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2015年7月

2015年7月29日 (水)

マグリット展(6)~第5章 回帰(1950~1967)

ここからは、マグリットの代表作が目白押しです。まずは、作品を見て行きましょう。

Mag2015hikari『光の帝国Ⅱ』という作品です。白い雲が浮かぶ真昼の青空と、ぽつりとひとつ街灯がともる街路の夜景という、現実にはありえない不思議な組み合わせの情景です。前回に見た『夢』という作品と比べながら見て行きましょう。『夢』では中心にヌードの女性があって、背後の壁に映った影に陰影が描き込まれ、実体である女性とその影が虚であるはずなのに実体であるかのように描かれています。しかし、この場合の影は実体の女性を押しのけることはなく、影としての位置を超えることはありません。これに対して、『光の帝国Ⅱ』の夜と昼とは対等に描かれています。両者は描かれている題材が異なるので単純に比較することは適当ではないのかもしれませんが、ものごとの捉え方、表現の姿勢に違いが現れているように、私には見えます。そして両者を比べて見て、『光の帝国Ⅱ』に特徴的に見られるのが、マグリットの大きな変化であるとともに、彼が紆余曲折を経ながらも、志向していた方向ではないか、と私には思えるのです。単に反対物を両方画面に描いて、その比重が違うだけではないかと思われるかもしれません。しかし、『光の帝国Ⅱ』の夜と昼が等価でどっちつかずというのが、私には大きなことと思われるのです。この展覧会において、1930年代のマグリットに作品に、私は現実というものが虚仮威しであるであることを、そのまま虚仮威し的な表現方法を用いてニュアンスで伝えようとしている、という感想を述べました。この『光の帝国Ⅱ』では、その志向をさらに進めたものになっていると、私には見えるのです。

少し抽象的な話しをしましょう。大地があり、山や川があり、建物や家屋があって、そこに私や彼、彼女が住んでいる。現実というものをステレオタイプで表わすとすると、こんなものでしょうか。そこで、この基本となるのが実体というものです。私という実体があって、存在し、他の存在を見たりして認識する、そこに確固たる現実があるように思える。しかし、その「私」というのは確固たるものなのでしょうか。私が何かを認識し何らかの判断をするというのが、実体という考え方です。ひとりの人間の組織というのは、身体や内臓の各細胞が別個に働き生きていて、それぞれが生き残ろうと生存活動していると考えられないでしょうか。私が空腹を感じれば、食事をとり、満腹すれば満足すると思うでしょう。しかし、そう考えれば、各細胞が自らが生き残るため栄養を補給するために、あたかも意志があるかのように私という集合体に食物を摂取させている、と。そう考えれば、私の身体というのは様々な臓器や細胞が独自に活動し、そのバランスによって、かろうじてまとまりとして存続できていると考えられないでしょうか。また、意識というものは、もっとあてはまるのではないでしょうか、むしろ、意識の方が、そのようなバランスを崩しやすいといえると思います。そのような中で、あたかも実体があるかのような体を成しているのは、私があるという意味の価値観がフィクションとして作られているからです。つまり、「何がよいのか」という基準がつくられ、それにしたがって物事が解釈されていると、あたかも元から秩序があるように見えるわけです。とりわけ、芸術などというのは価値観によってのみ成り立っていると言えないでしょうか。

『光の帝国Ⅱ』に戻りましょう。昼か夜かというのは、言ってみれば明るさの程度の問題でしかありません。絶対的な明るいとか暗いというのではなくて、人間が感じることのできる光の波長の範囲内での相対的な程度のことです。そこにある種の明るさの基準という価値観が存在しているように見える。そのように描いてしまうのは、現実を成り立たしめている価値観に対する、マグリットの深い絶望がある、私は思います。1930年の彼の作品には現実への絶望があったのでは、ということを述べましたが、その後、戦争という極限状況を体験するなかで、彼は追い込まれたが故の生の実感をありありと感じることができたのではないか、と想像します。それは、生き永らえたことに日々感謝するような決死の状況ではあったのかもしれませんが、生きるありがたさとか、生き生きとした充実感に満ちたものでもあったはずです。それが、この時期のマグリットの作品には、彼には珍しいほどの明るさや官能的なほどの色彩に満ちたものとなっていたと考えられます。そこには、生に基づいた感覚の実感があったのではなかったでしょうか。しかし、そんな日々も、戦争が終わり、徐々に日常が回復してくるわけです。それにしたがって、一時は剥き出しであった生というのが、かつてのように埋もれていってしまうように感じられてくる。それは、かつて絶望していた生に、一度希望を与えられたかのように見えたものが、今度は、その希望のように見えていたのが、実はまやかしだったと暴露されたようなものだったのではなかったでしょうか。その時の、マグリットの絶望は、一度、希望を与えられた後だっただけに、よりいっそう深刻なものだったに違いありません。それが、ここで展示されている諸作品、ここでの章立ては「回復」と称されていますが、言ってみれば、絶望への復帰ということであったと思うのです。だから、ここでの作品は、『光の帝国Ⅱ』のように、現実の虚仮威しを暴露するという、現実の存在を認めた上で、それが変だという迂回を経るやり方から、現実そのものを絶対として見ないで、相対的に斜に構えて見て行こうとするものになったと、と私には見えます。

Mag2015gol『ゴルコンダ』という作品を見てみましょう。今回の展覧会のポスターにも使われた作品であり、主催者がシンボルとして採用したものでしょう。ごく平凡な街の風景のなかに、ごく平凡で個性のない山高帽にコートを着たコピーのような同じような男性が無数に、空中に浮かんでいます。この画面のデザイン自体には、もう何らかの象徴的意味を画家が意図する、例えば現実が虚仮威しであるとか、ことはなくなっています。『光の帝国Ⅱ』での現実は絶対ではないという視線から、この『ゴルコンダ』では最初から現実にそもそも意味を求めないという視線に変わって(進んで?)いるかのようです。『光の帝国Ⅱ』では、夜の建物はそれなりに個性や建物の手ざわりの残滓がありましたが、この『ゴルコンダ』の建物は、単に建物に見えればいいという、かたちをなぞったようなものでしかありません。また宙に浮いている無数の人物も、コンピュータでコピー・アンド・ペーストとして増殖させたように見えてしまうものです。それぞれのパーツのリアリティとか存在感とかは限りなく稀薄です。だから、ある意味では現実のリアルとか意味とかとは無縁の抽象的なものといえなくもありません。しかし、マグリットは抽象画を描こうとはしませんでした。人物とか建物とかいった「かたち」を放棄することはありませんでした。むしろ、類型的で、中身の実体性は空っぽな形骸化したものになっていましたが「かたち」を放棄することはなく、むしろ、その外形が作品の重要な構成要素として機能したといえます。それは、多分、抽象画というのが、マグリットには、「かたち」を放棄することによって、中身の実体的な意味とかそういうものをむき出しに、直接追求するものとして捉えられていたのではないかと思われるからです。実際に、カンディンスキーにしても、モンドリアンにしても抽象画家と言われる人々は、精神主義的あるいは神秘主義的な傾向があって、その精神性といったものを直接表現しようとした形跡が抽象画にあります。それは、マグリットにとっては正反対の方向性だったと思います。その意味では、この『ゴルコンダ』は、抽象画の一派である抽象表現主義を厳しく批判して登場したポップアートのウォーホルの作品、例えばシルクスクリーンに無数に複写されたようなキャンベルのスープ缶に、よく似ている印象を受けます。

Magdaikazoku『大家族』あるいは『王様の美術館』という有名な作品では、より一層の空疎さが進みます。画面はより平面的な書き割りになって、画家の筆触も感じられません。いまだったら、パソコンのフォトショップか何かのソフトで画像を切り貼りして一丁上がりとでもいったような作品です。それは、現実とか意味とかいった主要なものがたりが、なくなってしまったというような中で、無秩序に個別のパーツがあるといった状態、うすっぺらさそのものと解釈することも可能です。

そこで、私が思うのは、マグリットという人は、そうまでして描く理由が分かりません。たしかに、初期の作品は描く喜びが作品の画面にありました。それが、自らの方向性を見出し方法を洗練させていくにしたがって、徐々に感じられなくなり、それが第二次世界大戦に遭遇し死に直面した際に、活き活きとした実感を作品にぶつけるように感じられることもありました。しかし、ここに至って、無意味さがそのままに表われているような作品を見ていると、マグリットの深い絶望はあるだろうと想像することはできます。とはいうものの、マグリット自身、自身の絶望を他人に理解してもらおうなどとは露ほども考えなかったのではないかと思います。というのも、意味ということに対する絶望ということであれば、それはコミュニケーションに対する深い失望を含んでいるはずですから。もっと言えば、表現ということを、もはや信じていなかったかもしれません。そうであれば、描くということに何の意味があるのか。マグリットの有名な作品にクールさを感じるとることはできるのですが、そこに、どこか入っていけない、一見はいいのですが、じっくり見ると退屈を避けられないのです。

Magkingその意味で、今回の展覧会は、訪れた時には閉館時間が迫って、この部分の有名作が目白押しのコーナーが駆け足になってしまったのは、むしろよかったと思っています。全体として、初期の作品に絵画らしさ(という言い方はおかしいのかもしれませんが)を見出すことができました。

2015年7月28日 (火)

6年目に入ります

 

このブログを始めたのが2010年8月でした。とうとう6年目に入ろうとするところにこぎつけました。5年前に始めたときとは、そもそもの意図が変わって、ダラダラかもしれませんが、三日坊主の性格にもかかわらず、何とか続けられています。この間、記事数は、これで1,774件で、ほぼ1日1件のペースでした。広く多くの方に読んでいただけるような普遍性のあるブログではないのですが、それでも、読んで下さった方が反応して下さって、中には、ちょっと落ち込んだ時に、励ましていただいたりして、それが力となりました。皆様に感謝です。これから、6年目に入りますが、惰性でも、マンネリでも、内容はとわず、とにかく続けることを第一に、行けるところまで、行きたいと思います。これからも、よろしくお願いします。

 

2015年7月27日 (月)

言葉を伝えること?

海外進出の中で、とくに文化的な分野は言葉の壁がビジネス以上に大きいと言われている。例えば、文学では英語などの翻訳されるのが第一歩。三島由紀夫がノーベル賞を取りたくて、自身の作品を意欲的に翻訳していたというし、村上春樹は、それを前提にしているというのか、英語な何かでも構想から考えに含んでいるのだろう。ポピュラー音楽などでも、ちゃんとした英語の発音で歌えるのが前提ということで、過去幾多の人気歌手が進出を試みるも、撥ね返されてきた。(坂本九という例外もあるけれど)それが、最近、何人かの人々が、日本語で歌ったままで、それを現地の人が耳で聞いて覚えて、片言で口ずさんでいるケースがあるという。(例えばこのような動画)要は、新しくて、魅力的なのだから、という単純な理由なのだという。本質的な価値を認識された場合に限って、言葉の壁は越えられてしまうこともあるということか。

そういえば、オンリーワンの技術を持った町工場の職人さんにわざわざ海外から仕事を依頼しにくる企業は、英語を話せなどといわず、日本語を話せる人を連れてくるのだろう。

自分勝手な言い分かしらん

2015年7月26日 (日)

マグリット展(5)~第4章 戦時と戦後(1939~1950)

Mag2015airマグリットは、前章の展示で見たように、自身の方法論を確立しました。しかし、前章の説明で述べましたように、私には、マグリットの方法論には、その根底にはネガティブな契機があるように見えます。だいたいにおいて、そのようなネガティブなルーツに根ざしたものというのは、どうしても過渡的なものになってしまい、そのこと自体が安定しているということは、ありません。だからというわけではありませんが、マグリットの作品は方法論が確立されたといっても一時的なことにとどまり、その一時的な安定を過ぎると、変化を始めます。そもそも、現実が虚仮威しであることを示すといってもネタはなかなか見つからないし(だからこそ、マグリットは他の人の真似のできない独自の世界を作り上げることができたのでしょうが)、その表現のしかたは、どうしても回りくどいものになってしまいます。これは端的に言ってしまえば、現実が虚仮威しであるということを直接的に言うことは、論理的にありえないからです。どういうこととかと言うと、現実が虚仮威しであると、そのまま言えば、虚仮威しであると言う現実が虚仮威しであることになってしまいます。これによってその言説は二重否定の体裁をとることになり、否定のはずが強い肯定に様変わりしてしまうことになってしまいます。だから、このような場合、ストレートに表現することはできず、現実がリアルに存在しているかのようなことを示して見せて、それに疑問を呈するような仕掛けを施して、受け取る者に疑問を起こさせるような表現しかないのです。だから、ストレートに言えないということは、表現がまわりくどいものにならざるをえません。

Mag2015absolut『空気の平原』という作品、そして『絶対の探究』という作品です。ここでは、対で見て行きましょう。両方とも、広々とした空を背景に、荒涼とした大地の上に木が1本立っています。その木はまるで1枚の葉っぱのような形をしています。それが何か変ですが、二つの木は対照的です。『空気の平原』で描かれているのは、細かなひびの入ったような葉脈が枝のように繁茂している木で、全体に逆行で手前側が影になっていることで、葉脈の間に葉っぱの肉が厚く詰まっていることが強調されています。それだけに真昼間の明るい時間が設定されています。これに対して、『絶対の探求』の方は、すっかり枯れてしまったかのような、葉脈の細かな枝だけが残された、まるでアクセサリーなどで用いられる透かし細工のような姿です。かりに、『絶対の探究』だけをまず見せられたとして、まったく先入観のない人であれば、そこに不思議とか、ズレた感じを持てるでしょうか。たしかに、『絶対の探求』の1本の立木は全体のプロポーションが葉っぱの形をしているし、枝が細く分岐している様は葉脈のようです。しかし、それは、それとして見るからこそ、それが分かるものではないでしょうか。これをそうとは知らず眺めても、変わった木だと思うのがせいぜいのところで、そう思うとしても、それはかなり敏感な人で、そうでない場合には、単に素通りされてしまう可能性の方が強いと思います。逆に言えば、だからこそ、それに気がついた人の満足感は高く、マグリットの作品は、そういうスノビズムを刺激するところがあって、それをネタに話題するという優越感をくすぐるところは、たしかにあります。さて、話しを元に戻しますが、このような『絶対の探究』を『空気の平原』をまず見て、その後で見るとどうでしょう。『空気の平原』での立木は葉っぱが立っているかのように見えます。『絶対の探求』の立木は、その『空気の平原』の立木のバリエィションのように見えてくるので、容易に葉っぱと気付くことが出来ることになります。なんと回りくどいのでしょうか。べつに、立木が葉っぱであると分からなくても、絵画作品の楽しみ方は人それぞれであるのは確かです。ただし、マグリットの作品には、そういう幅の広い包容力は、あまりなくて、それは感覚的に美しいとか直感的に感じる作品になっていないためで、作品の意味とかメッセージのようなものをあれこれ思い巡らすところに、その楽しみ方の比重を置いているところがあります。それが、ある意味、よく表わしている作品であると思います。

このような作品を不断に作り続けている当のマグリットその人は、実際のところどうだったのでしょうか。私は、マグリットではないし、サラリーマン生活の合い間に、こうして有名になった絵画作品を眺めては、あれこれと無責任な戯言をほざいている、クリエイティビティのかけらもない凡庸な人間ですが、このような回りくどいほどのヒネリを利かせたアイディアを不断に要求されるような生活ということを考えてみると、苦しいのではないかと想像してしまうのです。常に、物事を他人とは異なる角度から見ることを要求されるわけです。作品を描いている間だけに限らず、絶えず緊張を強いられているようなものです。だって、作品のアイディアがいつ湧き上がってくるのか分かりませんし、マグリットの場合には、そのアイディアが作品の成否を決めてしまうようなものなのですから。だからというわけではないでしょうが、マグリットの作風が、頭で捏ね繰り回したアイディア勝負のようなものから、感覚的な要素が比較的あらわれてくるものに変わってきます。

Mag2015marmaidもうひとつは、この時期の第二次世界大戦でマグリットの住んでいたベルギーが戦場になって一時ドイツに占領され、その後解放されたということが大きく要因しているのではないかと考えます。以前に述べましたように、マグリットの作品の一見知的な操作の根底には、目の前にある現実が、そのまま存在しているとは信じられない、一種の絶望があるのではないでしょうか。マグリット個人には、そういう現実に対してリアルな実感を持てない、フワフワと浮遊しているような、漠然とした不安を常に抱えていたのではないか。そういう自分を、突き放して客観的に直視しようとするところから、マグリットの作品は生まれてきたのではないか、ということをです。しかし、戦争というのは、そんなマグリットを一転生死の境目のような極限状況に追い込んでしまったのではないか、思えるのです。その場合、現実に懐疑を抱くひまなどなく、死なないために必死になる。そこでは否応なく、リアルな生を実感させられるわけです。ハイデガーを持ち出すまでもなく、死という極限状況に直面した時に人は頽落状態から脱して本来の存在を取り戻すということになるのでしょうか。そのときに、現実とのズレを苦労して意識的に描いていたような作品を、同じように描くことができるでしょうか。マグリットは、その時の実感を手放すことはできなかったのではないか、と私は思います。それは、ひとりの人間として現実とか存在とかを実感できたことを忘れることはできないのではないかと思います。

『禁じられた世界』という作品は、長椅子に横たわる人魚という非現実の題材を扱っています。しかし、その描き方は、これまで見てきたような図案のようなあっさりとした描き方ではなく、暖色の淡い色彩を中心とした色調で、その色彩が作品の空気を第一に決めてしまっているような作品です。絵の具をパレットで混ぜないで、キャンバスに点描のように置いていく技法は印象派のようでもあり、全体的な色調や色彩中心で輪郭をはっきりさせないのはルノアールの技法を真似ているようだと解説されていました。まあ、描かれている女性の人魚はルノアールの描く女性たちのように豊満なところはありませんが、肌の色などはたしかにルノアール風ではあります。これは、何よりも感覚という感じることに改めてマグリットが重視しようとした表れではないか、と私には思えます。感じるということは現実に在るということがあってはじめて成り立つものです。それを前面に出すために、印象派というアカデミズムに対して理念とか物語とかいったものを捨て去るように無視して、能天気なほどの感覚優先の何も考えていないかのようなポーズをとった運動の技法をあえて真似て見せたのではないかと思えるのです。そのしるしとして似合わないほど色彩を前面に押し出しているというわけです。だから、この作品は、描かれている題材等は、実はどうでもよくて、色彩に注目して、あれこれと考えるな、という作品をあえて制作したのではないかと、私には思えます。

Mag2015alice『不思議の国のアリス』を見てみましょう。タイトルのわりには、アリスにあたる少女の姿はありません。それよりも、点描による、マグリットらしからぬ色遣いは『禁じられた世界』よりも、マグリットの従来の作風からいっそう離れていっています。ここには、マグリット独特のヒネリも見えず(私が見つけられないだけなのかもしれません)、画面のデザインとか構成の面では、あえて言えば凡庸です。それを救っているのは、色彩と点描風の描き方です。だが、これをマグリットの作品として見たときに、彼のファンはどのように思うでしょうか。彼の一連の作品の中では特異な位置を占めるものかもしれませんが、果たして、マグリットの作品を一点だけといったときに、はたしてこの作品を選ぶ人はどれだけいるでしょうか。マグリットも挑戦してはいるのでしょう。樹木の幹や背景の空の色の遣い方などは印象派風になるように努力している跡が窺えます。しかし、雲は、あるいは右上の緑色の手招きしている顔の色遣いはどうでしょうか。実験が息切れしているように、私には見えます。

Mag2015dreamしかし、マグリットの努力は続きます。『夢』と題された作品を見てみましょう。リアルを求めるマグリットは感覚的なものから、もっと根源的なエロスの世界に近づこうとしたのではないか、と思います。マグリットとしては、可能なかぎりリアルに女性ヌードを描こうとしている古典的なヌード像のような描き方で、生身の息吹を持たせようとして苦労しているように見えます。私には、漸く手にした存在の実感を何とか表現に定着させようと必死になっているマグリットの姿が見えてくるような気がするのです。というのも、この作品でも、マグリットらしい屈折したヒネリが加えられていて、女性の影が背後の壁にうつっていますが、単なる影ではなくて、立体的な陰影があって実体のようになっています。しかし、典型的なマグリットの表現であれば、影でない方の女性をむしろ平面的にしてしまって、影と実体の逆転のような形にしてしまうか、あるいは影と実体を同等に描き込んで、どっちが影でどっちが実体かという、いずれにしても実体という存在と影という虚の区別がどっちもどっちという作品にしようとするのではないかと思います。ところが、この作品では実体の表現を追求してしまっています。ここにマグリットの作品世界のバランスが崩れている、私には見えます。しかし、そこで敢えてそうしていることによる効果は出ているのでしょうか。マグリット自身が、悪戦苦闘しているように私には見えます。

私には、矛盾に見えますが、この努力の結果として現れてくるのが、この後の展示となる「回帰」ということになってくるのではないかと思います。

花火考

 花火はお盆の時期に行われる。隅田川の花火大会も、以前は川開きと言っていたと思う。川開きはもともと水神祭の行事で、そこには水難者の供養と将来に向けた水難除のためだったものだという。お盆は死者の鎮魂の行事。花火はそういう中で上げられた。夜空に一瞬、まばゆいほどの光の大輪の輪が輝き、目がくらむ。これが死者の鎮魂と、どう関係するのか。それは、多分、花火の洪水のような光の饗宴の後、その花火の消えた後の夜空の暗さはひときわ、深く感じられるのではないか。その闇の深遠を見ることで、死の暗闇を身近に感じることができる。そこで死者を思う。そういうものではなかったのかと思う。だから、私は、花火は、その後の闇と静けさこそが本番ではないかと思う。

 

2015年7月25日 (土)

マグリット展(4)~第3章 最初の達成(1930~1939)

最初の達成という章立てのタイトルから見て、シュルレアリスムの運動からも身を措いて、マグリットは自身の独自な作品世界を確立して行ったということでしょうか。事実、マグリットの有名な作品は、これ以降に制作されたものがほとんどです。それは、一方では私が通俗的に抱いているマグリットらしさという雰囲気にハマる作品を、この時期から量産するように描き出したということになります。どんな画家でも、自分を見つけたところと言うときは、その画家の生涯の中でもひとつのピークをなしていて、その時期に制作される作品数は飛躍的に増えて、作品の質についても力に溢れていることが多いと思います。たぶん、マグリットについては、この時期が彼にとって、そのような時期にあたると思うのですが、私の個人的な印象なのですが、作品からはそのような壮年期の力強さというかエナジーのような印象は感じられず、いたってクールなのでした。

これまでに何度も触れてきましたが、これ以降のマグリットの作品からは、絵画作品の現物の生々しさ、何度も引用しましたがベンヤミンの言うところのアウラが感じられないものとなっていくように感じられるのです。それは、さきほど引用したベンヤミンの『複製技術時代の芸術』という著作の通俗的解釈から敷衍するわけでもないのですが、産業革命によるオートメーションによる工業化が進展し、工業規格品の大量生産による大量消費が実現し、都市に多くの人々がなだれ込む一方伝統的なコミュニティが失われた結果、都市に孤立した個人が大量に出現する、いわゆる大衆です。経済的な消費主体は、このような大衆に移っていったというのが通俗的な見方です。もとより、このような大衆はかつての芸術のパトロンだった貴族や王族のような見識や教養を持たず、裕福なブルジョワのような余裕も持ち合わせていません。このような人々に比べて趣味とか主体性に薄く、流行という軽薄な風潮に流されてしまう人々は、もはや、自らの見識でひとつ作品にじっくりと対峙して鑑賞する余裕はありません。自らの見識を育てる暇もなく、人々の間ではやっている流行を追いかけるのが精一杯。例えば、この時期に最盛期を迎えた映画は、ベンヤミンの著作のタイトルそのものの複製技術を駆使した、スタジオという現実らしさの世界で1時間かそこらのパッケージのドラマをスタジオ・システムという一種の流れ作業でパッケージのようにつくり、フィルムをコピーして一度の各所でたくさんの人々におなじものを見せることができるものです。これは、劇場の舞台で生身の俳優が観客と一緒の空間で同じ空気を吸ってコミュニケーションをとりながら共同作業で演劇空間を作り上げるのとは異質のものです。このようなライブに特有の生々しさのようなものをベンヤミンはアウラと呼んだものでした。これと同じようなことは絵画の世界にもあったのだと思います。いぜんより、絵画作品を版画にして販売するということはあったと思います。例えば、近世日本の浮世絵という絵画の平面的でデフォルメされた図案のような特徴は版画にして大量に頒布するという販売形態と無縁ではないでしょう。とくに、この時期のころから印刷技術が発達し、版画にあった絵画の再現の限界を大幅にクリアし、しかも生産量も比較にならないほどの大量生産が可能になっていたはずです。画家の生活は、もはやパトロンに庇護されて注文に応じて制作するというものではなく、制作した作品を消費者に販売するというものに変化していった。それが、大衆社会の大量消費の出現や印刷技術の進化によって、画家は作品の売り方が変化していったはずです。マグリットも従事していたといいますが、商業チラシや出版物のカット描きも時代のニーズによって生まれたものでしょうし、そのような媒介の変化によって、絵画制作も変質していったのではないかと考えられないでしょうか。マグリットの作品が、そのような時代の影響の中で、彼が意識してかどうかは分かりませんが、ひとつの対応ではなかったのかと思います。

Mag2015slave_2そして、このような性格はマグリットという画家の制作の方法論に根底のところで通定していたのではないかとも思えるのです。それは、マグリットの作品のだまし絵のような、現実の風景をズラしてみせて、そこに「あれっ?」と思わせる一種の異化効果を見る者に起こさせるという特徴的な性格にとって、その「あれっ?」と見る者に思わせるためには、その前に安定した常識的な世界が前提されていなければならない。そのために、作品を見る者が、容易に違和感を起こす前提となる常識的な世界を持ってもらわなくてはならないわけです。そのときに、その常識的世界が、あまりに存在感がありすぎたり、個性的すぎたりすると、その印象が強すぎて、そのあとの「あれっ?」が起こらなくなる可能性が生じる。もしくは、そんな「あれっ?」を求める必要がなくなって、その常識的世界で自足してしまうかもしれない。だから、常識的世界は、そうであるということが分かり、それ以上にならないことが、実は必要になってくるのです。むしろ、月並みで類型的な表現の方が、この場合は効率的なのです。

Mag2015conditionこれを一方で、作品を見る側からはどうなのでしょうか。貴族の邸宅や裕福なブルジョワの豪邸のような広大なスペースとちがって、都市の中産階級やあるいは大衆の人々のつつましい暮らしのなかで、アパートに居間や寝室にちょっとした贅沢として絵画を飾ろうなどと考えたときに、主張の強い存在感のある作品を飾るということは、作品としてはいいのでしょうが、絶えず緊張感があるようなものではないでしょうか。このような場合、部屋のインテリアとして邪魔にならないと言う程度で、しかし、それを部屋に飾った人が月並みでないという程度に個性的(変わっている)という、「一味違った」テイストを感じさせるものとして、マグリットの作品は、知的が感じとか、ユーモアな感じとか、があってある種の優越感を満足させるようなところがあるのではないでしょうか。一種のスノビズムとでも言ってもいいのではないかと思います。しかも、作品自体に存在感とか生々しさがないので、複製を飾っても本物と味わいがあまり変わりない、ということであれば、コストパフォーマンスは、そこそこであるということになります。

そうであれば、下世話な話かも知れませんが、マグリットは作品の支持もそうですが、複製を頒布することで著作権で稼ぐことができる、ということになるのではないでしょうか。話は美術展から離れてしまいました。だけど、私には、これがマグリットの作品の大きな魅力であると思っています。

で、前置きが長くなってしまいましたが、作品を見て行きましょう。『美しい虜』という作品です。屋外にイーゼルが立てられ、そこにかけられたキャンバスに風景の一部が描かれているという作品です。一種の嵌め絵になっています。それは、実際の風景とキャンバスの中の風景が連続しているように見えるからです。しかし、よく考えてみれば、このようなことは現実にはありえないはずです。それは、現実の風景の中に、それと見紛うような絵画を入れ込んで連続してみせることは不可能だからです。ここでは、それがあたかも当然であるかのように、見せています。ここに、マグリットの巧みな詐術があります。つまり、この作品で風景の中に、その風景を描いたキャンバスがあるのではなくて、風景を描いたキャンバスがあって、それにしたがって風景がつくられている、ということです。だから、画面の中のキャンバスと風景は連続しているように見えるのです。言われてみれば、「なぁんだ」という程度のことでしょう。これは、世界を描写するのではなくて、絵画のツールを使って、画面の中に風景を作ってしまうと言うことになります。これは、マグリットが好んだといわれているマラルメが詩の世界で試みたことに通じるのではないでしょうか。マラルメは、端的に言えば、何かを言葉で表わすということではなくて、言葉というものによって何かをつくってしまうことを試みた、と言えます。いわゆる純粋詩といわれる、その方法論は、言葉だけで組み立てて、その以外の要素、例えば表現すべき何か、などという物を不純物として排除していこうとしたものです。ここには、何かを表わすための言葉が、言葉によって何かがあるようになるという転倒が起こっています。これと同じようなことがマグリットの、この作品では試みられていると考えられないでしょうか。その鍵となっているのが、画面にあるキャンバスです。仮に、この作品から、このキャンバスを取り去ってしまったら、どうでしょうか。そこには、何の変哲もない、凡庸な風景画があるだけです。それが、ここにキャンバスを意味ありげ置いてみせると、一種のメタ絵画とも受け取れてしまう作品に変貌してしまうのです。

Mag2015key同じような『人間の条件』という作品を見てみましょう。この後に見る『野の鍵』も含めて制作の時点が近いので、マグリットは一連のシリーズのように描いていたのかもしれません。『人間の条件』では、部屋の窓の前にイーゼルが立てられ、その上のカンバスに窓の外の風景が描かれているという点で、『美しい虜』と比べてワン・クッション置かれています。このワン・クッションが視点という問題を表面化させているように見えます。というのも、さきの『美しい虜』という作品についての説明の中で、キャンバスに描かれた風景と現実の風景が連続することはありえないということを述べましたが、それは、キャンバスに風景を描く時には必ず、画家の視点というものがあるからです。画家は、風景の中にいて、自身の視点で風景を切り取って作品にします。だから、キャンバスに描かれた風景と現実の風景が連続するためには、キャンバスを描く画家が風景の中にいるかぎり不可能なのです。そして、『人間の条件』では、キャンバスを室内において、部屋から窓越しに見える風景と連続させるということで、画家の視点があるということを、ここで表わすことになったと言えます。窓から外の風景を見るという視点と、そこでキャンバスに描くという視点が重なるというように視点を重複させることができている点で、『美しい虜』に比べて精緻になっていると言えますが、その分だけ理不尽さが後退して、衝撃は少なくなっているように思います。

しかし、それは次に見る『野の鍵』に至るためのワン・ステップだったのかもしれません。ここに至ってカンバスは姿を消してしまいましたが、部屋の窓ガラスが大きく割れて、その割れた破片には、窓の向こうに見えている風景の一部が描かれていた痕跡が見えています。と言うことは、前に見た『人間の条件』に見えていた窓の外の風景は窓に描かれた風景だったのかもしれません。そういうことになると、見えている風景というのがじつはフィクションであったということになってきます。『美しい虜』では、現実の風景と描かれた風景の転倒をインパクトとして表わしていましたが、『人間の条件』や『野の鍵』では、実は現実の風景というものもフィクションでてきているという形にかわってきます。それを敷衍して考えてみれば、何気なく窓の外に広がって見える風景も、実はその通りなのであるのかどうか、たまたまそのように見えているだけではないのか。極端なことをいえば、量子力学でいわれる観察者の論理のようなことが、ここでは想起されるような構造が実は見えてくるかもしれない。『野の鍵』では、見えるものと見ているものが一致しているということの、構造がひとつのフィクションとして提示してしまう、一種の脱構築とでもいえる契機と解釈することも可能です。たぶん、マグリットの作品を見て、あれこれと知ったかぶりの議論をしてみせるのは、半可通のスノビズムを心地よく刺激するものとして、流行の先端を気取る大衆にとっては格好のツールとしてもてはやされることがあったのではないか、と思います。

Mag2015seeこの傾向を違った方向から見ることできる作品として『透視』という作品があります。製作中の自身を描いた自画像というらしいのですが、テーブルに置いた卵を見て画家がキャンバスに描いているのは羽ばたく鳥の姿です。ここには、さきに見た風景画には登場しなかった画家の描く姿が、ここでは中心になっています。このように、マグリットには描くという行為を取り上げたり、さきに見た三作品のように直接描くという行為を題材としてわけではないけれど、対象を描くということを間接的に想起させるようか、描くということはどのようなことかということを描くことの中で問う、いうなればメタ絵画という作品が多く見られます。あえて言えば、マグリットの作品に通底していると言えるかもしれません。その背後には、さきの三作品がそうなのですが、ありのままの現実、つまり、見えているものと見ているものが一致している現実というのを、マグリットは無条件に信じることができなかったのではないか、と推測することができるのではないでしょうか。

Mag2015direそれは第1次世界大戦によって伝統的なヨーロッパの社会や文化が崩壊し始めたことによって、それまで当たり前と考えられてきたことに疑問が呈されることとなり、不安が常態化したという社会的な風潮も影響していたのかもしれません。目の前の現実があるということを説明しようとした現象学という哲学運動が現れたのも、現実とか存在ということに疑問が生まれなければ、それを説明しようなどとは思わないはずです。量子力学の原理的な発想の根本に同じような懐疑があったといわれても否定できないのではないか。そのような環境に身を置いて影響を受けたからかもしれませんが、『野の鍵』に描かれているように、窓の外に広がる風景は、窓に描かれたものである。しかも、その窓ガラスが割れて破片が飛び散ってしまっているのです。そこに、もしかしたら、そういう現実をもはや信じることのできない絶望が根底にあったのではないか。描くべき何ものかをもはや信じることができなくなってしまった。それでもなお、描こうとすれば、描くべきものを自分で作ってしまうことが一番手っ取り早い。そのためには、どうすればいいかという方法に頭を絞る。だから自然と描く方法論に関して自覚的になっていかざるを得なくなります。また、一方では、現実の存在そのものを信じることが出来なくなってしまっているのであれば、存在感を表わすとか、生々しさを表現するということに意味を感じなくなってしまうのは納得できることではありませんか。このように、目の前の現実に懐疑を抱いてしまって信じることができなくなってしまったら、人にはどのような選択肢があると考えられるでしょうか。私に考えられるのは、現実から目を背けて非現実の想像の世界に逃避すること、例えば幻想の世界や復古的な想像上の古代世界を題材にして作品を制作した画家たちもいると思います。例えば、ギュスターヴ・モローとか幻想絵画と言われる画家たち。あるいは、そうであるからこそ現実の世界にしがみついて余計なことを考えないこと、例えば現実のディテールを事細かに描写することに固執したり、迎合的に作品を制作するような画家、たとえば唯美主義の画家たちが当てはまるかもしれません。どちらにしても、現実逃避、言ってみれば自己欺瞞です。そして、マグリットは、そのいずれにも属さずに、現実世界が虚仮威しであることを、そのままに描こうとした、と言えないでしょうか。そして、そのように現実を虚仮威しと見ている、自分の現実の見方をも作品に表わそうとした、と。ただ、それが絵画そのものとしての魅力という点と、直結しているかというと、私にはにわかに首肯しかねるところがあます。そこに、私自身がマグリットの作品に対して、ある意味で留保したスタンスを取ってしまっている由縁です。

 

2015年7月23日 (木)

マグリット展(3)~第2章 シュルレアリスム(1926~1930)

Mag2015sailマグリットが徐々にマグリット風になり始める時期ということになるのでしょうか。結論から言えば、このころの作品には、絵画自体の官能性といえばいいのか、ある種の生々しさというのか、動感のようなものが残されていて、マグリット風のだまし絵のような謎解きとか、言葉で考える常識にショックを与えるとかいうこととは別に、純粋に視覚の感覚のみで単純にキレイとか愛でるといえるような要素だけでも成立するような作品であった、と私には思えます。

『困難な航海』という作品は、ジョルジョ・デ=キリコのいわゆる形而上絵画─昨年のパナソニック・ミュージアムのキリコ展で見た『謎めいた憂愁』や『ビスケットのある形而上的室内』といった作品─を想わせる作品です。遠近法を極端に強調した室内は奥行きを感じさせるよりも、空間が歪んだように見えます。室内の壁の線と幾何学的に位置関係を計算したように配置された物体たち、その物体たちは空間とは異なる比率あるいは軸で歪んでいて、その組み合わせをみていると、全体として歪んでいるという以上に奇妙な違和感を抱かせる。そして、テーブルの脚が人の足であったり、中央のボーリングのピンのような物体の上部に人の目があったりと荒唐無稽な、この空間との関係が想像できないものが配置されて異化作用を起こすような仕掛けがなされている。こうして言葉にして説明すると、まるでデ=キリコの作品のように聞こえてくるようです。解説の説明によれChiricomisterryば、マグリットはデ=キリコの作品の複製を見て衝撃を受けたそうなので、その衝撃のままに影響を受けて、デ=キリコ風の作品を倣うように描いたということだったのでしょうか。全体としての描き方も、まるでデ=キリコをコピーしたようなヘタうま風の稚拙な塗りとか、一時はかなり傾倒したことがうかがわれます。しかし、私が見る、このキリコの影響を契機としたこの『困難な航海』をはじめとしたデ=キリコ風の作品は、マグリットの作風にとって大きな画期となったと思います。それは、一言で、クリエイトからデザインへとでも言えばいいでしょうか。詳しく説明しましょう。この前の第1章で見たマグリットの作品は、何かを描こうとして、その描くものの形とか色とか、描き方にとどまらず見方といったレベルまで、自分はどうすればいいかを試行していた作品だったと思います。それは、自分はどのように描くのかとか、自分はどのように見るのか、という点で、いうなれば自分のかたちを創ろうとして探していたと思います。だからこそ、突飛な抽象化やキュビスムっぽいものを試したりと。そこには、迷いとか以前に、新しいものを創り出そうとする力が溢れていた、と言ったら持ち上げすぎでしょうか、色彩が鮮やかだったり、官能的なエロティシズムが垣間見えたりと、作品の画面にはちょっとした混沌としたエネルギーのようなものがあったと思います。これに対して、デ=キリコの作品がマグリットの前に現れます。このデ=キリコの作品は、初期のマグリットの作品に比べると、既存のパーツをつかっChiricobisketてその組み合わせや配置で、従来の絵画とは異質な画面を作り出していた作品だったと言えます。ここで、マグリットは何もないところから、自分の形を創造するという作業ではない方法で絵画をかたちづくる方法に気がついたのではないか、と私には思えるのです。これは、言葉の芸術である詩に通じるものではないかと思います。詩は言葉でつくられますが、言葉は一人の人が独自に創造するということはできません。人々の間に共通していなければ、言葉は伝わらないので意味をなさないのです。一人の人がまったく独自の言葉をつかっても、他の人が分からなければ単なる雄叫びに過ぎません。詩は、人々に共有されている言葉を土台にして、その共通であることから、読者をまったく違った風景に連れて行ってしまうものです。その一つの方法として、人々に共通している言葉を用いて、その組み合わせを工夫して、既存の共通したものからズレたものを作り出すこがあります。これを異化という人もいます。デ=キリコの作品は、本人にその意図があったどうか分かりませんが、結果的に異化の効果を見る人に起こさせるものになっていたのでないでしょうか。しかし、その雄叫びであっても、声という音とか抑揚とか拍子によって他の人が、その雄叫びそのものに酔い痴れることもあります。それが音楽です。音楽は、ある意味で人々に共通した知識とか経験とは無関係に、一人の天才が独りよがりのような独断であっても人々を惹きつけてしまうことができるのです。絵画でも、色彩とか形態とかいった絵画的な感覚の要素だけで、何を描いているといったような人々に共通した情報とは無関係に見る人の感覚に訴えることは可能かもしれません。初期のマグリットの抽象的な作品などには、そのような絵画への志向性があったのではないかと思います。それを、マグリットはデ=キリコの作品との出会いを通じて、言葉による詩のような、既存の人々に共有されている情報を使いまわすことで、新たな世界をつくり出すことができることに気がついたのではないかと思います。それは、もともとマグリットが持ち合わせていた志向性に適うものであって、それを突き詰めていったのが、後年のマグリット風のだまし絵みたいな作風になっていったのではないかと思ってもいいのではないでしょうか。

Mag2015face『天才の顔』という作品です。この作品を見ると、マグリットが過渡期のなかで揺れ動いていたことが分かります。画像では分かりにくいかもしれませんが、現物を実際に見てみると、この作品には最初のところで述べたアウロが感じられるものだったのです。真ん中の彫像は細工がされていますが、彫像そのものは誰が見てもそうであると分かるもの、誤解を怖れず言えば、誰にでもわかるように陳腐化した形に描かれています。彫像の乗った木材の板もそうです。しかし、実際にこの作品を見ると、彫像に施された仕掛けとか、ピンに枝をつけて立ち木のように見せている工夫からうまれる異化の効果とかなどよりも、彫像の白が生々しく迫ってくるのです。その白と対決するような背後の暗い緑のピンに枝葉をつけた立ち木のようなもの。これには絵の具が厚く筆跡が盛りあがって美術館の照明を反射するように光るのです。それが彫像の白という色自体が光るように見えるものと対照しあうような様は、私には他の画家には見られない、色彩の強い緊張のドラマに見えました。私の誤解かもしれませんが、ここにはマグリットの感覚が生に近い形での発露があるように思えます。実は、私には、今回の展覧会では、この作品で、これに続く数点の作品が最も素晴らしいものに見えたのです。誤解を怖れずに言えば、私には、マグリットはこれらの作品でアーチストとして一つのピークに達したのでいかと思えるのです。その後のマグリットはアーチストというより、むしろアルチザンとして歩んだのではないか、と思えるのです。

Mag2015arashi『天才の顔』以外に、過渡期の作品ならでは魅力ある作品があります。『嵐の装い』という作品を見てみましょう。『困難な航海』と構成は似ているようで、遠近法の書き割りの舞台のような空間の背景には嵐の海の風景が描かれています。その手前には、幾何学的とも不定形とも言えるようなオブジェ?のような意味不明の物体が6体、無秩序に立っています。これは、模様の切り取られた紙で、切り取られた模様は折りたたんだ紙に切り込みを入れて開くことでできる模様だと解説されています。マグリットは、この切り紙模様を立たせて、影までつけて立体感を与えてオブジェのように描いています。このような切り紙模様は、他の作品でも、『喜劇の精神』では人形で、『告知』では中心に、Mag2015comedy_2『火の時代』では変形されていますが、使われています。いわゆるマグリット風の作品では、画面上に構成要素は、それぞれが意味のあるもので、それが本来の意味とはズレて使われることによって、見る者に異化の効果を及ぼすというパターンで作られています。しかし、この切り紙模様は、意味がありません。マグリットは、この形状そのものを画面に入れていることが特徴的です。これらの作品でのマグリットは、この形状そのものを愛玩して、形状が独り歩きして作品の主題とか意図とか、そんなものは措いて、とりあえず形状が面白いから描いてしまえ、とでも想像してしまうほど、この形状が無意味に浮きまくっています。このような絵画的感覚が先行して、作者の意図などお構いなしに即興的に作品が出来上がってしまうというような行き当たりばったりの感じがするのです。このような感じは、過渡期ならではのものではないか、と思います。

Mag2015fire『嵐の装い』などの作品が、マグリットとしては過渡期の特徴的な作品であるということについて、少し長くなりますが、説明を試みたいと思います。マグリットに典型的な作品は、日常的な現実の物が、日常的な風景とは異なる場面に、日常とは異なる置かれ方をすることによって生まれる齟齬感が、もともとの事物から独立したもうひとつの現実、つまり超現実をイメージするというものです。そのためには、まず見る者が受け入れ可能なものとして、事物を描かなくてはなりません。日常的な常識に齟齬を起こさせるには、その前提となる常識を意識させる必要があるのです。例えば、『恋人たちの散歩道』という作品を見てみましょう。前景に建物と森が描かれて、背景の青空と雲が額縁に枠取られて、その背後が真っ黒にぬられて壁のように見えます。このときに、建物は建物として、森の木は木として、青空は青空として見る者に認められることが第一です。それらMag2015meaningを画家として何らかの表現をするということは、ここでは必要がありません。見る者の常識に添って“らしく”見えることが大事なのです。『恋人たちの散歩道』を見れば、建物はリアルな実在感とか、美的とか、そういうことはなくて、薄っぺらで、ビルの建築現場に掲げてある完成予想図のようです。それは、その部分だけを取り出してみれば、類型的なパターンで、いわゆる絵画的とか芸術的とかいう要素とは無縁のものです。だから、この作品での建物は絵画の構成要素というよりは、一種の記号なのです。このような行き方を、マグリットがもっと推し進めたのが、ことばをそのまま画面に入れてしまった『本来の意味』のような作品でしょう。これは、絵画ではありますが、詩の方法を絵画にそのまま当てはめたと言えないでしょうか。実際、この後の展示で見ていくマグリットの作品では、絵画作品の中の事物を、いかに個性だの芸術性だのを取り除いて、誰にでもそれとわかる類型的で、意味を考えさせないものに描いていくかに心を砕いていくようになります。一方で、それは視覚の感覚的な楽しみを感じるとか、見る喜びといったことから次第に離れていくことになると思います。感覚的に感じるのではなくて、ワンクッションを置いて、知性で考えるという知的な作業を解して興味深く思うというタイプの楽しみという方向に突き進んでいくことになるのです。

Mag2015loversそのような傾向に対して、色彩が鮮やかであるとか、形状が面白いとかいうことは、知性で考えることには役立ちません。むしろ、余計なものです。だから、後年のマグリットの成熟した作品では、ほとんど消失してしまうものです。それが、この過渡期には、『天才の顔』や『嵐の装い』などの作品には、かろうじて残されているのが、私には、たいへん興味深いのです。おそらく、マグリット自身も画家として、後年の作品よりも、これらの過渡的な作品の方が描く喜びを感じていたのではないか、と私には思えるのです。そういう、マグリットの生身の声が聞こえてくるように私には思えてならないのです。それは、これらの作品にある生々しさとか、アウロが漂っているといったような、具体的でない説明になってしまうのです。

逆に、これらの作品から、マグリットの有名な作品を逆照射してみると、絵画は知的な操作の契機にすぎないのか、と言うこともできるのではないか、と思ったりもします。

2015年7月22日 (水)

マグリット展(2)~第1章 初期作品(1920~1926)

Mag2015landscape_2会場に入って、正面に真っ先に目に飛び込んできたのが、この『風景』という作品でした。この作品は、今まで私がマグリットに対して抱いていたイメージを覆すものでした。いわゆるマグリットらしいとでも言うような展覧会ポスターにあるようなスタイリッシュで分かりやすい図案のような作品というものとは、ほど遠いものでした。板にテンペラで描かれたためでもあるのでしょうか、後年のマグリットに見られない原色の鮮やかな色彩が強い自己主張をしていたのです。とくに、真ん中に垂直に伸びた茶の曲線と、これを取り囲むような黄色の輝きと、アクセントのように点在する赤の存在感はどうでしょう。これらは、後年の隅々までコントロールされたような画面上の破綻が全く見られないマグリットとの正反対の色彩の生々しいまでの自己主張です。まるで、マグリットの絵の具を乗せた絵筆が、彼の思惑をはなれて勝手に動き出してしまったかのようなのです。とりあえず、作品全体の構成は幾何学的な図案のようになっていますが、図形を形成する線は定規で引いたキッチリしたものではなくフリーハンドを強調するようなフラフラした不安定な線で、これもまた筆が勝手に動いたのか、線で区画される色彩がそれぞれに自己主張した結果、境界線を押したり引いたりしてしまったようにも見えます。

Mag20153women『女たち』という作品を見てみましょう。キュビスムの影響をうけた単純化された曲線による輪郭と、直線によって断片化された色面というスタイルと説明されています。たしかに、構成はピカソの「アヴィニョンの娘たち」に倣ったようにも見えますが、キュビスムにあるような空間を観念的に捉えたような感じは希薄です。ピカソの比べて見ると、マグリットの、この作品の方が色彩が鮮やかで印象的です。ちょっと意外な気がしますが、ピカソの方が統制された感じがするのに対して、マグリットの方が奔放に見えてきます。描かれた女たちが、ピカソの方が挑発的なポーズをしているのに、マグリットの女たちの方が官能的に見えてくるのです。マグリットの作品の女たちの輪郭の曲線が立体を構成する線というよりは、女の艶めかしさを表す柔らかい線になっているように見えます。その上、背景がマグリットの方は『風景』とはまたちがった趣向で色彩が自己主張してそれぞれの領域を取り合った結果こんな図柄になったような色彩が生々しくみえてくるのです。それが女たちを前に押し出して、見るものに迫ってくるように見えます。

Mag20153women2この2作品を見ていると、後年のマグリットには見られないものが数多くあるように思います。最初のころに、マグリットはこのようなものを描いていたことは、私にとっては驚きですらありました。この2作品ほど直接的ではないにしろ、初期のマグリットの作品には、この作品にあった要素が残されていたのを、今回の展示で発見することができました。たとえば、『水浴の女』という作品で描かれた女性は、後年のマグリットの描く女性に比べてはるかに幾何学的な図形のようです。しかし、その図案化された女性に柔らかな陰影が息づいていて、官能的です。このようなものは、この後、画家が作風を確立し、成熟させていくにつれて、徐々に切り捨てられるように失われていったものです。

この2作品は習作期のマグリットが様々な傾向の作品を描いて試行錯誤していた証拠としての資料的価値で見られ、ここでも展示されていたというところなのでしょうか。抽象的な作品にしろ、キュビスムにしろ、これらの芸術運動は理論的に出自で制作され始めたものであるので、マグリットという人の性格からいって、そのような理論で人々があつまって集団をなして何点もの作品を制作することになれば、だんだん教条的になっていくもので、そういうものから引いてしまうところがあったのではないか、と想像することはできます。

Mag2015birthこれは作品そのものではなく、付随する現象的なことです。しかし、後年のマグリットの作品が見る人に与える効果を重視するものであることを考えると、マグリットには、これらのような作品が独善的に映ったのではないかとも考えられます。つまり、見る人に対する効果ということは、見る人に受け入れられることが前提になります。見る人とのコミュニケーションが成立して、この上に見る人の反応を予期し、その反応をコントロールしようとすることになるわけです。だから、どうしても作品の制作の主体は見る人に傾きがちです。それは、企業が商品をより多く売るために消費者の動向や傾向を知ろうとマーケティングに精を出すのと同じです。そのような傾向は、マグリットの作風が確立してくるに従って、明らかになってきますが、もともと、このような志向性は持っていのでしょう。ただし、この作品を描いていた習作期においては、潜在的で画家本人も自覚はなかったのでしょう。おそらく、マグリットという画家が本来的に持っていた性格なのでしょう。だから、絵画作品が、自身が独立して作品自体の論理で作られるようなもの、とくに、当時の見る人を置いてきぼりにして、自分だけはるか先に進んでいってしまうような抽象絵画やキュビスムの絵画には、結局随いていけないものを感じたのではないかと思います。

その上で考えると、見る人に受け入れられるには、見る人に違和感を強く抱かせることがないということ、そのためには見る人のパースペクティブ(視界)に近い見た目を提示することや、受け入れの助けとしてものがたりを語ることができるようなものであること、などが有効となってきます。そう考えると、抽象絵画やキュビスムの絵画には、常識的なパースペクティブを否定するようなところがあったり、純粋絵画とでもいうように絵画の独自の論理というのでしょうか言葉による物語は絵画からは不純なものであるとして排斥してしまったようなところがあります。とくに、後年のマグリットの作品は駄洒落に近いような言葉の論理で考えを組み立てて、それを絵画に描くようなところが強くなっていきます。そういう傾向に対して抽象絵画やキュビスムは正反対の方向性と言う事ができます。マグリットという人の想像力の性格は、純粋に視角的というよりは、言葉によって組み立てられる要素が強い性格だったのではないか、と私には思われます。そのような性格は、未だ、この展示作品が制作された当時は本人にも自覚はなくて、何となく無意識のうちに抽象やキュビスムに入り込めなかったということなのではないかと思います。

それにしても、ここで見られる作品の生々しいほどの官能性は何なのでしょうか。見る者の目に飛び込んでくるような印象的な色彩はどうでしょう。後年の鈍い色調で、均一の塗り絵のように平面的に塗られたものにたいして、マチエールの感じられる重量感があって色がそのものとして存在しているような…。その色彩の存在感が画面構成を構築しているといったら言いすぎでしょうか、絵筆が勝手に動いてしまったように感じられる、視覚の論理で組み立てられた感覚的な画面は、見ていてワクワクするほどの動きと艶があります。このような絵画を描いていた人が、後年のスタティックで平面的な作品を描くようになったとは、考えにくいというのが正直な感想です。もしかしたら、ここで見られる作風は、後の作品の底流に潜在化していったのかもしれません。そう考えると、これからいわゆるマグリット風の作品を見ていくに際して、あらたな視点を見つけたような気がしました。

2015年7月21日 (火)

マグリット展(1)

2015年4月 国立新美術館

Mag2015pos国立新美術館は平日の開館時間が午後6時までなので、都心に出て仕事が終わってから行っても間に合うことができる。勤め人にとってはありがたい。今回も、予定より少し早く終わったので、多少無理があったが、とにかく見ることはできた。残念なことに広い会場で130点も展示があったので、1時間では見切れなくなって、後半の著名な作品は駆け足で通り過ぎるようなことになってしまった。それは、今回は却って良かったかもしれない、これは後で述べていきますが、初期作品を見直すことができたということが、私にとっては大きな収穫だったからです。

地下鉄千代田線の乃木坂駅の専用出口には、未だ春休みのせいか母子づれの姿が多く見られて、混雑が予想された。同じ会場でルーブル美術館展も開催されているので、そっちかもしれないと思いつつ、美術館に向かおうとしていると、特設の入場券売り場を見逃してしまうところだった。以前に、別の展覧会で、気がつかず通り過ぎて、入り口から引き返したことがある。これは、勝手の分からない人には不親切だし、何か雰囲気を壊されるような感じがして好きではない。国立新美術館そのものが、私には、建物といい、ロビーや展示室の雰囲気といい、不便で、落ち着きのないのが、どうしても好きになれない。会場は、心配したほどの混雑はなかったけれど、会期のはじめで閉館時間近くということもあるだろうか、若い人や女性の姿が結構多かった。マグリットは、そういう人々にも結構知名度のある画家なのだろうか。おしゃれ、という形容もあながち的外れでもないかもしれない。

例によって主催者のあいさつを部分的に引用します。“ルネ・マグリット(1898~1967年)は、ベルギーの国民的画家であり、20世紀美術を代表する芸術家として知られています。言葉やイメージ、時間や重力といった、私たちの思考や行動を規定する「枠」を飛び越えてみせる独特の芸術世界は、後の芸術やデザインにも大きな影響を与え、現代においてもなお、世界中の多くの人々を惹きつけています。─中略─ありふれた日常に潜む謎と神秘を描き続けたマグリットの魅力を堪能いただける、またとない機会になることと確信しております。”例によって隔靴掻痒というのでしょうか、揚げ足をとられないように、主張するリスクから逃げている文章で借り物の感を拭えないものなのですが、一般的に抱かれているマグリットのイメージは、こんなもんでしょうが…。ちょっと突っつくと、このあいさつでマグリットについてあげているのはイメージで作品そのものではないことと、触れているイメージというのは “思考を越えた”という言い方で必ずしも絵画的なイメージを指しているのではないということです。このことを、何も主張していないような挨拶に比べて、踏み込んでいるカタログの序文を長くなりますが引用します。

“ルネ・マグリットの作品や文章、インタヴュー、写真、書簡を通して、マグリットと親しく付き合うと、相反する像が浮かび上がってくる。現実を表現するという言語の持つ原則を崩そうとする、強く破壊的な考えを持つ知的な芸術家は、一見ごく普通の外見をし、非常に穏健で教養高く、強いワロン訛りを持ち、想像力の障害と称した妻を常に傍らに置いていた男と対立しあっているのだった。つまり、マグリットは仮面の奥でその破壊的な作品を作っていたのである。彼の作品は、無意識の側面を純化したものであり、無意識下では典型的なブルジョワとしての外見を持つ男というものが意識をなさなくなる。それはまた、言語の権威を掘り崩し、伝達というものが幻想に過ぎないことを示し、そこで新しい詩的な意味が組み立て直される徹底的な隔絶を称賛していた。

作家と作品の間の、エピソードの乏しい伝記とラディカルな思考との間の隔たりが、これほどまでに大きいことは稀である。マグリットは、常に自らの軌跡を覆い隠してきた。そうすることによって、自らの絵画に、人を驚かし、明白さを神秘へと変容させる力をもたらし、そしてあらゆるイリュージョンをなくした意識というものには不可能な運命しか残されていないことをはっきりと示そうとしたのである。モダニズムの迷妄に始まるこの道を、完全なるシュルレアリストとしてのマグリットはさっさと放棄してしまっていた。マグリットの絵画が持つ効果は、それが見せているものを要約すると一層明らかになる。例えば、真昼の中にある夜の時間、記憶とともに血を流す石膏の頭部、蝋燭のほの暗い光によって照らされた座る人物といったように。しかし、これらの効果の背後には、言語の核心まで掘り下げ迫りたいという深遠な欲望が横たわっているのだ。アンドレ・ブルトンとは異なり、マグリットは原初的な性質の心情や、原初状態における欲望の本能的な表現を受け入れることはなかった。マラルメの熱心な読者であったマグリットは、あらゆる潜在的な現実という物が無化され、同時に表現性から伝達の野望がそぎ落とされ、それゆえその唯一の真実である「主題」へと回帰する、無というものにより関心を抱いていたのだ。

この主題というものは、描かれた絵画というものが様々なアプローチに基づいた発展のひとつであるという、マグリットの中で次第にかたちづくられていったイメージの詩学の概念を実証するものであった。初期において、ジョルジョ・デ・キリコの謎めいた作品から影響を受けたマグリットのイメージは、精神の深淵に根を持っており、それを啓示するようなオブジェを体系的に探求していた。次第に、マグリットはこれらのオブジェをその表現的な次元から救い出すようになった。彼は、オブジェを一見して反駁することのできない所与のものとして示すために、オブジェから暗い側面を剥ぎ取った。マグリットは近代芸術の発展の先駆けである。というのも、彼がオブジェに割り当てた役割は、その明白性へと回収しえないものであった。1920年代後半までにマグリットは、ポストモダンの哲学の転換に半世紀も先立って、脱構築の手法を開始していた。すなわち、文学絵画によって、マグリットは「名付ける」という最も全体主義的な力を感じさせる恣意的な言語学的現象としてのオブジェの新しい地位を強調したのである。

マグリットの文字絵画の芸術的重要性は、シュルレアリスムというよりダダに近い、アナーキーに欲求に分かち難く結び付いている。マグリットは、匿名のブルジョワ紳士としての役割に退くことによって常にあいまいさを保持しながら、そのような欲求を抱いていた。マグリットはマルセル・デュシャンがやったように既存の秩序を転覆させようとしたが、彼は自らの作品を単なるひとつの態度へと貶めるような自己中心性の危険に屈しないよう、一見するとサボタージュの作品を作っているかのような振りをしていたのだ。彼は平凡さを武器へと変えた。後にポップ・アートは、その可能性を活用しようとするのだが、その時でさえ、マグリットの傍らでは、認められたいという渇望のために怪しげに見えてくるほどであった。シュルレアリスムの絶頂期において破壊的で詩的な芸術家であったマグリットは、おそらく現在においてこれまでよりも一層重要性を持っている。彼が抱いた、モダニズムのユートピアへの慎重さや、言語の限界についての明晰な理解、また哲学や精神分析、社会学といった理論的な原則としてではなく、むしろ存在によってのみ定義づけられる一種のリアリティとしての個人についての確信、これらのことには、ここ20年ほど人類に付きまとっている絶対的相対主義ともいうべき問題の核心があるように思われるのだ。唯一、詩的な芸術の追求のみがそこから脱する道を提示できる。それは、意識が究極的な不確かさという形をとって組み立て直されるような、不規則、不一致、そして断絶を会しての道なのだ。”

と、かなり長い引用になってしまいました。長いだけでなく翻訳調、論文調というのでしょうか、何か自慢しているような、難しげに装っているような、ちょっと読みにくい文章です。それで、私見を交えながら批判的に、この主な内容を説明していきましょう。ただし、これからの説明は恣意的で、隠れた意図(隠れていないですか)は、この引用をダシにして私見を開陳することにあるということを念頭において欲しいと思います。まず、ここではマグリットという画家を“現実を表現するという言語の持つ原則を崩そうとする、強く破壊的な考えを持つ知的な芸術家”と定義しています。ここでの“現実を表現するという言語の持つ原則を崩そうとする、強く破壊的な考え”というのは、“言語の権威を掘り崩し、伝達というものが幻想に過ぎないことを示し、そこで新しい詩的な意味が組み立て直される徹底的な隔絶を称賛していた”ということでしょう。何か難しげに聞こえてきますが、私なりに言い換えれば、私たちは日常生活で何気なく言葉を使っていますが、この言葉というのは一種の記号で、例えば「青い空」と言ったときには、その言葉を言ったり聞いたりしている人の目の前には現実に青い空がひろがっており、それを指して、そのことを写すように伝えているのが言葉ということで、私たちはそれに疑いを抱くこともありません。もし、それを疑ってしまったら、私たちは言葉による円滑なコミュニケーションができなくなります。それに対して、否定することはできないにしても、そういう現実と言葉の間をズラそうとしたのがシュルレアリスムという芸術運動ということができます。例えば、言葉の組み合わせを現実ではありえないパターンにしてみて、そこに今までになかったイメージを生み出そうとしたのです。その先駆となったのが象徴主義といわれる詩人たちで、言葉は現実を写すものから、言葉だけでイメージを作り出すことを指向していたといえます。彼らが理想したのは音楽です。音楽は楽器という特殊な音というツールで作品をつくりますが、現実の何ものかを直接写すことはできないかわりに、音の連なりでメロディとかリズムという響きだけで作品となってしまいます。その音楽の音というツールを詩人たちは言葉に置き換えて音楽と同じように作品を作ろうとしました。シュルレアリスムは、それをもっと進めようとしました。彼らは、象徴主義の詩人たちのように作品という閉じた世界だけにとどまらず、現実にもフィードバックできないかと考えたのです。現実の世界を作り変えることはできませんが、現実の見方を変えることはできなくもありません。そして、それゆえに象徴主義は詩人たちの間での運動だったのに対して、シュルレアリスムは言葉の世界である詩だけに留まらない志向にありました。マグリットは、そのシュルレアリスムの運動に参加していた人でした。しかし、今まで説明してきたのは言葉の世界です。絵画は言葉ではなくて視覚的イメージの世界です。さきほど述べたように、言葉で現実の見方を作ってしまおうというシュルレアリスムの志向があって、いってみればマグリットはその志向に乗ったと言えるわけです。その際に、今まで同じ見方ではなく、言葉によって今までとは違うイメージで現実を見るというのを絵画でやろうとした、ということです。そのこと自体は、従来のイメージに対しては破壊的になるでしょうし、知的な方法で、ということになるでしょう。その結果、マグリットは描くことで、“人を驚かし、明白さを神秘へと変容させる力をもたらし、そしてあらゆるイリュージョンをなくした意識というものには不可能な運命しか残されていないことをはっきりと示そうとしたのである”というわけです。それは現実にはありえないようなイメージを描いた、“例えば、真昼の中にある夜の時間、記憶とともに血を流す石膏の頭部、蝋燭のほの暗い光によって照らされた座る人物といったように”。これは、端的に言えば言葉でつくられた衝撃を絵画に置き換え、絵画で衝撃を作り出すということです。この言葉を絵画に置き換えるといっても一様ではありません。例えばサルバトール・ダリとマグリットはシュルレアリスムの画家として同じグルーピングされますが、見た目の作風は大きく違います。二人の作品を見比べると、マグリットは画面の中で描かれている個々のもの、パーツはそれぞれ現実のリアルな外観をそのまま忠実に描写されていて、作品を見る人はそれが何であるのかすぐに分かるようになっていて、それらの組み合わせが現実とはズレているというものになっています。これに対して、ダリの作品では、例えば時計が半分融けて外形が崩れてしまっていたり、現実にはありえないサイズに描かれていたりともの、パーツそのものが改変させられてしまっているのです。この両者の違いのひとつに言葉というものに対するイメージの持ち方の違いがあると思います。これは、シュルレアリスムの運動をリードしたアンドレ・ブルトンという詩人であり思想家である人物の影響をダリは強く受けたことにあります。シュルレアリスムは、前にも述べましたように言葉で現実を再構築してしまおうという考え方です。その言葉というものは、完成されたものがすでにあって、それに人が従うとか、それを使うという、いわば道具のようなものではなくて人の感情とか衝動とか無意識なものが表面に現れてくるときに言葉と一緒に形作られるような捉え方をしているのです。だから、ダリの描くものは不定形な外形をしていることが多いのです。しかし、マグリットはそうではありません。もっと、ブルトンやダリが人の無意識の衝動に踏み込もうとしたのに対して、意識をもっていて論理的なほうに傾いていたと言えます。もしも、例えば衝動ともにあらわれる雄叫びのような意味をなさないものを言葉といっていいのかどうか、もしそれを言葉としてしまったら、言葉の論理で現実を再構築するとしても、堅固なものにはならず構築作業の途中で崩壊してしまうことになってしまうでしょう。“アンドレ・ブルトンとは異なり、マグリットは原初的な性質の心情や、原初状態における欲望の本能的な表現を受け入れることはなかった。”という説明文章は、このようなことを指しています。“マラルメの熱心な読者であったマグリットは、あらゆる潜在的な現実という物が無化され、同時に表現性から伝達の野望がそぎ落とされ、それゆえその唯一の真実である「主題」へと回帰する、無というものにより関心を抱いていたのだ。”と言って、マグリットがステファヌ・マラルメの詩を好んだと言われるのは、マラルメの詩が難解だといわれながらも、そういう堅固な論理的構成を持っていたからです。マラルメの詩というのは言葉という完成されたものが在ると言う以外の余計な要素を削り取って純粋にしていった結果で、純粋詩などともいわれ、ブルトンにはあった感情とか衝動などというものもできるかぎり捨て去られてしまいました。マグリットはマラルメの言葉の明晰で論理的なところに通じるところがあったのでしょう。彼の作品の中で、個々のもの、パーツの描かれる明晰性が追求されていったと言えます。それは見るものにとっては一目でそれと分かる分かりやすいものになって行きました。そのために個々のものの個別の個性は余計なものとして削られていくことになります。例えば、この岩の他にはない、これだけのものとか、現実にここに在るような生々しさは描かれなくなり、岩と分かるように一般的な岩らしいものが描かれるようになっていきました。この岩という個性がなくなり、見る者が誰でも分かる普遍的、まあ、平凡なものとなっていったわけです。それは、ある意味で、これが、いま、ここに、在らねばならない、などという必然性が画面から失われることにもなります。画面のここに描かれるもの、そうでなくてはならない理由はないわけです。そこには他でもないこの岩ではなくて、他でもいい平凡な岩があるだけですら。それはこうであらねばならない理由とか根拠に対して、実はそんな根拠はあるのかという脱構築という哲学的な問いかけとそっくりだという人も現れたのでした。“彼がオブジェに割り当てた役割は、その明白性へと回収しえないものであった。1920年代後半までにマグリットは、ポストモダンの哲学の転換に半世紀も先立って、脱構築の手法を開始していた。”という説明は、このことです。それは、大衆社会の大量生産、大量消費の時代でものの個性が失われ、存在のリアルな生々しさが感じられなくなった時代を先取りするものであったのではないか。

まあ、最後はすこし奔ってしまいましたが、勝手に解釈すれば、そんなところではないでしょうか。それでは、これに対して感じた、今回の展覧会に対して抱いていた私なりの課題(というと大げさですが)を少し、お話したいと思います。このような説明には、マグリットが何を描こうとしたのか、どうして描こうとしたのかは説明されているのですが、どのように描いたのかについては、ほとんど触れられていません。以前にも、展覧会でマグリットの作品を見て、感じたことなのですが、彼の作品を前にてライブの生々しい感じがほとんどしなかったのです。作品の実物を前にしても、印刷や複製のコピーを見ているのとほとんど変わらなかったのです。ちょっと難しい言い方をすれば、ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』で言っているような芸術の現物にしかないアウロを感じられなかったのです。(私が鈍感なせいかもしれません)上述の説明でも、マグリットは何をどのような趣向で描こうとしたのかは説明されていますが、それは実際に作品を描く前のアイディアとか構想の段階のことで、極端なことを言えば、マグリットの場合には、そのアイディアとか趣向とかセンスが重要なので、実際に描いたのは二次的なことになってしまう、とでも言っているかのようなのです。そして、そういうアウロの感じられない作品を描くことを、マグリット自身は喜びを感じていたのか、疑問なのです。例えば、同じ時代に活躍したピカソやクレーなどの作品は、難しいなどとは言われますが、画家本人が描くことが好きで、描くことそのものに喜びを感じていたのは分かるのです。だから描いていくうちに、色彩が暴走してしまったりなどという微笑ましいこともあるのです。マグリットの作品にはそういう楽しさに夢中になっての破綻のようなことは、一切みられません。ピカソやクレーに比べれば禁欲的といえるほど厳格に自らを律する苦行僧のようにも見えてくるのです。

それはまた、マグリットの作品が見ることよりも言葉で話すことが優先されているように思えることも原因しています。上述の説明にしても、マグリットの作品については言葉で説明しやすい、もっというと言葉で説明できてしまうのです。それは逆に言葉では説明できないような純粋に絵画だけにしかないイメージという要素が少ないのです。(これも私の絵画的なイメージが弱いせいかもしれません)だから、もしマグリットが現代に生きていてアーティストとしての活動をしていたら、絵筆を執るようなことはせずに、画像をパソコンに取り込んで言葉のイメージをフォトショップ等のソフトを使ってコラージュを制作することに専念していたかもしれません。しかし、ピカソやクレーが絵筆をとらないとは、絶対に考えられないのとは対照的なのです。そういうことを踏まえて、マグリットの作品に生々しい楽しさとか喜びを感じることが、果たしてできるのか。それを楽しみにして、今回の展示を見に来たというわけなのです。それでは、これから個々の作品を見て行きながら、その答えを探していこうと思います。例によって以下のような展示のコースに順じて見て行くことにします。

第1章 初期作品(1920~1926) 

第2章 シュルレアリスム(1926~1930) 

第3章 最初の達成(1930~1939) 

第4章  戦時と戦後(1939~1950) 

第5章 回帰(1950~1967) 

転勤?から話がひろがって

一応ベテランである50歳以上の人と若い人が同一線上に並んで、採用されるかを競うとベテランが負けてしまう。実際のところ、企業を退職せざるをえない中高年の人は、再就職が困難になっている。これは、実のところ、企業の側で企業内でベテランになった人を認めていない、もっというと企業内で人を育てるということを評価していないと言える。こうしてみると、やっぱり年功序列は一部の企業を除いて企業内で一貫できなくなっている。もちろん、本人に責任がないわけではない。

試しに、他流試合とでもいうか、他の会社の求人に応募してみると、自分の置かれた客観的な状況が分かるのだろうと思う。企業内でも、上司と面談なんかやられているけれど、厳しさが全く違うのだろうと思う。それは、個人としての自衛手段になるかもしれない。なんか、他人事みたいだけれど。

2015年7月20日 (月)

ジャズを聴く(31)~ジョー・ヘンダーソン「エレメンツ」

The Elements    1973年録音

Jazhederson_elementsFire

Air

Water

Earth

 

Alice Coltrane(p)

Baba Duru Oshun(Per)

Charlie Haden(b)

Joe Henderson(ts,fl)

Kenneth Nash(ds,per,vol)

Leon "Ndugu" Chancler(ds)

Michael White(vn)

 

マイルストーンでの8作目のアルバムで、『Power to the People』の実験的傾向をさらに進めて、従来のジャズの枠から飛び出すように民族音楽やFunkRock等の要素を含み込み(楽器編成にバイオリンまで入っている)、アルバム全体を火、空気、水、大地とタイトルされた全4曲から成る組曲風にして、アルバム・タイトルを「The Elements」とするなど、宗教がかっているというか、スピリチュアル等といわれているようであるが、制作時の時代風潮の影響あってもメッセージ性を入れ込んでいる。Rockの世界で一時もてはやされた。トータル・アルバムとかコンセプト・アルバムのような構成になっている。そういう点では、コアなジャズ・ファンでない人がジョー・ヘンダーソンを聴き始める糸口となる可能性もあると思う。

最初の「Fire」はチャーリー・ヘイデンのベースが活躍するイントロから、ヘンダーソンが、この後の曲に比べるとハード・バップなソロを展開するが、バックにはアフロっぽいパーカッションがあり、ピアノはバップにリズム・セクションというよりは、フリーにプレイしている。ここでは、ヘイデンのベースがリズムをキープし、ヘンダーソンがジャズ的なソロで全体の大黒柱のような存在となって、曲全体をまとめている。この2人の核により特にテーマもなく、10分以上の時間を続けると、現在の耳では途中で間延びして退屈してしまうのも確かだ。次の「Air」はヘンダーソンのブロウから始まって、その咆哮のようなフレーズをうけて変拍子のリズムをベースが前面に出て、ピアノがスケールっぽい動きを繰り返し、遅めのテンポでフリーキーに進む。ノリがあまりないので、と思うが、それほど重苦しくはならず、ただ、何か言いたげなということは分かるヘンダーソンのプレイに引き摺られて聴き通してしまう。3曲目の「Water」は、シタールの響きで始まり、エスニックな雰囲気に引き摺られてヘンダーソンのテナーはエフェクトをかけられて変調し妖しい感じ。多分、エキゾチックで神秘的な雰囲気を出したかったのだろうということは分かる。テンポ的には、前の曲と同じようなテンポ。そして、最後の「Earth」はブードゥのリズムを想わせるパーカッションで始まり、シタールがバックで鳴る中で、Funk Musicっぽい重いビートでヘンダーソンがソロを吹きまくる。中盤で、ベースだけのソロが、曲全体のリズムを途切らせて入り、スピリチュアルで神秘的な感じを強め、人声の朗読が入るが、ヘンダーソンのソロだけでは、どうしても続かないで、音楽的には、そういうオカズで保たせているのではないか、というのが現在の耳では想像してしまう。当時は、たとえ間延びするにしても、それだけの時間を使って伝えたいという何ものかがあったのだろう。しかし、現在ではそのような時代の雰囲気はなくなっているので、そういうものを取り払って聞くと、ある意味では、オカズ満載なので、しかもジャズ的な緊張が途中で間延びするようなところもあり、一種のエスニックなムード・ミュージックとして聴くことも出来てしまう。その点で、ヘンダーソンの入門としても聴けるのではないかと思う。

転勤(つづきのつづき)

終身雇用や年功序列のひずみが指摘され、批判されてもいる。そのこと自体が悪い制度とは思わないけれど、時代環境の変化につれて、そのままでは競争に生き残れない企業も出てきていると思う。そこで、絶え間ない手直しを続けながら対処しようとしたり、外から見ると中途半端なその場しのぎに見える、というところが大半だと思う。そんな他人事のようなことを言って、いざ、根本的に変わってしまったら、私のような、現行制度にドップリ浸かって、その恩恵をうけてきた人間には恐ろしいことでもある。英米系の企業の多くは、職務別で業務やそれに伴って給料が決まっていて、例えば、給料計算の業務をする人を採用するという形式で、それには年齢なんかの属人的な要素ではなくて、その能力や実績で採否が判断される。ベテランでも新人でも同一線上で判断され、同じ賃金であればベテランの方が寧ろコストパフォーマンスに優れるということになるという。そんなところで生きて行けるか。あるところで聞いた話だが、50歳以上の日本企業のサラリーマンは、今まで何をやってきて、何ができるのかをちゃんと話せない、職業人としての自分の棚卸ができていない人がほとんどという。私も例外ではないかもしれない。さっきの英米系の場合であれば、それが、今の就活で鍛えられている若い人と同一線上で採用面接に挑むことになるということだ。勝てるか、ということになると恐ろしい。正直なところ。

2015年7月19日 (日)

ジャズを聴く(30)~ジョー・ヘンダーソン「モード・フォー・ジョー」

Mode For Joe    1966年1月27日録音

Jazhederson_modeA Shede Of Jade

Mode For Joe

Black

Carribbean Fire Dance

Granted

Free Wheeli

 

Joe Henderson(ts)

Lee Morgan(tp)

Curtis Fuller(tb)

Bobby Hitcherson(vib)

Ron Carter(b)

Joe Chambers(ds)

Cedar Walton(p)

 

ジョー・ヘンダーソンがブルー・ノートで最後に録音したアルバム。この後、ヘンダーソンはマイルストーンへ移籍し、実験的な作品を次々と制作していく。ここでは、その枠から今にもはみ出さんばかりのところもあるがハード・バップというスタイルを最終的には守っている。話は飛躍してしまうが、ヘンダーソンのプレイから受ける印象は藤子不二雄の描くまんがの世界と似ている。たとえば「ドラえもん」では主人公のノビタくんはSFのとんでもない道具が出てきたり、異次元に連れていったりして驚かされることが多いけれど、最後は必ず自宅の部屋に戻って、めでたしめでたしで終わる。そこには、最後にどうなるのか分らなくなるようなスリルや緊張感はなく、安心して見ていられる。逆に、それゆえに途中での冒険を堪能できることになっている。ヘンダーソンのプレイについても、様々な実験的な試みをしているけれど、ジャズという枠に戻ってくる。そういう安心感がある。とくに、この作品ではそういう傾向が顕著で、メンバー構成も大所帯で多彩な人々が参加しているが、それぞれの個性を生かしながら、結果的にはよくまとまった、逆に言えば、もっと何かあってもいいのでは、という期待をはぐらかす物足りなさの残るアルバムとなっている。とはいえ、このアルバムは決して駄作などではなく、聴きごたえのある質の高いプレイが繰り広げられている。その辺りが、彼自身も自覚していて、より自由な新興のマイルストーンというレコード会社に移籍することになったのではないか。

最初の曲「A Shede Of Jade」の冒頭はトランペット、トロンボーンそしてテナー・サックスの3管にヴァイブが絡み印象的なアレンジでテーマが提示される。その節は典型的なバップのメロディなのだけれどテーマ自体がかなり長くなっていて、3管の響きを和声的な実験をしているような音の重ね方で聞こえてきて、そこに冷たい音色のヴァイブがオブリガートするように絡んでくる。ときに、フレーズの頭を外して絡むヴァイブの動き。この響きは、複雑で印象的だ。この響きで一気に惹き込まれてしまう。このあとヘンダーソンが、うねうねとしたトグロを巻くようなソロをたっぷりと聴かせてくれる。この後トランペットのソロが続く。ここでのトランペットはスタッカートっぽい飛び跳ねるようなフレーズで、うねうねと続いたヘンダーソンとは対照的で奔放さが際立つよう。そしてピアノがメロディアスに少しだけ入り、テーマに戻る。熱しすぎることなく、低温で沸騰するかのような演奏。2曲目の「Mode For Joe」で、ゆっくりとしたテンポの曲。ただし推進力は変わらず、トランペットとトロンボーンとヴァイブが奏でるハーモニーの呼びかけに対して、ヘンダーソンがちょっぴり官能的に応答するというテーマ。この曲といい、最初の曲といいテーマに工夫が凝らされていて印象的なサウンドで聞かせる。続くヘンダーソンのうねうねソロがテーマのダイアローグ風を引きずって語りかけるような風情でメロディックに聞こえてくるのが不思議で、ヴァイブ、トロンボーンのソロがメロディック、リズムの緩急がアクセントになって、全体としてのアンサンブルの響きが魅力的になっている。これらは、これだけ多彩なメンバーがまとまっている証拠で、効果的であるのは確かである反面、広がりという方向性はない。どちらかというと方向性は内向きの方向だから、豪快というよりは繊細。とはいってもダイナミックな躍動感があって、非常に高い密度の演奏で、何度聴いても聴きごたえのする品質の高いアルバムと言える

転勤(つづき)

転勤っていうのは、日本以外の各国の企業でも制度として在るのだろうけれど、私たちが普通に思っているような、例えば、転勤で全国を回ったとか、そういうのは日本的経営の人事制度、終身雇用制、年功序列制なんかをベースに、その一環としてあったと思う。終身雇用とか年功序列とかは、もはやなくなってきていると思われているところがあるのだろうけれど、その終身雇用や年功序列のもとで、それを補完し、その一環として機能してた制度が、未だに数多く残されていると思う。それは企業の問題ではなく、行政や社会も、それに未だに寄りかかっているせいもあるのだと思う。それは転勤だけに限らす、例えば、新規学卒者の一括採用であったり、正規雇用に対して非正規雇用を格差として見てしまう見方とその実態であったり、企業単位の健康保険や年金制度であったり、税金の直間比率で見れば公平にしにくい直接税の比率が高く、それを実質的に支える源泉徴収制度であったり、もっと広い目で見れば低所得者への救済措置を生活保護のような福祉政策ではなくて農業強化というような産業政策として実施したりということなどで、残っている。だから、例えば、就活に企業も、学校も躍起になっているのをみると、その真っ只中にいる学生も含めて、終身雇用や年功序列を肚のそこでは残ってほしいと望んでいる、ということになると思う。言い掛かりに近いかしらん。

 

2015年7月18日 (土)

ジャズを聴く(29)~ジョー・ヘンダーソン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」

Power To The People    1969年5月23日、29日録音

Jazhederson_peopleBlack Narcissus

Afro-Centric

Opus One-Point-Five

Isotope

Power to the People

Lazy Afternoon

Foresight and Afterthought (An Impromptu Suite in Three Movements)  

 

Joe Henderson(ts)

Mike Lawrence(tp)

Herbie Hancock(p→3,4,6曲目、elp→1,2,5曲目)、

Ron Carter(b→1,3、4、6、7曲目、elb→2、5曲目)、

Jack DeJohnette(ds)  

 

Tetragon』に次いで1969年に録音した、ジョー・ヘンダーソンとしては初の“電化ジャズ”だったという。メンバーを見るとマイルス・ディビスのグループのリズム・セクションが参加している。録音の時期はマイルス・デイビスのアルバムで言えば「In A Silent Way」と「Bitches Brew」との間の時期にあたる。つまりは、当時の先端的なマイルスとプレイしていたリズム・セクションの中で、ジョー・ヘンダーソンは、いつものプレイを展開させた作品。前作の『Tetragon』から、さらに一歩進めて実験的な方向にアプローチした作品となっていると思う。

アルバムの最初の曲「Black Narcissus」が幻想的ではあるけれど、静かでしっとりとした始まり方をするようになっている。私の乏しいジャズの鑑賞経験のなかでは、アルバムの最初にハードなナンバーで印象を強くすることが一般的だった。それに対して、このアルバムの始まり方は静かすぎて目立たない、と心配になってしまうほどだ。その冒頭は、ベースによる低音のイントロは印象的で、そっと始まる。耳をそばだてているところで、それに乗ってヘンダーソンが抑えて抑えて、静かに、まるで浮かんでいるかのような軽い感じのトーンでそっとメロディを吹いて(バックのエレキ・ピアノがアコースティック・ピアノと違ってタッチが明確に立っていないので、音の輪郭がぼやけるのが浮いたような軽さの印象を助長させている)、少しずつ高揚してきたと思ったら、最初に戻ってまた静かに、転調してアドリブ・ソロも抑え気味で、静かではあるのだけれど、緊張感に漲っていて抑えているのはよく分かる、その蓄えているような緊張がいつか爆発するかもしれないという期待感を持たせる。続くエレキ・ピアノのソロも音量を抑えて、同じように期待感を募らせる。結局、この後ヘンダーソンが引き継いでテーマに戻ってくるのだが、最後に軽めのブローでため込んだ緊張は開放されずに終わってしまう。それだけに静かな曲であるけれど、緊張感に漲っていて、リラックスした感じはない。全体として、熾火のような薄い炎がちらちらと揺らめいて、いつ発火するか分らないようなスリルに満ちた演奏。次の「Afro-Centric」で、その緊張を引き継ぐように、最初にサックスとトランペットのユニゾンで勢いよくテーマを吹く。ベースとピアノがエレキ楽器を使い、ドラムスがかなり強いビートを叩いているのは、マイルスの同時期のアルバムの影響だろうか、当時のジャズ・ロックとは一線を画した、しかし強いビートの演奏となっている。その中でヘンダーソンが、いつもの即興プレイをしていると、心なしかフリーキーな色合いが強まっているように聞こえてしまう。このようなビート主体のサウンドはアルバムタイトルや最初の曲名からアフロ・ビートとか呪術的なイメージを想わせるのに、うまく合わせている、というよりもヘンダーソンの意図的なものがあって、ジャズのもつ抽象的な音の存在に固執することに満ち足りないものを当時持っていたことを想像させる。この傾向は5曲目の「Power to the People」にもあり、こちらは不協和音がさらに増えて、フリーキーな印象が強くなっている。最後の「Foresight and Afterthought」は全編即興のフリーにさらに近寄った曲で、途中で違う曲になったかと思うほど転換したり、不定形さを際立たせている。ここでも、ドラムスのビートが強調されていて、アルバム全体を通して、ビートが強調されている反面、ヘンダーソンのプレイは高調しつつも抑制的で、赤々と燃えるというよりは、青白く燃える醒めた印象だ。最後がフェイドアウトして戸惑うような終わり方をするところも、それが表われている。

しかし、発表当時は斬新な印象を強く与えたのであろうけれど、現在の耳で聴くと、そういう部分が古臭くなって聴こえてしまって、ヘンダーソンのいつも通りのサックス・プレイの方が新鮮に聞こえてしまうのが不思議だ。それだけに、ヘンダーソンと他のメンバーのプレイが、どこかしっくりいっていない齟齬を感じる。このアルバムでは、そのちょっとしたズレが実は大きな魅力となって、そのズレがあるからこそ他のアルバムでは隠れてしまっているヘンダーソンの魅力を垣間見えることができるものとなっている。

転勤ってホントに必要?

ある人事労務の専門誌のモニターを引き受けていて、定期的に誌面についてのアンケート調査を受けている。今回は、最近数か月分の内容に関してのものだったが、その中に転勤の特集。人事総務部は社内に転勤が発令されると、転勤手当などの給与面や社宅の手配、引っ越しの世話、単身赴任であれば別居手当や帰宅旅費の手当て、はてまた赴任中の留守の自宅の面倒など、手間と費用をかなりかけている。各企業では、何をどこまでやっているか、あるいは、効率化や節減に頭を痛めている。その情報を特集していた。

だが、そういう点では真剣に色々考えているのだろうけれど、そのコストをどのように計算しているのか、そしてそのコストに見合った以上のメリットがあることをどのような計算で評価しているのだろうか、ということは各企業の現状はどうなのかは話題にもなっていなかったのが不思議な気がした。それは、人事総務部門が考えることではなく、テリトリー外ということなのだろうか。少なくとも人が動くことなのだから一つのプロジェクトといってよい。プロジェクトであれば結果の評価は必ず行うはずだろう。

そもそも、通信技術が発達しし結果、オフィスに出向かなくも仕事ができるようなときに、そして、国内外で地産地消とか現地に任せるような傾向が進んできているようになっているとき、わざわざ手間とコストをかけて転勤をする収支計算を各企業では、とのようにやっているのかは人事総務部門でも情報として欲しているではないか、と思ったりした。本当のところは、どうなのだろうか。

2015年7月17日 (金)

ジャズを聴く(28)~ジョー・ヘンダーソン「アット・ザ・ライトハウス」

At The Lightfouse    1970年9月24~26日録音

Jazhederson_lightCaribbean Fire Dance

Recorda-Me

A Shade Of Jade

Isotope

'Round Midnight

Mode For Joe

Invitation

If You're Not Part Of Solution, ou're Part Of The Problem

Blue Bossa

Closing Theme

 

Woody Shaw (tp, flugelhorn)

Joe Henderson (ts)

George Cables (elp)

Ron McClure (b, elb [8])

Lenny White (ds)

Tony Waters (conga [1] [8] [9])

 

1970年に録音されたライブ・アルバム。ジョー・ヘンダーソンというプレイヤーは、他のサックス奏者と比べて音が小さいという特徴があるため、実演の実況録音の場合、肝心のヘンダーソンのサックスが他のプレイヤーの音に隠れてしまうのでは、という心配があった。また、ヘンダーソンのプレイはひとつひとつの細かなフレーズを積み重ねていくことで、緊張感を徐々に盛り上げていくという劇的な展開させる、言うなれば知的な要素が大きいので、スタジオで丁寧に音を録っていくのが向いている人と思っていた。実際のところ『Tetragon』というアルバムなどは、そうやってスタジオ・ワークを効果的に活用している。最初の「Invitation」の繊細さや多彩なサウンドの織りなす様子、そのなかでヘンダーソンのサックスが宙に浮くようにフワフワ舞っている世界はスタジオ・ワークあってのものだ。年代的には、この後に『Power to the People』や『The Elements』といったアルバムを制作していくにつれて、サウンド・エフェクトを使ってみたりスタジオでの録音の可能性を追求したり、組曲風のトータル・アルバムを試行するようなことをしていく。これは、ヘンダーソンの資質が、天才肌で感性の赴くままに一発勝負の即興で煌めくというものではないこと、それを当人が強く自覚しているという知的なものであるがゆえであると思う。実際のところ、ヘンダーソンの短くはない活動期間の中で様々な録音が為されていて、その内容はバラエティに富んでいるが、その中でヘンダーソン自身のプレイは、ほとんど変化していない。よく言えば一貫している。悪意にとれば、成長していない、ということになる。ヘンダーソンのプレイの性質が語り口で聞かせるというタイプではないため、同じフレーズが年齢を重ねることで熟成されて味わい深くなるということは期待できない。多分、ヘンダーソンはそのことを自覚し、危機感もあったのではないか。そこで彼がとったのは、まるでクラシック音楽のように演奏を知的に構成した構築性の高いものにして、個々のフレーズに意味を持たせることだったのではないか。そのために、彼一人ではなく、他のプレイヤーとのアンサンブルにより複雑な音楽を創り出すという方向に向かったのではないかと思う。だから、ヘンダーソンのプレイは同じようなフレーズを繰り返したとしても、曲の中のどこで演られているか、とかあるいはサックスの他にどのような楽器とどのように絡んでいるかによって、まったく違ったものになっている。とくに『The Elements』のようなアルバムでは、そのために曲自体が長くなっていってしまったのだと思う。そういう、知的な面を追求していると思わせるヘンダーソンの実況録音である。

実際に聴いてみると、今まで話してきたヘンダーソンとは違ったプレイヤーが、そこにいた。一言で言えば、当たり前のことだが、“熱い”のだ。このライブでは、ヘンダーソンの代表曲が網羅されていて、ベスト盤のような選曲となっているが、スタジオ録音と比べてみると曲の印象が全く違ってくる。例えば「Blue Bossa」や「Recorda-Me」は『Page One』に収録されているナンバー。このライブ盤を聴いた後で『Page One』での録音を聴くと、全体的に演奏が大人しく、例えばリズム・セクションは猫を被ったように控え目だし、ヘンダーソン自身のプレイも硬い。これはこれで抑制をきかせたプレイはクールであり、ヘンダーソンの得なプレイを際立たせている。ニーチェが『悲劇の誕生』で用いた喩えでいえばアポロン的な整った演奏なのだ。これに対して、このライブ盤での演奏は、アポロン的に対してディオニソス的。熱のこもったプレイは、粗削りではあるけれど、アグレッシブな面も見せ、エキサイティング。ヘンダーソン自身も、時にフリーキーなトーンを交えながら、独特のらせん状にうねるラインを繰り出す、それは強引なほど。しかも、細かいところでリズムとハーモニーに対して多彩なアプローチを試み、音色が様々に変化する。これは、ヘンダーソン以外のメンバーもエキサイトしたプレイをしているが、全体として決しと重くはならず良い意味での軽やかさも同居しているので、腹にもたれることなく最後まで聴き通せるものとなっている。

2015年7月16日 (木)

ジャズを聴く(27)~ジョー・ヘンダーソン「ページ・ワン」

ジョー・ヘンダーソンはジャズを水で薄めた音楽にすることなくクリエイティブな音楽を提供することでもセールスが成り立つことが可能であることを立証して見せることができるミュージシャンだ。彼のサウンドとスタイルは60年代中盤から変わっていないにもかかわらず、1992年にヴァーヴと契約に至ったことは、そのレコード会社の主要なニュース・イベントとされた(彼が他のレコード会社ですでに多くの忘れがたいセッションをレコーディングしていたのだけれど)。彼のヴァーヴでのレコーディングはビリー・ストレイホーン、マイルス・デイビス、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンへのトリビュートというマーケット需要にうまく応えるテーマを含んでいた。その結果として、彼は1970年代の未だ無名であったころと同じサウンドづくりをしていたにもかかわらず名声とトップセールスをコンスタントに稼ぐ地位を獲得することができた。それが、もっとふさわしいジャズミュージシャンには、それができなかったという事実が、それを一般的な常識となった。ケンタッキー州立大学とウェイン州立大学で学んだ後、ジョー・ヘンダーソンは兵役につく1960~62年までの間デトロイトのローカルで演奏活動をしていた。ジャック・マクダフのもとで短期間の演奏活動の後、1962~63年のケニー・ドーハムとの活動が認められることになった。彼こそはヘンダーソンを擁護しブルーノートとの契約を後援したベテランのトランペット奏者だった。ヘンダーソンはブルー・ノートでリーダーとしてサイドメンとして多くのセッションに起用された、1964~66年にはホレス・シルヴァーカルテットに、1969~70年にはハービー・ハンコックのバンドに参加していた。ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンからの多少の影響を受けてはいたものの、はじめから、彼は非常に特徴的なサウンドとスタイルの持ち主だった。そしてまた、たくさんの新しいフレーズやアイディアを持っていた。ヘンダーソンはハード・バップからフリー・ジャズまで、内側でても外側ででも即興をすることができた。1970年代はサンフランシスコに住んで、マイルストーン・レーベルで多数のレコーディングを行った。それは、自然のことだった。1980年代の後半には、ブルー・ノートでレコーディングをしながら、フリーランスを続ける一方で教育活動を始めた。しかし、ヴァーヴでレコーディングをするようになると、突然有名になった。2001年6月30日、肺気腫との長い戦いの末、心臓障害で他界した。

 

Jazhederson_pagePage One    1963年6月3日録音

 

Page One

Blue Bossa

La Mesha

Homestretch

Recorda Me

Jinrikisha

Out Of The Night

 

Butch Warren(b)

Joe Henderson(ts)

Kenny Dorham(tp)

McCoy Tyner(p)

Pete La Roca (ds)

 

ヘンダーソン初のリーダー・アルバムとのこと。ヘンダーソンのリーダーは、そうなのだろうけれど、トランペットのケニー・ドーハムがお膳立てをしたサポートの上に立って、ヘンダーソンが精一杯のプレイをしているところではないだろうか。編成は、トランペットのケニー・ドーハムとの双頭コンボで、ドーハムの曲を取り上げ、全体的にドーハムの持つ抒情的な面が反映された、落ち着いた印象となっていると思う。しかし、だからと言ってリラックスしたムードかというと、そこはジョー・ヘンダーソンで、十分カタルシスのある充足感タップリのものとなっている。それが、ヘンダーソンのアルバムの中で、この作品の特徴と言える。

最初の「Blue Bossa」はドーハムの曲ということで、ピアノによる印象的なイントロに乗って、サックスとトランペットがユニゾンで哀愁を漂わせたメロディを密やかなトーンでそっと提示する。曲名からあるようにボサノバ風のリズム・セクションのバックが軽い憂鬱の雰囲気を醸し出しながらも沈み込ませずに推進力を与え、トランペットのソロはミュートを被せて枯れた味わいが哀愁をひきたてる。これに続くヘンダーソンのソロはぐっと低く始まり、裏リズムのちょっとズレた感じとヘンダーソン独特の音色がトランペットの対比で不思議と曲調にマッチして、続くピアノがしっとりと聴かせる。ボサノバ風の軽さとダルさを失わず、メロウさを聴かせる演奏となっている。2曲目の「La Mesha」はスローなバラード。ピアノに導かれてヘンダーソンのソロは、テーマはふらふらして頼りないもののアドリブに入ると、そのふらふらしているところから滑らかに流れて、ヘンダーソン独特の渦を巻くようなフレーズと違和感がない。実は、ヘンダーソンはソロは結果的に、この後に続くドーハムのトランペットを引き立てることになってしまう。短いのだけれど、トランペットが同じメロディを吹くと格段に抒情性が募るのだ。その後の短いピアノも引きずられるよう。そして、サックスとトランペットとでテーマにもどると、雰囲気はそのままでしっとりと終わる。3曲目の「Homestretch」では一転して、スウィンギーなアップテンポのナンバーとなる。しかし、なぜかうるさく感じないのはアルバム全体の雰囲気や、ドーハムの渋い音の成せる技だろう。ここではヘンダーソンはフレーズをわざとスムーズに連続させない。それは彼のクセであり個性と言える。このような断続的なフレーズの集合体を積み上げることで、声高なブローをすることもなく演奏に高いテンションを持ち込むのだ。まるでテナー・サックスから電波があちこちに広がっていくようだ。どこへ向かうかは予想がつかない。そういうスリルと緊張感が、ここには最大限に生かされている。それが、ちょうどメロディアスな曲の谷間にあってスパイスのような機能を果たしている。

続く4曲目の「Recorda Me」は最初の「Blue Bossa」に通じるようなボサノバ風のナンバーではヘンダーソンが何時になくリラックスしたプレイを見せて、ドーハムのトランペットが枯れたような渋い適度に力の抜けたプレイと均衡したコンビネーションで、軽快な中でのリリシズムを感じさせる。有名になった1曲目に負けない演奏。最後の6曲目はマイナーブルースで幕を下ろす。そういう構成で、全体として、リラックスした中で、哀感を漂わせたメロディが、トランペットのドーハムの巧みなサポートを得て、ヘンダーソンの癖のあるフレーズに不思議にマッチして抒情性を帯びたものとなり、考えられた構成がリラックスした中で緊張感を保っている。その結果、通して聴くと決してムードに流されない、充実感を得られるものとなっている。

コーポレートガバナンスそもそも(15)

コーポレートガバナンス・コードに対応した企業のコーポレートガバナンス報告書がポツポツと提出され、公開されています。東証のホームページで見ることができます。6月1日から実施が始まった、総数で73にわたる原則について、もうすべて検証、確認して、コンプライン・オア・エクスプレイン(則っているか、そうでなければ、そうでない理由や事情を説明する)をひとつひとつ行い、報告書にまとめるというのは、既にコーポレートガバナンス・コードの内容を先進的(?)に取り組んでいる企業だろうと思う。凄いなあ。ただ、報告書を見る限りでは、コーポレートガバナンス・コードに則っている(コンプライン)旨と開示義務のある11原則の開示が逐一報告されている、しかも、主要な方針はその会社のホームページを参照してくださいとの旨が並べてあるという、どちらかというと素気ないものとなっている。だから、報告書だけを読む限りでは、コーポレートガバナンス・コードの本来の目的である、中長期の投資を呼び込むような企業のビジョンや経営体制をイメージできるものではない。そういう企業は別に統合報告書や詳細に織り込んだアニュアルレポートを別に公表しているのだろうと思う。しかし、これらの企業のコーポレートガバナンス報告書を見た、後発の企業が、こういうもので良いのか、とこの部分だけを断片的に前例として右へ倣えと形式的に追従してしまうかもしれない。

2015年7月15日 (水)

ジャズを聴く(26)~ジョー・ヘンダーソン「テトラゴン」

Jazhendersonジョー・ヘンダーソンというテナー・サックス奏者は、晩年に脚光を浴びたが、全体として地味な印象を強く持たれていた。彼のテナーは独特もので、ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンといったメジャーなテナー・サックスを聴いて、素直にいいと思う人は少ないのではないか。それは、まず彼の特徴的なサウンドによる。彼のテナーのトーンには派手さがなく雄弁さもない。ぼぞぼそと呟くようなこもったような音質で、派手にブローしたり、咽び泣いたりしない。実際にライブを聴いた人の話によると音量も小さく他に共演者がいると掻き消されてしまうこともあるという。これはたぶん、ずっと使用しているセルマーのエボナイトのマウスピースがかなり開きの狭いものなのではないかという人がいる。ライブではマイクをサックスのベルにずぼっと差して吹いていたらしい。だから、低音もテナーっぽくボゲッとした感じではなく、高音も叫ぶような朗々とした感じではなく、いわゆるジャズテナーのサウンドイメージからはかなり遠い、あるいは真逆の音だが、それをあえて選択し(わざとそういうマウスピースその他のセッティングにしていたようだ)ずっとそれにこだわり続けたという点で、これは意図的だったと言える。

それが逆に、彼のファンに言わせれば独特の美しい音色を生み出しているということになる。テナー・サックスの音域は、低い方はドスの効いた迫力が、倍音を使った高音部は切り裂くような鋭さが望ましい、とされている。しかし、ヘンダーソンの音は低域から高域までほとんどブレがなく、どのレンジでも実に安定している。サックスの中にある円筒形の空気がベルから外に出てくるさまがそのまま目に見えるような、温かみを感じさせる彼の音は、サックスという楽器が「木管楽器」である、という事実を改めて思い出させてくれる。ということになる。つまりは、一聴するだけで、ヘンダーソンのサックスと分かる特徴的な音色で、その良さが分かる人には独特の美しさを秘めているということだ。

そのようなトーンで繰り出されるヘンダーソンのフレイの特徴は、強弱をあまりつけないのでダイナミクスを感じさせない、同じ音型を繰り返す、高音から低音まで同じ感じで吹く。とくに低音を低音らしくない感じで、フレーズのなかの一音としてあっさりと吹く、という吹き方をするので、他の新主流派のプレイヤーが使うと目立つようなフレーズを吹いても地味で目立たない。それは本当に彼のフレージングを愛する「理解者」にしかその真価が分からないように聴こえる。それは、いったん彼のファンになったものには堪らないものなのではないか。それが、演奏全体としては抑制の効いたスタイルとなり、かと言ってクールなわけでもないので、一瞬で燃え上がる真っ赤な炎というより、青白い炎のように内に秘めた強烈な熱量を感じさせ、演奏が進むにつれて徐々にテンションが高められていくという、つくり方をする。彼のファンは演奏全体のテンションを高めていくプロセス、ヘンダーソンの語り口を堪能できるため、繰り返して聴いても飽きることがない。

しかし、彼の作り出すフレーズそのものは、基本的にはジョン・コルトレーンの影響を受けていると言われるが、バップの基盤がしっかりした上で、他のプレイヤーが普通はやらないような独特のコード・チェンジを好んでみたり、リズムを意図的にズラしてみたり、代理コードを使ってみたり、トリルを多用してみたり、と多種多様な技巧を駆使している。新主流派の用いるフリージャズっぽいトグロを巻くようなスパイラルなフレーズは彼のつくったものに起因することが多い。

つまり、彼の特徴というと、一般的には否定的な言辞を並べることになるのだが、一度、彼の良さが分かると、それがすべて反転して彼の魅力になるという類のものなのである。

 

Tetragon    196年月日録音

Jazhederson_tetragon_2Invitation

R.J.

Bead Game, The

Tetragon

Waltz for Zweetie

First Trip

I've Got You Under My Skin

 

Don Friedman(p)

Jack Dejohnette (ds)

Joe Henderson(ts)

Kenny Barron(p)

Louis Hayes (ds)

Ron Carter(b)

 

ジョー・ヘンダーソンのバイオグラフィーを見ていると、1960年代前半はトランペットのケニー・ドーハムに認められてブルー・ノートと契約して、自身のリーダー・アルバムも含めて様々なレコーディング・セッションに参加したという。ハード・バップの中心として推進したブルー・ノートのレーベルのカラーも影響しているだろうし、共演したプレイヤーもそういう人だったのだろうから、この時期のヘンダーソンのアルバムはハード・バップのサウンドの中で、ヘンダーソンが独特のプレイをしたものとなっている。

そして、60年代後半に新興のレーベルであるマイルストーンに移籍すると、ブルー・ノートの枠から解き放たれたように新主流派に近寄るサウンドを制作していく。ただし、ヘンダーソン自身のプレイは一貫していて、スタイルを変えているわけではない。このアルバムはピアノのドン・フリードマンやベースのロン・カーターといった、それまでとはテイストの変わった人たちとヘンダーソンのプレイが程よいバランスでまとまった、ハード・バップとはひと味ちがった作品となったものと思っている。

それは、このアルバムを聴き始めて最初の「Invitation」が出会い頭の一発とも言うべきもので、アルバム全体の印象を決めてしまうようだし、この出会い頭のテンションで気を引き締めてプレイに対峙させられてしまう、とも言えるのだ。ドン・フリードマンのビル・エバンスをより硬質にした感じのイントロから、サブ・トーン気味のジョー・ヘンダーソンのサックスが入ってきて、そこにロン・カーターのアンティシペーション気味の伸びのあるベースが絡んでくる・・・。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を想わせる物憂げなテーマは、ジョー・ヘンダーソンのぼぞぼそと呟くようなこもったようなサウンドにピッタリで、続く即興が転調の効果を巧みに生かして劇的な盛り上がりを見せて曲を展開させてしまう。トリルを多用するヘンダーソンのプレイに続くようにフリードマンのピアノがブロックコードを微妙にずらして崩れた分散和音がぱらぱら降ってくるようなソロをつなげる。その背後ではボーンボーンとベースの音が生々しく迫ってくる。ミディアムテンポのプレイは、妖しさに満ちている。ヘンダーソンのソロのアドリブ自体は、トリルばっかりのようなのだけれど、フリーという感じは全くしないで、テーマの変奏のようにも聞こえてしまう。

次の「RJ」ではテンポが上がり、ドラムが煽り出す、リズム・セクションがすごいベースがよく伸びて弾むようなトーンで音程はフワフワして、伸び縮みするような乗りを生み出し、クリスタルのような硬質で透き通ったタッチのピアノが繊細かつ強いコードを刻む、そこにメロディに聞こえない、最初からフリーのアドリブのようなヘンダーソンのソロが乗っかる。3曲目の「Bead Game, The」では、さらに曲のテンポが上がり、演奏全体のテンションもさらに上がって、曲全体はフリー・フォームのインプロヴィゼイションの様相を呈する。しかし、アルバムを通して最初から聴いていると、テンポが徐々に上がって、テンションが高まってくるので、アルバムを通しての緊張感と乗りのうねりに乗るような感じになるので、フリーという感じがしてこない。このように、徐々に聴く者を巻き込むように、緊張感を積み上げていくのが、ヘンダーソンの演奏の真骨頂なのだろう。だから、彼のプレイの一部分を抜き取ってどうこう言うのではなくて、全体の設計を考えるのがヘンダーソンの魅力だろう。アルバムでは、この数曲後の「Waltz for Zweetie」でテンポを落として、緊張を少し抜くことまでして、聴く者のバイブレーションをよく考えて構成している設計している。知的に構成されたアルバムではないかと思う。聴く者は良く考えられた流れに身を任せるというのが、まずはこのアルバムに親しむ近道ではないかと思う。 

2015年7月13日 (月)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(6)~第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容

Bottirolenフィレンツェはサヴォナローラの登場によって、いわゆるルネサンスに対して異議が唱えられ、ボッティチェリのパトロンであったメディチ家が退場する事態となります。そこで、ボッティチェリの晩年の苦境が始まる。そういう説明があっての展示です。

『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』を見てみましょう。前回に見た『受胎告知』の方向性を進めていった作品にように、私には見えます。例えば、顔を描く際の線の存在感が強くなってきていること、悪く言えば、塗り絵の感じを強める傾向になっていること。顔の陰影のつけ方が線に付随するようになっていること。それだけパターン化されている。ということは、見る人には単純化して、わかりやすくなっているということです。絵の具の塗り方も、精細さよりも、単純化による分かりやすさを前面に出してきているようで、肌の柔らかな触感を想像させることはなくなっています。聖母像では印象的だった肌色の色合いが、ここでは喪われてしまったのでしょうか。近くに展示されていたロレンツォ・ディ・クレディの『ジャスミンの貴婦人』と比べて見たいと思います。『ジャスミンの貴婦人』も奥行きを感じさせることの少ない、どちらかというと平面的な作品です。背景の窓外にひろがる風景は遠近法を意識した奥行きが意識されてはいないし、隔てている空気感もありません。中心の人物と背後の壁との間の間隔も感じられません。その中で、女性の顔と首から肩にかけての陰影と、肌色の色合いのグラデーションは点描をみているような、あるかないか分からないほど精細に描きこまれています。それゆえか、この肖像画はパターン化された図案のようでありながら、不思議な息吹を感じさせ、個性のある人間を想像Bottijasminさせるものになっています。女性のポーズとか描いている角度などが、ダ=ヴィンチの『モナ=リザ』に似ていますが、似て非なる独特の輝きを放っている作品であると思います。私は、ボッティチェリの『開廊の聖母』でやっていたことの普及版のように、この肖像を見ていました。ボッティチェリには、こういう肖像を描く方向性もあったのではないか。彼なら、この作品以上に繊細なものを描けたかもしれなかった。私には、そう思えます。しかし、彼は、その方向に行かなかった。その結果として、ボッティチェリの描いたのは『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』ではないか。展示の説明では、メディチ家というパトロンを失い、サヴォナローラの宗教的な狂信の影響によってボッティチェリの芸術は混迷していくということでした。しかし、私には、『受胎告知』の装飾やきらびやかな色彩を追求していくような方向で、その派手な部分を取り去ってしまった残りが、これ以後のボッティチェリの作品傾向となってしまったのではないかと思えるのです。それは、この展覧会のポスターでも使用された『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』にも、そのような兆候は見えると思います。この作品での聖母の衣装の青と赤は、これまで見てきたボッティチェリの聖母像に比べて、派手できらびやかです。それだけアピールするところが大きいと思いますが、反面、その色に頼っているところがあります。それ以前のボッティチェリの聖母像にあった絵の具の塗りの精細さは、むしろ減退しているように見えるのです。多分、精細に塗りをやってしまうと、きらびやかな色彩の効果を生かせなくなることになるからでしょう。そのため、塗りがパターン化として、衣装の布地の触覚がなくなってしまって見えます。それ以上に、聖母の顔の肌の柔らかさとか細かな陰影が感じられなくなっています。そのため、全体としてノッペリとしてきています。私には、ボッティチェリは、この方向に進んで行った挙句、袋小路にはまっていった。そのプロセスにおいて『ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像』のような作品が生み出されたと思うのです。

Botti6nin『聖母子と6人の天使』を見てみると、正確には、ボッティチェリと工房ということなので、彼一人の責任に着せられるものではないでしょうが、明らかに形態は崩れて、描かれている人物は人形のようにパターン化されて生彩がありません。陰影のつけ方にしても、ベタッとした塗りにはならないように形式的につけられているおざなりのようです。

私の好みの偏向したところで、ボッティチェリに対しては、不当に貶めるようなことを述べていると思います。今回の展覧会は、ある程度のまとまった点数の作品を見ることで、彼の作品を見るための手がかりは得られたと思います。しかし、私にとっては、相変わらず、他の画家を差し置いてまでも、積極的に見たいと思う画家ではありません。

2015年7月12日 (日)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(5)~第5章 銀行家と芸術家

Bottifio2この前の第4章のフィレンツェにおける愛と結婚は、とくに見る価値もない骨董のようなものが場所埋めのように並べてあったとして思えないので、割愛します。展示に付されていた説明を読んでも、展示の意図も説明の内容も要領を得ないもので、要するに、“分かっていない”ということがよく分かったというものでした。そして、この章の銀行家と芸術家というタイトルは、要は注文主がメディチ家等で、彼らが銀行業で儲けていたということで、その注文と銀行業の関係とか、例えば、フィレンツェ以外の都市では銀行業以外のパトロンが多いてところと傾向の違いがどうだとか、ないと分からないと思いますが、そういうことは一切触れられていませんでした。

Bottifioで、今回の展覧会のメインの部分の展示を見ていきたいと思います。聖母子を題材とした作品のオンパレードです。それらの作品をメインであるボッティチェリと比較しながら見ていくというのが、この展覧会の最大の醍醐味だったのではないかと思います。

偽ピエル・フランチェスコ・フィエレンティーノと、名前の前に偽という字が追加された可哀想な画家の『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』という作品です。同じ画家の同名の縦長の衝立のような作品が同時に展示されていますが、まるで、コピーのようにそっくりです。説明によれば、フッリッポ・リッピの作品をお手本にして、銀行家とか飛ぶ鳥を落とすような勢いで勃興してきた人々のために量産した作品の一つであると考えられます。そのせいと考えるのは、こじつけでしょうか。輪郭線をはっきりと引いて、人物のポーズはパターン化が進んでいるように見えます。この画家の名前に偽の文字がついているのは本名が知られていない無名の、どちらかという工房の職人に近い人だったようです。多分、注文というのも、フィリッポ・リッピの作品が有名なので、“ああいうのを頼む”とか“あれがいい”とかいうもので、それだけでなくても、聖母子像の注文に対しても、有名な作品に倣ったものであれば顧客はたいがい満足してくれたのではないかと思います。ただし、製品の品質にはうるさかったでしょうから、絵画の素人でも品質が高いということが一目で分かるような細かな装飾を精緻に描き込んで、鮮やかな色を丁寧に塗って、金色でピカピカに光るような装飾を細かく入れていった。そのような描き方で、量産していくためには、デザインなどにこだわっていると効率が悪いので、ひたすら描画作業に集中できるようにパターン化され、描画を効率よくするために、輪郭線ははっきりさせる。そうしていくうちに、顔の造作なども固いくらいにくっきりとした輪郭がつくられていったのではないかと思います。というのも、この作品の聖母の顔を見ていると、とくに直線的な鼻筋とか眉毛の線をみていると仏像の顔に似ていると思えてくるのです。中世のイコンの影響も残っているのかもしれませんが、聖母の顔は、人間らしい柔らかな顔というよりは、ふくよかではありますが、仏像の超越的な固めの顔に似ている。その固さがあるがゆえに、金ぴかの装飾が描き足されていますが、全体として禁欲的な、祈りの対象となる凛々しさは感じられるようになっていると思います。そのいみでも、銀行家の室内に飾られ、装飾でもあるのでしょうか、祈りの対象としての機能も果たすことのできるものとなっていたのではないかと思います。そのためにも聖母をはじめキリストもヨハネもリアルな人間というよりは、パターン化されることにより、個別の誰と特定できない人一般の抽象されたものとして、理想化されたような結果となり、そこに見る人は神々しさを見ることができたと思います。

Bottibot次のフランチェスコ・ボッティチーニの『幼子イエスを礼拝する聖母』を見てみましょう。上の作品とシチュエーションはほとんど同じで、聖母の着ている衣装も、ほとんど同じです。しかし、印象は全く異なります。例えば、聖母の顔が、上の作品と違って丸みを帯びた柔らかな線になっています。彼女の顔に仏像の貌を想わせる風情はありません。彼女の身体についてもかすかな胸のふくらみも感じさせ、人間の女性の身体として描かれていることがわかります。そして、彼女の顔にもどると、そこにはパターン化された顔ではなく、明らかに人の個性が描き込まれ、生身の女性であることが想像できるようになっています。しかし、幼子キリストの描き方は、両者をくらべても大きな違いは見られません。それゆえ、この作品では聖母の描き方には人間的な存在感が表われてるものの、作品全体としては貫徹されてはいません。その、聖母の印象だけで、作品全体の印象は大きく変わってしまいましたが。その大きな違いは、聖母が超越的な祈る対象としてのものから、生身の人間でもあると見えることで、親しみを持つことができることです。このことにより、彼女に見る者は感情移入することが可能となります。超越的な神には、人は畏れ、敬いますが、共感することはありません。上の作品の聖母は、まさにそのようなものではないでしょうか。しかし、こちらのマリアは聖母であると同時に、一人の母親と見えます。彼女の口元には、表情が、微笑んでいるように見えるのは、まさに子を慈しむ母親の表情を想像できるのです。このようなマリア像が、ダ=ヴィンチやラファエロたちのような画家によって人間的なものとして描かれていく、その流れの初めの位置に、この作品があるのではないかと、私にはみえます。それは、単に聖母像というだけでなく、近代的なリアルな人物画としてでも、このマリアを見ることができると思います。そう見ると、たいへん美しい女性像です。気品ある、穏やかな女性の姿は、ダ=ヴィンチの『モナ=リザ』にも連なっていくものではないかとも思えてくるのです。

Bottitwo_2両作品は、だいたい同じ年代に描かれたもので、同時代にまったく異なる方向性の作品が描かれていたことになるわけです。そして、この展覧会のメインである、ボッティチェリも同時代に活動し、同じ年代に彼が描いた聖母子像が、ここで展示されています。それを見て行きましょう。『聖母子と二人の天使』という作品です。この作品は、上の二作品と同じように人気画家の著名な作品を手本にして描かれたものです。上の二作品と比べて、特段の違いが見られるでしょうか。片やルネサンスの代表的画家として美術史を飾るビックネームであるのに対して、もう一方は無名に近い職人のような人たちです。この『聖母子と二人の天使』がボッティチェリの作品の中でも凡作ということなら、それでもいいのですが、この美術展で展示されているボッティチェリの作品と比べてみても、それほど劣った作品にも見えない。ということは、私の目が節穴なのだということなのでしょうけれど、ボッティチェリという画家の何が突出しているのか、同時代の画家たちと比べてもはっきりしません。むしろ、同時代の画家のグループの中に埋もれてしまう同質性の高いということ方が、よく分かります。今回の展覧会の収穫は、実は、ボッティチェリの同時代の画家の作品たちと比べてみて、彼の作品が突出して下手でないということが分かったことなのです。

Bottivenusちょっと脱線しますが、この展覧会で展示されていた『ヴィーナス』を見てみましょう。ボッティチェリの最も有名な作品『ヴィーナスの誕生』の中から愛の女神ヴィーナスの姿のみを取り出したものということです。このように背景も何もないところで、人体表現としてだけで描かれたヴィーナスの姿を見ると、ヘンなところを目のあたりにすることができます。“ポーズこそ「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる古代美術の定型に基づいているものの、解剖学的に厳密な身体表現を損なってまで優先させた輪郭線の美しさが黒い背地のおかげで際立つことになり、古代美術をよすがとするポーズは「恥じらい」という本来の意味を示すのではなく、女神の理想的な姿形を強調するものに変容している。”という説明は苦しい弁解に聞こえてしまいます。例えば顔と身体の取って繋げたようなちぐはぐさは、かつてフォトショップを使うことではやったアイドルの顔写真をヌード写真につなげるアイコラと呼ばれる細工を想わせます。顔の大きさは身体に比べて異常なほど小さいし、傾いた角度は、ありえないほど不自然です。私には、こんな角度に顔がかしげていると女神ではなく、ゾンビに見えてしまいます。また、足首に目を向ければ、あらぬ方向にひん曲がり、捻っているように見えます。これもゾンビです。こんなことをして、はたして優美に見えるのでしょうか。私には、このような不自然に身体の描き方は、意図的というよりは、ボッティチェリという人は基本的なデッサン力に欠陥があるためではないか、としか思えません。だから、このヴィーナスを見ていても、理想の女神の姿などというものは微塵も感じられず、失笑を禁じえないのです。

話しを『聖母子と二人の天使』に戻しましょう。『ヴィーナス』とは違って、手本を基にパターン化されている聖母子像であれば、ボッティチェリの造形的な欠陥を露にすることなく、他の画家と並んで遜色なく見ることのできるレベルになっていると言えるのです。私の場合は、このようなボッティチェリの作品を見て、ようやく、彼を画家として見る対象に入ってきた認識することができました。ネルサンスの大画家に対して、勝手なことを言い放題です。美術を知らない人間の主観的な戯言と思って下さい。さて、それではボッティチェリは、下手ではないにしても、無名の職人のような、いわば美術史上の凡庸な画家たちと同レベルなのかということになります。このような人たちとボッティチェリとを分かつものは何なのかということです。私としては、ボッティチェリは凡庸でもかまわないと思いますが、敢えて、上の二つの作品と違っているところを探すと、色彩の扱いではないかと思います。第1章の『ケルビムを伴う聖母子』のところでも述べたように肌色です。この作品が制作されたのは1470年ころと説明されていますから、もう500年以上前のことで、その長い間に汚れ、色褪せているはずですが、現物を見ていると、他の画家との色の違いは分かります。(ただし、画像では区別がつきません)もし、これが描かれて間もない、絵の具の鮮やかな色合いが残っているのであれば、その違いは際立っていたのではないかと思います。また、上の二つの作品がテンペラ画であるのに対して、ボッティチェリの作品は油彩の手も加えられています。ちょうどこの時期は、画家の使う絵の具についても技術革新があって、新たに油彩画という手法が台頭してきて、テンペラの鮮やかさに対して、立体的な陰影や触感のようなものを微妙なグラデーションで表現できる油絵の具が取って替わろうとする時期にあって、ボッティチェリは油絵の具の特性を生かして、人間を表現する基本色である肌色を陰影豊かに使う手法をいちはやく確立し、縦横に大胆に使っていたのではないかと思います。聖母の顔を二つの作品と比べてもらうと分かると思いますが、肌色の違いだけ出なくて、顔の凸凹に対する陰影のつけ方や、その陰影のグラデーションが明らかに違います。ボッティチェリの方が、顔の複雑な凹凸や滑らかで柔らかな筋肉による凹凸が精緻に表わされていて、顔が立体的な肉体として表われてきています。偽ピエル・フランチェスコ・フィエレンティーノの聖母は、たしかに陰影があり、立体にはなっていますが、単に立体というだけで全体に硬くて、彫像のようです。また、フランチェスコ・ボッティチーニの聖母は柔らか味はありますが、彫が浅く平面的です。ボッティチェリの場合には、画面の構成とか造形は手本をなぞっていますが、色の遣い方で立体的な肉体を表現していると言えるのです。多分、ボッティチェリの最大の魅力は、ここにあるのではないかと私は思います。そして、ボッティチェリという画家のものの見方も、造形とか形態といったものよりも、色彩そのベースとなる光の当たり方で見ていたのではないかと思われるのです。それは、遠く時代を隔てた19世紀の印象派の見方に繋がっていくように思えます。もとより、印象派は、私には鬼門というほど苦手な画家たちです。

Bottikairo『開廊の聖母』という油彩の作品を見ると、そういう色遣いと陰影をはっきり見て取ることができます。聖母の顔は、これまで見てきた聖母像と明らかに違います。陰影の精細さと、その精細さゆえのグラデーションの滑らかさは、これまで見てきた作品に比べて、ワンランクのレベルの差があるように見えます。それほど、この画面での聖母の顔は立体的で柔らかな肌の顔に見えます。この作品のマリアの顔は、展示されている作品の中でも突出しているように、私には見えます。ダ=ヴィンチやラファエロといった大家たちも、この顔に倣うところが大きかったのではないか。それほど、この顔の部分に限ってはリアルさを見る者に印象させます。しかし、ダ=ヴィンチのように顔を骨格から分析して、立体的な形態を絵画の平面に投射して、人が二つの眼球というレンズを網膜に映して立体を認識するのに倣うように、顔を描き、立体に光を当てると影が生じることを、顔の形状から計算するように、いわば、顔の形状の描写とタイアップするように陰影をつけていっていると思われる。だから、ダ=ヴィンチにより描かれた顔には、その皮膚の下に骨や筋肉が透けるようなところがあるのに対して、この作品で描かれた顔は、徹頭徹尾表面的であるように見えます。前にも書きましたように、ボッティチェリの見るのは形状より色彩ではないか、というのが私の、いわば仮説です。つまり、の作品で描かれている顔は、光と影が、目の前で映っている対比的な映像なのです。たとえ、それが顔の立体性を想わせるにしても、それは目的ではなくて、結果ということです。ボッティチェリの場合の影は、顔の立体性を間接的に表わすものというよりは、それ自体の陰影の対比とかグラデーションが描く対象になっていたと思えるのです。ボッティチェリの場合には、見えているものは立体で、実は立体の向こう側があって、それはこちらからは見えないので描くことはできない、ということはどうでもよくて、とにかく、見えているものを、しかもその表面の色彩というより色彩を映す光を写すことが見て描くということだったのではないか、と思えます。というのも、この作品で、聖母の顔だけが突出しているのです。それは、画面全体のバランスを欠くことになっています。そして、画面全体としてみれば、影の陰影は画面構成の設計には反映しておらず、画面は全体として平面的です。人物の背景では、陰影の精度は聖母に比べて、かなり大雑把です。また、聖母の描き方を見ても、顔は精緻に描かれていますが、その顔が聖母の身体全体の中で、描き方が突出してしまって浮いているようです。

Bottijutai3_2大作『受胎告知』を見てみましょう。2.5×5.mの大壁画で、フレスコ技法で描かれているということです。こんな大きなものを、しかも壁画を、はるか日本まで運んでくるのは大変だったろうな、と変なところで感心しましたが、間違いなく、この展覧会の目玉ということになるでしょう。ただ、そういう労力を考えず、純粋に、私の目に映った作品としてみるならば、どうでしょう。大作の壁画でフレスコ技法で描かれたせいもあるのでしょうが、『開廊の聖母』の聖母の顔にあった精細さは微塵も感じられません。壁画ということで、汚れが付着したり、絵の具が色褪せたり、剥落したりしたのでしょう。きっと制作された当時は、もっと色鮮やかで、光り輝くようであったと思います。そこに、ボッティチェリの表象的な傾向が、適合していたと思います。いわば、銭湯の壁にペンキで描かれた富士山と同じようなものです。表面的で、見る者には、すぐにそれと分かる。しかも色鮮やかで、いかにも見栄えがする。たとえば、天使とマリアはアニメのキャラクターのように単純な図案化され、色の鮮やかさがひきたつように塗り絵のようにべた塗りのようになっています。例えば、同じボッティチェリの前に見た円形の小品では天使ミカエルと聖母の間で、天使は聖母を見つめるのに対して聖母は俯いて視線を受けていない、という視線のドラマがありました。しかし、この大作では、両者の視線を追うことはできず、そもそも視線が設定されていないようなかんじで、それぞれが、それぞれのポーズをカッコよくキメているようにしか見えません。壁画として、不特定多数の人たちが、眺めるというのであれば、そっち方が見やすいし、この壁画作品全体は、そのようなほうが見ていて疲れません。壁画で見る者にある程度の注意の集中を求めるのは、目的に適うものではないでしょう。

これは私の無責任な仮説、あるいは妄想です。ボッティチェリという人は、上で述べたように、表象的なものごとの捉え方をし、しかも、というか、それゆえに例えば、物体の形状を、見えない部分も含めて総合的に把握した上で描こうという画家ではなくて、眼に映っている表面の、その映している光の作用を描こうとした、それは実際には、光が眼に映る色彩の分布ということになるでしょう。だから、彼が描いた画面というのは、二次元の上に、色が塗られた部分が配置され、それを見たものが形状を結果として認識するというものだったと思います。そして、その画風でも光の移ろいや陰影を精緻に追いかけて、結果として表象を精細に再現させる方向を追求していくこともできたはずです。その部分的な達成が、『開廊の聖母』の聖母の顔です。これを極限まで突き進めれば、ダ=ヴィンチのような解剖学的な分析のような形状を極限まで追求した描写とは、別の方向の極限の表現が可能だったかもしれません。ダ=ヴィンチの描写はどちらかというと求心的な方向であったのに対して、ボッティチェリの可能性は遠心的たりえたと思うのです。しかし、ボッティチェリに対して、周囲の求めたのは、彼の表象的で、色彩の塗りに長けた特徴を、表面の広がり重視、つまりは深さを求めない、パッと見でわかりやすい、そして装飾を加えやすい、一方で、色彩に長けているのを鮮やかで見栄えのする効果を求める、そういう方向に求めたのではないか。ボッティチェリ自身も、注文があれば、そうするし、そのほうが儲かるでしょうから。さらに言えば、ボッティチェリの注文主たちも、そういう表面的な作風であったからこそ、古代ギリシャのエキゾチックな題材を、自分たちの受け入れられる尺度を計るのに都合がよかったのかもしれません。仮に、『ヴィーナスの誕生』をダ=ヴィンチやミケランジェロが描いたとしたら、もっとリアルで深刻なものになって、物議を起こす危険性は高かったかもしれません。その意味で、この大作『受胎告知』はボッティチェリの限界を予想させるものかもしれないと思います。

2015年7月11日 (土)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(4)~第3章 富めるフィレンツェ

Bottimaria2_3この展覧会の企画の進め方、展示の方法論は、よく分かりません。フィレンツェが経済発展によって豊かになっていくのと、美術作品との関連性を明らかにするという意図ではないかと思うのですが、前章の展示は対外への市場開拓がすすむという方向性ですが、それが具体的に美術作品の傾向にどのように反映しているかということは、全く分かりませんでした。また、この章では、前章の市場開拓があった結果としてフィレンツェが富み栄えたということであれば、時系列が、前章の後になるはずで、展示される美術作品もそのような時系列に従うはずですが、そうでもありません。なにか、恣意的に展示がされているようです。いい加減、と私には思えます。こんなことをするならば、むしろ、各絵画作品を制作年代順に並べてくれたほうが、混乱しなくていいと思います。

さて、ここでの展示で見たいのは、フラ・アンジェリコの作品です。美術史の教科書の記述や、この展覧会の説明でもボッティチェリはアンジェリコの後任としてメディチ家の後援を受けるようになったということがあったことから、前時代の人というイメージを持っていました。しかし、実際の作品を見ると、アンジェリコの作品の方が、ボッティチェリの作品に比べ、親しみやすい、言うなれば近代的な感性が見えてくるように思えました。ほんとに小さな作品がわずか2点しかありませんが。

『聖母マリアの埋葬』という細長い作品。小さな作品ですが精緻に描き込まれています。シンプルな構成で、中心に横たわる聖母マリアの左右に会葬者が横並びになって、それぞれの表情がみえるというものです。そのために横長の板に描かれているのでしょうか。しかし、その単純な画面でも、視点がはっきりしていて、それは神のような超越的なものではなく、分散した複眼的なものでもなく、人がそこに立って見ているような、一点からの視界として描かれています。具体的に言えば、真ん中のマリアを中心に、そこに消失点を設定した遠近法という構成です。つまり、この画面は平面ではなくて、空間が設定されているということです。そういう空間にいるからこそ、居並んだ人々の様々な表情がリアルに見えてきて、そのどれかに感情移入することも可能になってくるのです。中心から向かって右側の、手を合わさずに横を向いている男性や、その右隣の手を合わせてはいるものの、あらぬ方向を見上げている男性といった描き分けは、微笑ましさを誘います。ベタベタ貼り付けられた金箔は視線を遮るようで邪魔ですが、それをないものとして画面を見ていくと、聖母の葬式の厳かさだけでなく、葬儀に参列する人々が生き生きと描かれているのが分かります。

Bottimaria1_4『聖母マリアの結婚』という作品は、上記の『聖母マリアの埋葬』と対のように展示されていました。作品のサイズも同じで、画面構成も同じようなものです。こちらは、背後に建物があって、定規で線引きした図面のようなところはありますが、しっかり建物としての重量感があり、空間に存在しています。その意味では、前章でボッティチェリとダ=ヴィンチを比較しましたが、アンジェリコはダ=ヴィンチの側にいる画家であることが、はっきりと分かります。その中で、明るい色遣いが生きてくる。ボッティチェリのように色彩が浮いていないで、画面の中に納まっています。列席している人々は、埋葬の時とは違って、おめでたい席でもあることから、表情のバリエーションが豊かです。そこに、ボッティチェリにないヒューマニスティックとでも言ってもいいような、存在感のある人々が描き分けられています。

アンジェリコの作品というと、教科書などで『受胎告知』を目にしたことがありましたが、それ以外の作品は、初めてみたような気がします。

 

2015年7月 9日 (木)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(3)~第2章 旅と交易 拡大する世界

Bottimonatoこのタイトルについても、海外交易によってフィレンツェ商人の商売が拡大していったことは説明されています。それで、フィレンツェが豊かになったのは分かりますが、そこで展示されている作品との関連性が分かりませんでした。企画の方向性としては興味を持たせるのでしょうけれど、掘り下げがなくて、この章のタイトルにしても、説明にしても、絵画作品以外の展示にしても、刺身のつまほどの意味もないもので、単なるスペースの余白埋め、そんなものなら、最初から展示しないで、余白をゆったりしてくれた方がありがたいし、その余計な展示の費用がなければ、もっと入場料を下げられたのに、と恨めしく思うものでした。

Bottikelとにかく、私はボッティチェリの作品をフィレンツェの同時代の画家たちと並べて見ることのほうが、ここでは実質的な興味を持てると思います。ゴシック建築のマエストロというのは通称で、名前不詳の画家の作品ということでしょう『港の聖母子と洗礼者聖ヨハネ』という作品です。制作された年代は、前回に見たボッティチェリの『ケルビムを伴う聖母子』とほぼ同じ頃で、同じテンペラということもあって、作者はボッティチェリに近いところにいたのか、キリストの顔はよく似ています。横顔で俯きがちに視線を落とすマリアの顔は、この後で見るボッティチェリの描くものによく似ています。マリアの被っている薄いヴェールも、よく見れば、『ケルビムを伴う聖母子』でマリアが被っているに似ています。敢えて、違いを探すとすれば、マリアやキリストの肌の瑞々しさとか柔らかさの色合いの違いです。このように似た作品と比べると、ボッティチェリの個性が見つけられます。そして、今まで、ボッティチェリの際立った特徴と思っていた、中世の名残のような人形のような人の身体の描き方とか、リアルな人体だったら絶対にとれないような無理なポーズとか、敢えて人体バランスを崩すような画面に無理に合わせた形態とかいったことは、実は、同時代の画家には、それほど特異なことではなかったことが分かります。フィレンツェ・ルネサンスという、ダ=ヴィンチとかフラ=アンジェリコといった画家たちが美術の教科書や案内書に出てきますが、そういった人たちと比べるとボッティチェリの作品というのは、さきにあげたような不自然さが目だって、私の場合には、彼らに比べて古臭いへたくそに見えていました。今でも、その認識は変わっているわけではありませんが、この『港の聖母子と洗礼者聖ヨハネ』を見ていると、ボッティチェリの不自然な画風というのはボッティチェリの特異さが突出したものではなくて、同時代の或る傾向の作品が描かれるなかで、ボッティチェリが代表としてでてきて、後世は彼の周辺の凡庸な画家たちが歴史の陰に消えていったのに対して、ボッティチェリだけが残ったので、ボッティチェリだけが突出しているように後世には映ってしまったということになったのが分かりました。そう考えれば、むしろ、ダ=ヴィンチとかフラ=アンジェリコといった人々の方が、当時としては突出していたのではないかと思えるようになりました。

Bottijutai1ボッティチェリの『受胎告知』という板に油彩で描かれた直径80cmの、それほど大きくない作品です。画家晩年の亡くなる5年ほど前の作品ですが、妊娠を告げる大天使ミカエルと聖母マリアのポーズはダ=ヴィンチの有名な『受胎告知』とそっくりです。背景の舞台は違いますが、それにしても二人の作品はまったく印象が異なります。『受胎告知』はダ=ヴィンチの作品の中でも、比較的演劇の舞台装置のような不自然な作為が目立つ作品ですが、ボッティチェリのほうは、それ以上に舞台の書き割りのような印象です。ボッティチェリの作品は、先ほどの説明にもあったように晩年の作品で、壮年時の装飾的な要素が取り除かれた簡素な描き方になっているので、なおさら画面のつくりがダ=ヴィンチと異なっていることが分かります。つまり、ボッティチェリの中でもダ=ヴィンチ的な作品と、ダ=ヴィンチの中でもボッティチェリ的な作品になっているのを、比べると、これだけ異なっているということなのです。両者の大きな違いは、ダ=ヴィンチが二次元の平面の画面に立体的な空間を表わそうとしている、つまり、平面的な画面という限界を意識している、つまり現状に対する懐疑があって、それを突破しようとする志向性があるのに対して、ボッティチェリは平面的な画面のなかで風景や人物を書き割りとして効率的にレイアウトすることに心を傾けている、つまり、平面的な画面を当然のこととして、それを前提にものを見たり、描くことをしようとしている。そういう点です。だから、ダ=ヴィンチの作品では、ひとつの空間があって、そこに天使と聖母がたしかに存在しているということが分かります。これに対して、ボッティチェリの作品では、背景は書き割りで、デザインのようなもので、画面に天使と聖母が単に描かれている、そういう図案があるというように見えます。それは、二Bottijutai2人の色彩というものの使い方の違いにもよく表われています。ダ=ヴィンチの場合は、空間という世界やその中に存在する事物や天使や聖母の存在を表わすためのもので、それぞれの事物の存在感を見る者に感得させる実在感、リアルさを表わすものです。これに対して、ボッティチェリの方では、悪く言えば塗り絵のような図案のような画面に明るくて鮮やかな色彩が見る者に映えるように考慮して塗られている。ダ=ヴィンチでは色彩が画面の存在感を補助する道具であるのに対して、ボッティチェリの方では色彩は主役のようにフロントにでて自由に振舞っています。多少大げさかもしれませんが、この違いには世界観の違いが現れているように思えます。物事の存在の本質をイデアという言葉で表わすギリシャ以来の伝統では、例えばプラトンがイデアを説明する時に、椅子というのは様々な椅子があるが、職人が椅子を作ろうとするときには、椅子とはこのようなものがという本質的なイメージがあって、それを時と場合に応じてアレンジして個々の椅子を作るというように説明します。つまり、椅子のイデアというのは職人の頭の中にある椅子の設計図なのです。椅子とはこのようなかたち、形態をしているというのがイデアなのです。これはプラトンのあとを継いだアリストテレスがものの本質を形相にあるといったことにも共通します。アリストテレスによれば、ものの本質は形相にあり、そりに付随するものの性質のなかに重量とか色彩が含まれています。ここでのダ=ヴィンチの作品は、そのような伝統に則って、空間のつくり(構造)の外形をとらえ、それを表わそうとしたものと言えます。天使や聖母を空間の中に配置させ、空間の中の存在という形相、形態を忠実に描こうとしているわけで、色彩はそれに付随する性質として道具のように使われています。ダ=ヴィンチは、そのような意味で形態を突き詰めていった画家ということができます。これに対して、ボッティチェリは形態が第一にはなっていなくて、色彩が前面に出てきています。つまり、形相をものの本質とみる伝統的な本質論とは異なる考えにあるということが言えると思います。だからこそ、形態にこだわって、リアルな形態に拘束されることなく、私などから見れば不自然でリアルでない人体ポーズなども平気でとることができた。これは、或る意味では、日本の浮世絵にも通じるものです。実際、形態よりも色彩を重んじるような画家は、ボッティチェリ以降には、ほとんど表われない空白ともいえる長い期間を経て、浮世絵の影響を受けて近代画家のなかに、リアルな形態にとらわれず、色彩で描く人たち、例えばフォービズムとか。ボッティチェリは、そのような傾向に長いときを隔てて繋がっていると考えられるかもしれません。ダ=ヴィンチの作品に比べれば、ボッティチェリは軽妙で明るく、鮮やかです。しかし、重量感とかリアルさに欠け、どこか深みの足りない印象を受けます。それは、私が形態を本質とみるような伝統に縛られているからかもしれません。実際に、二人の作品の聖母を見ていると同じ色合いで同じようなデザインの衣装を着ているにもかかわらず、印象は全く異なります。ボッティチェリの色彩は衣装の色という枠を超えて、明るい色の鮮やかさが目に入ります。このような目で、この後の展示を見ていくと、私にもボッティチェリの作品を見えるものとして現れてくるようになります。

Bottirafaフランチェスコ・ボッティチーニの『大天使ラファエルとトビアス』という作品です。先ほどのボッティチェリの『受胎告知』の背景の左端に二人の人物が描かれていますが、それと同じ題材です。この作品も、ボッティチェリの作品とよく似たつくりをしています。とくにこの作品を見ていて分かるのは、二人の人物の立体感を影で表わしていますが、それは、見方を変えれば、色彩の変化として表現しているようにも見えてくるということです。それは、画面全体に空間があるようには描かれていないと言うことです。それを、ダ=ヴィンチのような巨匠で出現までの過渡的なものとみるか、ダ=ヴィンチという革命家の出現によって、多くいたこのような人々が消えていったと見るかは、後世の見方によるものではないかと思います。美術史(歴史)というものは、多かれ少なかれ、そういうものが慥かにあるものです。

2015年7月 8日 (水)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(2)~第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ─繁栄する金融業と商業

Bottikel『ケルビムを伴う聖母子』という作品です。ボッティチェリの作品であることが19世紀になって判明したということで、なんとなく分かるような気がします。この後で見るボッティチェリの作品に比べて、彼の特徴的な不自然さが目立たないと言えます。たとえば、関節がありえないほど無理した姿勢とか、半開きの空ろな目をした痴呆のような顔(男性向け雑誌のグラビア写真で水着を着た女性が見せている、媚態とも無防備とも痴呆ともとれる顔つきによく似ている)とかいった要素が、あまり見られないし、色遣いも落ち着いたものだったので、変に引っかからずに作品に正対できるものでした。このような作品であれば、中世のイコンの形式に縛られながらも、ルネサンス絵画のような人間的なリアルが少しずつ浸透しつつあったルネサンス前夜の祭壇画として、あまり違和感なく見ることができます。例えば、この後のコーナーで展示されている偽ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノの『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』と並べてみても、『ケルビムを伴う聖母子』が変わっているとは見えないでしょう。

Bottifioさて、この『ケルビムを伴う聖母子』の聖母は、後のコーナーの展示作品『聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ』の聖母と同じ人物がモデルになっているように見えるほどよく似ているのですが、ボッティチェリの描く女性の中では珍しい丸顔で、多少童顔のようでもあります。それが下方の幼いキリストに向いているように目を伏せているのが、表情をうまく隠しています。それは、ボッティチェリの描く女性の顔は表情が痴呆のようだったり、人形のようにこわばってしてしまうのですが、ここでは結果的にそのような弊害を免れています。そして、それゆえに、この作品では、聖母の頬に心持ち帯びている朱の控えめな色合いと、肌の柔らかく、瑞々しい色が感覚に訴えてきます。抱かれたキリストの顔は見たくありませんが(正直言って、不気味です。性格悪そう。)、その肌の色が嬰児という言葉のイメージにぴったりの柔らかく無垢な印象で、聖母も同じ色調であることから、聖母の無垢で純粋さが肌の色調からイメージされるほどに、この肌色は印象的です。現在のところ、私がボッティチェリの作品を見ることがあるとしたら、この肌色を見るだろうし、これ以外に見るべきものがみつからないです。私には、ボッティチェリがフィレンチェの他の画家に比べて抜きん出ていたとはっきり言えるのは、この肌色です。

Bottijohn_2この肌色は、後年のボッティチェリの作品では、徐々に鮮やかさを増していきますが、それに反比例するように柔らかい感触や瑞々しさが失われていきます。このことに、気づくとボッティチェリという画家は、キリスト教とか新プラトン主義とかサヴォナローラの敬虔主義とかの様々な理念の盛衰と関係づけて知的な面から解説されることの多い画家ですが、実は、考える人というよりは、直截的な感覚の人だったのではないかと思ったりします。だから、自身の工房での職人たちに対するマネジメントは上手ではなくて、ここで展示されている工房の作品の品質にムラがあるのは、そういうことが原因しているのではないか、と思えてきます。

2015年7月 7日 (火)

ボッティチェリとルネサンス─フィレンツェの富と美(1)

2015年4月 BUNKAMURAザ・ミュージアム

Bottipos急遽、この日の夕方、都心で個人的な用事で人と会う約束となったので、午後を半休にした。約束までの時間の合い間、一番手近なところということで、思い当たったのが、渋谷BUNKAMURA、駅から美術館までの道のりは、とても美術館に行く風情はなくて、好きではないが、寄って見ることにした。上野あたりの美術館とは違って教科書の泰西名画を新聞社や放送局のタイアップで本邦お目見えなどという性格ではなく、だいたいが、おシャレでスノッブな展覧会の傾向があるようで、上野あたりとは客層が異なって、順番待ちのような込み合うことがないのが普通だった。しかし、さすがにフィレンツェ・ルネサンスの著名画家、ボッティチェリの作品が多数やってくるというであれば、いつもと違った客筋(平均年齢が上がったのではないか)で館内はいつもより人が多い。

さて、展覧会タイトルから企画展として考えられているようなので、主催者のあいさつを引用します。“15世紀、花の都フィレンツェではメディチ家をはじめ銀行家の支援を受け、芸術家が数々の傑作を生み出していきました。三泥・ボッティチェリ(1445~1510年)の美に代表されるフィレンツェのルネサンスは、フィレンツェ金融業の繁栄が生み出した文化遺産といえます。しかし15世紀末、金融業の衰退とともにメディチ家が凋落するとフィレンツェの政治は混乱し、ルネサンスの中心地はローマへ移ります。人気画家だったボッティチェリも、動乱のなかで忘れ去られました。本展では、ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配しルネサンスの原動力となった金融業の繁栄と近代に通じるメセナ活動の誕生を、フィレンツェの趨勢と運命をともにしたボッティチェリ作品に加え、絵画、彫刻、工芸、資料によって浮彫りにします。”なんとも中途半端で生ぬるい内容でしょう。何を、どのように見せようとしているのか、全く書かれていないので、抽象的なお題目の範疇を一歩も出ていません。実際に展示を見た印象では、当時の金貨とか、それらしいものが陳列されていましたが、それがテーマと何の関係があるのか、お金だから経済に関係するとかいうことでしか思えませんでした。ボッティチェリで展覧会をやりたいけれど、そんなにたくさん集めることはできない、そこで空隙を埋めるためにということで考えた(でっち上げた)程度にしか思えませんでした。私の独断かもしれませんが、私は、ボッティチェリその他の絵画以外の展示は、全く惹かれるものがなく素通りでした。それなら、協賛のイタリア大使館のメッセージで“ボッティチェリの芸術家としての変遷は、金銭、権力、美、そして宗教的感情が入り乱れて変化していったその生涯を象徴するものです。”という一言のほうが、どれほど見ようという気をそそるものであることか。

ということで、15世紀フィレンツェのボッティチェリとその周辺の絵画を見てきた感想を書いていきたいと思います。とはいうものの、私にとってボッティチェリは苦手な画家です。そのことは、以前にウフィツィ美術館展のところでも書きました。そういえば、ウフィツィ美術館展もタイトルに嘘があるような、眉に唾をつけたくなるような展覧会でした。それは、ボッティチェリに独特と思える不自然にひんまがったような人体のわざとらしさなのです。リアルではないし、後世のマニエリスムのような作者の何らかの意図(無意識なものも含めて)も見えてこない、ルネサンス以前のようなパターンに縛られているわけでもない。つまり、何で、わざわざこんな風に描くのか意味がわからないのです。こんなことを言うと、芸術は分かるものではなく、虚心に感じるものだという説教が聞こえてきそうですが、感覚するということは、そこにそれが美しいとか心地よいとかがあると認識しているから感じることができるので、ボッティチェリの作品にはそれを認識することができない、もっというと観賞の対象となるような美術作品としてみることができない、ということです。

そんな私が、どうしてボッティチェリの展覧会などにわざわざ出向いたのか(ついでに寄ったのですが)、という疑問は当然上がるともいます。入場料だって無料ではないのですから。そのことは、措いておくことにしますが、今回の展示を見て、ボッティチェリ独自と私が思っていた、あの不自然さは当時の彼の周囲では、とりたてて特異なものではなくて、そうものだったということが想像できました。その中で、ボッティチェリは突き詰めて行った挙句が、あのようなものとなっていったのが、ボッティチーニとかフィレンティーノといった画家たちの作品をみていて分かりました。そしてまた、そのような画家と比べて、ボッティチェリが有無を言わせず際立っていたのが、聖母マリアや幼児のキリストの肌の色遣いでした。仮に、ボッティチェリと当時の画家たちに、同じテキストの塗り絵で競わせたら、肌色に関してはボッティチェリが突出するのではないか。そこで、私にとって、ボッティチェリの作品を感じるための足掛かりが掴めたような気がしました。とはいっても、好きな作品にはとうていなれないと思います。

展示は次のような章立てでした。

序章 富の源泉 フィオリーノ金貨

第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ─繁栄する金融業と商業

第2章 旅と交易 拡大する世界

第3章 富めるフィレンツェ

第4章 フィレンツェにおける愛と結婚

第5章 銀行家と芸術家

第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容

それでは、これから上記の章立てに沿って具体的に作品を見ていきたいと思います。ただし、序章はつまらないので通過します。

2015年7月 6日 (月)

山内史朗「天使の記号学」(26)

第7章 「私」というハビトゥス

「私」ということのリアリティのなさ、この出発点に戻ろう。「透明な存在であり続けるボク」という言葉を残した少年たちが、他者や世界の暴力的な破壊、自己破壊に帰着するしかない暴力的破壊に及びながら、背後にリアリティの欠如を抱えていたことは、偶々のことにすぎないのだろうか。もしかすると、リアリティの欠落に駆り立てられて、天使が墜落する刹那に味わう、激しく、熱い時間を求めたためだったのではないか。

透明であること、純粋であることは、無垢・イノセントの象徴として捉えられてきた。もし純粋なままに生まれ、純粋に生き、死の穢れ帯びぬまま純粋に死ぬことが、人間の理想であるとすると、人間とはこの世に存在しない方がよかったのかもしれない。近代以降、死体や汚物が人目から遠ざけられるようになり、しかもタブーの領域は幾重にも及ぶ外装によって蔽われるようになってしまった。文明化・近代化とはそういうものなのだろう。思惟の主体としての近代的意識概念は、そういった時代を背景にして生まれてきた。例えば、近世以降に強まっていく脱呪術化の過程は非科学的、非合理的思考を除去してきた。そういった流れと、身体を持たない、純粋な意識形態としての超越論的統覚に至る流れは、私には無関係には思われない。その延長線上に、現代に瀰漫するリアリティの空白があるのか、よく分からないが、少なくとも作業仮説として考える者がいてもかまわないだろう。その際、近世が中世という歴史空間を捏造し、仮想的な負の空間を背景にして己の姿を浮かび上がらせたように、「近代」という負の空間を作り上げ、その裏返しとしてのポストモダンを僭称することは、あまり好ましい方法とは思えない。先行する時代と後続する時代との間には、非連続性より連続性の方が多く見出せるのが常だからだ。連続性を閑却して、後の時代が直前の時代を批判するのは、「遅れてきた者」の優位さに安住した、ドミノ式時代批判になりかねない。

リアリティの空白は現代に限ったことではない。そんなリアリティの欠如を曲りなりにも埋め合わせ、リアリティをどう捉えるべきか教えてくれたのは、皮肉なことに、西洋中世のスコラ哲学だった。しかし、スコラ哲学のテキストは、言葉と概念の洪水なのに、そして、論証の形式に則った明確な形式に収まりながら、最後まで語りきらず、途中で終わってしまったように感じられることも少なくない。一面において寡黙でありながら、言葉の量の面では、辟易するばかりの言葉と概念の過剰な様を見ると、彼らは、言葉では届かないことに心を向けながら、届かないことを知っていたから言葉のうえに言葉を重ねていたのか、それとも、何も気付かないまま語り続けたのかと考えずにはいられない。言葉では届かないとすると、つい天使の言葉に憧れが起きてしまう。しかし、多弁と寡黙が両立するとはどういうことか。祈るとき、一茶新フランに聖典を誦するとき、それは多弁と呼べるだろうか。祈りの言葉は、発信者と受信者、伝達内容と伝達媒体でコミュニケーションを考える枠組みを越えているはずだ。そこから浮かび上がってきたのが、コミュニカビリティという概念だった。

このような概念を持ち出すのは、最初にあった渾然たるもの・不分明なものが<>を受け取って姿を現す過程に、リアリティがあって、そのリアリティを語るためには、<>に先立つ<かたち>の領野を語るしかない、と思われたからだ。<かたち>とは、<>を持たないが、<>を潜在的に含むものだ。もしそうでなければ、<>として現われることは、単なる偶然となろう。<>な先行するものが、非物体的な概念であって、その概念に、具体的な<>への適用可能性が備わっていなければ、特定の<>が現実にあることの理由は見失われる。事物の<>であれ、人間の<>であれ、思想の<>であれ、表すもの・ことが同じであれば、その<>はどれも同じだということにはなにない。<>にはそれぞれ個体性が備わっており、その個体性を単なる偶然とするのでは、芸術も思想も愛情も成立しないだろう。

<>にも様々ある。「私ということ」のリアリティに関わりのある<>は、現代人にとっては、欲望であったり、自己の身体へのイメージではないのか。欲望の<>の根底にハビトゥスがあり、肉体の<>のイメージとしての<身体イメージ>の根底に<身体図式>があり、結局、この<身体図式>もまた、ハビトゥスに至るのではないか。

そういった欲望、肉体、聖霊、コミュニケーションという、具体的な問題から、なぜ<存在>という最も抽象的なものに飛び移らなければならないのか、訝る人も少なくないだろう。<存在>とは最も豊饒なものだ、<存在>とは抽象的ではなく、最も身近な事柄だと述べても、すべての人がそう感じるわけではないだろう。近世以降、存在論や形而上学が形骸化してゆく様を見ていると、<存在>の豊饒性が中世から近世を介して現代にまで伝わったなどとは、なかなか考え難い。<存在>の豊饒さを受け入れないと、具体的な問題から抽象的な問題への移り行きは理解できないということだろうか。

近代的思考では、思惟主体─思惟作用─思惟対象という枠組みが強く見られる。近世的主体主義というものだ。そして、そこでは思惟の主体としての「私」が原点に置かれた。感覚や肉体への顧慮が欠けていたわけではないのに、上記の基本的枠組みの中には収まりにくい。ところが、中世的思考では別の枠組みが支配的だったのだ。そこには、肉体にしても感覚にしても、被限定項─限定項─限定態のいずれの項にも入り込む余地がある。「存在論の三項図式」は原点・始点を特有の領域に限定しているわけではないからだ。この「三項図式」を<存在>において考えれば、本質─存在・存在作用─存在者という枠組みが得られる。そこでは<本質自体>といった未規定的な次元が持ち出され、その次元をめぐって、<本質存在><共通本性><絶対的に捉えられた本性>といった諸概念が考案されたという経緯を垣間見た。最初に、現実化はしていないが、規定性を備えた次元として本質があるというのではなく未規定的なものが自己限定すると語るしかない事態がそこには見られる。実はこのことが、コミュニケーションの領域でも成立し、伝達されうるもの─伝達作用─伝達結果という図式を考え、「伝達されうるもの」を、<本質自体>と同じように、自己限定の始源にある状態として考えた場合に、「コミュニカビリティ」が得られるのである。

始源にあるものは、それ自体で取り出せば、いかなる述語であれAでもなく~Aでもないと語るしかないが、そういうものも、現実性に至り、具体的なものとなる。その現実性は、必ず何らかの<>をとることで実現する。私は、その<かたち><>に転じる場面が、存在と本質の問題においても、個体化の問題においても、扱われていたと思う。「形」になる前の「かたち」ということ、現実性の前にあるというより、現実性を準備し、生み出すものとしての「可能性」ということが問題なのだ。「可能性」とは、確かに、未だ現実化していないことであり、従って現実性の相において捉えれば、たかだか「…でないこと」になってしまう。現実化していないことが、リアルでないとすれば、世界とは陰影を持たない、平板な、分かりやすい空間であろう。しかし、現実化とは、「彼は生きていない」事態から「彼は生きている」事態への瞬時の変化でも、或る時点において「彼は生きている」という命題の真理値が偽から真へと変化するということでもないだろう。当然のことながら、事態の方は徐々に進展し、それを言葉で切り取った場合に「である/でない」という対立が現われるということなのだろう。すると、可能性とは現実化した途端、消滅するのではなく、現実化の働きの中でもとどまるものだ。言い換えれば、現時性は必ず幾ばくかの可能性を含んでいるし、可能性も、現実化し得ないものを除けば、必ず幾ばくかの現実性を含んでいるということになる。可能性は、現実性を準備し、しかも同時に支えている。

可能性が現実化への志向性であり、現実性が可能性を含んでいるとしたら、可能性が未来に投影されは場合、それは目的として映じることになる。目的論的記述には危ういところもあるが、現実に成立していることを記述さえすればいいというのでなければ、そういった記述も必要だろう。目的は、観察し、記述する能力を持った存在者がいるという条件が満たされている場合には、可能性にとどまりながらも、現実性に含まれているばかりでなく、現実性の表現の中に登場する。その場合には、最後に現われるものが、最初にあたかも原因であるかのごとく、いや多分実際に原因として存在する。

私には、目的論と欲望、最普遍者としての<存在>と個体、言葉と肉体といった問題が、からまった糸のように、一つのかたまりとなって与えられることが多いと思われる。当然のことながら、混乱した思索にならざるを得ない。とりわけ、<存在>への関心と、個体性への関心が同時に現われるとき、対応は簡単なことではない。だが、ドゥンス・スコトゥスが、<存在>の一義性と、<このもの性>に見られる個体性の重視を提唱しているのを見ると、手がかりがあるように思われたのである。やはりスコトゥスに見られる主意主義と実在論も、一つのシステムを形成しているとすれば、絡まり合った思索も解きほぐせるもしれないと感じたのである。その際、<存在>の豊饒性を思わずにはいられなかった。<存在>にエロティシズムがあるのは案外当然のことだろう。性的事象が扱われたのは、日本の民間信仰のせいばかりではなく、媒介のメカニズムに見出される。生物学的性には無縁でありながら、その性を依代として現われ出るしかない「性=本性」のことが語りたかったのである。

こういう存在論や形而上学のモデルを通して、リアリティの問題に踏み入った場合、リアリティは、被限定項─限定項─限定態─という三項図式においては限定項に現象するものであると考えている。

結局のところ、私は「私」とはハビトゥスであるということが表現したかったのだろう。「それをいっちゃあ、おしめいよ」で、事実を言っても仕方がない、いや言説の流通過程に流すべきではない。「私」は必ず具体的な姿で、形をもって存在するしかない。子供でも大人でも、女でも男でもない、健康でも病気でもない「私」というのは、現実には存在しない。「今・ここ」にいる「私」以外に「私」は存在するはずもない。

にもかかわらず、「今・ここ」に与えられているものがリアリティであのアクチュアリティであるということに満足できず、「なぜ今・ここにいるのか」と問いたくなるというのはどういうことか。なぜ「なぜ?」ということを問うのだろう。おそらく、「なぜ?」ということへの答えは、問いの向こう側にあるのではなく、問いの手前あるのだろう。ちょうど、「私とは何か?」という問いの答えが、問いの手前にあるように。そして、手前にあるものが<ハビトゥス>であって、問いの可能性の条件を構成しているのだ。<存在><存在>において<存在>に至るという、多くの人には愚かしい命題にしか見えないテーゼによって、私はそういうことが確認したかったのだろう。なぜ、こんな風に考える<ハビトゥス>を身につけてしまったのだろう。ここまで来ても、こういう困ったことを考えてしまうのだから、我ながら、私とはなかなか手に負えない<存在>である。

2015年7月 5日 (日)

山内史朗「天使の記号学」(25)

ここで分かったことは、<存在>の一義性において語られる<存在>は、コミュニカビリティの原型であることだ。

<存在>の一義性には、共約不可能性という論点と、コミュニカビリティという論点が含まれている。そして、<存在>の一義性のもとでは、<存在>は、コミュニカビリティの異名になると考えたいのである。天使の言葉にこだわったのは、天使の言葉への憧れの中で、何が忘却されるのかを明らかにするためだった。このコミュニカビリティは、コミュニケーションの単なる条件ではなく、不透明さを備えたものだ。その不透明さは、単に言葉の問題にだけではなく、<存在>の問題に登場する。その<存在>の不透明さは、<存在>の一義性に見て取ることができるものではないか、と言うのが出発点だった。その内実は、共約不可能性とコミュニカビリティが必ずしも矛盾対立するのではなく、相補的な関係にあると捉えることで示すことが出来るのではないか、というのが本章のねらいである。

しかしなぜ、<存在>の一義性という、<存在>の平板化を目指すように見えるものに、共約不可能性という落差を取り入れねばならないのだろう。そして、それを天使の言葉や聖霊論や欲望論・身体論と結びつける必要があるのだろう。私が知りたいのは、「私」と<存在>の関係なのだ。それは、いわば「超越的内在」というあり方を基本にし、だからこそ忘却されることによってしか、自らを示さないということがあるのではないだろうか。しかし、忘却されることによってしか、姿を現わさないことは、考えてみると日常的な場面にありふれ、身体論において論じられる問題に見出されると思われる。それこそ、一般者の自己限定という構図で考えないとなかなか見えにくい事柄だ。もし、そのような見通しが正しければ、<存在>の自己顕現・自己限定ということを語ることも可能になってくる。

最初に与えられるものである以上、最も近しいものであることは確かだ。しかし、それは潜在的にすべてのものを含むが故に、展開されねばならず、<存在>が完全な明るみに立つのは、そういった展開の終了した後だが、展開に終局はない。このような構図の中で、個体化の問題や普遍の問題が論じられていたのだ。私が求めているのは、<見えないもの><見えるもの>に転じていく生成の過程の中で、己を持するための<>についてなのだ。

2015年7月 4日 (土)

山内史朗「天使の記号学」(24)

4.偶然なるものの神学

<存在>の一義性において要となるのは、潜在性ということだ。<存在>はあらゆるものを潜在的に含んでいるというのである。これは神がすべてのものを創造したという神学的前提の上で話しが進められている。しかしながら、<存在>が、内容の濃い、空虚な概念にしか見えないか、「沈黙」や「闇」と同じように充実したものと見えるかが、大きな岐路となる。

<存在>の一義性の問題は、神学の捉え方、つまり、神学とは知識なのか、ハビトゥスなのか、人間に許された神学はいかなるものになるのか、という論点を出発点に持っている。そこで、スコトゥスは、神学を、神学自体と、我々人間の有する神学とに分けている。<神学自体>は最初の対象は「神」であり、この神はあらゆる神学的真理を潜在的に含んでいるとされる。そして、この<神学自体>は、その神学の対象にそれぞれ固有な関係を持つ知性─に応じて、それぞれの知性に応じた認識を与えるものとされる。ところが、<人間の神学>は、あくまで現世において肉体を伴った状態での知性が、神学の対象について有する認識である。問題となるのは、<神学自体><人間の神学>の関係である。

<人間の神学>は、当然のことながら、現実的にすべてのものを対象にすることはできない。せいぜい、聖書に書かれたことと、そこから導き出せることを対象とするにすぎない。そして、「<人間の神学>は、対象から明証性を獲得することのない、ハビトゥスである」とされる。対象から明証性を獲得するといのは、認識に必要な材料をすべて対象の方が供給してくれることで、そういうものであれば、人間の方は受動的に待ち受けていればよい。ハビトゥスである以上、概念として理解するのみならず、適用することもできなければならない。<人間の神学>がハビトゥスであるということは、認識の成立する条件に、人間の認識能力も含まれ、しかもその能力には欠落がある以上、<人間の神学>は限界を持ったものとなる。したがって、無限者である、神の内に潜在的に含まれるすべてを認識できるわけではないことになる。

一般に第一の対象は、動物学における動物のように、最初に考察されるべき対象と考えてよいが、すべての真理を潜在的に含んでいるとされる。<人間の神学><神学自体>と対象は同じである。つまり、神が対象であることについては共通であり、しかも、「神は無限存在者である」という第一真理も、人間に直接的に知られていると言う。しかしながら、神学の第一の対象である神が、潜在的にすべての真理を含んでいるとすると、第一の対象=神からすべての真理は必然的に導出されること、ひいてはすべての事柄は必然的に生じる、ということになりかねない。すべては必然的に生じる、自由意思はありうるかという問題は措くとして、第一の対象=神からすべての真理が導き出されることが当然求められるが、これは、人間の能力が限定されているからということではない。そこでスコトゥスは、神学を対象の違いに応じて、必然的なものに関わる神学と偶然的なものに関わる神学に分類する。多分、スコトゥスの狙いは偶然なるものの神学を打ち立てることで、人間が啓示の光によって照らされることがないにしても手にしうる、学・知としての神学を思い至ったのだ。そして、そのために、<存在>の一義性に思い至ったのだろう。

偶然的なものには、神に対する真理も含まれている。神の三位一体に関する真理であれ、神のそれぞれの位格・ペルソナについてであれ、例えば「神は創造した」「子が受肉した」というように、神の本質以外のものに関係づけられた場合には、偶然的なものとなる。ここで、要点となるのは「本質以外」ということである。本質以外ということで、人間の場合であれば、肌の色とか身長とかいった「偶有性」とか、他の事物との関係だけが考えられているのではなく、笑えることというような「特性」ないし「様態」も含めて考えられているのである。この「特性」「様態」というのは、「様態」で話を進めると、様態は基体の本質に含まれないものだが、外延は重なるので、互換的=代入可能である。本質の外部にある、つまり本質に含まれないが、互換的であるということを、スコトゥスは「潜在的に含む」と説明し、そういった様態に関わる真理は偶然的であると考えるのである。そして、そういった偶然的なものについても、知識はあり得るとスコトゥスは考える。

<存在>の場合について考えよう。<><事物><或るもの>という超越概念は、<存在>と互換的であるが、<存在>の概念規定を越えているので、<存在>の様態とされているが、スコトゥスは超越概念を拡張し、そこに「無限または有限」、「必然または偶然」などという、矛盾対立する両項からなる離接様態というものを含めている。超越概念を拡張することでスコトゥスは新たな地平を切り開いたのだ。そして、<存在>自体は、無限/有限、必然/偶然のいずれにも中立的であると考えている。つまり、すべてのものは、それらの両項のどちらか一方でしかないが、<存在>それ自体はそのいずれでもなく、中立的であるというのだ。中立的であるということは、両項いずれも、<存在>の概念規定に分析的に含まれてはいない以上、<存在>からの離接様態のどちらか一方への下降は、偶然的なものとなるのである。しかし、偶然的な真理の認識の出発点とすることはできる、という。

偶然的真理における主語・述語という二つの項と、それらの結合を直観することで、それらの明証的真理に関する明証的な確信を得ることができる。例えば、「神は無限である」というのでもよい。したがって、神学に属する偶然的な事柄は、必然的な事柄について獲得される知識よりも完全な認識があり得るのだ。神がすべての真理を潜在的に含むからと言って、そのことによって<神学自体><人間の神学>との差異、必然的なものの神学と偶然的なものの神学との差異が解消してしまうのではない。

以上のようなことが<存在>の一義性の背景である。背景には、神学の区別、様態の捉え方、直観的認識、形相的区別といった道具立てが潜んでいるのだが、<存在>の一義性の構造の骨組みだけ取り出せば、<存在>概念が矛盾対立を引き起こしている統一性を持った概念であることは、<存在>の一義性の<十分条件>であり、<存在>の中立性は、その必要条件であり、<存在>の潜在性における第一次性ということが、その必要条件である、ということだ。さらに言い換えれば、<存在>は自明で最普遍者で空虚であるから、我々にとっても最も遠いものであるにもかかわらず、我々の知性に刻印されるものであることは、矛盾することではなく、同一の事柄の表裏なのだ。<存在>が共通性の第一次性のみでなく、潜在性の第一次性も有しているとスコトゥスが述べたことは、そのことと相即している。

2015年7月 3日 (金)

山内史朗「天使の記号学」(23)

3.<存在>の中立性

<存在>の一義性とは、乖離だけを語る思想なのではない。むしろ、そこには媒介の思想、それどころか内在的超越の思想が込められているのだ。媒介の側面が現われるのは、一見すると理解し難いが、<存在>は中立無記的なものだということに見られる。もちろん、上位の類、例えば「動物」は「無脊椎動物」と「脊椎動物」のいずれにも中立的だという事例を参考にして考える途はあるが、トリヴィアルである。さらに重要なのは、スコトゥスにおける<存在>の一義性とは、<存在>の中立無記性だけを表わすのではないこと、中立無記性の論点を含みながら、それは表層でしかないことだ。

ガンのヘンリクスは、アヴィセンナから<存在>の中立無記性の論点を継承し、そして、スコトゥスも、アヴィセンナとヘンリクスから、<存在>の中立無記性という論点を受け継いだ。アヴィセンナが、「馬性それ自体は馬性に他ならない」(馬性の格率)と述べ、「馬性自体は一でも多でも、精神のうちあるのでも外にあるのでも、可能態でも現実態でもない」と述べたとき、「馬性自体」は一とか多とかいった、矛盾対立する選択肢のどちらにも中立的なものとしてあることを述べていた。ヘンリクスが、この「馬性」にこだわるのは、「馬性自体」や「馬性である限りの馬性」が、個々の具体的な馬ばかりでなく、特定の馬に述語が付与されて成立する命題の原初的・始源的なあり方、つまり中立無記性を表わしているからだ。ここには、一般的なものが限定されて、個別的なものが成立する機序が問題となっていることは明らかである。この過程は、現実化でもあるし、個別化でもあるわけで、形而上学の枢要点になるものだ。ヘンリクスは、その際、<存在>が無限存在と有限存在に限定される場合、二重否定によって生じると考えた。ヘンリクスの議論もなかなか複雑だが、行き着くところは、神と被造物の関係を、類似性によってではなく、模倣の関係として捉えることだ。ヘンリクスによれば、一義性の関係を考えることは、ある共通の形相、実在的な共通部分を考えることになる、という。もちろん、神と被造物の差異を強調しようとして、<存在>を多義的なものと解することは厳に避けられる。ヘンリクスがアヴィセンナに見出したのは、「馬性である限りの馬性」の次元であり、そういう中立無記性の次元を設定することで、(1)神と被造物の絶対的差異を解消しない、(2)<存在>を多義的なものとしない、という相対立する条件を満たすことができると考えた。

ところが、スコトゥスによれば、<存在>の中立無記性は、決して<存在>の一義性の十分条件ではない。重要なのは、中立無記的な<存在>の限定が、積極的・肯定的なものによってなされるということである。スコトゥスは、最も普遍的な場面においても。最も個体的な場面においても、限定は積極的なものによってなされると考えたが、この積極的なものは、事物を構成する要素としての形相のようなものではない。スコトゥスは決して要素主義的実在論を主張するのではない。内部/外部、肯定性/否定性、という二項対立を受け入れ、一方が否定されるが故に、もう一方の項を選択するというのではなく、二項対立を越えて、新たな「積極的な」次元を見出そうとしたのがスコトゥスであり、それがスコトゥスの真骨頂なのである。しかし、ヘンリクスにおいて、中立無記性は「いずれでもないが、いずれともなりうる」ということを述べていた。言い換えれば、現実性においては否定されるが、可能性において肯定されるということだ。スコトゥスが主張しようとしたのは、そのような可能なものが現実化する過程において、事物に内在する積極的なものが現実化を為すということだ。

<存在>の一義性が、中立無記性ということを越えて、何を述べていたかを垣間見る枠組みを考えてみよう。(1)限定されるもの=被限定性、(2)限定するもの=限定項、(3)限定されてある=限定態という三項図式を考える。この例としては、(1)生命、(2)生きること、(3)生物というのがある。<存在>の場合であれば、(1)<存在である限りの存在>、中立的なものとしての<存在>、(2)内在的様態、具体的には超越概念や「このもの性」などが入る、(3)具体的なものとしての<存在>。(1)のレベルの<存在>は、限定されて(3)のレベルの<存在>となるということだが、要点となるのは、(2)の限定項も<存在>であるということだ。<存在><存在>によって<存在>へと限定される、いや<存在><存在>において<存在>に至る、ということになる。たしかに、「白いブランコ」であれば、「白い」が外部から限定しているが、「白い白雲」では冗語であり、無用な修飾である。<存在>の一義性は、(1)(2)(3)のいずれもが<存在>であり、<存在>の限定が冗長なものになることを述べているようにも見えるが、(2)の限定項を「内在的様態」と捉えることで、冗長な構造を免れることができる。スコトゥスは、「内在的様態」をなどとも言い換えているが、要するに内包量的な度合いのことだ。飽和度、つまり色の純度・濃さは、内包量の典型であり、「白」の色が特定の飽和度を有することで、特定の白さとなるとき、概念規定では何ら付加されてはいない。しかし個体化は生じている。白の飽和度は、白という基体とは独立にあるわけでもないが、白そのもののうちには含まれていないものだ。これは内在的様態でも同じことだ。「内在的」とは、構成要素となるということで、内在なのではなく、別個のものでありながら、「潜在的」に含まれている、ということだ。潜在的に含まれているものは、概念規定において、別個であっても、不可分な仕方で結合し、一なるものを形成しているのだ。

すると、<存在>の一義性は、<存在>はすべてのものに潜在的にか、または形相的に含まれ、その意味で一義的なのである。ここでは、一義性の意味は明らかに拡張されているのだ。一義性の意味を拡張してまでスコトゥスが述べようとしていたのは、<存在><存在>によって<存在>となることだ、とのべてもそれほど誤りではないだろう。要するに一義性は、共通の地平を造る発想にも見えるがそうではない。たしかに、神=無限存在、被造物=有限存在という対立において、<存在>が中立無記であることは、<存在>が共通の基体となることを意味する。しかし、神と被造物について、<存在>が一義的であるというは、<存在>を上位の類とすることで共通の地平を作ることではない。全く逆に、共通の地平を否定することだ。共通の地平が可能であると、妄想したとたんに、他者を自分のうちに取り込むことであれ、自分が他者の内に融解することであれ、二つのものを一つのものに吸収させようとする危険が現われる。他者とは離れたものであり、離れているがゆえに、絆が必要となる。被造物から神に至る認識可能性の道を開くことは、一種の尺度を設定することである。もちろん、両者に共通の尺度があるといいたいのではない。決して共通の尺度は存在し得ないながらも、一種の尺度があるといいたいのではない。決して共通の尺度は存在し得ないながらも、一種の尺度があるといわざるを得ないのは、尺度がないまま、見出された無限の距離は、直接的であるが故に、無媒介的に近接せしめられる場合があるからだ。ほんのわずかな隙間にも、人間は無限の奈落を見つけることができる。無媒介に設定された無限の距離は、いとも安直に媒介が設定される。神と被造物の間には共通の尺度も比例的関係もないが、無媒介的な無限に陥らないために、一種の尺度、思惟の尺度として、<存在>の一義性が立てられねばならない。

コーポレートガバナンスそもそも(14)

中長期の投資家からリスクマネーを招き入れることが、持続的な企業成長のためには重要なこと。企業は常に決算でよい業績を続けるとは限らない。短期投資家であれば、保有株を売ってしまうだろう。だけど、長期投資家は、その短期投資家売って株価が下がった段階で買い増す。長期投資家にとっては長期的なリターンが高くなることになる。しかし、ガバナンスが効いていないとか、株主のことを軽視している思われる企業には、そういう行動をとらない。先々への期待とそのベースになる信頼を持てないからだ。例えば、日本企業には少なくない成熟化して、簡単に短期で収益力が上がりにくい企業にとって、苦しいときに、市場の信頼を得て、中長期的に支えられる投資を受けられるのは、たいへんありがたいし、そのための仕組みのひとつとしてガバナンス・システムを考えることができる。

伊藤レポートをめぐるこんな話がある。ある経営者が、製品・サービスという価値を提供して、投資家が言う価値は残りの残余だと。「投資家は残りなのでそこばかり見られると困る、慥かに弊社は対して利益を生み出していないように見えるかもしれないが、これだけのサービス・製品を出しているではないか」と。投資家は積極的ではないが無意識の株主軽視を懸念する。だって、そのサービス・製品が本当に価値が高いならば、世の中で認められて高い利益率として評価が最終的に跳ね返ってくるはずだと。その結果、競争優位になって、さらによい循環に入っていけるはずだ。そういっていない経営はどうなのか、と。短期的利益の投資家と将来を見る日本的経営という紋切型から脱することから始めよう…という

2015年7月 1日 (水)

山内史朗「天使の記号学」(22)

2.<存在>の一義性

一義性は、それ自体で考えれば、神と被造物であれ、他の事例に関してであれ、差異を強調しようとするものでも、同一性を強調しようとするものでもない。少なくとも<存在>の問題が媒介の問題であるということは、私には確実なことに思われる。すでにここまで見てきたように、媒介の問題は基本的にかなりパラドキシカルな姿をとる。一義性がそれ自体では単純明快でも、媒介の問題であるとすれば、錯綜したものにならざるを得ない。

さて、議論の大前提として、<存在>はあらゆるものの述語となり、<存在>の外部に立つものは存在しないところから始める必要がある。換言すれば、「<存在>はあらゆるものの述語となるが、類ではない」ということになる。これは「<存在>の一義性」の前提をなすものである。スコトゥスは「一義的な概念」とは、同一のものに肯定と否定を同時に行なった場合に、矛盾を引き起こすだけの統一性を備えた、単一の概念であるという。スコトゥスは注意深く、「一義的な概念」と述べている。この要点は、おそらく、<存在>は神と被造物、つまり無限存在と有限存在に共通の上位の類ではないこと、<存在>は無限存在と有限存在に共通の成分とはならないことである。さらに、すべてのカテゴリーを越える超越概念である<存在>の規定となっている神と被造物に共通なことは何であろうと、有限と無限に中立無記的なものとしての<存在>に該当するものなのである、と述べている。ここで注目すべきは、とりあえず、<存在>は神と被造物とに中立的である、というとだ。もちろん、中立無記性だけでは、<存在>の一義性の一要因にしかならないのだが、少なくとも<存在>の中立無記性を考えることで、一つの困難を解消することができる。「中立無記性」とは、例えばAかBかのどちらか一方になりうるが、どちらへの傾向性も持たず、また現実にはそのいずれでもないということだ。中立無記性は、何らかの共通性ではあるが、しかし上位の類を想定するわけではない。したがって、<存在>の中立無記性は、<存在>を類にするのではないか、という疑念をかわすことができる。

媒介の問題に立ち戻って考えると、中立無記性は、神と被造物の距離を大きくするものには決して見えない。神と被造物の関係としてでなくても、私と他者の関係のモデルとして、共約不可能性を立てるとすれば、<存在>の一義性と共約不可能性は両立するはずもないように見える。しかしながら、共約不可能性の本来の形式は、共通性がないということではない。共約不可能性とは、共通の尺度が存在しない場合より、成立していた共通性が媒介する絆の帰納を失った場面に登場するのではないか。共通性がないがために共約不可能性が生じるのではなく、むしろ、共約不可能性とは、言葉を交わしながらも、目の前にいながらも、成立しうる共通性の機能停止のことではないのか。したがって、共約不可能性は共通性が多ければ多いほど、大きなものとなり得る。人間が無限の距離を感じるのは、あれほど親密に心を通わしていた人間が目の前にいながらも、何も応答せぬ状態、いや豊かに与えられ応答が異言語にしか聞こえない場合であろう。

神と被造物の関係に関して、<存在>の一義性を語ることは、<存在>をいわば両者に共通なものとして語ることになるが、これは両者の間に近道を造ることではない。むしろ逆に両者の間に共約不可能性の条件となるものだ。一義性を語ることは、かえって両者の懸隔が離れたものになることを示しうる。神と被造物が無限に離れていることは、<存在>の一義性を損なうものではないし、コミュニカビリティを否定するものではない。無限に離れていることは、共約不可能性の一つの現れであるが、未展開のあり方にすぎない。逆に、近みにあることが、絆になるとは限らず、場合によっては、近みにありながら、共約不可能性が現われでることもある。さらに接近しようとする力と、接近しながら常に必ず残る差異とが両立し合っていて、しかもその両者を二つながら保持したままで設定される共通性の尺度が存在する領野をここでは語っている。共約不可能性そのものが絶望の原因となる乖離・断絶なのではなく、固定化し動かなくなった共約不可能性が、呪われるべき乖離ということだろう。それは、接近した状態にあろうとも、さらに接近する力を失った場合、または、接近した状態にあろうとも、共通の尺度が失われた場合に足下に奈落が開けるように現われてくると思われる。

第3章で見たように、神は人間の中に内在する、しかも無限の距離を保持したまま内在するという論点がある。つまり、神との一致であれ、神の三位一体と人間の三位一体の対応でも良いのだが、神は無限に遠いものであるばかりではなく、同時に最も近いものであるというモチーフである。知識と信仰を分離して、知識においては最も遠いが、信仰においては最も近いというように、超越を知識に、内在を信仰に振り分ける手持ちももちろんある。そして、スコトゥスには明確に主意主義的な側面があるから、知識・知性における落差を埋めるものとしての意志という構図を読み込むこともできそうだが、どうも彼の立場は極端な主意主義への批判を出発点にしている以上、知性と意志の対立を強調するのは誤解であろう。

コーポレートガバナンスそもそも(13)

海外のアクティブ運用者が日本に投資しない大きな理由の一つは、企業が株主を軽視していることだそうだ。彼らは日本企業の技術開発力や生産管理といった強みがよく分かっていて成長力を評価してもいる。しかし、成長しても株主を軽視している会社は、資本効率が低い、配当は出ない、株価は上がらない、それで投資して何のメリットがあるのか。逆に業績が悪化すれば、とんでもない希釈化を伴う大型投資があるなど株主は真っ先にリスクを被る。そういう企業、市場には特に長期の資金、企業が時間をかけて成長するとともに増加する価値を享受するというような長期投資はまずできない。しかし、このような株主軽視に見えている状況が、却って、短期的な投資を引きいれてしまう。株価のボラリティのブレ幅を収益機会とするため取れるタイミングがあると入ってくる。この流れが短期投資を助長し、日経平均は上がらない、しかし株価のボラリティ幅は増幅するという、低迷しながら不安定な市場になっていく、それを企業の側は投資家に距離を置いてしまう。それが、しばらくの間の市場の状況だった。そう考えれば、それではいけない、と真剣に考える人も出てくるだろう。ちょっと構えすぎたことをしゃべっている。

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