速水御舟とその周辺─大正日本画の俊英たち─(2)~第1章 安雅堂画塾─師・松本楓湖と兄弟子今村紫紅との出会い
速水が画家としての修行を始めた時代の師匠や、画塾の人たちの作品です。画塾には粉本が数多くあって、速水を含めた弟子たちは、それらを次から次へと模写をしていくことで、日本画の基礎を身につけていったということです。粉本には、中国絵画や琳派、土佐派や狩野派、円山四条派、浮世絵などあらゆるものが揃っていた(これら列記されたものの違いを、私は見分けられません)と説明されていました。そして、師匠の松本楓湖という人は放任主義で、絵の批評などは全く行なわなかったらしく、それが逆に良かったのか、今村紫紅や小茂田青樹、小山大月、牛田雞村、黒田古郷らが集まって、自由に描いていたようなイメージが湧いてきます。
後年、速水は節操がないといえるほど、一方で写実を追求する方向から、平面的で様式化された作品世界で装飾的な方向まで、広いふり幅で作品を矢継ぎ早に制作して行った素地は、このようにして形成されたのかということが想像できました。そのような視点で見てみると、今村紫紅が提唱して、速水がその流れに乗るように様々な作品を制作していった“日本画改革”で目指したものというのは、日本の絵画のあり方を根本的に見直すというよりは、様々な要素や技法を、それぞれの拠って立つ体系から抽出してきて、ちがった体系の中にぶち込んでみたり、本来ならば異なる体系にある要素を同一の画面の中で同居させたりなどといったパズルの組み方の新しいパターンの模索のようなものであったことが分かります。今村はどうか分かりませんが、速水という人は、そういうことが十分に可能な器用さを持ち合わせていたということは、ここで展示されてた習作ともいえる作品をみてもよく分かります。ただ、作品は習作といえる程度を超えるものではないようなので、個別に取り上げてどうこうということはしません。
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