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2015年2月 2日 (月)

ルディー和子「合理的なのに愚かな戦略」(3)

第2章 「勇気」がなければ価格は変えられない

売り手にとって理想的な売り方は、買い手一人ひとりの懐具合に応じて価格を変えることだ。顧客を価格感応度の高低で分ける。そして、価格の違いに敏感な価格感応度の高い人には、割安の値段をつけ、価格感応度の低い人には高値をつける。これは売り手にとって理想的な販売方法だ。

もともと、同一の商品はいつでも誰にでも同じ価格で販売するという慣習は、売り買いの長い歴史から見れば比較的最近のものだ。産業革命後、同規格の製品が大量生産されるようになり、市場も大きく広がっていった。拡散する流通経路では乱売も発生。末端価格が不適切に安くなることを嫌ったメーカーが、小売店に同一価格を維持するように強制したり圧力をかけたりすることで、定価という概念は広まった。それまでは、いきでも露天商やフリーマーケットなどで見られるように、売り手と買い手が交渉して値段を決める方式がずっと長い間続いていた。売り手は買い手の身なりとか話しぶりから相手の懐具合や購買意欲の高低を判断して言い値を決める。

現代では、同じ店舗で同じ商品を買う客に、異なる値段で売れば苦情が出る。だから不景気になり値段が下がると、結局、すべての人に平等に値段を下げて売ることになる。値下げすれば客数が増えるから、以前の売上を維持することが出来ると考えるわけだが、類似商品を販売するライバル企業が存在すれば、そううまくは進まない。ライバル企業も対抗値下げをしてくるから客数は増えない。つまり、値段も下がり売上も下がるという「どつぼにはまる」こととなる。

渡辺努は日本企業の価格設定行動が、デフレ下にあった海外先進国の企業とは異なることを指摘し、「(競合他社との競合のなか)価格を上げるとライバル企業に顧客が流れてしまうおそれがある。そのため、少々需要が増えたりコストが増加したりしても、価格の引き上げに踏み切る勇気がない」と指摘している。経営者、値段を上げる理由、下げる理由、どちらをも正当化する調査結果とかその他もろもろのデータ資料に囲まれる。経営会議を開けば、値下げ賛成、あるいは反対、どちらかを支持する役員がそれぞれの方針を正当化する議論を展開するだろう。当然のことながら、二つの選択肢にともなうリスクも考慮されるはずだ。そして、決断を下すときに、経営者を悩ますのは、それぞれの選択肢がもたらす利益ではなくリスクのほうになるはずだ。決断を下すということは、二つの選択肢(値上げする、しない)のどちらかをそのリスクとともに選ぶということだ。そして、通常、利益が大きい選択肢はともなうリスクも高い。利益が大きいがリスクは低いという選択肢はあまりしない。だから、決断するときはリスクを引き受ける勇気が必要になるのだ。選択肢が資料やデータで裏づけされ、場合によってそれぞれのリスクも予想確率といっしょに列挙される。そういったデータを把握するまでが論理の世界である。だが、どの選択肢を選ぶか決断するのは「勇気」である。勇気がないというのは、リスクをとるだけの勇気がないということだろう。

日本の企業は、世界のどの企業よりも、市場での価格競争が厳しいと強く感じているようだ。しかも興味深いことに、日本企業の大半は価格競争についてはライバルが仕掛けてきたと思っている。つまり、ほとんど価格競争において、日本企業はその競争に進んで参加しているというよりは、巻き込まれたという被害者意識を感じているという。実際に起こったことを想像してみると、次のような状況であろう。

自社の何らかの行動(たとえば、売上が下がったので10日間だけ値引きキャンペーンをしてみる)によって、競合他社が対抗値下げする。自社の行動が他者を刺激するなんて考えてもいなかったので、びっくりしながら、じぶんのそれにあわさざるを得なくなる。このように、他企業の反応を十分に意識しないで安易に値段を変えるから、「その競争は競合他社が仕掛けた」ということになってしまうのだろう。

サイモン・クチャー&パートナーズというコンサルティング会社は、日本企業の価格力の弱さについて、次の2点を要因として挙げている。

 技術革新やサービスの改善等による顧客への追加的価値が創造できていない

 価格戦略の弱さ

この二つの要因を、経営者の心理に焦点を当てて書き直してみると、「勇気がない」と同じような意味合いの言葉を使い、「自信がない」とか「他人を説得する力がない」と言う事ができる。

まず第一に、日本の多くの経営者は、自分たちが提供している製品やサービスには競合他社から差別化された価値があると考えてはいても、自身を持って主張はしないだろうということだ。よく言えば謙虚だが、実体は自信たっぷりに主張することに慣れていないだけ。この問題は、価格戦略の拙さにも通じる。価格戦略が下手だということはコミュニケーション能力が低いとい解釈することが出来る。日本企業は無駄を省いてコストを削減するという点では、とくに製造業においては、自信を持って世界一だといえるだろう。だが、コストを削減するプロセスは、身内との協働作業だ。従業員や仕入先や取引先と一丸となって協力し無駄を省く。これは日本企業が得意とするところだ。一方で、価格について、この製品やサービスの価格は価値に見合っている、あるいは価値の割には安いと、外部の不特定多数の他人(例えば消費者)を説得するプロセスは日本企業が不得手とするところだ。いかにして他人の心に影響を及ぼし、その意思決定に影響を与えることが出来るか…つまり、(身内でない)赤の他人へのコミュニケーションは日本企業の弱い部分だ。そのうえ、自社製品やサーヒスの価値について自信を持って主張できないとしたら、値上げするのが難しくなることは明白だ。

日本は近代資本主義経済の歴史上かつてないほど長期間のデフレ下にあった。消費者にとってみれば「デフレは悪いものではない」。とくに収入が増える見込みのない高齢者にとっては、デフレはある意味よいことである。インフレで給与が上がる見込みがある若者であっても、人間は同じ額であるなら、収入が増えることによる満足感よりも、支払いが増えることによる不満足感のほうが高くなる性向をもつ。デフレ慣れしたのは経営者も同じだ。15年の間に、価格を下げたことはあっても価格を上げる経験をした経営陣は少なくなっている。タイミングとか上げ幅とか、価格を上げるのに必要なノウハウをもっている経営陣は少ない。そして、上げることが消費にどれだけの影響を与えるのか、そのリスクをとる経験をした経営者も少ないことになる。つまり、値上げする「勇気」をもてない経営者が増えたことになる。

 

売り手企業は消費者調査をし、その結果をコンピュータ入力して複雑な分析をし、商品やサービスが提供している価値に見合った価格を算出する。そういった方法で見つけた適正価格は、消費者の購買時の感覚を捉えたものになっているだろうか。多くの消費者は価格と価値の関係を企業が考えるような複雑なプロセスで把握し購買するか否かを決めているわけではなく、直感とか勘、ひらめきというアバウトな感覚で購買決定している。

そもそも消費者は、買い物をする時に、「この商品の価値はこれこれで、よって、この価格は適切だ」などと論理的に考えているわけではない。適正な絶対値を持っているわけではない。消費者は他商品の値段と比べて相対的に判断していることがほとんどだ。だから、「値ごろ感」は売り手がつくることができる。…というか売り手がつくるものだ。消費者が値ごろ感を知覚するコンテクストを設定するのだ。昔から商人は、コンテクスト(状況、文脈)を変えることによって、何が値ごろかを変えることができことを、経験から知っていた。

消費者は豆腐の値段は50円でなくてはいけないとか高級自動車は500万円ではいけないという絶対値を持っているわけではない。反対に、どちらかと言えば、価格を手がかりにして価値を判断している傾向が強い。だから、昔から「高かろう良かろう、安かろう悪かろう」ということわざが言い伝えられているのだ。高価格なら品質も良い。反対に低価格だと品質が悪いという常識は、おおよその場合正しい。相対的な選択決定では、幾つかの情報をもとに判断するわけではない。手間隙をかけないで一つの情報を手がかりとして判断する。日常の購買のほとんどにおいて、価格そのものが価値を判断する手がかりとなっていることが多いのだ。だからこそ、一度価格を安くしたら価値はもとに戻らない。

価格は企業のメッセージだ。価格に価値(他競合商品からの差別化)が含まれていない場合、企業が消費者に送るメッセージは、「価格が安いですよ」の安売りメッセージだけになってしまう。何らかの価値が含まれているのなら、それを強調するメッセージをつくりしんずることができる。その意味で、「安くしなければ売れない」という発言は企業経営者には許されないはずだ。正しく言えば、「価値が低い、あるいは価値がないので安くしなければ売れない」でなければいけない。もし、「消費者が知覚する価値が低いので安くしなければ売れない」のであれば、そして、自社製品に価値があると信じているのなら、消費者がそのように知覚してくれるようにコミュニケーション内容やコミュニケーション方法を変えなくてはいけない。こういったプロセスを辿ることなく、すぐにギブアップして「安くしなければ売れない」と短絡的に考えるから、「日本企業は技術革新やサービスの改善によって客への追加価値が実現できていないと考えている」みなされるのだ。「知恵がないから価格を下げる」と、厳しい叱り言葉を投げかけられたりするのだ。

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