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2015年6月16日 (火)

コーポレートガバナンスそもそも(3)

 

今日は脱線。社会科学を勉強すると、日本には、近代には国家はあったが、ヨーロッパのような社会という集団がなかったとか、国民と国家が必ずしも一致しないということは見られなかった、という議論に遭う。丸山真男門下のような近代主義的な影響の強い論者たちは、そこに日本の後進性を指摘する。しかし、中世から近世にかけてのヨーロッパの国家体制を見ると、例えば、日本の戦国大名や近世の太閤検地のような土地の詳細な掌握や江戸幕府が統一貨幣による通貨政策を現代の政府と同じように実施していた、というような国の隅々まで統一的な行政支配は出来なかった。例えば、絶対主義のシンボルとも言われるフランスのブルボン王朝のルイ14世でさえ、フロンドの乱でパリから逃げ出したりしている。財政は逼迫が常態化し、江戸幕府の萩原重秀のように通貨管理によって富を創造することもできなかった。つまり、ヨーロッパでは近代にいたっても行政が行き届かず、空白がもともとあって、そこで人々が生きていくために社会を形成せざるを得なかったと考えてもいい。そういう環境を考えると、アソシエーション、とりわけギルドが作らざるを得なかったと考えることも可能ではないかと思う。

 

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