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2015年7月17日 (金)

ジャズを聴く(28)~ジョー・ヘンダーソン「アット・ザ・ライトハウス」

At The Lightfouse    1970年9月24~26日録音

Jazhederson_lightCaribbean Fire Dance

Recorda-Me

A Shade Of Jade

Isotope

'Round Midnight

Mode For Joe

Invitation

If You're Not Part Of Solution, ou're Part Of The Problem

Blue Bossa

Closing Theme

 

Woody Shaw (tp, flugelhorn)

Joe Henderson (ts)

George Cables (elp)

Ron McClure (b, elb [8])

Lenny White (ds)

Tony Waters (conga [1] [8] [9])

 

1970年に録音されたライブ・アルバム。ジョー・ヘンダーソンというプレイヤーは、他のサックス奏者と比べて音が小さいという特徴があるため、実演の実況録音の場合、肝心のヘンダーソンのサックスが他のプレイヤーの音に隠れてしまうのでは、という心配があった。また、ヘンダーソンのプレイはひとつひとつの細かなフレーズを積み重ねていくことで、緊張感を徐々に盛り上げていくという劇的な展開させる、言うなれば知的な要素が大きいので、スタジオで丁寧に音を録っていくのが向いている人と思っていた。実際のところ『Tetragon』というアルバムなどは、そうやってスタジオ・ワークを効果的に活用している。最初の「Invitation」の繊細さや多彩なサウンドの織りなす様子、そのなかでヘンダーソンのサックスが宙に浮くようにフワフワ舞っている世界はスタジオ・ワークあってのものだ。年代的には、この後に『Power to the People』や『The Elements』といったアルバムを制作していくにつれて、サウンド・エフェクトを使ってみたりスタジオでの録音の可能性を追求したり、組曲風のトータル・アルバムを試行するようなことをしていく。これは、ヘンダーソンの資質が、天才肌で感性の赴くままに一発勝負の即興で煌めくというものではないこと、それを当人が強く自覚しているという知的なものであるがゆえであると思う。実際のところ、ヘンダーソンの短くはない活動期間の中で様々な録音が為されていて、その内容はバラエティに富んでいるが、その中でヘンダーソン自身のプレイは、ほとんど変化していない。よく言えば一貫している。悪意にとれば、成長していない、ということになる。ヘンダーソンのプレイの性質が語り口で聞かせるというタイプではないため、同じフレーズが年齢を重ねることで熟成されて味わい深くなるということは期待できない。多分、ヘンダーソンはそのことを自覚し、危機感もあったのではないか。そこで彼がとったのは、まるでクラシック音楽のように演奏を知的に構成した構築性の高いものにして、個々のフレーズに意味を持たせることだったのではないか。そのために、彼一人ではなく、他のプレイヤーとのアンサンブルにより複雑な音楽を創り出すという方向に向かったのではないかと思う。だから、ヘンダーソンのプレイは同じようなフレーズを繰り返したとしても、曲の中のどこで演られているか、とかあるいはサックスの他にどのような楽器とどのように絡んでいるかによって、まったく違ったものになっている。とくに『The Elements』のようなアルバムでは、そのために曲自体が長くなっていってしまったのだと思う。そういう、知的な面を追求していると思わせるヘンダーソンの実況録音である。

実際に聴いてみると、今まで話してきたヘンダーソンとは違ったプレイヤーが、そこにいた。一言で言えば、当たり前のことだが、“熱い”のだ。このライブでは、ヘンダーソンの代表曲が網羅されていて、ベスト盤のような選曲となっているが、スタジオ録音と比べてみると曲の印象が全く違ってくる。例えば「Blue Bossa」や「Recorda-Me」は『Page One』に収録されているナンバー。このライブ盤を聴いた後で『Page One』での録音を聴くと、全体的に演奏が大人しく、例えばリズム・セクションは猫を被ったように控え目だし、ヘンダーソン自身のプレイも硬い。これはこれで抑制をきかせたプレイはクールであり、ヘンダーソンの得なプレイを際立たせている。ニーチェが『悲劇の誕生』で用いた喩えでいえばアポロン的な整った演奏なのだ。これに対して、このライブ盤での演奏は、アポロン的に対してディオニソス的。熱のこもったプレイは、粗削りではあるけれど、アグレッシブな面も見せ、エキサイティング。ヘンダーソン自身も、時にフリーキーなトーンを交えながら、独特のらせん状にうねるラインを繰り出す、それは強引なほど。しかも、細かいところでリズムとハーモニーに対して多彩なアプローチを試み、音色が様々に変化する。これは、ヘンダーソン以外のメンバーもエキサイトしたプレイをしているが、全体として決しと重くはならず良い意味での軽やかさも同居しているので、腹にもたれることなく最後まで聴き通せるものとなっている。

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