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2015年5月24日 (日)

小川千甕 縦横無尽に生きる(1)

2015年4月19日(日)泉屋博古館分館

長期出張の帰り、少し早く東京に着いた。おみやげもあるし、沢山の荷物を抱えて、疲れが大分残っているが、都心に出たついでの帰宅するにはちょっとした時間があいたので、手近な美術館をネットで物色して寄ってみることにした。年寄りの冷や水と言うなかれ、とはいえ、この齢では、案の定きつかった。後で、疲れがたまって、数日間、身体のだるさが抜けなかった。

Senyoposちょうど美術館に着いたところで、プレミアム・トークというイベントが始まるところで、ゲストの画家が学芸員と美術館の展示室を歩きながら、展示作品の前で解説がてらフリー・トークをするというイベントで、多数の人だかりができていた。とはいっても、この美術館は上野あたりの美術館に比べると小規模で入場できる人数も少ないので、人でいっぱいということにはならない。以前に来た別の展覧会のときは人かけのまばらな静かで落ち着いた空間だった。今日は、その前回にくらべて、そのせいもあってか人の多く、にぎやかさだった。しかし、その画家という人の話は展示作品について、その魅力を語るというのが趣旨なのだろうけれど、自分の方法論とか芸術観、あるいは、美術展の画家である小川千甕の近くにいた安井曽太郎や梅原龍三郎のことばかり語っていた。あつまった人々は、この画家という人のファンとか関係者のような人々が多かったようだった。つまり、私のような人間が時間を工面して、展覧会に来る人間にとっては邪魔でしかなかった。美術館が狭くて、画家のトークがうるさいからといって、避けることもできなかった。そのせいか、落ち着いて作品を見ることができず、作品の印象に影響がなかったとは言えない。だいたいにおいて、美術展でついでのように開催されるイベントは概してつまらない、主催者の自己満足でおわってしまうことが多いということがよく分かった。

Senyohotokeさて、小川千甕という人は、私は知らない人であったので、展覧会パンフレットの説明を引用します。“小川千甕(1882~1971年)は、明治末期から昭和期までの長きにわたって、仏画師・洋画家・漫画家・日本画家として活躍しました。京都に生まれた千甕は、少年時代は仏画を描いていました。1902年(明治35年)からは浅井忠に洋画を学ぶ一方で、新感覚の日本画も発表し始めます。明治末、28歳で東京へ越してのちは、『ホトトギス』『太陽』などに挿絵、漫画を発表して人気を博しました。さらに1913年(大正2年)には渡欧し、印象派の巨匠ルノアールにも合っています。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活動しました。旅を愛した千甕は、各地を訪れ、その自然や風俗に共感を寄せて、自ら「俗画」と称したダイナミックな筆遣いの南画(文人画)風で愛されました。洋画と日本画、漫画と南画、美術と文芸などを自由に行き来し、その枠にとらわれない縦横無尽な仕事ぶりは、現代の我々に爽やかな印象を与えます。”この説明を読んでも、どのような絵を描いていたのか分かりません。とりあえずは、色々なことをやったということは分かりますが、では何をどのように描こうとしたのかは、分かりません。埋もれていた画家を今回の展覧会で発掘して見せたということらしいので、ここでの説明は、評価が定まっていないので、どのように書いていいのか、という手探りで書いている印象です。そして、展示作品を見ていて、全体として掴みどころのないというのが感想です。良く言えば融通無碍、悪く言えば一貫性がなくフラフラして落ち着かない。ティーンエイジャーのころの精緻な仏画(『孔雀明王図』)を見ると、描くことの技量は高い人であるようなので、器用に描けてしまうので、どんな方向でも、それなりに描けてしまうのでしょう。本人も、「これ!」という確固とした方向性とか志向がなかったのか、探しても見つからなかったのか、それとも、器用なので他人から求められれば、それなりのものが描けてしまうので、様々な注文があって、それに応えているうちにそうなってしまったのか、蓋を開けてみればそうなったのか。そして、晩年の作品を見てみると、最後は開き直りというのか、「堅いこと言うな」とでも言っているかのような、良く言えば自由闊達、悪く言えば遊び半分のようなものを描いたという感想です。この展覧会は、埋もれてた人を掘り起こすというような意図もあるらしいのですが、あまり、この画家がどうこう、というより、雑誌等のカットやどこかのインテリアに飾られているのを何気なく目にする、という程度のスタンスのタイプ、美術館で鑑賞するとかいう画廊というより骨董店にあるような、そんなタイプのように見えました。

Senyoasakusa若い頃の仏画をみれば一目瞭然ですが、デッサンの巧さなど技量の高い人なので、『浅草寺の図』のような風俗を描いた掛け軸でも、ひとりひとりの人物の造形はしっかりしていて、日本画の巨匠といわれる人の群像画の頼りなさに比べて、はるかに安心して見ていることができます。画面左中ほどでかがんで子供を追いかけている女性の姿勢などは重心がしっかりしていて、洋画のデッサンの基礎の上で描かれていることが分かります。日本画を見ていて往々にして目にする無理な姿勢が、小川の作品ではまったく見られません。そして、少し上から見下ろすような視点で、その視点が一貫しているのは、そこに画家の主体が明確にあるので、構成が明確です。その上で画面の上部を鳥の飛ぶ空間として、人は描かず、ここでははっきりとは描いていませんが、水平線の存在が分かるようで、平面の画面に3次元の空間がきちんと把握されているのが反映されています。描線とか絵の具は日本画ですが、構成としては洋画の構成になっています。だから、全体として、ほのぼのとした雰囲気なのですが、全体の構成などをみると卒なくまとまった印象です。こういう題材をと扱った日本画では、多くの場合には、様々な人物たちを画面に登場させ、その人物たちを描き分けることが優先されて、画面上には、その人物たちをうまくレイアウトすることに注意が注がれます。それに比べて、この作品では、まず場面である空間がしっかりと把握されて、画面の中に空間がつくられて、その中の構成として人物が配置されている。だから、様々な人物が描かれているだけでなく、人物相互の空間の関係も分かるようになっています。それゆえに、空間への統一的な視点、つまり、画家の主体が分かるのです。ここでは、こころもち上方から見下ろす視点が取られています。ここで感じられるのは、近代日本画と教科書に出てくるような画家たちの作品には、ついぞ感じることができなかった、写生ということです。作品全体のトーンがほのぼのとしたマンガのような描き方ではあると思いますが。私には、興味深いものでした。というのも、洋画であれば背景の風景や建物が物体として描かれて、それによって空間の区画も同時に描かれることになり、空間の枠が実体のあるように見えてくるのですが、この小川の作品では、背景が一切描かれることなく、人物の配置やそれぞれの人物の描かれる角度(視点)、大きさ、あるいは空の部分を大きな余白にして(敢えて地平線を描かずに)、画面上部に飛ぶ鳥を配して空間の枠組みを見るものに想像させるようになっています。洋画の、とくに油絵の、マチエールということばもあるように物体の事物としての存在を画面に積み上げて、その存在をベースにそれらが隙間なく描かれることによって、物体の存在との関係が空間の外枠として意識されるのに対して、この小川の作品は何もない空間という洋画であれば虚無といかいいようのないのをベースにして、人物の配置関係がまずあって、それが空間を想像させるという、私からみればたいへんスリリングな試みを行なっているように見えるのです。

だけど、これを日本画オンリーの人が見たらどうでしょう、味わいというと漠然としますが、そういうものを感じにくかったのではないかと思います。巧いかもしれないが、それ以上ではなく、この作品を見ていると成る程とは思うが、その場かぎりで印象に残るということになったかもしれません。日本画としては、頭でっかちで知的な操作をゲームのように楽しむなどということは、おそらく、評価されなかったのではないか。

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