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2015年4月 1日 (水)

「在る」ということ雑感(3)

「“在る”というのは、どういうことか?」という問いを、もう少し“地”と“図”ということから考えてみる。この問いに答えるとすれば、「“在る”というのは、こういうことで<ある>」ということになるだろう。あれっ?と思わないだろうか。答えと思しき文の中に括弧をそれぞれつけたが同じ言葉がでてくる(英語ならBeだ)。こうすると明らかになると思うが、問われている当のそのものが、答えの中に出てきてしまっていることになる。これは、数学の定理の証明に、その当の証明している定理を使ってしまうようなもの。これでは、同語反復を繰り返す堂々巡りに行きついてしまう。それでは、答えたことにならないだろう。

そこでズルいことを考えよう。この答えに含まれる“在る”と<ある>は違うものだということにしてしまうことだ。つまり、<ある>は、“地”と“図”の“図”にあたるもので、図があるためには、つねになくてはならない。ということは無ということが認められない。ここが無となってしまえば、“在る”か無いかということ自体を問うことができなくなってしまう。“在る”と<ある>とは、在り方が違う、ということにしないと、「“在る”というのは、どういうことか?」という問いが成立しえない。なんかペテンにかかったような気分…

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