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2015年4月22日 (水)

山本芳久「トマス・アクィナス 肯定の哲学」(3)

トマスは「苦しみまたは悲しみは泣くことによって和らげられるか」という問いを立て、肯定的な答えを出している。そこには二つの理由がある。涙や嘆きが癒しの効果を有するのは、第一には、内向しつつ心を侵食し傷を深めていく悲しみの動きを中和させる仕方で、涙や嘆きは心をほどよく外へ向けなおしていくからだ。そして、第二の理由として、「ふさわしさ=適合性」という概念を提示する。悲しみを抱いている人にとっては、「笑う」ことではなく「泣く」ことが自然であり、その意味で「ふさわしい」行為である。そして人間にとって、自らの本性に反した不自然な在り方を強いられずに、自らにとってふさわしい自然な在り方を発露させうるのは、喜ばしいことだ。それゆえ、悲しみを抱いている人が、「泣く」という自らにふさわしい在り方を発露させると、ふさわしい在り方をできた喜びが生まれてくる。そして、喜びは悲しみを和らげるから、悲しみを抱いている人が「泣く」ことによって生まれてくる喜びが、「泣く」という結果を呼び起こした悲しみを和らげ癒す。ここで注意しなければならないのは、この事例において悲しみを和らげる役割を果たしている喜びは、涙を呼び起こした悲しみと同一平面で対置されるような意味での喜びではないとうことである。いわば、悲しみという否定的な感情をありのままに受け止めること自体の中に、自ずと心の安らぎが生まれてくる要素が含まれているということなのである。換言すれば、悲しみという否定的な感情をありのままに受け止めること自体の中に、かすかであれ或る種の心地よさが生まれてきて、肯定的な心の在り方へとしなやかに移行していく回復力が人間精神には内在しているというのである。このように悲しみをありのままに受け止め抜くこと自体のなかに悲しみの治癒の可能性が内在しているという経験的な洞察に基づきつつ、トマスは、悲しみという否定的な感情と喜びという肯定的な感情との非対称的な構造を解き明かすことを試みている。

そのために、トマスは、一つの異論を提示している。トマスの論述形式で、探究される事柄に関する深いほりさげた考察を可能にするために、自己自身の見解とは異なる論をあえて紹介し、多様な異論との対話の中で、事柄についての多面的で柔軟な考察を展開する手法を採用している。

我々が泣くとき、我々は、悲しみをもたらす悪を思い浮かべており、そういった悪を思い浮かべることは、我々の抱いている悲しみを強化する。それと同じように、我々が笑う時、我々は、喜びをもたらす善いことを思い浮かべており、そうした善いことを思い浮かべることは、我々の抱いている喜びを強化する。その意味では、「泣くこと」は「泣くこと」の原因となった悲しみをより強めるはたらきを為し、「笑うこと」は「笑うこと」の原因となった喜びをより強めるはたらきを為す。このような意味では、「泣くこと」と「笑うこと」には、類似した構造が成立している。このような異論の見解にたいしては、この範囲ではもっともだと、トマスは言う。だが、話はそれで終わりではない。「泣くこと」と「笑うこと」には、決定的な相違が存在している。なぜなら、泣くべきときに泣くことは、あさわしいときにふさわしいことを為しえているという意味において、人間として自然な在り方を為しえている「ふさわしさ=適合性」が快適さを生む。そして、その喜びが、既に生きている悲しみを中和する役割を果たす。それに対して、笑うべきときに笑うことは、ふさわしいときにふさわしいことを為しえているという意味において、「笑い」をもたらした喜びにかてて加えて更なる喜びをもたらすことになる。こうして、トマスは異論の立場を全否定するのではなく、そのもっともな点を肯定的に受け止めつつも、より広い視野のなかに位置づけなおしている。

喜びを喜び抜くことは、更なる喜びをもたらすが、悲しみを悲しみ抜くことは、更なる悲しみをもたらすのみではなく、それ自体の中に、喜びという相反する動きを内在させており、人間の心を積極的な平衡状態へ自ずと回復させていく力動性を孕んでいる。トマスは、肯定的な感情を過度に抱くことを推奨することもなければ、否定的な感情を抱くことを抑止することもしない。むしろ、否定的な感情を抱くのがふさわしい状況では、否定的な感情を抱き抜くのが人間にとって適切なことだと主張している。感情は現実に対する直面から生まれてくるが、同時に感情自体が人間が直面する一つの現実でもある。生まれてきた否定的な感情から眼を逸らすことなく直面し、それを通してその感情を生む原因となった否定的な現実に対しても心を開いて直面すること自体の中に、否定的な感情を抱えながらもそれに打ち負かし尽くされない肯定的な精神の力が発現してくる。人間精神の有している「根源的肯定性」とでも名づけるべきこのような在り方を、トマスは、その感情論の中で、悲しみと喜びの非対称性という論点に限らず、他にも様々な観点から浮き彫りにしている。

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