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2015年5月 1日 (金)

山本芳久「トマス・アクィナス 肯定の哲学」(12)

第4章 肯定の形式としてのスコラ的方法

『神学大全』の最小の構成単位である「項」は、全部で2629個あるが、その一つ一つの「項」のすべてが同一の形式を持っている。その形式は、中世の大学に特有の授業形式である討論を反映するものであり、タイトル、異論、反対異論、主文、異論解答という順序で展開する。項の実質的内容は、「…と思われる」という言葉で導入される異論で始まる。スコラ的なテクストの最大の特徴の一つは、権威の引用によって織り成されたテクストであることだ。スコラ学者たちは、問題を解決するためではなく、問題を提起するために、過去の哲学者や神学者のテクストから諸々の議論を収集していた。主文においてトマスは自らの解答をまとまった形で論理的に提示する。その語り口は「事柄事態が語る」と形容されるほどの明晰さに満ちた飾り気のないものである。主文における議論の展開の特徴は、問題の解決にあたって「区別」という方法が多用されていることだ。トマスは、問題に含まれているキーワードの意味内容をいくつかに分節し区別することによって、一見対立しているように思われる複数の見解が並び立ちうる新たな地平を切り拓こうと試みている。スコラ哲学において、「区別」は、大きく分けて二つの意味を有していた。第一に、この語は、大きなテクストを参照するのを容易にするために導入された方法を意味した。すなわち、一つのテクストを、意味がありかつ扱いやすいいくつかの単位へ分解すること、または、その分割の結果生まれてくるテクストの区分を意味していた。第二の意味は、一つの単語の孕み持つ異なった意味を区別することであった。大学における討論の解決は、しばしば、中心的な概念や用語の意味を区別することに基づいていた。それは『神学大全』における問題の解明の在り方にもあてはまる。トマスは、主文や異論解答において、必ずしも、最終的・決定的な固定化された解決を与えているのではない。むしろ、異論や反対異論で提示された諸見解にまとわりついていた曖昧さや不明確さを、新たな区別の導入によって克服し、探究されるべき事柄自体へとより肉薄しつつ、権威をより高次の次元で生かしなおそうと試みている。それは異なる諸見解のあいだの単なる辻褄あわせではなく、論争というプロセスを通じて、異なる多様な見解と共存しうるより豊かな地平へと自らの精神を解放する機能を有している。このように、トマスにおいて、細かい分類作業や問題の細分化や言葉の意味の区分は、自己目的的に行なわれているのではなく、区分を通した、事柄の明示的な理解の全体的・総合的な獲得が目指されていた。この意味で、区分は、定義的なものであったり、最終決定的であったりするよりは、むしろ、曖昧さや不明確さに陥りやすい問題について、読者の精神を文脈に応じて照らし出すものとして機能している。

トマスは様々な問題について考える手がかりを得ようとする場合、まず、その問題に関して伝統的に提示されてきた見解を列挙していく。だが、単純にそこから解答を演繹的に導き出すことはしない。なぜなら、従来の諸見解は一枚岩ではなく、或る種の緊張関係のうちに現前してくるからだ。実際、しばしば対立するはずの異論と反対異論の双方が、同等の権威をもった古典的著作からの引用に基づいている。同じ著者の同じ著作からの引用である場合さえある。古典的著差からの引用は、問いに対する出来合いの解答を与えるのではない。むしろ、相対立するように見える諸々の立場の緊張関係のなかで、問題を錯綜させ尖鋭化させることによって、問題の核心を浮き彫りにし、細かく詰めた議論を可能にさせるものとして機能する。このようにトマスのテクストは伝統的な権威ある言葉に充ち満ちている。だが彼は、単純に権威に訴えることによって議論を進めているのではない。そもそも、スコラ学において、「権威=典拠」とは、権威主義的な仕方で押し付けられた硬直化した解答を意味するのではなく、理性的探究に生命を与える力を持った「著者=創始者」の凝縮された言葉を意味していた。それは、人類の認識に新たな局面を切り拓いた創造的な著者たちの力に満ちた言葉なのだ。これらの言葉は、一義的に固定化して理解されうるものではなく、多様な意味をそれ自体のうちに孕んでいる。開かれた解釈の可能性を担った言葉として、議論のための立脚点を提供する力を持っている。トマスは、伝統的な「権威」を尊重し、真理探究における通時的な連続性を保持すると同時に、「権威」をめぐる多様な解釈を鋭く対立させ、より高次の立場から総合している。「項」という形式を駆使しつつ、伝統のうちに孕ませている緊張関係を緊張関係としてはっきりと提示するとともに、自立的な解釈を施すことによって、新たな合意形成の基盤を形作っている。そのような意味で、トマス哲学は、探究の方法論上も、肯定の哲学という観点から捉えうるものになっている。それは、自他の考えをありのままに認める意味での「肯定」ではなく、相異なる複数の考えのよさが生かされうるようなより高次の次元での総合を提示していくという意味での「肯定」だ。

 

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