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2015年2月27日 (金)

岡田暁生「音楽の聴き方」(8)

音楽は聴くものであると同時に、読んで理解するものである。そして音楽を正しく読むためには、「学習」が必要となってくる。文法規則を知り、単語を覚えなければならない。音楽には語学と同じように学習が必要な面がある─これが意味するところはつまり、「音楽にも国境はある」ということにほかならない。サウンドとしての音楽は国境を越えるだろう。甘い囁きや苦悶の絶叫は、細かい意味内容を知らずとも、万人に理解できる。だが言語としての音楽は、文法と単語をある程度知らなければ、決して踏み込んだ理解は適わない。例えば記号的な音の使い方は西洋音楽に限ったことではなく、中国の京劇だとか日本の歌舞伎や近世邦楽にも無数に例があるはずだが、私にはそうした知識がない。だからいつまで経ってもそれらを「サウンド」としてしか聴くことが出来ない。理解が深まっていかない。国境の壁を越えることが出来ないのである。

にもかかわらず、それでは一体なぜかくも頻繁に「音楽は国境を越えた言葉だ」と言う表現を人が口にするのかと考えた時、これと密接に関わっていたと想像されるのが、「音楽は語れない」のイデオロギーである。音楽は言語では語れないサウンドだからこそ、国境を越えて誰にでも直接訴えるのだ。もし音楽がそれ自体言語であるなら、人はそれを理解するために学ばねばならない。それでは分かる人と分からない人が選別されてしまう。「音楽は語れない」と「音楽は国境を越えた言葉だ」は、ともに音楽の言語性格の否定であると言う点で、根は同じなのである。音楽は誰にでも分からなくてはならないと言う呪縛である。「音楽は国境を越えた言葉だ」という言い方がいつうまれてきたのかは、「語れない」というイデオロギーと同じく、それが19世紀の産物であることは、まず間違いないだろう。そもそも近代的な意味での国境の概念が生まれてきたのが。まさにこの頃なのである。だが同時に民族独立運動の19世紀は、人々が全人類の融和の夢を見始めた時代でもある。かつての教会や国王のような、超国境的な統治者がいなくなった世界に再び統一を与えるという、特別な使命を期待されたのが音楽ではなかったか。つまり、言語が世界を構成する「国家/国民」と言う単位にアイデンティティーを与えたとすれば、言語による分割を再び無効にして、感動の坩堝の中で世界を再統一するのが音楽というわけである。もう少しうがった言い方をするなら、音楽は自国中心文化のグローバル化を図るための、格好の手段であったとも考えられよう。周知のように19世紀になると、数多くの民族が独立した国家を作ることを希求すると同時に、自分たちの国民アイデンティティーとしての音楽を持つことを熱望するようになる。ウェーバーやヴェルディやショパンといった、国民楽派の作曲家たちは、こうした背景から登場してきた。そして国民音楽は民族を結集させるアイデンティティーの核であると同時に、その民族文化を国境を越えて普遍化する役割を与えられていた。自国の音楽を世界基準として流通させる際の標語が、「音楽は言葉ではない/国境を越えている」だった可能性は、それが潜在意識的なものであったとしても、かなり高いはずだ。本当はその文化に精通しなければ理解のかなわぬ「言語」であるかもしれない音楽を、自己の中心性は隠したまま、「国境を越えている」と言い立てて世界に広めるわけである。

近代社会が目指したのが音楽による感動共同体であり、そのためには国境を越えて「誰にでも分かる音楽」が必要だったとすれば、それを欺瞞に満ちた近代イデオロギーとして手厳しく批判するのが、指揮者のアーノンクールである。19世紀に入って生じた音楽のパラダイム転換を、彼は次のように定式化する。19世紀以前の音楽は話す音楽であり、語られるものと同様に理解されねばならないものであるの対して、それ以降の音楽は描くものとなり、気分に働き掛けるものになった。そして、気分は理解する必要はなく感じるべきものだという。このように音楽が気分に訴えることの方を重視するようになっていったのは、19世紀の民主化幻想に起因するもので、「誰にでも分かる音楽=気分に訴える音楽」の成立であるという。その経緯について次のように述べる。「フランス革命において問題となっていたのは、音楽を政治的な全構想に統合することであった。その理論的原理によれば、音楽は万人に理解できるほど単純であらねばならなかったし、音楽はその人の教養の度合いに関わらず、万人を感動させたり、興奮させたり、眠らせたりしなければならなかった。音楽は、万人が学ばずして理解するある種の<言語>であらねばならなかった」。そしてアーノンクールの考えによれば、この「万人が理解できる音楽」を流通させるための政治制度が、音楽院にほかならない。「感動させる音楽」の量産を目的として作られた音楽院のシステムを、アーノンクールは、かつての音楽が小さな文節から組み立てられた「センテンス」だったのに対して、こうした区切りを廃して、滔々と流れる心揺さぶるため息のメロディを強調する音楽が取って代わった。このように言語からサウンドへ変化していったのである。

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