我々としては、あらためて「行為の形」としての技術が、素材との関係においてどのように成立するか、問わなくてはならない。

2015年1月 5日 (月)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(16)

4.私であることの中動

言語学者たちは、中動態の用法の一つとして、心的出来事の領域に関わる表現を挙げている。「こわがる」「怒る」「悲しむ」というような情動の動詞、また、「思う」「考える」というような認識の動詞にも、しばしば中動態が見られるという。日本語のニュアンスでは、むしろ「こわい」「腹が立つ」「悲しい」、そして「と思われる」「と考えられる」なのかもしれない。

デカルトのコギトにおいて確かなものとされた「我思う」は、もともとは中動態の「と私には思われる」だと長井真理は指摘している。長井は、分裂病患者においては、自己を対象化しようとしなくても日常行動や思考活動においてその都度不本意に生じる自己意識、しかも自分自身の性質において何の内容規定ももたらさないような自己意識が、患者本人に意識されているというのである。通常の自己意識は、自分自身を対象化し、自分自身の性質について内容規定をもたらすが、それとは別の通常の「非対象的・非措定的」な自己意識である。長井はこのもう一つの自己意識が、患者以外でも通常、意識されることなく生じていると考える。それは「非対象的・非措定的」である以上、本来は意識されない。長井は、この非対象的・非措定的な「自己意識」をデカルトのコギトと重ね、それが中動態で表現されることに注目する。

長井は、デカルトが「私」の確実性に達したのは彼の「疑う」という行為の中に「疑われる私」という視点が生じたときだと、「最終的に確実だとされた私は、単なる能動主体としての私でも、単なる受動的客体としての私でもなく、疑うことが同時に疑われることでもあるような行為、単なる能動でも受動でもないような行為の容態に関わる限りでの「私」である。」と述べ、このような「容態」を考える手がかりとして、中動態を持ち出してくる。この「容態」は、我々の日常生活においては気づかれないが、私や世界の確実さを常に背後で支えており、その隠蔽性は、私や世界の明証性と密接に関係する。

我々はここに、「私であること」を支える中動態の自己関与を見ることができる。自己関与である以上、それは私と私との関わりであろうが、この私と私は、一方が主体であり一方が対象であるような別々のものではない。これは再帰ではない。ここに対象化はない。ここに二はない。しかし全き一もない。つまりそこには関わりを可能にする差異のようなものが生じていなければならない。「私であること」はそのような一と二の間で成り立っていることであり、だから中動態なのであろう。

私と私の差し向かいではなく、自分自身を対象化するのではない自己との関わりは、現象学においても重要な問題として論じられている。現象学においては、反省の徹底化の中で、反省に先立つ反省の根拠が求められる。新田義弘によれば、現象学が先反省的根拠を求める次第は以下の通りである。従来の反省は措定的反省であり、そこにおいて自我は、反省する自我と自我に分裂している一方、分裂を通して反省する自我が反省される自我に分裂している一方、分裂を通して反省する自我と反省される自我に分裂している一方、分裂を通して反省する自我か反省される自我と同一の自我であることを確認する。しかしこの同一性の確認は、時間の中で、常に流れ去った自我を後から覚認することでしかない。とすれば、自我の同一性は反省によってつくられるのではなく、反省に先立ってすでにあるのでなければならない。また、反省という自我分裂に先立って、自我の分裂の可能性も成立していなければならない。すなわち、反省の根拠としての、「分裂しつつ同一であるごとき自我の原初的在り方」が、反省に先立ついまだ主題化されない根源的事態として、要請されるというのである。我々はここにもまた、差異化であり媒介である働きを見出す。現象学は長井の言う「非措定的・非対象的自己関与」と同じような事態を見出している。新田はこのような根源的事態、「非対象的な自己感触」が、「遂行態」においてのみ生起しており、したがって反省による対象化を常に逃れるということを指摘する。そしてそこに「現われは入ってこないで、現われを成立させるために身を引くはたらき」を見る。これは、長井の言う「非措定的・非対象的自己関与」が、それ自身は意識されず、しかも世界や「私」の確実さを支えていることと、同様の構図ではないだろうか。見えるものと、見えるものを見えるようにしている見えないもの─おそらくここにも、差異化と媒介の働き、中動態で表わされる事態があるのではないか。

最後に注目しておきたいことは、本章で取り上げた中動態で表わされる事態が、いずれも「生き生きとした」出来事として経験されるということである。この「生き生きとした」を表わす形容詞は、フッサールが先反省的な根源的事態を「生き生きとした現在」と呼んだというばかりでなく、カッシーラが表情体験を記述する際にもしばしば用いられている。それは、それらの出来事における中動態を要求する特徴が、新田の言葉で言えば「遂行態」においてのみ、それと認められるということを意味する特徴が、新田の言葉で言えば「遂行態」においてのみ、それと認められるということを意味する。後から反省的に分析すれば矛盾を含むと言わざるを得ないことが、人がそれを生きる只中において成立している。

2015年1月 4日 (日)

昨年のベストセレクション

いつも年の初めは、昨年読んだ本や聴いた録音のベストセレクションを書き込むことをやってきました。一昨年の終わりに自分なりに精魂を傾けてきたつもりだった仕事から、突然に離れることになり、年甲斐もなくウジウジしていたりしたこともあって、ポジティブにビジネス関係の本に手を伸ばすことから遠退いてしまいました。

しかし、長年の習慣のせいか、本を読むということから離れられなくなってしまって惰性のように、とりたてて意識することもなく本を手に取っていたようです。とくに考えることもなく、その時々の欲望の赴くまま(単に読みたいという欲望)に手にとった本は、哲学関係、とくに中世哲学を読んだ思い出があります。 そのなかで、以前は読み流すように読んでいたのが、昨年ころから先が短いことを自覚したのかもしれませんが、噛みしめるように文章を読むようになっていました。とくに哲学書を読む際の、私なりの秘訣のようなものとして、分からないところがあっても、分からないまま読み流す、という方法論を持っていました。多くの人が哲学書を読もうとして、難解だとかいって途中で放り出してしまうのは、本の内容を全部分かるろうと無理をして、分からないところにぶつかると、そこで読むのがストップして進まなくなってしまい、にっちもさっちも行かなくなるからだと思います。私には、それは先人の哲学者が苦心惨憺して残した著作を一回読んだくらいで、分かってしまうなどというのは傲慢だということに気が付いて、分からないところは分からないと素直に認めるということです。そして、分からないところで立ち止まっても、何年もかけて著作した哲学者に頭で劣る私が、そこで短い時間で分かろうはずもない。それならば、とわからないところは飛ばしてしまい、そのまま読み続けると、分かるところに出会うかもしれない。とにかく一冊通して、読んで数か所でも分かるところに出会うことができれば、ラッキー。そして、その分かるところを自分なりに考えていくと、何となく考えたりする。それが哲学書を読むことということでした。分からないということを認める謙虚さと、分かるところで考えていくという自分の頭で考えるということ。それが哲学するとか、本を読むということの、私なりの方法論でした。それは、若いということゆえのことで、年齢を自覚したことで、少しずつ私の読むことの方法論を変えようとし始めたのが昨年ということになるかもしれません。ということで、何を読んだかという昨年のベストセレクションは、方法論が変化し始めたということの前で、私としては霞んでしまっています。

また、その時々の読了した本のことは、私の大好きな山田風太郎の『戦中派不戦日記』を真似して、個人のFacebookのページに書き込むことも始めてみました。私の独断的な主観によるものなので、“いいね”をもらえるものではありませんが。

ところで、このところブログに美術展の感想を書き込むようになって、美術展に出かけることが多くなりました。なんと年間で10回以上も行くなんて、我ながら驚いています。で、昨年の私のベストはミヒャエル・ボレマンスの展覧会でした。現代作家の個展で、不思議な静けさの漂う作品が並んでいました。

次回から、途中で休んでしまった「芸術の中の中動態」の読書メモの続きを書き込みます。

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