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2015年8月22日 (土)

読書のスタイル?

小学生は国語の時間、教科書を声を出して読む。朗読だ。近代以前は読書といえば朗読だったという。つまり、人々の集まる広場で、本を声を出して読み周囲の人々に聞かせる。ところが近代になると活版印刷の普及とプライバシーの発生にともない自室で独り黙読するという読書形態に変容した。このとき、読書は目で字を読み、口で声に出して、耳でそれを聞く、という複数の感覚器を動員した認識行為だったものが、目で読むことだけになった。現代は、さらに、書籍に代わってパソコンや端末で読むことに変容が起こった。目で読むことは同じだけれど、書籍という物質性が消失してしまった。書籍には文字が印刷され、それだけでなく、ページという枠があり、そこにレイアウトされ、本文だけでなく注があったり、ルビとかフォントが変わったり、とかあるいはカットがはさまれたりしている。ところが端末で読む場合には、フォントは端末によって書籍という決まった大きさの枠が無くなってしまい、文字の大きさは端末のサイズに左右される。また端末にインストールされていなければ元のフォントでは読めない。ページレイアウトも巻末の画面に連動して変わってしまう。だから、そこにあるのは文字に書かれた内容以外はほとんど伝わらないものとなってしまっている。この時、マラルメの『骰子一擲』というテキストはどうなってしまうのだろうか。このような、変容したものをスタイルとして、実は読書の重要な要素ではなかったか。そして、時代とともに進んだ読書の変容は、実はこのスタイルを切り捨てていくことではなかったかと考えられる。そう考えると、コンピュータというのは心身二元論でいう精神の部分を肥大化させたものだということが、読書という行為に象徴的に表われている。そんなことを考えた。

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