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2015年6月11日 (木)

山内史朗「天使の記号学」(4)

3. 言葉の裏切りと他者の裏切り

言葉の不透明性は単なる障害としてより、内部と外部の間の非対称性として考えられる。その非対称性を憎悪し、排除しようとする者にとって、言葉は裏切りの事件になる。

言葉は常に語り手を裏切る。これは表現という行為の避けられない特質だ。表現行為は、確かに、自分の内側にあるものを外側に押し出す行為だ。しかし、外に出された途端、表現されたものは、取り戻すことのできない出来事として、表現者を裏切る。自分の思いが、思いのままに伝わることを夢想すること、表現されたものが表現者の手の内にあると考えるのは楽天的なことだ。

語ることは、語り手の内に渾然として存在することに分節を与える。心の中に沸き起こってきた衝動は、大声を出すことで怒りとして定着する場合を考えればよいだろう。人間の認識が経験を素材として始まるのではないが、経験と共に生じるのとちょうど同じように、心の情念も言葉を原因として存在し始めるのではなく、言葉と共に生じてくる。言葉が、素材として存在する心の内容に、形を与えるのだ。

見境もなく、心に思うことを外側に吐き出すことは、決して「言葉」を使用しているとは言えない。内なるものを外に出すだけでなく、外の世界で働くことが言葉の生命なのだから。したがって、言葉を使用することは、いかに内面と対応しているかという「真理の尺度」によってよりは、状況にいかに適合しているかという「適切さ」という曖昧な尺度によって計らねばならないのだ。透明な天使を夢想することは、世界から切り離された自分を夢想することは、世界から切り離された自分を夢想することに等しい。世界から切り離されてあることが可能であるならばいざ知らず、世界の中にいることが事実であって、世界から独立することが不可能な場合、天使主義者は世界を消滅させる、もし消滅させられなければ、世界との「絆」を破壊することを夢想する。

世界との「絆」を破壊するとは、「絆」の最たるものが「言葉」である以上、「言葉嫌い」に陥ることでもある。「絆」の破壊が、世界からの離脱の思いに由来するとすれば、そこでは、「言葉嫌い」と「人間嫌い」は事実上一致する。媒介のない直接的な世界との結合、世界との癒合的関係は、親密さを含んだものであるよりも、破壊性を孕んだものだ。直接的関係・癒合的関係を確立しようとすることは必然的に挫折に帰着するが、その挫折への呪詛から、関係一般の破壊衝動が導かれるからだ。これは絆を求める者が絆から排除されることによって、あらゆる絆を破壊しようとすることに似ている。「誰もオレのことを分かってくれない」という叫びは、自分のすべてを分かってもらいたいという甘えばかりか、絆への幻想、幻想の必然的帰結としての絆への絶望、ついには絆の破壊衝動をも含んでいる。そこには、自己・他者・媒体への呪詛、世界の破壊願望が潜んでいる。

絆とは、壊れやすい不安定な自己を保護し、守ってくれるものではない。絆の確立とは他者を無毒化することではない。むしろ、他者の有害性が直接侵入してくる通路を開くことだ。その通路は、抵抗も障碍もない通路ではなく、検閲と抑圧に満ちた通路だ。しかも、通路を往来する内容とは無関係に、通路そのものが、慣習・規約・規則に満ちた制度的存在である以上、通路を開くこと自体が自己を危険に晒す。しかし、危険に身を晒さなければ、自己を守る免疫も成立しない。誤った天使主義は、いかなる病気からも免れて無菌状態にとどまること、それどころか自己の内臓に棲む細菌をも消滅させることを夢想することに似ている。私と世界の間には、共通の尺度など存在し得ないこと、顔の表情の背後にあるものに踏み込むこともできぬまま、顔と顔とを対峙させたまま存在するしかないこと、この共通の尺度が存在しないことを、共約不可能性と呼んでよい。

<>と他者の間に共約不可能性を認め、そしてコミュニケーションの困難さにも絶望せず、当然のことと認めたうえで、言葉を用いることは、「まともな、健康的な」大人にとって日常茶飯事でわざわざ論じるまでもないことであり、共約不可能性という仰々しい用語で論じることは大げさかもしれないが、身の回りにあるすべてのものが、遣い方次第で自殺の道具になりうるように、日常性の中に、身を破滅させるに足る深淵があるという指摘も無意味とは限らないだろう。もちろん、平凡な日常が奈落の隣にあることに気付かないで済むならば、何も気付かないままでいられるのが一番の幸せなのだろうが。

天使が言葉を用いるというのは、天使もまた、奈落の縁にいるということだ。天使が奈落に臨んでいなければ、どうして天使が堕落して悪魔になることが可能だったのか。

 

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