無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 「在る」ということ雑感(2) | トップページ | 「在る」ということ雑感(3) »

2015年3月31日 (火)

ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2014(16)

だいぶ中断がありましたが、ここからは、いつもの株主への手紙にはない別冊付録のような記載です。バフェットとチャーリー・マンガーがバークシャーについて、過去や将来への思いを語っています。

 

バークシャー─過去、現在と未来

始めに

1964年5月6日、バークシャー・ハサウェイはシーバリイ・スタントンという名の男性が運営していましたが、1株当たり11.375ドルで225,000株を購入したいと申し出た株主に手紙を送りました。私は、その手紙を予想しており、その価格に驚きました。

バークシャーには、その時、発行済み株式が1,583,680株ありました。これらのおよそ7%は、私がマネジメントし、実質的に自己資本のすべてを投資していたバフェット・パートナーシップ・リミテッド(「BPL」)が所有していました。間もなく、公開買い付けが郵送される前に、スタントンはBPLにどの程度の価格で持ち株を売るか、私に尋ねました。私は11.5ドルと答えました。かれは「素晴らしい。取引をしましょう」と言い、8分の1少ない提案をしました。私はスタントンの振舞いに怒り、入札しませんでした。

それは、途方もなく愚かな決心でした。

バークシャーは、その時、ひどい経営状態に陥った北部のテキスタイル・メーカーでした。比喩的にも実体的にも業界は南に向かっていました。そして、バークシャーは、様々な理由から、その進路を変えることはできませんでした。

その産業の問題はずっと広く理解された真実でした。1954年7月29日バークシャーの取締役会は次のような現前たる事実があることを議事録にしました。ニュー・インクランドのテキスタイル・メーカーは40年前から倒産が相次ぎ、戦時中はこの傾向が止まったが、需要と供給が釣り合うまで続くだろう。

取締役会の約1年後、バークシャー・ファイン・スピニング・アソシエイツとハサウェイ・マニュファクチャリングは、19世紀にルーツを遡る2社は、合併し、今日我々が名乗っている社名になりました。14のプラントと1万人の従業員を擁し、合併した会社はニュー・イングランドの巨大なテキスタイル・メーカーとなりました。しかし、2社の経営陣の合併の合意は、間もなく、心中の約束になってしまいました。統合して7年間、バークシャーは損失を続け、自己資本は37%も縮小しました。

一方、同社は9つの工場を閉鎖し、時にその際の償却益で株式を買い戻しました。この繰り返しは、私の注意をひきました。

私は1962年12月に、よりよい決算とさらなる自己株取得を予想して、初めてバークシャーの株式をBPLに購入させました。そのとき、この株式は7.5ドルで売られていました。1株あたりの運転資金10.25ドルと帳簿価格20.2ドルから大きくディスカウントでした。その価格でこの株式を買うということは、一服して火のついたまま捨てられた吸いかけの葉巻を拾うようなものでした。使い残りは汚くて、ずぶ濡れかもしれませんが、まだ吸うことはできます。しかし、その一瞬の喜びの後は、それ以上は何も期待できないものでした。

その後、バークシャーは台本に固執しました。それは、さらに2つの工場を閉鎖し、1964年5月にその償却益で株式の買い戻しをするというものです。スタントンが提示した価格は我々が最初に購入したコストの50%上回るものでした。他の場所で捨てられた他の吸いさしを見つけた後の、まさに私を待っている吸いさし、私の目の前にありました。

スタントンがきたない手を使っているのに苛々して、私は彼の申し出を無視して、攻撃的にバークシャーの株式を買い始めました。

1964年5月までに、BPLは(当時の発行済み株式1,017,547株のうち)392,633株を所有し、5月初旬の取締役会で正式に会社をコントロールし始めました。シーバリーと私の子供じみた行動により、彼は仕事を失い、私はほとんど分かっていない怖ろしいビジネスにBPLの資本の25%以上を投資していることに気付きました。「結局、8分の1は、どっちがものにしたのでしょうか」私は車に噛み付いた犬でした。

バークシャーの営業損失と株式買戻しのために、1964会計年度末の自己資本は、1955年の合併の時の5500万ドルから、2200万ドルに減少しました。この2200万ドルは、すべて、織物の事業運営に必要なものでした。同社に現金の余裕はなく、銀行から250万ドルの融資を受けていました。(バークシャーの1964年のアニュアル・レポートは130~142ページに再現されています)

しばらくの間は、私は良い思いをしました。バークシャーは2年間は好ましい経営環境にありました。それは以前の年の悲惨な結果から生じた損失の繰越があったので、この2年間の収益に所得税がかからなかったからでした。

それで、新婚旅行は終わりです。1966年から18年間、我々は絶え間なく織物事業と無益な格闘を続けました。しかし、その頑固さや愚かさにも限界はあります。1985年、私は、ついに降参し、事業を終わらせました。

 

***********

« 「在る」ということ雑感(2) | トップページ | 「在る」ということ雑感(3) »

バフェットの手紙」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2014(16):

« 「在る」ということ雑感(2) | トップページ | 「在る」ということ雑感(3) »