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2015年6月 6日 (土)

グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家(5)~Ⅳ.後期①聖と俗のはざまの女性像─グエルチーノとグイド・レーニ

Guerurucさて、グエルチーノも初めて、その名を聞いた画家でしたが、さらにまた聞いたことのない画家が出てきました。グイド・レーニという人も、ここで作品をみても、あまり両者の区分がつきません。グエルチーノについては説明がされていましたが、グイド・レーニについては、家に帰って調べてみました。一番手軽なのはウィキペディアなので、ちょっと引用します。“グイド・レーニ(1575~1642年)は17世紀前半、バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とする。─中略─レーニの作風には、バロック期の巨匠カラヴァッジョの劇的な構図や明暗の激しい対比が見られるとともに、ルネサンス期の巨匠ラファエロ風の古典主義様式が見られる。代表作『アウローラ』に見られる、考え抜かれた構図、理想化された優雅な人物表現、柔和な色彩などはレーニの作風の典型を示すもので、古典研究の成果がうかがわれる。『アウローラ』の並列的な人物の配置には古代の浮き彫りの影響が見られるともいう。レーニは生前から「ラファエロの再来」と呼ばれ、ゲーテによって「神のごとき天才」とまで激賞された画家で、19世紀までの評価はきわめて高かったが、美術に対する人々の嗜好が変化し、古典主義的絵画の人気が下落した20世紀以降は不当に低い評価を得ていた。”グエルチーノに対する説明と似ていますね。

Guercinoremi_5グエルチーノがローマから地元に戻った時には、グイド・レーニは権威として君臨していたとのことです。ビジネスの世界では、新たに市場に参入しようとして、その市場にトップシェアのコンペティターがすでに存在する場合は、価格とか品質とかで上回る競争上の優位性を武器として競争するか、差別化として全く違う戦略をとるか、という選択肢があります。しかし、トップのシェアが圧倒的な場合、その市場自体がトップ企業の土俵になってしまっているので、一度はその土俵にのらないと話にならないことがあります。絵画のような一種のイメージ産業では、いったい浸透したイメージとは全く違うものを投入する戦略は成功すれば、一気にシェアを奪取できるでしょうが、失敗のリスクも高い、ハイリスク・ハイリターンの戦略でしょう。そこで、グエルチーノは、既存のトップ・シェアであるレーニの土俵にのって、その上で物真似と思われない程度に差別化を図ったのではないかと思います。レーニという個人のブランドで、年齢差があるのですから、長期戦略として、レーニが年齢によって衰えたり、亡くなったところで、攻勢に出ればよいのですから。

Guerupermi_2二人は『ルクレティア』という同じ題材を扱っているのが、同時に展示されています。グエルチーノの作品は、背景を暗闇のように影にして、そこから女性がスポットライトを浴びて浮かび上がるように描かれています。背景の暗闇と、女性の光に照らされた白い肌を対照的に描くことで、黒(死を暗示する短剣も黒です)と白によって、今短剣を胸に刺して自害しようとしている生と死、あるいは現世の死と死後の救済の境界にあるドラマに緊張感を与えています。その顔は、視線を仰ぎ見るように上方に向けて、口元には諦念でしょうか死後の救済を信じてでしょうか、仄かな微笑みが浮かんでいるように見えます。このように感情のあらわれを表情に描き込んでいるようです。

Guerusella_2これに対して、グイド・レーニの作品は、背景は同じように暗くなっていますが、彼女は寝室にいるシチュエーションのようなので、グエルチーノの場合のような暗闇と光を対照的に扱うというのではなく、寝室の暗さか背景を省略している意図のように見えます。主人公である女性はグエルチーノの作品に比べると明瞭に隈なく描かれています。これは、生と死の場面の登場人物としてのルクレティアを描いているのではなく、一人の美しい女性を描いていると言った方が近いかもしれません。その美しさを作品として描くためにルクレティアの物語の自害の場面という設定を選んだというべきでしょうか。そのため、女性の肢体の柔らかな表現とか、肌の白く若々しい色合いとか、輝く金髪とかが目を惹きます。この女性の肉体の描き方は彫像のような感じで、顔の表情も、あまり感情のおののきのようなものは浮かんでいません。

このように言葉にすると、二人の画家の作風を大きく異なると誤解されてしまいそうですが、これは違いを強調してのことで、それほど違うのかといわれれば、実はよく似ていると思います。それは、例えば、有名なパルミジャニーノの『ルクレティア』と比べると、むしろ両者の近さが分かると思います。

Guerulemiもうひとつ、グエルチーノとレーニを比べてみましょう。題材は同一ではありませんが、似ているものとして、グエルチーノの『サモスの巫女』とグイド・レーニの『巫女』を見てみましょう。似たような扮装の女性像ですが、レーニの方はダイレクトに女性を描いているという作品です。中心は女性像なので、ターバンを頭に巻いて上を向いているのは、女性の顎から頸の柔らかな線と、はだけた上半身を生かすためのコスチュームのように見えてきます。これに対して、グエルチーノの巫女は小道具を周辺に散りばめて、物語的な要素を含ませています。つまり、レーニは女性の造形に絞って勝負しようしているのに対して、グエルチーノは物語とか、ドラマとか、装飾的な色彩効果とか付加価値をつけようとしているといえるのではないかと思います。これは、さっきのビジネス戦略の話に戻れば、グエルチーノは基本的には、女性の美しさを描くということでは、レーニと同じ土俵に上がったのだけれど、その造形だけで勝負すれば既存の権威であるグイド・レーニと差別化が難しいので、レーニの作品にない要素を加えることで差別化を図る戦略をとったといえるのではないでしょうか。

Guerucreo『クレオパトラ』という作品を見てみましょう。私には、扮装は違っても、表情やポーズは『ルクレティア』や『サモスの巫女』と同じように見えてきます。さらに見ていくと、前回に見た『聖母のもとに現れる復活したキリスト』でキリストにすがるように跪く聖母マリアの表情と上半身のポーズにも通じているように思えるのです。グイド・レーニの描く女性像は、女性の造形的な美しさを描いていて、衣装や設定はそのための付属品でコスチューム・プレイのようなものだといいましたが、グエルチーノの場合は違った意味でやはりコスチューム・プレイをやっているのではないか、と思えるのです。しいて両者の違いを言うのならば、レーニの場合はモデルのグラビアで、グエルチーノの場合は演劇の舞台女優と言ったらよいのでしょうか。グエルチーノはドラマの場面であるということが大きな要素として加わっているのが違いと言えます。しかも、宗教画にも、このような世俗画にも同じようにキャラクターとして画面にはめ込んでいるために、要素が共通してくる。それは端的に言えば、聖と俗が通じているということです。古代エジプトの妖艶な女王であるクレオパトラ、古代ローマの貞淑な人妻ルクレティア、あるいは異教の巫女という女性たちと聖母マリアを同じように描いているのです。舞台女優があるときは聖女を、別の時は賤しい役柄を演じるというのは現代では不思議なことではないでしょう。しかし、この時代、最初にもいいましたようにバロック美術はカトリック教会が新教との対立の優位性をアピールするためのプロパガンダとして役割を担っていたわけです。とくにカトリック教会には存続への強い危機感に捉われていた時で、そういうときの内部への規制、締め付けは却って強いものがあったときに、異教の女性と聖母マリアを、グエルチーノのように、コスチューム・プレイのように本質を同じように描くことは、描いている画家に普通の人とはズレたところがあったと考えられなくもありません。

Zenpawatz突飛な考えかもしれませんが、そう考えてくると、ここに展示されているグエルチーノの女性像は、グイド・レーニの女性像にはない、退廃的な耽美の雰囲気が匂うのです。レーニの彫像のような当時の理想的な姿に対して、リアルな実在感を持たせることで、女性の生々しさを匂わせ、しかも聖母も異教の美女も同じ女性であるとして女性美という点で同列に見てしまう。これは19世紀の世紀末の耽美主義とよく似ているのです。実際に、グエルチーノの描く女性像はラファエロ前派のミレイなどの描いたリアルな描写と物語的要素を追求した女性と似ているようにも見えてくるのです。前回、少し触れまたが、グエルチーノの不自然さ、もっと言うと異様さというのが、19世紀末の伝統を破壊しようとした芸術運動につながっているように見える。じつは、グエルチーノはその動きによって批判の対象とされ埋もれてしまったのですが。そのような事実を踏まえると、グエルチーノが激しく批判され、否定されたのは、批判する当事者にとっては近親憎悪のような感情的な衝動を誘ったのではないと妄想を起こさせるのです。

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