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2015年6月15日 (月)

山内史朗「天使の記号学」(8)

2.欲望の構造

欲望は、希望と同じように本来臆病なものだ。欲望は自らが弱いものであることを知っているがために、欲望を持つ人間が欲望を恥じるように仕向け、自ら隠れる。その場合、うまく身を隠した欲望は、欲望の持ち主に、他人がその欲望の存在を知ることを恐れるようにしむけ、何かが隠されていることを示すことで、自分の存在を示す。だからこそ、欲望の主体は、欲望が存在しないときも、存在していると錯覚できることになる。隠されていることが欲望のしるしとなれば、欲望が不在であっても、あたかも存在しているかのような仮象を与えることができるのだ。一番重要なのは、欲望の主体に、欲望が不在のときも、欲望を所有しているように誤解させることだ。つまり、忘却を強制されながら、その強制をも忘却しなければならないシステムの中に身を隠すのが欲望の本質なのだ。そうでなければ、我々は欲望の主体となり得ないし、そうであるがゆえに、罪が不在であっても、罪悪感を起こすことができる。

欲望の弱点は、欲望の持ち主にとっては、その欲望がいかに私的で、特異的で、恥じるべきで、隠されるべきものであるように映じているも、すべてあまりにも一様で、退屈なくらいワンパターンで、月並みで、凡庸なことだ。凡庸さが知れることを恐れるものは、他者から自らを隠すことをたくらむ。隠すことによって独自性を保つことができるからだ。その際、罪悪感もまた、欲望の凡庸さを隠す、巧妙な仕掛けである。罪悪感の存在は、自己の存在を、世界から際立ったものとし、自分が世界で唯一のものと言う感覚を与えることができる。罪悪感と欲望は敵対するものではなく、裏で結託した共犯者なのである。しかしながら、欲望の持ち主・主体が、罪悪感・良心と欲望の共犯関係を意識することがあってはならない。自分が選んだことが、外から強制されたものとして与えられることを望んでいるためなのだろうが、この隠された共犯関係を「欲望の文法」と言うこともできるだろう。

自然的欲望であれば、与えられている目標は、個々の人間に予め与えられている生理的・身体的条件と連関している。空腹であれば食べ物を欲する。生理的に何かが欠如している状態から、当の対象に向かうことは法則的に決まっており、その法則は肉体に初めから備わっている。このような欲望においては、欲望の対象は初めから明確な姿で与えられることになる。したがって、自然的欲望において、欲望の対象が何であるか迷う必要はない。さらに、自然的欲望を充足の可能性という点から見てみよう。この場合、欲望を充足する可能性の条件は整っている。欲望の対象が与えられれば、欲望が充足する形式、充足可能性の形式はそこに見られるのだ。欲望充足の形式は、対象の獲得からは独立しており、充足の形式の確立そのものが、ある種の欲望を充足するのである。

ところが、はじめから充足する可能性の形式を備えていない場合がある。例えば、普通の酒好きの人間と違って、酒を飲む行為そのものを求めているかのように、酔いつぶれるまで酒を飲むという類の人間である。そこにあるのは、欲望を成立させる初期条件も、欲望の対象もありながら、充足する可能性を持たない欲望、要するに、欲望の充足する可能性を備えていない欲望だ。このような欲望において、何を求めるかが問題なのではない。求めたものが手に入っても、心が渇いたまま、充足しないままであること、そこに問題があり、しかも充足できると思われた対象の獲得が失望しか生み出さず、「欲望の達成」によってより深い失望につながることが問題なのだ。もしかすると、どのようなものが得られても充足しないままでいるという罰を自分に課しているのかもしれない。そこでは、欲望は欲望自身に向き直り、欲望の形式を享受することなく、欲望の対象にのみ拘泥し、しかも対象からは失望しか手に入れられない、という構図がある。充足の可能性の形式、ここに現代における欲望の問題の要があるようだ。

自然的な欲望に対して、自然的でない欲望としは、名誉心、金銭欲、所有欲、支配欲、権力欲などがある。そして、性的欲望・性欲もまたけっして自然な欲望ではない。自然物ではない欲望、これを「人間的欲望」と言うこともできるが、この欲望において、その機序においても、充足の可能性の形式においても、虚構の側面が満ち溢れている。

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