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2015年3月27日 (金)

生誕100年小山田二郎展(6)~第4章 繭のなかの小宇宙

Oyamadabird3_2前章の展示で、小山田は絵画は絵画を学習していくというプロセスにおいて、まず器である形を習得し、その器にいれる魂が後追いで器に見合うようになってきた。形が充足してくるようになると、画家の自発性が、描く喜びが画面に表われるようになってきた、というように私は見た、と述べました。そうであれば、こんどは魂が形に逆に影響を与えることになるのではないか。つまり、頭で考えた他の画家との差別化ではなく、個性が表われてくるのではないか、と期待して臨みました。

しかし、ここの展示は、そのような煌きを見つけることは出来ませんでした。よく言えば、形と魂との均衡をそのまま進め充実させたということになるのでしょうか。造形の面で、あらたに創り出すということは、小山田という画家には、あまりなかったのかもしれません。ここで展示されている作品には、洗練が見られますが、逆に言うとスムーズになりすぎてしまって、この以前にあった作品を見ていて、どこかひっかかるような、観る者を作品の前に立ち止まらせるようなものが無くなってしまったように感じられます。

Oyamadabird2「鳥女」という作品で、1979年の制作だそうです。以前にも別の作品を観ましたが、小山田は「鳥女」という題材をシリーズのように折に触れて何点も描いています。その中で、この作品は、50年代のシンメトリーで図式的な構図とモノクロームな色遣いに戻ったような作品です。しかし、50年代の作品の息詰まるような緊張感がここでは感じられます。リラックスしているといえば、よく聞こえるかも知れません。画面全体は50年代の作品のモヤモヤしたものがなくなり、隅から隅まで整理されて明確になっているようです。モノクロームに色調といっても、白と黒のグラデーションは精緻で青や黄色、赤を目立たせずに、ほんの一部分に匂わせるように織り込んで隠し味のような効果をあげているのは、小山田の技法の洗練をうかがわせます。それだけに、安心して眺めていることが出来るものになっていると思います。

「墓の道」という水彩画です。イメージが整理された、たいへん見易い作品になっていると思います。相変わらず色調は暗いのですが、小山田の水彩画によく見られた、水彩絵具の滲みを活用してものの輪郭が曖昧になって形状がはっきりしなくて、形があるようで、ないようで、不定形といえそうな宙ぶらりんの不安を醸し出すような緊張感はなくなっています。ここでも「鳥女」のように描かれているものは明確で、それぞれの要素が何が描かれているのか(それを見る人がどう思うのか)までよく整理されています。それだけに、作品をみてあれこれ観る人が想像をふくらませるということがなくなっている作品になっていると思います。

Oyamadagraveこれらは、まるで小山田が自身の作品のイメージを反芻しているように見えます。好意的に受け取れば、小山田はこの時点で自身の絵画世界を原点に還るように、自己確認していたのかもしれません。その後で、さらなる展開を考えて準備しているうちに力尽きてしまったと言えるかもしれません。私自身、個人的には、そうであってほしいと思います。

 

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