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2015年2月 5日 (木)

ルディー和子「合理的なのに愚かな戦略」(6)

第4章 日本企業がコミュニケーション下手な本当の理由

日本人が海外で活躍する際に問題となってくるのは、①英語が話せるかどうかの問題とともに、②自分の意見を相手に的確に伝え、なおかつ、自分の意見を相手に納得してもらう(つまり、相手が自分の意見を採用するように説得する)ことが出来る能力の問題と二つあるからだ。実際のところ、英語が話せないと悩んでいる人の問題は、語学を修得できない問題というよりも、自分の考えや意見を明確にして発言することを躊躇する態度が障害になっていることが多い。言い方を換えれば、自分の意見をもち、それを筋道立てて発言できる日本人は、それほど英語が堪能でなくても、海外で現地の人とコミュニケーションできる。また、その過程のなかで英語を急速に修得していくことができる。外国語というツールを使いこなすことが出来るかどうかは、それを話す人が自分自身と自分が話している内容に自信を持っているかどうかによるのだ。自分の考えを相手に分からせようとう意欲があるかどうかが重要なのだ。

 

会社が人間から構成されている組織である限り、日本企業のコミュニケーションのスタイルが、日本人の平均的コミュニケーション・スタイルと似通ったものになることは当然であろう。例えば、日本企業のソーシャルメディアの利用の仕方には、日本人の性格が表われている。話すことに慣れていなくて、話せば相手が直ぐに理解してくれると思い込んでいて、理解してくれない場合でも説明するなんて面倒くさいと思っている人間が、見知らぬ人たちの集まり例えばパーティーに放り込まれたらどうなるか?

パーティーのような社交的な場に慣れていない日本人、そしてこういった日本人を構成要素に持つ日本企業は、ネット上で不特定多数の消費者とインタラクティブにコミュニケーションするように促されても、どうやったらよいのかよく分からない。相手の機嫌をそんじたらどうしようかとあとずさりしてしまう。炎上するのが怖くて(自分が傷つくのが怖くて)、積極的に声などかけられない。アメリカ企業でも炎上することはある。炎上したときに、それでも自分の言い分を聞いてもらい理解してもらおうと社長自らメッセージを送る。それが米国流だ。要は、双方向の直接の会話を恐れない文化をもった企業、つまり社交的な企業でなければ、米国型ソーシャルメディアを効果的に利用できないということだ。

 

日本では暗黙知という言葉が、暗黙という漢字がもたらす神秘的イメージのためか注目を浴び、独り歩きして、間違った認識が広まった感がある。暗黙知という言葉の美的感覚に惑わされ、語らず分からせない行為は正当化されると感じてしまったのかもしれない。その結果、暗黙知は日本の職人、とくに匠の技術の基本となる大切なものだという認識が広まっただけで、それを形式知に変換する努力を軽視されている懸念がある。

伝統的職人技能が親方から弟子へと伝授される。親方によっては、自分のノウハウを知ってはいても、それをわざと弟子に教えないこともある。自分の体で覚えろということだ。そんな場合、弟子は親方のやり方を見て覚える。まねて覚える。これを「技を盗む」と言った。一方、親方自身も自分のノウハウの特徴を認識していないと言葉で説明することができない。

また、暗黙知には、ノウハウと呼ばれるもの以外にも、主観的インサイトであり直感とか勘とか呼ばれるタイプのものがある。たとえば、世の中に現在存在していない製品コンセプト(ひらめいたアイディア)を思いついた。だが、この世に存在していない製品コンセプトをどうやって、他人に理解させることが出来るだろうか。これを言葉で説明しようと努力しても相手はなかなか理解してくれない。こういった暗黙知を形式知に変換する場合によく使われるのがメタファー(隠喩)だ。このメタファーを巧みに使ったのがスティーブ・ジョブズだ。彼は、自分のアイディアをメタファーを使って説明することができ、きっと素晴らしい製品に違いないと、投資家や消費者に一瞬の内に思わせることに何度も成功している。

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