靖国神社への8月15日の閣僚や議員の参拝って矛盾していない?
8月15日に一部の閣僚や超党派の議員が靖国神社に参拝したということで、報道されている。
靖国神社のホームページには、靖国神社について、“国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。”と説明し、“靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。”としている。
毎年、8月15日に靖国神社に参拝する議員が話題になるが、上の引用した靖国神社の趣旨や、そういう議員の一人が“国難の時に命をささげられた御霊に対し、心を込めて追悼、感謝の誠をささげた”というコメントをしているが、他の人も同じだろう。そうであれば、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、の戦死者に対しても同じような参拝をするのが筋であるはず。なぜ、しないのか。記事では8月15日と春秋の例大祭しか参拝していないようだ。そうであれば、言っているコメントは真意ではないということが明白になる。つまり、単なる話題づくり。そうであれば、靖国神社に祀られた英霊に対する冒瀆ということになる。
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