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2015年3月31日 (火)

「在る」ということ雑感(2)

 “地”と“図”という区分がある。例えば、こうやって今、私は黒い線の字を入力しているけれど、それを識別できるのは白い下地があるからで、その対照によって黒い線が在るのが分かる。パソコンの画面とか、白い紙に線を引くときには、白い“地”があるのが分かる。しかし、普通はあって当然というので、ほとんど意識されない。何かを識別、つまり、認識するときには、何らかに地の上に立って現われている図を認識している。何かを考えるときもそうではないか。「“在る”というのは、どういうことか?」と問うことに、その問いの地があるのではないか。つまり、この問いを問う者は、“在る”という真っ只中にいれば問うということはできない。ということ。だから、“在る”ということにないところに、その者がいる。ということは、“在る”ということではない。つまり、“無い”ということがなければならない。

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