無料ブログはココログ

« コーポレートガバナンスそもそも(15) | トップページ | ジャズを聴く(28)~ジョー・ヘンダーソン「アット・ザ・ライトハウス」 »

2015年7月16日 (木)

ジャズを聴く(27)~ジョー・ヘンダーソン「ページ・ワン」

ジョー・ヘンダーソンはジャズを水で薄めた音楽にすることなくクリエイティブな音楽を提供することでもセールスが成り立つことが可能であることを立証して見せることができるミュージシャンだ。彼のサウンドとスタイルは60年代中盤から変わっていないにもかかわらず、1992年にヴァーヴと契約に至ったことは、そのレコード会社の主要なニュース・イベントとされた(彼が他のレコード会社ですでに多くの忘れがたいセッションをレコーディングしていたのだけれど)。彼のヴァーヴでのレコーディングはビリー・ストレイホーン、マイルス・デイビス、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンへのトリビュートというマーケット需要にうまく応えるテーマを含んでいた。その結果として、彼は1970年代の未だ無名であったころと同じサウンドづくりをしていたにもかかわらず名声とトップセールスをコンスタントに稼ぐ地位を獲得することができた。それが、もっとふさわしいジャズミュージシャンには、それができなかったという事実が、それを一般的な常識となった。ケンタッキー州立大学とウェイン州立大学で学んだ後、ジョー・ヘンダーソンは兵役につく1960~62年までの間デトロイトのローカルで演奏活動をしていた。ジャック・マクダフのもとで短期間の演奏活動の後、1962~63年のケニー・ドーハムとの活動が認められることになった。彼こそはヘンダーソンを擁護しブルーノートとの契約を後援したベテランのトランペット奏者だった。ヘンダーソンはブルー・ノートでリーダーとしてサイドメンとして多くのセッションに起用された、1964~66年にはホレス・シルヴァーカルテットに、1969~70年にはハービー・ハンコックのバンドに参加していた。ソニー・ロリンズとジョン・コルトレーンからの多少の影響を受けてはいたものの、はじめから、彼は非常に特徴的なサウンドとスタイルの持ち主だった。そしてまた、たくさんの新しいフレーズやアイディアを持っていた。ヘンダーソンはハード・バップからフリー・ジャズまで、内側でても外側ででも即興をすることができた。1970年代はサンフランシスコに住んで、マイルストーン・レーベルで多数のレコーディングを行った。それは、自然のことだった。1980年代の後半には、ブルー・ノートでレコーディングをしながら、フリーランスを続ける一方で教育活動を始めた。しかし、ヴァーヴでレコーディングをするようになると、突然有名になった。2001年6月30日、肺気腫との長い戦いの末、心臓障害で他界した。

 

Jazhederson_pagePage One    1963年6月3日録音

 

Page One

Blue Bossa

La Mesha

Homestretch

Recorda Me

Jinrikisha

Out Of The Night

 

Butch Warren(b)

Joe Henderson(ts)

Kenny Dorham(tp)

McCoy Tyner(p)

Pete La Roca (ds)

 

ヘンダーソン初のリーダー・アルバムとのこと。ヘンダーソンのリーダーは、そうなのだろうけれど、トランペットのケニー・ドーハムがお膳立てをしたサポートの上に立って、ヘンダーソンが精一杯のプレイをしているところではないだろうか。編成は、トランペットのケニー・ドーハムとの双頭コンボで、ドーハムの曲を取り上げ、全体的にドーハムの持つ抒情的な面が反映された、落ち着いた印象となっていると思う。しかし、だからと言ってリラックスしたムードかというと、そこはジョー・ヘンダーソンで、十分カタルシスのある充足感タップリのものとなっている。それが、ヘンダーソンのアルバムの中で、この作品の特徴と言える。

最初の「Blue Bossa」はドーハムの曲ということで、ピアノによる印象的なイントロに乗って、サックスとトランペットがユニゾンで哀愁を漂わせたメロディを密やかなトーンでそっと提示する。曲名からあるようにボサノバ風のリズム・セクションのバックが軽い憂鬱の雰囲気を醸し出しながらも沈み込ませずに推進力を与え、トランペットのソロはミュートを被せて枯れた味わいが哀愁をひきたてる。これに続くヘンダーソンのソロはぐっと低く始まり、裏リズムのちょっとズレた感じとヘンダーソン独特の音色がトランペットの対比で不思議と曲調にマッチして、続くピアノがしっとりと聴かせる。ボサノバ風の軽さとダルさを失わず、メロウさを聴かせる演奏となっている。2曲目の「La Mesha」はスローなバラード。ピアノに導かれてヘンダーソンのソロは、テーマはふらふらして頼りないもののアドリブに入ると、そのふらふらしているところから滑らかに流れて、ヘンダーソン独特の渦を巻くようなフレーズと違和感がない。実は、ヘンダーソンはソロは結果的に、この後に続くドーハムのトランペットを引き立てることになってしまう。短いのだけれど、トランペットが同じメロディを吹くと格段に抒情性が募るのだ。その後の短いピアノも引きずられるよう。そして、サックスとトランペットとでテーマにもどると、雰囲気はそのままでしっとりと終わる。3曲目の「Homestretch」では一転して、スウィンギーなアップテンポのナンバーとなる。しかし、なぜかうるさく感じないのはアルバム全体の雰囲気や、ドーハムの渋い音の成せる技だろう。ここではヘンダーソンはフレーズをわざとスムーズに連続させない。それは彼のクセであり個性と言える。このような断続的なフレーズの集合体を積み上げることで、声高なブローをすることもなく演奏に高いテンションを持ち込むのだ。まるでテナー・サックスから電波があちこちに広がっていくようだ。どこへ向かうかは予想がつかない。そういうスリルと緊張感が、ここには最大限に生かされている。それが、ちょうどメロディアスな曲の谷間にあってスパイスのような機能を果たしている。

続く4曲目の「Recorda Me」は最初の「Blue Bossa」に通じるようなボサノバ風のナンバーではヘンダーソンが何時になくリラックスしたプレイを見せて、ドーハムのトランペットが枯れたような渋い適度に力の抜けたプレイと均衡したコンビネーションで、軽快な中でのリリシズムを感じさせる。有名になった1曲目に負けない演奏。最後の6曲目はマイナーブルースで幕を下ろす。そういう構成で、全体として、リラックスした中で、哀感を漂わせたメロディが、トランペットのドーハムの巧みなサポートを得て、ヘンダーソンの癖のあるフレーズに不思議にマッチして抒情性を帯びたものとなり、考えられた構成がリラックスした中で緊張感を保っている。その結果、通して聴くと決してムードに流されない、充実感を得られるものとなっている。

« コーポレートガバナンスそもそも(15) | トップページ | ジャズを聴く(28)~ジョー・ヘンダーソン「アット・ザ・ライトハウス」 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジャズを聴く(27)~ジョー・ヘンダーソン「ページ・ワン」:

« コーポレートガバナンスそもそも(15) | トップページ | ジャズを聴く(28)~ジョー・ヘンダーソン「アット・ザ・ライトハウス」 »