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2015年6月14日 (日)

山内史朗「天使の記号学」(7)

第2章 欲望と快楽の文法

人間は神でも天使でもない。したがって、人間のうちに<>は必ずある。ところが、天使への憧れがある場合、求める姿と現実の落差に落胆するためなのか、人間はことさらに自分の肉体のうちに<>を見出そうとする。穢れた欲望、穢れた肉体、なぜそうまでして<>を見出そうとするのだろうか。

1.現代のグノーシス主義

人間は肉体を有し、肉体を有するがために、欲望を有する。欲望とは本来生命を維持するために存在するものだ。生命が尊いものならば、欲望もまた尊いものと考えることもできるはずだ。ところが、自らの欲望が、何か醜いと感じるときがある。欲望が醜いものであれば、肉体の命が欲望によって維持されるものである以上、生命そのものが醜いものとなりかねない。生命の誕生が性的欲望と性的行為を始まりとしている以上、生命の誕生は穢れた、醜いものになってしまう。数ある欲望の中でも、性的欲望だけが醜いものということなのか。人間にはなぜか罪悪感がつきものだが、人間が人間として生きるために持たざるをえない罪悪感、もしそれが、自分が犯した罪からしか生じないとすれば、罪悪感を求めて罪を犯すしかなくなってしまう。しかし、なぜ人間だけが罪悪感を持ちうるか。

欲望や快楽を醜く穢れたものと捉えることは、人間の本来的な姿を天使と考える誤謬が控えているからではないのか。欲望を醜いものとして捉えることが、誤謬であるだけならばまだよい。欲望を醜いものと捉えることは、欲望を消滅させるのではなく、かえって欲望を主人とし、欲望に囚われ、欲望に支配され、欲望を守り育てることになってしまうようだ。そうなると、天使になろうとすることで、人間は欲望を限りなく肥大させることができる。欲望を醜いものと捉えれば、欲望の充足が欲望の消失ではなく、欲望を強めることができる。

グノーシス主義は、(1)現実世界を悪に満ちたものとして非難し、拒否する、(2)魂と肉体との結合を諫め、肉体から離脱することを勧める、(3)この世界・宇宙の創造者を、悪の張本人として責める、(4)世界の生成と完全な消滅を説く、(5)世界創造者を魂と同一視する、(6)宇宙創造者の魂に、人間の魂と同様の情念を帰す、などである。グノーシス主義は、混乱と悪に満ちた現実を呪い、精神と身体を分離させ、精神を神のごときものと発想するわけだが、そこにあるのは徹底した破壊衝動である。世界の破壊と言っても、必ずしも暴力的な姿をとるわけではない。その一つとして性的禁欲は、生殖を徹底的に禁止することで人類の絶滅につながる。世界から逃避し、拒否し、破壊するための方法となる。自己への憎悪、世界への憎悪、肉体への憎悪、性への憎悪、それらはすべて一つの思考に帰着するのだ。

かといって、暴力性がグノーシスの教義そのものに満ち溢れているのではなく、かえってイノセンス・無垢を主要モチーフにしていることは指摘しておく価値がある。グノーシス主義は、人間の内に霊・魂・肉体という三元性を見出し、魂は本来霊の仲間であり、天上的なものなのだが、肉に引きずられて、物質的世界に幻惑されていると考える。そこには、肉体を滅ぼせば、魂は自分が霊的なものであることに目覚め、霊とともに天上に還っていくというモチーフが見られる。原初にあったイノセンス、いかなる行為によっても損なわれることのないイノセンス、そのイノセンスが救済の根拠となるという構図は、実は現代にも見られる。グノーシス主義は、要するに、世界を巨大な悪と見て、それを拒否あるいは逃避して行きようとする考えである。それは、すべて世界が悪くて、自分たちは無垢だという発想だ。古代のグノーシス主義は、たしかに神を中心とはしていたが、至高神が実は人間の本来の自己の別名に過ぎないのであるから、絶対的人間中心主義ということになる。しかも、私は神なのだという認識によるばかりでなく、人間の生の繰り広げられる世界を拒絶しようとするのだから、同時に独我論にもなってしまいやすい。

ここでは、グノーシス主義と天使主義をほぼ同じ潮流にあるものとして互換的に用いるが、無垢で弱いものという自己把握から生じてくる世界の破壊、受動的には世界の拒否がどのようなメカニズムを有しているかということが問題だ。

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