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2015年1月16日 (金)

森田亜紀「芸術の中動態─受容/制作の基層」(26)

4.作者であることの事後性

芸術制作における「表現によって知る」ことの時間のもつれは、作品に表現される精神的意味的なものが物質的感覚的なものなしには存在しえず、作品の物質的感覚的なものも精神的意味的なものを表現するというかたちでしか存在しえないことから、生じていると考えられる。表現の場面に特徴的に見られる時間の構造は、芸術作品が物質的感覚的なものと精神的意味的なものとの一体になったものであると言うこと、作品制作が物質的感覚的なものに手を加えながらそこに精神的意味的なものを現れさせていく身体的行為であるいうことと、呼応していると言うことができるだろう。その事態を、我々は中動相という形で考察してきた。

つくり手の作者であることは、出来上がった作品から事後的に成立すると考えられる。作品をつくる過程が、主観的なものと客観的なものとの「かたち」を介した相互限定なのであれば、つくり手自身、つくる過程の中で変化していく。それは、出来上がる作品に呼応した変化のはずだ。作品の出来上がることと、つくり手の「作者」になっていくこととは、一つの同じ中動の動的構造をなす。同じ構造に与ることから、両者のかたちは対応する。おそらくここからつくり手には、出来上がったものが「自分の作品」と思えるのだろう。「自分の作品」とは、「自分のつくった作品」である。つくり手は、出来上がった作品から、遡ってその作品の「作者」になる。作品に先立つ「作者」であることを事後的に引き受ける。「作者」である自分が「作品」をつくり出したと、時間を遡って認める。遡行によって、「作者が作品をつくった」と、能動─受動のかたちで出来事を語るようになる。

ここには現在による過去の修正がある。過去が現在を決定する決定論に対し、現在が過去に意味を与えるという逆方向の決定論である。そしてこの修正は、修正された過去が現在を決定したようなかたちになされる。これはフロイトの言う事後性と同じ図式である。

中動態は生成変化の態である。しかもそこには「差異ともいえない差異」が用意されていて、後から振り返れば、主体─客体、精神的意味的なもの─物質的感覚的なもの、等々の二元的対立が遡行的に見出される。

 

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