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2015年1月17日 (土)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(27)

終章 中動態とオートポイエーシス

1.「おのずから~なる」

ル・ラルという助動詞は、学校文法では自発、尊敬、受身、可能という四つの意味を表わすとされる。これについて大野晋は、その四つの意味の根本は「自発」「自然の成行き」にあるとする。すなわち、可能は「物事は自然の成行きで成就する」、受身は「自分が関与しないのに自然の成行きとしてある事態が成立する」、尊敬は「相手が自然に動作した」という具合に、他の意味はどれも「自然の成行き」から理解されるというのである。ということはつまり、例えばひとが何事かをなしえたというような主体の能動とも受け取れる事態、ひとが何事かを被ったというような受動とも受け取れる事態が、ともに「自然の成行き」から説明されるということになるだろう。「自然の成行き」から説明されるということになるだろう。大野は日本語に日本人の「物事を自然の成行きと捉える傾向」を指摘する。日本人は物事の根本に「おのずから~なる」はたらきを見るというのである。

木村敏は「おのずから」「みずから」が、どちらも「から」という起源・発生を意味する助詞を共有すること、またどちらも「自」と漢字表記され「より」と訓読されて、やはり起源・発生を意味することに注目する。そしてこのことをヒントに、「自己=みずから」の不成立と「自然さ=おのずから」の喪失とが、不可分な関係にあると理解する。すなわち、「自」が「もともと主客未分なある根源的な自発性」を指すと考えれば、「自然=おのずから」は「根源的自発性」を指すと考えれば、「自然=おのずから」は「根源的自発性がその自発性を損なうことなく自由に湧出している姿」を指し、「自己=みずから」は、「この根源的自発性を主体の側に引き受けて、『み』すなわち自己の内部からの起源のものと見立てたあり方」を指すというのである。自然と自己がともに主体的人間と客体的世界との「あいだ」の出来事であり、「主客未分の根源的自発性から発生してくる等根源的・共属的な現象」だと木村は理解する。自己と世界、主体と客体が一つの「根源的自発性」から成立し「根源的自発性」によって支えられている─木村もまた、「おのずから~なる」というはたらきを根源的、根本的なものと見ている。主客未分の「根源的自発性」が「おのずから=自然」であり、そこからの差異化によって「自己=みずから」と客体的世界が成立する(=なる)という図式である。木村は、「おのずから~なる」という考え方に、ポスト構造主義の「差異化」の考え方を組み込んだと見ることもできよう。

竹内整一は、「おのずから~なる」をベースとする思索には、主体としての人間の営為も含め、すべての物事を「自然の成行き」「生成のエネルギー」「根源的自発性」等に一元的に回収する方向性があると懸念する。自然と作為は対立するものとされるが、自然はより深い層で、対立するはずの作為を回収してしまうのである。「みずから」、自己の主体性は、「おのずから」のうちに手放される。すると「みずから」の「みずから」であること、自己の主体性は、もはや問えなくなる。確かに木村は「みずから」を「おのずから」の差異化として、「根源的自発性」をこちら側(「みずから」の側)への引き受けとして理解した。しかしそれでも、なぜ「根源的自発性」があちら側ではなく、こちら側に引き受けられるのか分からない。統合失調症の症状には、自発性があちら側に帰される「させられ体験」も現れるのである。そしてそもそも「みずから」を生み出す差異化はどのように起こるのか。「おのずから」自身には積極的な差異化の契機が見当たらない。そこからはむしろ、全体へと引き止める方向性が強く感じられる。「おのずから~なる」の枠組みでは、自然から作為がどのように生まれるのか、自然から自己がどのように差異化されるのかを問うことができない。自己はどのようにして自己であるのか。

芸術体験を内側から(日本語で)語る言葉に、「おのずから~なる」系統の記述が使われるのは、おそらくそこで、主体のイニシアチブによらず「自然に」ひとりでに成立する動作や作用や状態が体験されるからだろう。言い換えると主体を超えた「おのずから」に回収されるのだろうか。そうなればわれわれは、制作主体や受容主体について、もはや語れなくなる。しかし他方、制作者は自分が作品を創作したとも言い、受容者は自分が作品を理解したとも言う。である以上われわれは、制作者や受容者が「おのずから」の体験をどのようにして「みずから」に引き受け、「みずから」の体験とするのかを、なお問わなければならない。

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