Selection from My Favorite Numbers(3)
昨日は、主にマイナーの傾向のものでしたが、今日はアップ・テンポのものを中心に上げていきたいと思います。
女の子バンドなどという言葉があった頃の、草分け的存在。ゼルダというフィッツジェラルドの狂気の妻の名をバンド名としたり、ニュー・ウェーブの影響の残る耽美的な雰囲気は、当時の女の子バンドの苦労が偲ばれる。ここではギターの石原富紀江のクールなカッコ良さが光る。ギターソロの細かなリフを組み立ててうねらさせる演奏は、モーツァルトのピアノソナタ第8番の第1楽章の展開部の慟哭のパッセージを想わせる。
ZELDAよりも、何年も前の女の子のロックのフロンティアの一人。バックは男性だけれど、ボーカルとしての声量や、ハイトーンの伸びは男も女もなく図抜けていた。ただ、曲はステレオタイプの風来坊とか気儘で自由な女をセンチメンタルに歌うようなのは、今になって聴くと苦笑を混じってしまう。うるさい、やかましい騒音のようなロックを女でありながらやっているとは何事かという、困難である一方で幸せでもあった時代の、この人の存在感は強烈。
80年代後半にインディーズブームがあったときに、インディーズの有力なバンドでメジャーに行かなかったバンドのリードボーカルだった人です。バンド解散後1枚だけソロアルバムはひっそりとリリースした中の一曲です。いかにもインディーズといったナンバーで、当時のパンクとかオルタナティブ・ミュージックの影響がモロで、ただ根っこは昨日あげた山崎ハコに共通したものが、かなり屈折していますが、親しみをもたせます。
1980年代、関西で一時期プログレのバンドがまとまって活動し、シーンの高まりがあった時期がありました。その中のバンドのひとつで、たった1枚のレコードで消えていったバンドです。女声のハイトーンのボーカルを生かした、疾走感のあるナンバーで、当時流行していた、ジャーニーとかTOTOとかスティクスなどのプログレハードに負けていません。
これまであげてきた演奏に比べると、アコースティックの要素が強くなり、ケルト・ミュージック風の味わいが優しい印象を残します。ボーカルは優しい声で、エコ という感じです。
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