ウォーレン・バフェットの「株主への手紙」2014(27)
では、バークシャーは、このような標準的なものとはかなり違う会社の個性をどのようにして獲得することができたのでしょうか。
さて、バフェットはわずか34歳の時でさえ、バークシャーの株式の約45%を押さえ、他の大株主すべてから完全な信用を得ていました。彼は望んだシステムを導入することができました。そして、彼はそうして、バークシャー・システムを作り上げたのです。彼は他の会社にも適合する単一のシステムを作ろうとしたのではありませんでした。たしかに、バークシャーの子会社は自身の事業活動においてバークシャー・システムを必要としていませんでした。そして、それぞれが別々のシステムをうまく使っていました。
では、彼はバークシャー・システムを何を狙って設計したのでしょうか。
私は、長年にわたり、幾つかの重要なテーマを見てきました。
(1)彼は、とくにシステムを自分で始める際に、合理性、スキルそして重要な人々の献身を最大化しそれを継続することを望みました。
(2)彼は至る所でウィン・ウィンとなる結果を求めました。例えば、それを与えることで忠誠を得るというような。
(3)彼は長期的に結果を最大化する決定を求めました。ふつうその決定を行ない、長くそこに留まる決定権者から求められるものです。
(4)彼は、本部の大きな官僚機構からほとんど必然的に発生する弊害を最小にしたかったのです。
(5)彼は、ベン・グレアム教授のように、達成させる知恵の広がりに個人的に貢献したかったのです。
バフェットがバークシャー・システムを開発した時、利益はすべて、これについてくると考えたのでしょうか。いいえ、バフェットは偶然に実行しているうちに改善させていことで、少し利益をえました。しかし、望ましい結果を見たときに、これを強めました。
なぜ、バークシャーはバフェットのもとで、うまく行ったのでしょうか。
主なものとして4つのことがあります。
(1)バフェットの構造的な特徴
(2)バークシャー・システムの構造的な特徴
(3)幸運
(4)一部の株主や、報道機関も含む他の称賛者の間で、奇妙なまでに篤い忠誠が広まったこと
私は4つの要因のすべてが存在し、貢献したと思います。しかし、重心を担ったのは、構造的特徴と忠誠そしてそれらの相互作用によるのです。
とくに、バフェットは活動を数種類に絞り、それらに対する緊張を最大限に高め、それを50年にわたり維持する決意をしました。これは異常なことです。バフェットはロジャー・フェデラーがテニスで上達したと同じ理由で成功しました。
バフェットは、実質的に、有名なバスケットボールのコーチであるジョン・ウッデンが勝利を得た方法にならっていました。ウッデンは試合時間のすべてを7人のベストの選手に実質的に割り当てることを学んだことで、ほとんどのリーグ戦を勝利しました。その方法では、二線級の選手に対する代わりに、対戦相手は常にベストの選手と対戦しなければなりません。そして、ベストの選手たちは、とくに試合時間中は、普段よりずっといいプレイをするようになりました。
そして、バフェットはウッデン以上にウッデンの方法をつきつめ、彼の場合は7人ではなく1人の人物にスキルの発揮するのを集中させましたので、彼のスキルはより改善され、50年の間に年をとってもバスケットボールの選手のようにスキルが落ちることはありませんでした。
さらに、重要な子会社のCEOにしばしば長期にわたり権力と権限を集中させたことにより、バフェットは、またウッデンのような効果を彼らにも与えました。そして、その影響はCEOのスキルと子会社の業績を伸ばしました。
それから、バークシャー・システムは多くの子会社とそのCEOに非常に望ましい自治を与え、バークシャーは成功し、広く知られるようになったので、その結果はより多くのよりよい子会社をバークシャーにひきつけることになりました。CEOの場合も同様です。
そして、よりよい子会社とCEOは本部からの注意を、あまり必要としなくなり、しばしば“好循環”と呼ばれることを作り出しました。
バークシャーが重要な子会社として損害保険会社を常に持っていたのは、どの程度までよかったのでしょうか。
驚くほど、うまくいきました。バークシャーの野心は極端でしたが、それでも、望むものは得られたのでした。
損害保険会社は、しばしば、バークシャーの保険子会社とおなじように、株主資本とだいたい同じくらいの価値で、普通株に投資します。そして、この50年間で、スタンダード&ブアーズ500は税引きで年率10%増加し、それが追い風を引き起こしました。
そして、バフェット時代の初期の十年間にバークシャーの保険子会社での普通株は、バフェットが期待したように、インデックスを大きく上回りました。そして、のちに、バークシャーの保有する株式が膨大になったことと所得税上の問題の両方がリターンのインデックスを上回る部分を少なくし(長い期間ではなかったが)なくなってしまう原因となったときに、別の有利な点が現れました。アジッド・ジェインは莫大なフロートと大きな引き受け業務利益を生み出す巨大な再保険ビジネスを何もないところから作り上げました。そしてガイコのすべてはバークシャーの傘下に入り、市場占有率を4倍にしました。そして、主に、有利な評判、引き受けの規律、良いニッチ市場を見つけ維持したこと、そして傑出した人材を獲得し抱えたことによって、バークシャーの残りの保険事業は非常に良くなりました。
それで、後に、バークシャーのほとんど独特で全く信頼できる会社の性格と大きな規模がよく知られるようになり、その保険子会社は他社では入手不可能な、未公開の証券を買うという魅惑的なチャンスに数多くあい、それをものにしました。これらの証券の大部分は満期が決まっており、優れた結果をもたらしました。
保険におけるバークシャーの素晴らしい結果は、自然とそうなったものではありません。通常、損害保険ビジネスは、たとえうまく運営されたときでも、平凡な結果しか残せないものです。そして、そのような結果では貢献しません。バークシャーの結果は、あまりにも大きかったので、バフェットがスマートさを維持しながら若さを取り戻して小規模な基盤に戻ってやり直したとしても、再現することはできないと思えるほどです。
バークシャーはコングロマリットとして拡大したことでデメリットを受けたでしょうか。いいえ。その拡大の機会は事業エリアの拡大に役立ちました。そして、一般的に他社であるような弊害は、バフェットの手腕によって起こりませんでした。
バークシャーは自己株式の代わりに現金で買収したのでしょうか。そうですね。バークシャー株と引き換えに何でも得るのは難しかったからです。それはあきらめるのと同じくらいの価値があったからです。
さて、バークシャーにはよりよい機会を補完する方法論的な有利さがありました。買収することに圧力をかける「買収部門」に相当するようなものは決してありませんでした。そして、あらかじめ取引に賛成するように考えている「ヘルパー」からのアドバイスに頼ることは決してありませんでした。そして、バフェットは専門知識をあまり主張しなかったので、自己欺瞞を寄せ付けませんでした。一方、投資家としての長い経験に助けられて、大部分の会社経営者よりビジネスにおいて何を行い、何をしなかったかについて、よく知っていました。そして、最終的には、バークシャーは他の多くの会社よりもよりよいチャンスを得たときでさえ、バフェットは超人的な忍耐を示して、ほとんど買収することをしませんでした。例えば、彼のバークシャー経営の最初の10年間で一つの事業(テキスタイル)を死ぬ間際まで見届け、2件の事業を取得しました。それで差し引き1件の増加です。
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