リスクをとる?
このところ、コーポレートガバナンス・コードのことを書き込みしているけれど、多かれ少なかれ、ある程度のリスクを敢えて採ってアグレッシブに攻めていくことでも現状を好転させようという意思は、自分なりに感じる所がある。それを理解してもらうことを考え始めると(このようなこと自体、かなりおこがましいことは承知している)、何も経済の分野だけに限らないように思えてくる。安保の議論なんかにも象徴的といっていいのか、議論の内容について、個人的には必ずしも賛成というわけではないけれど、国会での反対の論点とか報道や学者の話をきいていると、リスクばかり話していて、お決まりのスローガンか、情緒的な共感に終始して、リスクから逃げて、現状の保身に汲々としているように見えてくる。全体として閉塞感を抱いてしまう。それは、法案を提出した側も似たり寄ったりで、提出してしまったからという既得事実にしがみついている小心根性が透けて見えてくる。そういっている自分は何様?っていうのもあるけれど、
また、両方とも戦略がなくて、単に正面突破の主張をしているだけで、結果として何をどのように勝ち取っていくのかが見えない。とくに反対する側に顕著だけれど、ちょうど敗戦の放送の日が近いということもあるけれど、結果を考えず、とりあえず戦争を始めてしまった74年前と同じように見えてしまう。本当に反省したのだろうか。
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