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2015年5月 4日 (月)

山本芳久「トマス・アクィナス 肯定の哲学」(15)

トマスは、「学知」とは、事物の諸概念の単なる寄せ集めではなく「秩序づけられた集積」だと述べている。知的な伝統とは、過去の思想家たちの残した言葉の単なる寄せ集めではなく、「秩序づけられた集積」という多大な努力を伴う作業のなかではじめてその相貌を露わにしてくれるものなのだ。伝統的なテクストの集積を秩序立てて行なうためには、何を集積するかを決定するための基準となるような、そして集積された言葉の価値を基準となるような、何らかの観点が必要となる。トマスの人間論では、それは「善」の「悪」に対する優位、「徳」の「悪徳」に対する優位、感情論の文脈で言えば他の諸感情に対する「愛」の優位という観点であった。『神学大全』は、哲学的・神学的伝統を単に無機的に体系化した著作ではなく、独自の観点に基づいて有機的に再編成した著作だ。しかも、単に大局的に再編成したのではなく、一つ一つの問題において、一つ一つの項において、権威を引用しつつ、一歩ずつ再解釈・再編成していくいとなみであり、読者自体が、その再編成の現場に招かれていると言えよう。

読者である我々にとって、トマスのテクストを読むことは、トマスの思想を孤立させて吟味することではなく、諸々の先行者との関係におけるトマスの思想を味わい、吟味することなのだ。それは、単に、トマスの思想に対する他の哲学者や神学者の影響関係を通時的に明らかにすることではない。そうではなく、トマスのテクストのなかに、その思索の動きの不可分な構成要素として含みこまれている魅力的な引用とされに対するトマスの編集の仕方や距離のとり方の全体を読み取ることだ。それ故、トマスのテクストの独自性は、トマスが肯定的に引用している権威との共通点をあぶり出し、取り去って、権威に還元できないものとして残された「トマス固有」の断片的・部分的要素に見出されるのではない。こうした見方は、トマスのテクストを、いわば生命のない無機的構成物として取り扱う見方だと言えよう。そうではなく、我々は、有機的に構造化された一つの全体的な生命体として、引用によって織り成されたトマスのテクスト全体と対話的に関わることによって、その真価を見出せる。引用される言葉は、限界を指摘されつつも、トマスによって肯定的な仕方で受け止めなおされる。そのことによって、伝統的見解のなかに潜在しつつも明確には取り出されていなかった洞察が新たな文脈の中で肯定され活性化されてくる。また逆に、それらの言葉が『神学大全』という大建築に生命を与え、ひいては読者である我々がそこから肯定的な洞察を導出することを助けていく。

トマスは、往々にして、カトリック教会の護教的な神学者と理解されてきた。トマスがそのような仕方で理解されてきたことには、それなりの理由があった。トマスの死後、彼の思想が次第に権威を獲得していく中で、トマスのテクストを要約したり、抜粋したり、配列しなおしたりした様々な神学教科書が登場してきた。これらの教科書に共通していたのは、トマスにおいてきわめて顕著だった「引用」と「区別」に基づいた対話的な探究の方法取り去られて、トマスの結論のみを要約的に提示するという執筆形態が採用されたことであった。相対立する諸権威の見解と共存しうる地平を、区別によって打ち立てていくトマスの方法は、探究の方法であるとともに、読者の精神を広げる教育の方法ともなっている。相対立する権威の主張を絶妙な区別の発見によって調停することによって、引用される権威の意味を流動化させつつ新たな仕方で肯定的に意義付けていくトマスのテクストの力動的な性格は、その内容のみではなく、その方法自体が、読者の探究精神を活性化する教育的機能を有している。『神学大全』は、トマスが引用した著作家たちへと、そして、その著作家たち自身が探究していた真理そのものへと、読者を新たな探究の中で導き続けていくようなテクストなのだ。だが、皮肉にも、そのテクスト自体が、証明され完成された自己完結的な諸命題の固定的な貯蔵庫と見なされることによって、その最も大切な要素が失われた。トマスの権威の確率によって、トマスの精神は、制度化されるとともに、その最も重要な要素を骨抜きにされたとも言える。逆に言えば、教科書的・哲学史的な手垢のついたトマス理解を乗り越えて、トマスのテクストに肉薄していく余地が我々には与えられている。そうすることで、伝統と対話的に共鳴しつつ創造的に新たな肯定的視界を開示し続けていこうとするトマスの精神と自らとを接続させることができよう。トマスの精神と共鳴しつつ、だがそこに限局されない仕方で、現代における新たな肯定的視座を確立していくための手がかりと活力をそこから汲み取り続けているのだ。

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