言葉を伝えること?
海外進出の中で、とくに文化的な分野は言葉の壁がビジネス以上に大きいと言われている。例えば、文学では英語などの翻訳されるのが第一歩。三島由紀夫がノーベル賞を取りたくて、自身の作品を意欲的に翻訳していたというし、村上春樹は、それを前提にしているというのか、英語な何かでも構想から考えに含んでいるのだろう。ポピュラー音楽などでも、ちゃんとした英語の発音で歌えるのが前提ということで、過去幾多の人気歌手が進出を試みるも、撥ね返されてきた。(坂本九という例外もあるけれど)それが、最近、何人かの人々が、日本語で歌ったままで、それを現地の人が耳で聞いて覚えて、片言で口ずさんでいるケースがあるという。(例えばこのような動画)要は、新しくて、魅力的なのだから、という単純な理由なのだという。本質的な価値を認識された場合に限って、言葉の壁は越えられてしまうこともあるということか。
そういえば、オンリーワンの技術を持った町工場の職人さんにわざわざ海外から仕事を依頼しにくる企業は、英語を話せなどといわず、日本語を話せる人を連れてくるのだろう。
自分勝手な言い分かしらん
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