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2015年3月 3日 (火)

岡田暁生「音楽の聴き方」(10)

第4章 音楽はポータブルか?─複文化の中で音楽を聴く

世界の他のどんな文化にも見られない西洋音楽の特質の一つに、それが「再生技術」の開発に全力を傾注し、それをモーターとして1000年以上にわたって発展してきたという点が挙げられる。このことはグレゴリオ聖歌以来の西洋音楽とキリスト教の密接な結び付きと、深く関わっていたのだろう。聖なる歌はいつでもどこでも同じように歌われねばならない。勝手な歌い方をして、土着の異教徒の歌と混ざり合ってはいけない。神の声は世界の津々浦々まで、「正しい形で」伝承されなくてはならない。生まれた瞬間に消えていく音楽というはかない芸術を、固定し複製可能なものにしようとしてきた点で、西洋の音楽は極めて特異な性格を持っていた。

おそらく「再生技術開発史」としての西洋音楽の歴史は三つの段階に分けて考えることが出来よう。その第一段階が、中世からルネサンスにかけての、五線譜の開発の歴史である。これは音響の数値化の歴史であったとも言える。音高/音価をそれぞれ縦軸/横軸とする、音空間の設計図の開発史である。周知のように五線譜においては、まるで方眼紙のように、縦線と横線とが等間隔で整然と引かれている。そして西洋の音楽では専ら、その目盛上に正確に記すことが出来る音楽のみが用いられ、それ以外のノイズは排除される。また、2:1といった具合に、数比年で示すことが出来る音価の関係のみが使用され、いわく言いがたい「こぶし」のような揺れは、楽譜から原則として取り除かれる。音楽をいわば身体から引き剥がし、客観化するわけである。リズムが身体にへばりついている限り、それはあくまで個人の「芸」という時間的/空間的制約を超えることは出来ない。西洋音楽がこれほどまでに世界中で広まりえたのは、この客観化によるところが大きかった。

五線譜として合理化された部分は他人でも再生できるが、それ以外の部分は生身の人間身体から決して分離させることが出来ない。このような部分まで含め、音楽をほとんどそのまま伝承する確実なやり方は、日本の伝統芸能のような厳格な徒弟制度を通して、身体コピーを作る方法だろう。楽譜に記せない部分まで含めて、曲の弾き方を完全に身体で理解していく人間を育てるのである。

19世紀に入って「永遠の名作」という概念が音楽において広まり始め、作曲家の地位も向上して、彼らが「作者の意図」について強く主張するようになるとともに、「作品を後世にいかに正しい形で残すか」と言う問題が切実になってくる。そこで重要な役割を果たすようになるのが、19世紀に入って生まれた近代の音楽院である。それは過去の偉大な音楽を、その精神まで含めて正しく継承し、再現することが出来る身体を複製する機関だったとも言える。自分の意図を託する他者の身体を作曲家自ら作り上げることもあった。例えば、晩年耳が聞こえずピアノも弾けなくなっていたベートーヴェンは、自作の演奏を他人に委ねた最初の作曲家の一人である。こうした学校に制度化が19世紀が西洋音楽における「再生技術史」の第二段階と考えられるだろう。

再生技術史の第三段階は、20世紀におけるレコードの隆盛である。音だけを身体から切り離して抽出再生することを可能にしたレコードの登場を、多くの作曲家は福音と受け止めた。身体にへばりついて、どうにも客観化/ポータブル化が難しい部分まで含め、音楽をそっくりそのまま人の死後まで残せるのだ。楽譜に記せない部分の伝承、これによって飛躍的に容易になった。それは、ストラヴィンスキーやシェーンベルクといった「現代音楽の祖」と言うべき作曲家に顕著に見ら、正確な再現への尋常でない情熱が共通している。その裏には実存の不安のようなものが潜んでいたかもしれないと考えられる。それは「音楽の意味合い」とでも形容すべきものに対する、ニヒリズム的な不信感である。自分の意図が自ずとあうんの呼吸で通じると信じることの出来る特定の共同体が存在している限り、ある程度までのことは演奏家に任せておけばいい。また演奏家がたえ多少間違った音を出したとしても、聴衆は作曲家のやりたかったことを察してくれるだろう。しかしストラヴィンスキーやシェーンベルクは、こうした共同体の前提が崩れていると感じていたからこそ、「絶対の再現」にあれだけ固執したのではなかったか。彼らは自分の作品を安心して解釈者に委ねられない。すべてを自分が意図したとおりの形でいつでもどこでも再生できるようにしない気がすまない

音楽のサウンド面というものは、時として完全なポータブル化が可能になる。音楽における「意味の壊死」を言うのがアドルノである。「三人の指揮者」と論文において言う。大作曲家の時代は遠くに去り、作品に意味を与えていた彼らの存在は、次第に人々の記憶から薄らぎつつある。時代が遠くなることでむしろ明瞭に見えてくる意図もあろうが、それを従前の確信をもって示す演奏家は少なくなりつつある。作曲家が生きていた時代の記憶がまだ鮮明であった頃には、いろいろな演奏伝統が有無を言わぬ「生きた型」として機能していたのだろう。例えば「楽譜にこそ書いていないが、確かに作曲家自身がこう弾いていた」とかいうような口頭伝承の類である。だが今やこうした記憶は人々の間にほとんど残っていない。その枠内でこそ最大限に自由が発揮できるような「型」は、もう存在しない。そこでは、もはや生きた熱い内包=意味を失い、ただの音響の殻となってしまった作品を前にして出来るのは、意味も分からないままに曲の輪郭を忠実になぞって見せることだけである。

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