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2015年5月14日 (木)

たまの妄言

少数意見だろうけれど、私は基本的に人前で食べるというのは、恥ずかしいことであると思っている。だからこそ、共に食事をするというのは恥を共有できる、心を許した親しい人なのだ。例えば、家族とか。それは、野生動物をみれば、食事をしている時が一番無防備で、危険な時であることからも分かる。だいたい、文明化し、社会生活を営む人間にとって、生存行為がむき出しになるのは、食べる時、寝る時、セックスをするとき、排泄をするとき、と列記していけば、食べること以外は、他人の前で見られることは恥ずかしいし、見せることは反道徳的ですらある。とくに、食べることの結果は排泄することで、入口と出口の関係であって、基本的には同質の行為であるはずで、排泄を他人に見られようとは思わないのであれば、食べることも他人に見せると思うだろうか。だから、会食とかパーティーとか、外食もそうだが、見知らぬ他人の前で口をパックリ開けて食うということは、本質的に恥ずかしいことと思う。もしかしたら、年をとった人々が、黙々と手早くすましてしまうのは、その意味での羞恥心の故だったのではないかと、このごろ思う。会話をしながらゆっくり食事をするなどというのは、行儀が悪い。だから、マナーなどというのは欺瞞だと思っている。とはいえ、社会通念に逆らえない

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