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2015年5月 5日 (火)

山本芳久「トマス・アクィナス 肯定の哲学」(16)

引用と区別の積み重ねによって、トマスは地味ではあるが着実に、「真理の明示」を、既存の著者たちには還元されえないような水準で展開することに成功している。トマスは、伝統に対して非常に忠実であるとともに、きわめて革新的でもあった。そして、この二つの事実は、別々のことではなく、同時に成立したものであった。そこに彼の特徴がある。それは、引用される他者のテクストとの緊張を孕んだ受容的な関係性のなかでこそ展開される自立的思考なのだ。「引用」と言う方法が自覚的に用いられている文脈においては、引用によって何らかのメッセージが伝えられるのみではなく、引用されるということ自体が、一つの積極的な出来事になる。それは、古人の言葉が、引用者であるトマスによって、自らの探究を促すような力を持つ言葉として受け止められ、読者である我々へと受け渡されるという出来事だ。先人によって語られた言葉が、トマスによって新たな文脈の中で受け止められて、読者である我々に再び提示しなおされる、という出来事だ。そこにおいては、ありのままの受容という面と新たな文脈の形成という面と、二つの緊張を孕んだ側面が統合されている。引用される権威は、トマスの思索の仲で新たな構図のなかに置きなおされることによって、新たな意味づけを与えられると同時に、外側から強引に意味づけられたのではなく、その言葉がもともと孕んでいた可能性が現実化させられたという実感を読者に与える。そのような仕方で読者である我々にトマス自身が受け継いだ魅力的な古人の言葉を引き継がせてくれている。

引用を方法論の中核とするトマスにおいて、心理を伝えるとは、「伝えられた」ことを「伝える」ことにほかならない。我々が「読む」という行為によって哲学史上の一つのテクストの内部に入り込むことは、単に一つのテクストに触れることに過ぎないのではなく、真理探究の先行者と後続者の連鎖の中へ参入することを意味している。こうした洞察を通して、我々は、心理の共同探究に携わる「テクスト共同体」─魅力的なテクストを形作られる探究者たちの共同体─へと導き入れられる。いまここでテクスト解読をしている私が、孤独な真理探究のただなかで、そうしたいとなみを可能にしている、多様な時代や文化圏を横断する「テクスト共同体」のなかに、常に既に導き入れられていた事実に気付かされる。空間的・時間的にはるかな距離を超えて成立するそうした「テクスト共同体」の交わりのなかで得た洞察を、我々は、更に、我々の同時代人たちに、そして後続する人々へと託していく。

真理を探究するとは、真理を共同的に探究することにほかならない。真理を開示するとは、先人の共同探究の成果であるテクストという贈り物に感謝しつつ、そのようなテクスト群の豊かな意味世界を解読し、得られた洞察を豊かに統合しながら、更に後続者に受け渡していく動的な伝達のいとなみに他ならない。

本章では、トマス哲学の基本的な方法論であるスコラ的方法の構造を浮き彫りにするための具体例と言う観点から、感情論を取り上げた。だが、じつは、感情論は、スコラ的方法の分析のための一例に過ぎないのではない。トマスの感情論が示唆するものと、引用という方法論が示唆するものには、或る共通点がある。それは、人間の心が、他者との出会いによって活性化され賦活される、という構造における共通性だ。感情論においては、感情の「対象」は感情の「形相」だという点が指摘され、「対象」が、感情を抱く主体と不可分の構成要素となるまでに深く結び付くことが語られていた。「対象」のはたらきかけを「受動」し、感情を抱くことによって、我々の心は、多様な外界の諸事物・諸人物や諸々の出来事によって豊かに触発され、賦活されていく。それと同じように、我々の知的探究は、他者の言葉との出会いによって賦活される。他者の真理探究活動が凝縮されている優れたテクストによって触発され、賦活されていく。そこには、自らの内発的な思索のみによっては獲得できない豊かさがある。先人たちの贈り物であるテクストの魅力を感知し、「受動」することによって、読者である我々自身の心が活性化され、そのテクストとの共同作業において新たな意味世界を開示し、後続の人々へと同じようにそれを受け渡すべく、我々は、古くかつ新たな真理探究の共同的ないとなみへと呼び出されていくのだ。

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