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2015年7月18日 (土)

ジャズを聴く(29)~ジョー・ヘンダーソン「パワー・トゥ・ザ・ピープル」

Power To The People    1969年5月23日、29日録音

Jazhederson_peopleBlack Narcissus

Afro-Centric

Opus One-Point-Five

Isotope

Power to the People

Lazy Afternoon

Foresight and Afterthought (An Impromptu Suite in Three Movements)  

 

Joe Henderson(ts)

Mike Lawrence(tp)

Herbie Hancock(p→3,4,6曲目、elp→1,2,5曲目)、

Ron Carter(b→1,3、4、6、7曲目、elb→2、5曲目)、

Jack DeJohnette(ds)  

 

Tetragon』に次いで1969年に録音した、ジョー・ヘンダーソンとしては初の“電化ジャズ”だったという。メンバーを見るとマイルス・ディビスのグループのリズム・セクションが参加している。録音の時期はマイルス・デイビスのアルバムで言えば「In A Silent Way」と「Bitches Brew」との間の時期にあたる。つまりは、当時の先端的なマイルスとプレイしていたリズム・セクションの中で、ジョー・ヘンダーソンは、いつものプレイを展開させた作品。前作の『Tetragon』から、さらに一歩進めて実験的な方向にアプローチした作品となっていると思う。

アルバムの最初の曲「Black Narcissus」が幻想的ではあるけれど、静かでしっとりとした始まり方をするようになっている。私の乏しいジャズの鑑賞経験のなかでは、アルバムの最初にハードなナンバーで印象を強くすることが一般的だった。それに対して、このアルバムの始まり方は静かすぎて目立たない、と心配になってしまうほどだ。その冒頭は、ベースによる低音のイントロは印象的で、そっと始まる。耳をそばだてているところで、それに乗ってヘンダーソンが抑えて抑えて、静かに、まるで浮かんでいるかのような軽い感じのトーンでそっとメロディを吹いて(バックのエレキ・ピアノがアコースティック・ピアノと違ってタッチが明確に立っていないので、音の輪郭がぼやけるのが浮いたような軽さの印象を助長させている)、少しずつ高揚してきたと思ったら、最初に戻ってまた静かに、転調してアドリブ・ソロも抑え気味で、静かではあるのだけれど、緊張感に漲っていて抑えているのはよく分かる、その蓄えているような緊張がいつか爆発するかもしれないという期待感を持たせる。続くエレキ・ピアノのソロも音量を抑えて、同じように期待感を募らせる。結局、この後ヘンダーソンが引き継いでテーマに戻ってくるのだが、最後に軽めのブローでため込んだ緊張は開放されずに終わってしまう。それだけに静かな曲であるけれど、緊張感に漲っていて、リラックスした感じはない。全体として、熾火のような薄い炎がちらちらと揺らめいて、いつ発火するか分らないようなスリルに満ちた演奏。次の「Afro-Centric」で、その緊張を引き継ぐように、最初にサックスとトランペットのユニゾンで勢いよくテーマを吹く。ベースとピアノがエレキ楽器を使い、ドラムスがかなり強いビートを叩いているのは、マイルスの同時期のアルバムの影響だろうか、当時のジャズ・ロックとは一線を画した、しかし強いビートの演奏となっている。その中でヘンダーソンが、いつもの即興プレイをしていると、心なしかフリーキーな色合いが強まっているように聞こえてしまう。このようなビート主体のサウンドはアルバムタイトルや最初の曲名からアフロ・ビートとか呪術的なイメージを想わせるのに、うまく合わせている、というよりもヘンダーソンの意図的なものがあって、ジャズのもつ抽象的な音の存在に固執することに満ち足りないものを当時持っていたことを想像させる。この傾向は5曲目の「Power to the People」にもあり、こちらは不協和音がさらに増えて、フリーキーな印象が強くなっている。最後の「Foresight and Afterthought」は全編即興のフリーにさらに近寄った曲で、途中で違う曲になったかと思うほど転換したり、不定形さを際立たせている。ここでも、ドラムスのビートが強調されていて、アルバム全体を通して、ビートが強調されている反面、ヘンダーソンのプレイは高調しつつも抑制的で、赤々と燃えるというよりは、青白く燃える醒めた印象だ。最後がフェイドアウトして戸惑うような終わり方をするところも、それが表われている。

しかし、発表当時は斬新な印象を強く与えたのであろうけれど、現在の耳で聴くと、そういう部分が古臭くなって聴こえてしまって、ヘンダーソンのいつも通りのサックス・プレイの方が新鮮に聞こえてしまうのが不思議だ。それだけに、ヘンダーソンと他のメンバーのプレイが、どこかしっくりいっていない齟齬を感じる。このアルバムでは、そのちょっとしたズレが実は大きな魅力となって、そのズレがあるからこそ他のアルバムでは隠れてしまっているヘンダーソンの魅力を垣間見えることができるものとなっている。

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コメント

初めまして。zawinulと申します。ジョー・ヘンで検索していましたら、このサイトを拝見することができ、とても興味深く拝見させて頂きました。そして、アート関連の記事なども情報がとても参考になり、これからもちょくちょくお邪魔したいと思います。当方もブログで紹介していますので、よかったら、覗いてみてください。
https://zawinul.hatenablog.com/entry/2020/07/31/214840
今後ともよろしくお願いします。
すみません、勝手にリンク貼らせていただきました。

zawinulさん。コメントありがとうございます。サイトを拝見させていただきました。分かりやすい言葉で、具体的にヘンダーソンのプレイが聞こえてくるような記述に、zawinulさんのジャズに対する高い見識を感じました。こちらこそ、よろしくお願いします。

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